天国


長岡兄

(御代田喜びの集い、2003/06/07)

引用聖句:ピリピ人への手紙3章20節-21節
20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

題名は、司会の兄弟がおっしゃってくださいました、「天国」ということであります。
イエス様の救いをいただきまして、一番変化があったっていうことはですね、「日々嬉しいということ」はもちろんなんですが、「死ぬこと」についてですね、ずいぶん考え方が変わってしまったと、そういうことがほんとに証しとして言えるんじゃないかと思うんですね。
やっぱり救いというものをいただく前はですね、一番の大きな問題というのは「死ぬこと」ではなかったかと思うんですね。

「死んでしまったらすべてが終わりである。」
でも、主の救いをほんとにあわれみによっていただいてからはですね、「死ぬ」ということがずいぶん違って感じられるわけなんです。と言いますのは、もちろん死んだ後のことを考えますと、それはやはり「天国」ということであります。
イエス様と直接まみえることができる。父なる神さまの前に直接出て行くことができる。
という、そういう天国がありますのでほんとに「死ぬ」ということが、ずいぶんイメージとして変わってまいりました。

「天国」ということを考えた時に、たとえば集会の葬儀なんかに行った時にですね、よく聞かれるのは「ほんとによかったね!」っていうようなことをおっしゃる方もたくさんおられますし、また「ほんとにうらやましいな」ということを心からおっしゃる方もたくさんおられます。
ほんとにそのように思うんですね。
ただいまお読みいただきました、

ピリピ人への手紙3:20
20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

ほんとに私たちの国籍っていうのは、この地上ではないっていうことを思います。天にある。ま、地上のことはそんなに大したことでもない。死んでから始まると思われます、この「天国」ですね、そこにすべての希望があるということが、このみことばの中にあるんではないかと思うんです。

ということで、天国についてみことばをいろいろとお読みしたいと思ったんですが、4つのことからお読みしてみたいと思います。

  • 1つは、天国はいったいいつから始まるのか。
  • 2番目は、天国に行った時に自分はどんな状態になるのか。
  • 3番目に、天国では私たちはいったい何をするようになるのか。
  • そして最後に4番目に、天国では私たちはいったいどのような身分にしていただけるのか。

そのことから考えまして、みことばを朗読いたしたいと思います。

最初に、私たちにとって天国というのはいったいいつから始まるものなのか。
もちろんこれは、イエス様の救いを頂戴した者が肉体の死、または主がこれから再臨なさるその後に始まる、と考えられると思います。

ではその前のですね、私たちが今の状態、この地上では天国というものを味わうことができないものなのか、私たちは死ぬまで天国を待たなければならないのか、ということでありますけど、大変興味深いみことばみことばがありまして、ここに主によって救われた人の状態がはっきりと書いてあります。

エペソ人への手紙2:1-3
1あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
3私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

ほんとにこういうみことばを読みますと、全くもうその通りだねと言わざるをえないと思うんですね。

エペソ人への手紙2:4-6
4しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
5罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
6キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

ほんとにあわれみによって主の救いを頂戴した。そしてその者は、6節にありますが、イエス様とともによみがえらせていただいて、ともに天のところに座らせていただいている。
「将来座らせていただく」ということではなくて、このみことばによりますと現在すでに私たち、主の救いをいただいた者は座ってるということが書いてあります。
ほんとにこれは何回読んでも不思議だなあと思うんです。ほんとに興味深いみことばではないかと思います。

マタイの福音書の4章もお願いします。イエス様が宣教の最初の時におっしゃられたみことばがここに書いてありますけど、

マタイの福音書4:16-17
16暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
17この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

私たちが本当に主なる神さまの前に悔い改めて、そしてイエス様の救いを本当に信じる時に、私たちは救われてそして天の御国が近づくと、そのようにイエス様は約束されておられます。

ヨハネの福音書17:13-16
13わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。
14わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
15彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
16わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。

それから、

へブル人への手紙4:14-16
14さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
16ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

今、ほんとに大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。とみことばは教えてくださいますけど、私たちはその御座に近づくことができる、イエス様との交わりによってそれが成されるのだということが、ほんとに約束されているのではないかと思うんですね。
こういったみことばをお読みいたしますと、この地上で救われた者は、天国をただ待つだけではなくて、地上に居りながら天国のところに座ることができる。天的な生活をすることが、実はできるんだということがあるのではないかと思ったんですね。
天国に、死ぬまで待たなくてもよい。今すでに、近くに天国というのはあるのだ。私たちが望むならば、天国を体験できるのだということを思います。
ほんとに私たちが地上に留まっているこの間、ほんとに大きな慰めではないかと思うんですね。
ほんとにイエス様との交わりっていうのは、素晴らしい天国ではないかと思います。

次に私たち主の救いにあずかった者は、肉体の死、または主の再臨の後に、この地上を離れてからいったいどのようになるのか、ということですね。どのような状態になるのか。そのことから聖書を見てみたいと思います。

