引用聖句:詩篇9篇1節-2節
コリント人への手紙第II、6:10
私はちょっと個人的なことですけれども、大阪で生まれましたんで、そういう思いが大阪で育ったひとつの・・・なんか、歴史みたいなものを思い出させてくれます。 でも東京でぼくは聖書に出会ってから、聖書にあるふるさと... ペテロという人はペテロの手紙第Iの2章で、 ペテロの手紙第I、2:25
こういうみことばがあります。確かにこの地上で、私たちはどこで生まれ、どこで育ち、ある意味でのふるさとをもつことはすごく楽しいことですけれども、私たちにとって生ある身としてもっとも必要なのは、私たちのたましいのふるさとにやっぱり帰らなければいけない。 何をやっているかわからなかった私たちの毎日の姿を克明に許してくださり、新しいいのちにあずかるために私たちは十字架を通して主のもとに帰る必要がある。 そのことを聖書を通して教えられてから、本当にたましいのふるさとということを特に意識するようになりました。 この地上で本当の幸せを得ようと思うことは、私は無理だと思います。聖書はこの世界の支配者は、この地上ではサタンだと書いてありますが、そういう意味では人間を救うと書いてくださった聖書のことばは、私たちに幸せを与えようとしている恵みの本だと思います。 なぜならば、救われた人は大きな感謝と本当の喜びと心から出る賛美がいつもあるからです。 司会の方に読んでいただいた二ヶ所はダビデとパウロですけれども、どちらも主への感謝と主への喜びと、そして賛美というものが欠けたことがありませんでした。 主によって変えられたダビデ、主によって変えられたパウロは、主に徹底的に従い、その結果大きな恵みをたくさん得ることができました。 私たちが聖書に出会うまで、私たちの口から主をほめたたえるということばは、おそらく出なかったと思うんです。 聖書はそういう意味では、私たちの人間を変えてくれる本だと思います。わかりやすい例題の記事がルカの福音書の17章に出てきます。 ひとりのサマリヤ人が救われ、主を賛美し、喜び、そして感謝している記事が聖書のある一ヶ所に出てきます。 これは私たちが聖書に出会ってから、私たちが信仰っていったいどういうものなのかということを受け取るには、すごくわかりやすい個所じゃないかと思います。 ルカの福音書17:11-19
聖書が私たちに一番伝えたいことは、イエス・キリストを信じる信仰の大切さです。 今まで、ぼくも聖書を読むときに色々学問的に調べたり、勉強したりして読んだことが何回もありますけれども、聖書が言いたいことは、無条件に私たちのために血を流され、肉を裂かれたイエス様を信じる信仰そのものだということを仰ってるんです。 ここに出ている一人のサマリヤ人は完全に救われたと思います。なぜならば、このサマリヤ人から出た言葉は、賛美であり、感謝であり、喜びでした。 サマリヤ人は神をほめたたえながら帰って来たと書いてあります。 私たちの周りに多くの宗教があります。私たちの周りに多くの変な異端の考え方があります。しかし、どれも立場や金銭や色んな副産物がはいってきます。 聖書はただ単純に、「あなたの信仰が、あなたを直したのです。」 一言わかりやすく私たちに言ってくれたんです。おそらく残りの九人は、また同じことをやってしまうと思います。 十人のらい病人がイエスに出会ったということは、十人それぞれ重たい問題をもっていました。この世の中で生きにくい自分なりの責務、問題、トラブル、そういうものにぶつかっていたと思うんです。 でも本当の解決を得たのは、たった一人のサマリヤ人だけでした。なぜこういうことが起こるんでしょうか。 創世記2:16-17
サマリヤ人は自分が死ぬことをおそらく意識していたと思います。 創世記3:4-5
何でも自分の考えでやろうとする。何かあると知識に頼ろうとする。都合が悪くなると礼儀的に神さまを捜そうとする。私たちの内側にある本質的な性質が、この創世記のスタートの時にはっきりと書かれています。 だから聖書は私たちに、どこまでもイエス様の十字架が私たちの救いのための事実として受け取らない限りは、私たちの救いに至る道は絶対にありません。 だからイエス様はサマリヤ人に、「あなたの信仰が、あなたを直したのです。」ということを仰ったんです。決してむずかしいことではありません。 さっき、姉妹の証しを聞いていましたけれども、「ありがとう、ごめんなさい。」、私たちが主の前に言えることはたったその二つだと思うんです。 「ありがとうございます。」、そういう言葉だけが主を受け入れる大きな関門になります。 最近、すごくぼくは礼拝が嬉しいんです。 こんな者を主のご栄光に使ってくれる。なんでひとりひとりのために血を流され、肉を裂かれたか、ぼくはわからないですけれども、そのことがゆえに、私たちが本当に罪という得体の知れないものから解放されて、自由になった。 