エリヤ


青柳兄

(吉祥寺学び会、2007/01/30)

引用聖句:ヤコブの手紙5章17節-18節
17エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。
18そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

イエス様は十字架にかかって死なれ、三日目によみがえって今も生きて働いておられます。
今も生きておられるイエス様は今年何歳でしょう?約2千年前の誕生だから今年200X歳でしょうか?答えはNO!です。
イエス様は世界創造の前からおられ、創造に当たられました。

コロサイ人への手紙1:15-17
15御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
16なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
17御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

創造の昔からおられた神の子イエス様が、何故人間として誕生されたのでしょうか?死ぬためでしょうか。
神は死ぬことができません。そのため、死ぬために人間になられたのです。
では、何故死ぬ必要があったのでしょうか?人間の罪を贖うためです。――これは創造の時からの神のご計画でした。神の「人間救済計画」は2段階から成り立っています。
  1. イスラエル民族をエジプトから救出し、モーセを通して律法を与え、人々がその律法を守ることにより神に立ち返らせる。しかし罪深い人間は律法を守れず律法によっては救われなかった。そこで神のご計画は第2フェーズに入る。
  2. 御子イエス・キリストの身代わりの死によって人間の罪を贖う=イエス・キリストの福音による人間の救い。
この二つを繋いだ者、即ち律法から福音への道を繋いだのが預言者たち=神によって召され、神に用いられ、神のみこころを取り次いだ預言者たちでした。
本日は、エリヤを初めとするその預言者たちについて聖書から学びたいと思います。

エリヤといえば預言者、しかも預言者の代表といわれます。もちろんエリヤ以前のモーセやサムエルも預言者と呼ばれることがありますが、エリヤ以降の預言者とは少し性格が異なるようです。
時の施政者や権力者から独立して彼らから一定の距離を置いたところで、国のまつりごとや人々の信仰のあり方について神様のみことばを伝えるため、神に召され神に用いられた預言者たち。そしてエリヤは彼らの初めにして彼らの代表者と目されています。
彼らの使命は、偶像崇拝の蔓延した時代にあって、その昔モーセによって伝えられた神の律法に対する真の信仰をなんとか回復することでした。

そんなエリヤですが、いわゆる「エリヤ書」といったものを遺しておりません。彼の後に現われエリヤの路線を継いだイザヤやエレミヤは、それぞれ「イザヤ書」や「エレミヤ書」を遺していますが、エリヤにはそれがありません。
考えてみると国王や時の権力者に盾突き、彼らに追われて荒野や僻地に独り避難を余儀なくされたエリヤの生涯には、著作をものする時間などなかったのかも知れません。
しかし感謝なことに聖書の中の各所に彼に関する記述があり、私たちはそれらから彼の活動をみることができます。

それによると、彼のいた時代は凄まじく偶像崇拝の嵐が吹き荒れ、真の神様がないがしろにされていた時代であったことがわかります。
それは、ダビデ・ソロモンと続いたイスラエル統一王国が南北二つに分裂してから60年あまり、紀元前9世紀半ばの北王国でのこと、時の王様はアハブでした。

列王記第I、16:29-33
29オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。
30オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。
31彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。
32さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。
33アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。

なぜこのように偶像崇拝が盛んになったのでしょうか。イスラエルの民は、彼らの先祖をエジプトから救出された神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、すなわち創造主なる神のことを当然知っていました。
しかし苦難が去って平穏な日常生活が続くと、ついつい怠惰と堕落に陥りやすい人間のことです。モーセを通して与えられた神の律法――それらは守ることができるならまだしも、いくら努力しても自分の力で完全に守ることは人間には不可能。そんな厳しい戒律を与えられる、目に見えない神様よりも、現実に目で見、手で触れることができ、こちらが奉仕すればその分ご利益が返ってくるという、「give and take」の宗教の方が彼らには受け入れ易かったからなのでしょう。
そのような状況の中で、エリヤはアハブ王の前に敢然と立って神のことばを告げます。

列王記第I、17:1
1ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

王や民にとってこんな不都合なことを預言するエリヤを王の怒りから守るため、神様は彼をヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに避難させ、カラスに食物を毎日運ばせ彼を養われます。
しかし彼の預言通り天から一滴の雨も降らないため、やがてケリテ川の水も枯れます。そこで今度はシドンのツァレファテという所に彼を行かせ、ひとりのやもめに、「粉の尽きないかめと油のなくならないつぼ」の奇蹟をもって、彼は養われることになります。
それから3年目、

列王記第I、18:1
1「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」

という神様のことばに従って再び王の前に出たエリヤは、偶像に仕える者、すなわち450人のバアルの預言者と400人のアシェラの預言者との対決を申し出ます。そして見事に勝利をおさめます。

列王記第I、18:36-39
36ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。
37私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
38すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
39民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。

エリヤとの対決に敗れたバアルの預言者たちは皆殺しにされますが、このことを知った王の妻イゼベルは怒り心頭に発します。そこでエリヤは再度身を隠さなければならなくなります。
彼は40日40夜苦難の旅を続け、ついに神の山ホレブに着きます。このホレブ山こそ、あのモーセに神がはじめて現われ「苦難のイスラエルの民をエジプトから連れ出せ」との啓示を与えられた山、シナイ山のことです。
また後にこの山頂でモーセが神様から十戒を与えられた場所でもあります。

「エリヤよ。ここで何をしているのか」という神様の「かすかな細い声」を聞いたエリヤは、幼児が母親に訴えるように自分の遭った苦労を神様に掻きくどきます。

列王記第I、19:14
14エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」

絶望的ともいえる激しい訴えをするエリヤに対して神様はやさしく諭されます。
エリヤよ、神の働き人はお前ひとりではないよ。お前の後にもお前の遺志を継ぐ預言者たちをわたしは用意している。また

