引用聖句:ピリピ人への手紙3章20節-21節
題名は、司会の兄弟がおっしゃってくださいました、「天国」ということであります。 イエス様の救いをいただきまして、一番変化があったっていうことはですね、「日々嬉しいということ」はもちろんなんですが、「死ぬこと」についてですね、ずいぶん考え方が変わってしまったと、そういうことがほんとに証しとして言えるんじゃないかと思うんですね。 やっぱり救いというものをいただく前はですね、一番の大きな問題というのは「死ぬこと」ではなかったかと思うんですね。 「死んでしまったらすべてが終わりである。」 でも、主の救いをほんとにあわれみによっていただいてからはですね、「死ぬ」ということがずいぶん違って感じられるわけなんです。と言いますのは、もちろん死んだ後のことを考えますと、それはやはり「天国」ということであります。 イエス様と直接まみえることができる。父なる神さまの前に直接出て行くことができる。 という、そういう天国がありますのでほんとに「死ぬ」ということが、ずいぶんイメージとして変わってまいりました。 「天国」ということを考えた時に、たとえば集会の葬儀なんかに行った時にですね、よく聞かれるのは「ほんとによかったね!」っていうようなことをおっしゃる方もたくさんおられますし、また「ほんとにうらやましいな」ということを心からおっしゃる方もたくさんおられます。 ほんとにそのように思うんですね。 ただいまお読みいただきました、 ピリピ人への手紙3:20
ほんとに私たちの国籍っていうのは、この地上ではないっていうことを思います。天にある。ま、地上のことはそんなに大したことでもない。死んでから始まると思われます、この「天国」ですね、そこにすべての希望があるということが、このみことばの中にあるんではないかと思うんです。 ということで、天国についてみことばをいろいろとお読みしたいと思ったんですが、4つのことからお読みしてみたいと思います。
そのことから考えまして、みことばを朗読いたしたいと思います。 最初に、私たちにとって天国というのはいったいいつから始まるものなのか。 もちろんこれは、イエス様の救いを頂戴した者が肉体の死、または主がこれから再臨なさるその後に始まる、と考えられると思います。 ではその前のですね、私たちが今の状態、この地上では天国というものを味わうことができないものなのか、私たちは死ぬまで天国を待たなければならないのか、ということでありますけど、大変興味深いみことばみことばがありまして、ここに主によって救われた人の状態がはっきりと書いてあります。 エペソ人への手紙2:1-3
ほんとにこういうみことばを読みますと、全くもうその通りだねと言わざるをえないと思うんですね。 エペソ人への手紙2:4-6
ほんとにあわれみによって主の救いを頂戴した。そしてその者は、6節にありますが、イエス様とともによみがえらせていただいて、ともに天のところに座らせていただいている。 「将来座らせていただく」ということではなくて、このみことばによりますと現在すでに私たち、主の救いをいただいた者は座ってるということが書いてあります。 ほんとにこれは何回読んでも不思議だなあと思うんです。ほんとに興味深いみことばではないかと思います。 マタイの福音書の4章もお願いします。イエス様が宣教の最初の時におっしゃられたみことばがここに書いてありますけど、 マタイの福音書4:16-17
私たちが本当に主なる神さまの前に悔い改めて、そしてイエス様の救いを本当に信じる時に、私たちは救われてそして天の御国が近づくと、そのようにイエス様は約束されておられます。 ヨハネの福音書17:13-16
それから、 へブル人への手紙4:14-16
今、ほんとに大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。とみことばは教えてくださいますけど、私たちはその御座に近づくことができる、イエス様との交わりによってそれが成されるのだということが、ほんとに約束されているのではないかと思うんですね。 こういったみことばをお読みいたしますと、この地上で救われた者は、天国をただ待つだけではなくて、地上に居りながら天国のところに座ることができる。天的な生活をすることが、実はできるんだということがあるのではないかと思ったんですね。 天国に、死ぬまで待たなくてもよい。今すでに、近くに天国というのはあるのだ。私たちが望むならば、天国を体験できるのだということを思います。 ほんとに私たちが地上に留まっているこの間、ほんとに大きな慰めではないかと思うんですね。 ほんとにイエス様との交わりっていうのは、素晴らしい天国ではないかと思います。 次に私たち主の救いにあずかった者は、肉体の死、または主の再臨の後に、この地上を離れてからいったいどのようになるのか、ということですね。どのような状態になるのか。そのことから聖書を見てみたいと思います。 コリント人への手紙第I、15:40-52
それからもう一箇所ですね、 ピリピ人への手紙3:20-21
