2002年元旦御代田メッセージ


古田公人兄

(御代田、2002/01/01)

あけましておめでとうございます。

新年を迎えますと思い出すことは、昔から言われてることですけれども

「人生は旅である」

ということでは、ないでしょうか。
そして、人生が旅であるとすれば、旅にはいくつかの重要な点がなければならない、と思うんです。

その第一の点は、行き先がはっきりしていること。

第二の点は、喜びがあること。

喜びがなければ、旅は辛く、寂しいものでしかありません。

そして、第三には健康に恵まれていること。

ではないかと思います。

まず その「行き先」と「喜びの源」について、みことばから聞いてみたいと思います。
ヘブル人への手紙、11章13節。新約聖書の402ページです。11章13節。

ヘブル人への手紙11:13-14

まぁ「行き先」とは、言うまでもなく、「天の御国」であります。
ほんとうに、天の御国をそして、主のご支配をはるかにそれを見て喜び迎え、新しい歩みの行き先と、喜びの源とが、ここに記されているように思います。

そして、もう一つ、旅にとても必要な、「健康」につきましては、その次の12章の2節に書かれています。

ヘブル人への手紙12:2-3
13これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
14彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
3あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

結局この人生の旅の喜びの源と、そして健康の源とは、一つである。ということを知らせられるように思います。
ではなぜ、イエスさまを見上げるときに、それもはずかしめをものともせずに、十字架を忍ばれたイエスさまを見上げるときに、私たちは元気になることができるのでしょうか。
言うまでもなくそれは、私たちが、自分一人で生きているのではない!ということを確信できると同時に、イエスさまは、ご自身のいのちに代えてまで私たち一人一人を愛してくださった。
そして、今も復活して、とりなし、祈っていてくださると、確信できるからではないでしょうか。




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