ぼくはある集会に行きました時に、こういう質問を受けたんです。 「旧約聖書にダビデという人が出てきますけれども、ダビデという人、読んでるとひどいことばかりしてるじゃないですか。どうしてそういう人が祝福されるんですか?聖書って不公平だと思います。」 そういう質問をいただきました。 ある意味では人間から見るとすごく自然であり、無理のない質問だと思います。でも、ひとりひとりの人間、ひとりの人間として私たちが神に相対した時に、はたして私たちは主に対して真っ正面から目を向けることができるでしょうか。 私たちにその価値があるとか、ないとかじゃなくて、無条件に私たちを救ってくれるというのは、私たちに対する大きなメッセージじゃないかなと思います。 だから聖書は私たちの目から聖書を読むのではなくて、主なる神がどういうふうにして私たちをご覧になってるかというふうにお読みになると、すごくわかりやすいと思います。 そこに私たちの人間の本質がはっきりと描かれているからです。コリント人への手紙第Iの12章3節。この個所に『聖霊』ということばが出てきます。 で、本当に私たちが内側から感謝できるときというのは、私たちの中に、生きて、イエス様が働いてるときだけなんです。 コリント人への手紙第I、12:3
これはパウロのことばです。 コリント人への手紙第I、12:3
詩篇145篇。救いというのは、人間が介入する余地はまったくありません。 主が私たちのために死なれ、私たちがそれを無条件に信じて受け入れて歩み出す。そういう単純なことです。 詩篇の作者は、 詩篇145:10
と書いてあります。これが私たち人間に与えられた大きな特権であり、恵みであり、そして証しです。 私たちは十字架を読み終わったときに、イエス様は私たちにこういうふうに語ってくださっています。 「わたしはあなたのための罪のために死んだんだよ。もうあなたはなんにもしなくてもいい。全部わたしがしてあげる。 わたしはあなたのすべてを知っているから、わたしに信頼して歩みなさい。 あなたはこれからも大きな問題を起こすでしょう。 でも、そのことすべて、イエス様の赦しの中にある。いっしょに歩みましょう。」 そう仰っているのはイエス様のメッセージであり、それに応えるようにたくさんの祈りと感謝が詩篇に書かれています。 詩篇119:49-50
心からの感謝が出るときは、私たちの内側に主のいのちが働く時であり、聖霊の導きがある時です。 そして、それを受け取ったダビデは詩篇を通して何回も何回も主への賛美と感謝を怠りませんでした。 ヨハネの福音書の13章。よく知られているユダという人がここで出てきます。 ヨハネの福音書13:2
聖書を読むとよくわかりますが、ユダと私たちはほとんど同じ。何一つ変わらないと思います。罪をもち、私たちの罪をサタンは思うように動かそうとします。 ユダという人は特別な人であったようには思えません。ただ金銭欲にあり、非常に自分の能力を過信していたことは、聖書を通して理解することができます。 彼はイエス様の本当のすばらしさを小さくしか見ていませんでした。 聖書の記事は、ユダがイエスを裏切ったと書いてあります。サタンは私たちの罪を利用して、徹底的に私たちを悪い方向に導きます。 それは私たちだれひとりとっても人間では制御することはできません。 ヨハネの福音書16:30
ヨハネの手紙第I、1:9
やっぱり私たちの中には、ユダのように脱線する性質を持っています。 イエス様が流された血潮、裂かれた肉、私たちの思いがそこに行かない限りは、この世を支配している者に私たちはズルズルと引きずられていく可能性があります。 私たちの内側にある信仰、あるいは感謝は、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ、はっきりと明示され、それは具体的には御霊の働きによって私たちにわかりやすい形で表わしてくれます。 コロサイ人への手紙1:3
聖書に出会うまでは、父なる神に感謝するということはなかったと思います。 聖書の中に包括されている十字架の赦しを私たちが体験しない限りは、イエス・キリストに心から感謝する思いは与えられなかったと思います。 イエス様を知るということは、私たちの努力サイドではなくて、そういう意味ではすごい大きな恵みだと思います。 時々ぼくたちはたましいの疲れを覚えます。その時は本当に喜びを失うことがあります。そのとき私たちは意識してイエス様を見上げていきたいなと思います。 詩篇19:7