列王記第I、19:18
18わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。

列王記第I、19:16
16エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。

神様のこのことばの通り、やがてエリヤは後事を弟子エリシャに託し、彼自身はたつまきに乗って生きたまま天に上げられます。

列王記第II、2:9-11
9渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と言った。
10エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
11こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

列王記第II、2:15
15エリコの預言者のともがらは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている。」と言い、彼を迎えに行って、地に伏して彼に礼をした。

エリヤとエリシャの時代からおよそ1世紀、紀元前8世紀後半北イスラエル王国はアッシリヤによって滅ぼされますが、それを南の隣国ユダから目撃した一人に預言者イザヤがおりました。
イザヤも主から召命を受け、エリヤやエリシャの路線を継承する預言者として50年もの間活躍します。しかし彼の度重なる警告にもかかわらず、偶像崇拝の悪弊はますます国中にはびこり、とどまるところを知りませんでした。
そして南王国ユダもやがて滅びへの道を歩むことになるのですが、しかし神様はイザヤを通して、滅びと共に彼らに救いへの道を啓示されるのです。それは救世主誕生の預言です。

イザヤ書9:2
2やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。

イザヤ書9:6-7
6ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

さらにそのみどりごがやがて成長して、全人類の罪を贖うため、身代わりの死を遂げることを預言されます。

イザヤ書53:4-6
4まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

イザヤからさらに約1世紀後、紀元前7世紀後半から6世紀にかけて活躍したのがエレミヤでした。
彼は、彼自身の度々の忠告を無視された挙句、祖国ユダがバビロンに攻め取られ、エルサレムの陥落とバビロン捕囚という惨事を自ら体験した、悲しみの預言者でありました。
しかし同時に、神様はこのエレミヤを通して新しい希望の光の到来をも預言してくださいました。

それは神と人との間の新しい契約のことでした。
いくら努力しても神の律法を守りきることができない人間の無力を補うために、神様が新しい契約を人間に用意されていることを告げるものでした。
それはやがて来るべき救世主キリストによる新しい契約、すなわちイエス・キリストの福音の予告でした。

エレミヤ書31:31-34
31見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
32その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ。――
33彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
34そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。――主の御告げ。――わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

救世主メシヤの来臨の預言と並行して次第に強まってきたのが、「エリヤ再来」の期待でした。それは、メシヤの到来に備えて、その道を整え、人々の心を偶像礼拝から真の神に立ち返らせるために、エリヤが再び現われるという期待でした。
エリヤは先に見たとおり、死を経験しないで生きたまま天に引き上げられましたから、それ以来「エリヤ再来」伝説は人々の間に語り継がれたようです。
それに加えて、メシヤ到来の前にその環境の総仕上げをするものは、最初の預言者にして預言者の代表エリヤに違いないとの期待が持たれていたからではないでしょうか。イザヤ書では次のように言っています。

イザヤ書40:3-5
3荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。
4すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
5このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」

マラキ書では次のように言います。

マラキ書3:1
1「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている。」と万軍の主は仰せられる。

マラキ書4:4-6
4あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を記憶せよ。それは、ホレブで、イスラエル全体のために、わたしが彼に命じたおきてと定めである。
5見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
6彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

この「エリヤ再来」の預言はバプテスマのヨハネにおいて実現しました。

マタイの福音書3:1-4
1そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。
2「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
3この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
4このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。

列王記U、1:8
8「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした。」

両者とも荒野で生活し、外見の類似点もさることながら、両者の使命の共通点が重要です。

ルカの福音書1:13-17
13御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
14その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
15彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
16そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
17彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子供たちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

そしてついに救世主メシヤの誕生となります。

ルカの福音書2:6-14
6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
8さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
13すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
14「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

このようにして地上にご降誕されたイエス様は、およそ30年のこの世の生涯の後、全人類の罪を贖うために十字架の死を、そして三日目の復活を成し遂げてくださいます。
それは神様がその遠大なご計画に基づいて、人間を滅びから救い出すために人間に与えられた福音でした。信じる者一人ひとりの罪を赦し、彼らに新しい永遠のいのちを与えるのです。
人間が主なる神様に背いた罪を償うため、神様がモーセを通して与えられた律法の定めに従って歩もうといくら努力しても、それは人間の力では不可能である。そんな無力な人間でも、ただ心からの悔い改めとイエス様を信じる信仰を自分のものとするだけで、人間は滅びから救われる――これがイエス様の十字架によって私たちに与えられた福音です。

そしてここまでの行程を繋いだ者、すなわち律法から福音までその橋渡しをしたのが、エリヤからバプテスマのヨハネに至る預言者だったのではないでしょうか。
最初にモーセに神様の律法が与えられ、民がその律法に従って真の信仰を守るように働いた預言者たち。しかし律法により翻弄される人間の弱さを前にして、やがて神様は預言者を通して、人間に代わって律法を成就する救世主の到来を告げられます。
民の迷いと苦しみが頂点に達したとき、イエス様のご降誕となりました。そしてイエス様の福音が全人類に明らかになったのです。イエス様はご自身について言われます。

マタイの福音書5:17-18
17わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
18まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

この結果,律法と預言者はそれぞれ使命を終えて舞台から降りました。そして福音がとって代わりました。
このことを象徴するような出来事が起こりました。聖書からその箇所を読んで終わりたいと思います。

マタイの福音書17:1-8
1それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
2そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。
3しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。
4すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
5彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。
6弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。
7すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない。」と言われた。
8それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。

いま私たちはこの福音の時代に生きているのです。なんという感謝なことでしょう。
再臨が近づいた今、この福音を私たちの回りの一人でも多くの人に伝えることこそが、先に救われた私たちの使命であることを心に刻みたいと思います。




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