私たちはいったいどうなるのかということが、ここにはっきりと書いてありますが、自分の肉体、この身体はいったいどうなるのか。 「変えられてしまう」と書いてあります。しかもただ「変えられる」だけではなくて、「栄光の身体」になってしまう。イエス様と同じ栄光の身体になる、ということです。ほんとにそのことがはっきりと約束されております。 病気がない、痛みもない、不安がない、涙もないと聖書には書いてありますけども、そういう光り輝く栄光の身体、こういった者に変えられて天国に入ることができる、ということでありますから、ほんとにこれはもうすごいことだなあと思います。 どういう身体がいったいイエス様と同じ栄光の身体なのか、さっぱりわかりませんけども、ほんとに楽しみではないかなあと思います。 で、次にはですね、天国では私たちはいったい何をするようになるのか。天国での生活とはいったいどのようなものなのか、ということであります。 天国では「夜がない」と書いてありますので、非常に時間はたくさんあるようですけど、いったいそこでは何をして過ごすようになるのか、と言うことなんですが、聖書を読みましてもあまりたくさん天国での生活っていうのは、実は書いてないと思うんです。 例外はヨハネの黙示録であります。ヨハネの黙示録の中で、私たち救われた者がいったい何をするようになるのかっていうことが繰り返し書いてありました。 私が知ったことはただ一つだけでありまして、それは父なる神さま、また御子なるイエス様をほんとに心から礼拝するということであります。礼拝することによって主に仕えるということも書いてありました。 3箇所ばかり、お読みしたいと思います。 ヨハネの黙示録4:1-11
それから ヨハネの黙示緑5:9-14
もう一箇所だけ、 ヨハネの黙示緑7:9-17
この他にも、11章の15節-17節、15章の3節-4節というところに、天における私たち救われた者の礼拝が書いてあります。 明日私たちもこの場所で礼拝いたしますし、私は普段御代田で50〜60人の兄弟姉妹と礼拝しておりますけど、ほんとに一週間の中心として祝福をいただいておりますけれど、この天国での礼拝っていうのはみことばによりますと、「万の幾万倍、千の幾千倍」という兄弟姉妹が一同に会して、父なる神さま御子なるイエス様を、本当に心を合わせて礼拝するわけであります。 ほんとにどういう光景であるのか、大変な祝福と言いますかね、喜びと言いますか、すごいことではないかと思います。ほんとに待ち遠しい瞬間ではないかなあと思うんですね。 天国での生活というのは、そのことだけが、どうも今のところ私の知る限りで書いてありました。 最後に、天国で私たちはどのようにいったい扱われるのか、どのような身分になるのか、ということをみことばの中から見てみたいと思いました。 ガラテヤ人への手紙3:26-29、4:1-7
ほんとにあわれみによって救われた者はですね、このような扱いを受ける、身分を受けるということが約束されております。 まず、救われた者は「父なる神さまの子ども」としてくださる。ほんとにこれは想像することもできないようなすごいことだなあと思います。「父なる神さまの子ども」であります。 そして子どもであるならばですね、「相続人」となることもできるとここにはっきりと書いてあります。私たちが「神さまの相続人になる」という、ほんとにもう考えられないような祝福ではないかと思うんですね。 「子としてくださる。」「相続人になる。」罪の赦しが与えられて救いの中に入れられた者は、このような大きな救いの中に、さらに入れられるようになると、ほんとに素晴らしいことだなあと思います。 さらに次のみことばがございまして、お約束がございます。 コリント人への手紙第II、11:1-2
それとヨハネの黙示録をもう一度見ていただいて、 ヨハネの黙示録19:6-8
(テープA面→B面へ) こういったみことばから、実は私たち一人一人が「イエス様の花嫁になる」と、そのような約束があります。 さらにこれはほんとに驚くべきことでありまして、想像するにできないことでありますが、そのように約束されてあります。 私たち一人一人が栄光のあるイエス様の花嫁にさせていただく、それが天国であるということであります。ほんとに全く想像するもできないような祝福ではないかと思うんです。 この世でも夫婦という関係はもちろんございますけども、ではいったい天国に行ったときにその夫婦っていうのはいったいどうなるのか、イエス様は福音書の中で「天国ではそういった夫婦関係っていうものはないものである」と、そのようにおっしゃられました。 今まで夫婦だった者が、天国ではそういう関係がなくなるというのは何かほんとに不思議な気がするんですね。でも考えてみますと、ほんとに祝福された夫婦以上の関係に、私たち兄弟姉妹一人一人がなってしまう。素晴らしい、相互に愛し合える、本当の祝福の関係に兄弟姉妹がいるところが、やはり天国だと思いますね。 ですからこれは私の想像ですが、地上での夫婦というものを、存続しなくてもさらに素晴らしい関係が用意されているので、おそらくそういう関係がなくてもいいのだと、イエス様がおっしゃってくださったのではないかなと、これは私の想像でありますけど、そのように思います。 主がおっしゃってくださった新しい戒めであります、「あなたがたは互いに愛し合いなさい」というみことばが本当に完全に実現するところが、天国ではないかなと思ったんですね。 ほんとに素晴らしい世界ではないかと思いました。本当に待ち遠しいと思います。 最後に、天の御国のみことばをいくつかお読みして終わりにしたいと思いますが、やはりヨハネの黙示録のところです。 ヨハネの黙示録21:22-27、22:1-7
ヨハネの黙示録22:16-17
最後に、 ヨハネの黙示録22:20-21
ありがとうございました。 |