割合ぼく、今の職場はクリスチャンの方が多いので、すごく何とか支えられていますけれども、今の会社に入るまでの30年間は、普通の、いわゆる普通の企業でぼくは働いてきました。 何人か教会に行っている人というのは聞きましたけれども、本当に救われてるクリスチャンというのは前の職場ではたった一人しかいませんでした。 あるとき、偶然というのは聖書にはないんですけれども、偶然その方に会って、あっという間に良い交わりが与えられ始めました。 私たちの地上で働くときは本当に色んな攻撃があり、妨げがあり、そして証しが本当にしにくと思います。でも、その方に会うことによって、知らない間にたましいの潤いを戻されたことを今でも覚えています。 信仰って、一生懸命やったから信じられるようになったとか、なんか、自分はもうベストを尽くしたからこれでいいんだとか、そういうものではなくて、毎日毎日の中にいつも主のことばを食べ続けるということに、主が私たちを導く大きな条件があるような気がいたします。 お読みしましたダビデ、お読みしましたパウロは、彼らは決して毎日が順調ではなかったと思います。 でも彼らは貧しくても、富んだように見え、本当に辛いときであっても、喜ぶことを失いませんでした。 それはイエス様から流れて来るいのち、それが満たしとしてあったと思います。 ローマ人への手紙5:1
ローマ人への手紙5:5
私はこの最後の二行がものすごく好きです。「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」 ここの文章の中には個人の努力というものがひとつもありません。ただただ、主の恵みによって、主の赦しによって救われた人。 あるいは、主に向かおうとしている人に対して、十分ほどの聖霊を与えてくださり、主ご自身の愛を私たちひとりひとりに注ごうとしているということが、はっきりと書かれています。 特にパウロは大変な苦しい伝道が、何日も何年も続いたことが使徒の働きに書かれています。 でも彼は賛美と感謝と喜びは失いませんでした。 ローマ人への手紙の4章。まとめになりますけれども、ひとつ、すごく大事なワンセンテンスがここにあります。 ローマ人への手紙4:3
私たちは毎日すごく迷うと思うんです。どっちを選んだらいいか。何を考えたらいいか。どのように進んだらいいか。私たちはいつもそれを迷います。 そのときに聖書はいつも私たちに語りかけているのは、聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」 何をしたからではなくて、主ご自身を無条件に受け入れたことが彼の信仰のスタートとなりました。 アブラハムはひとりの子もなく、少しの土地も最初はありませんでした。でも主の声を聞いて信じてスタートしたときに、そののち大きな恵みと祝福が待っていました。 私たちが、信じるという意味の根底がここに書かれていると思います。 私たちは毎日心から感謝しているでしょうか。心から主をほめたたえているでしょうか。私はサマリヤ人の記事を読む度に、十字架の血潮を思い出さざるを得ません。 主が自分の主になっていれば、必ず私たちの内側から出るのは賛美につながっていくと思います。 主を賛美する心はいつも主とつながり、必要を満たされているものに備えられてくる恵みだと思います。そしてそのあとは、みことばが援護射撃になってくれると思います。 イザヤ書30:15
(テープ A面 → B面) ・・・静まる。 主が約束しているのは私たちへの救いです。落ち着いて、主に信頼すれば、必ず主が私たちに力を与えてくれる。 後半お読みしました、コリント人への手紙のパウロは、実は最初は徹底してイエス様を嫌い、迫害している者のひとりでした。でもダマスコへ行く途中で彼は光が当たり、彼のすべてが変えられ、新しくなりました。 パウロは、自分は信仰があるなどという者ではない。イエス様が嫌いだ。信じない。そういう者のためにも血を流してくれた。その解決が十字架上にあったんだということを知ったとき、彼はすべての生活を変え、ひたすら真っ直ぐ主を紹介する者に変えられました。 その内容は使徒の働きに細かく出ています。その一部、 使徒の働き26:17-18
はっきりとこういうふうに言いました。 今日は二ヶ所、詩篇の9篇とコリント人への手紙第IIの6章を読ませていただきましたが、私たちが本当に心からイエス様に出会って、交わりが新しいスタートをしたときに、私たちの内側からは自然と、感謝と喜びと賛美が出てきます。 その実は今までなかった私たちの内側にとっても嬉しい思いを与えてくれます。聖書はそれがたましいのふるさと、監督者、牧者のところに帰ったという意味だと思います。 主は今日もひとりひとりを捜してくださり、ひとりひとりにご自身を現わそうとしています。 私たちがどこまで行っても自分の力で生きようとするか、それとも私たちのために流されたその十字架そのものを見上げて歩もうとするか、私たちに与えられた質問はそのひとつだと思います。 十字架を体験し、その生き方を変えた人が、大きな恵みと祝福の中に歩んでいることを私たちは毎日思い続けていきたいなと思います。 詩篇の一節を読んで終わりたいと思います。 詩篇23:3-4
詩篇23:6
ありがとうございました。 |