みなさん、あけましておめでとうございます。昨晩は眠れぬ夜を過ごし、今朝は大変辛い朝を、受験以来迎えました...。 多くの兄弟方が、すでにお話しになられましたように、昨年の事柄を通して私自身もいくつかのことをはっきりと示されました。 世の動きを見てまず第一に感じましたのは、今この世の中には「赦さない」という、その思いが充ちているということです。 この「赦さない」という心が、様々な連鎖反応を生んで今の世の中は、大変暗くなっており、また神さまの恵みとは、全くかけ離れた世界に転がり落ちて行っているように、思えてなりません。 神さまが私たちに与えてくださった恵みこそが、この宇宙の中で、人間の何世代にもわたる、赦さない思い・赦されない罪を…、「罪」というその呪縛を解く、ただ一つのものであり、私たちこそ、イエス様に赦されていてそれを知っているただ一人のキリスト者でありながら、本当に私たちが、この「赦し」を私たちが持っているかどうか…。 本当にそのことを、私自身大きく問われた一年でもありました。 本当に今は、民族が民族を赦さない、国家が国家を赦さない。あるいは、家族が個人を赦さない。 夫が妻を赦さない。妻が夫を赦さない。あるいは、子が父を赦さない。…本当に、そのような思いが充ちている時代になったというふうに、強く感じています。 私たちは、聖書を通して、また私たちの体験を通して、どんなに神さまが、この「赦し」と恵みに満ちたお方であるかを経験しています。ですからこそ、イエス様は、このようにお語りになりました。 マタイの福音書6:12
そう祈るべきだと… (テープ A面 → B面) …を引き戻されました。あなたは私のすべての罪をあなたの後ろに投げやられました。そう証言しています。 先日、昔の西鉄ライオンズで大変有名な、優秀な投手であった永池という投手がテレビに出ていました。 彼は、八百長をやった罪で、野球界を追放されて、31年ぶりにOBの野球界で、ピッチャーとして投げ、3回を無失点に押さえて、本当にその顔には喜びがありましたけれども、同時に暗い影を私たちにはっきりと見せていました。そして彼はこう言ったわけです。「もう31年経ちました。もう赦していただきたい。」 本当に私たちの周りには、同じように「赦してもらいたい」と願っている人がどんなに多くいらっしゃるでしょうか。 ただ主の赦しを経験した者だけが、このことを通して、私たちの体験を通して、神さまの赦し、そして恵みを、紹介することができる者であると思います。 私たちの祖先であるアベルを殺したカインも神さまからその罪を問われたときに、「私の罪は重すぎて負いきれません。」と告白いたしました。 それまで彼は、神さまをかたちの上では敬いながら、心の中では否定し、自分中心の行き方をして、その捧げものを顧みられなかった男でありますが、しかしはっきりと罪を示されたときに、それまで顔を伏せていた者でありましたけども顔をあげて神さまに対して嘆くように祈ったのであります。 彼は、神さまから一つのしるしを与えられ、またのろいも与えられました。たとえ私たちが、どんなに大きな罪を犯し、取り返しのつかない罪を犯したとしても、主は赦してくださいました。また赦してくださいます。 それこそ、私たちの確信でなければならない。また本当に私の確信でなければならないと、改めて感じています。 ネヘミヤという、当時のイスラエルの指導者は、イスラエルの民の長年にわたる神さまに対する反逆を改めて示されて、こう祈りました。 ネヘミヤ9:17
結局「私たちを、どうぞあわれんでください」という祈りであります。また詩篇の作者も、 詩篇40:11
と祈っています。 よく知られた、このエレミヤという預言者は、ご自分の体験を通して、主のあわれみをこのように語っています。 哀歌3:22-23
本当に、神さまはご自身の恵みとあわれみを、朝ごとに新しくしてくださるお方であると、ここに書かれていて、本当に喜ぶことができました。 神さまのこのような赦しを、本当にもう一度味わい、私たちの周りで本当に赦されたい、赦しを、まことの赦しを知りたいという方に対しての、私たちの責任は本当に重いものがあるというふうに思います。 ただ私自身本当に、主の前にパウロが言いましたように、 テモテへの手紙第I、1:15
…そのことを本当にもう一度告白し、主のあわれみを新たに経験しなければならないと感じています。 最後にみことばを数箇所お読みして終わりたいと思います。 ヨエル書から。 ヨエル書2:12-13
テトスへの手紙2:11-13
本当にこの時代だからこそ、私たちは、このテトスへの手紙に書いてあるように、主の栄光の現われを待ち望むべきであると思います。 そのためにこそ、私たちは祈りと、そして赦しに満ちた心によって、敬虔な生活をするようにと、強く勧められているというふうに、昨年一年間のことを通して強く感じました。 ありがとうございました。 |