コリント人への手紙第I、15:40-52
40また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
41太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
42死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
43卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
44血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
45聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
46最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
47第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
48土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
49私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
50兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
51聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
52終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

それからもう一箇所ですね、

ピリピ人への手紙3:20-21
20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

私たちはいったいどうなるのかということが、ここにはっきりと書いてありますが、自分の肉体、この身体はいったいどうなるのか。
「変えられてしまう」と書いてあります。しかもただ「変えられる」だけではなくて、「栄光の身体」になってしまう。イエス様と同じ栄光の身体になる、ということです。ほんとにそのことがはっきりと約束されております。
病気がない、痛みもない、不安がない、涙もないと聖書には書いてありますけども、そういう光り輝く栄光の身体、こういった者に変えられて天国に入ることができる、ということでありますから、ほんとにこれはもうすごいことだなあと思います。
どういう身体がいったいイエス様と同じ栄光の身体なのか、さっぱりわかりませんけども、ほんとに楽しみではないかなあと思います。

で、次にはですね、天国では私たちはいったい何をするようになるのか。天国での生活とはいったいどのようなものなのか、ということであります。
天国では「夜がない」と書いてありますので、非常に時間はたくさんあるようですけど、いったいそこでは何をして過ごすようになるのか、と言うことなんですが、聖書を読みましてもあまりたくさん天国での生活っていうのは、実は書いてないと思うんです。
例外はヨハネの黙示録であります。ヨハネの黙示録の中で、私たち救われた者がいったい何をするようになるのかっていうことが繰り返し書いてありました。
私が知ったことはただ一つだけでありまして、それは父なる神さま、また御子なるイエス様をほんとに心から礼拝するということであります。礼拝することによって主に仕えるということも書いてありました。
3箇所ばかり、お読みしたいと思います。

ヨハネの黙示録4:1-11
1その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」
2たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
3その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。
4また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。
5御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
6御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
7第一の生き物は、ししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶわしのようであった。
8この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」
9また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
10二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
11「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

それから

ヨハネの黙示緑5:9-14
9彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、
10私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」
11また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。
12彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
13また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」
14また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。

もう一箇所だけ、

ヨハネの黙示緑7:9-17
9その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
10彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」
11御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、
12言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」
13長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。
14そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
15だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
16彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
17なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

この他にも、11章の15節-17節、15章の3節-4節というところに、天における私たち救われた者の礼拝が書いてあります。
明日私たちもこの場所で礼拝いたしますし、私は普段御代田で50〜60人の兄弟姉妹と礼拝しておりますけど、ほんとに一週間の中心として祝福をいただいておりますけれど、この天国での礼拝っていうのはみことばによりますと、「万の幾万倍、千の幾千倍」という兄弟姉妹が一同に会して、父なる神さま御子なるイエス様を、本当に心を合わせて礼拝するわけであります。
ほんとにどういう光景であるのか、大変な祝福と言いますかね、喜びと言いますか、すごいことではないかと思います。ほんとに待ち遠しい瞬間ではないかなあと思うんですね。
天国での生活というのは、そのことだけが、どうも今のところ私の知る限りで書いてありました。

最後に、天国で私たちはどのようにいったい扱われるのか、どのような身分になるのか、ということをみことばの中から見てみたいと思いました。

ガラテヤ人への手紙3:26-29、4:1-7
3:26あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
3:27バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。
3:28ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
3:29もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
4:1ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、
4:2父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。
4:3私たちもそれと同じで、まだ小さかった時には、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。
4:4しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
4:5これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
4:6そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
4:7ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。

ほんとにあわれみによって救われた者はですね、このような扱いを受ける、身分を受けるということが約束されております。
まず、救われた者は「父なる神さまの子ども」としてくださる。ほんとにこれは想像することもできないようなすごいことだなあと思います。「父なる神さまの子ども」であります。
そして子どもであるならばですね、「相続人」となることもできるとここにはっきりと書いてあります。私たちが「神さまの相続人になる」という、ほんとにもう考えられないような祝福ではないかと思うんですね。
「子としてくださる。」「相続人になる。」罪の赦しが与えられて救いの中に入れられた者は、このような大きな救いの中に、さらに入れられるようになると、ほんとに素晴らしいことだなあと思います。

さらに次のみことばがございまして、お約束がございます。

コリント人への手紙第II、11:1-2
1私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。
2というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

それとヨハネの黙示録をもう一度見ていただいて、

ヨハネの黙示録19:6-8
6また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
7私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
8花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」

(テープA面→B面へ)

こういったみことばから、実は私たち一人一人が「イエス様の花嫁になる」と、そのような約束があります。
さらにこれはほんとに驚くべきことでありまして、想像するにできないことでありますが、そのように約束されてあります。
私たち一人一人が栄光のあるイエス様の花嫁にさせていただく、それが天国であるということであります。ほんとに全く想像するもできないような祝福ではないかと思うんです。

この世でも夫婦という関係はもちろんございますけども、ではいったい天国に行ったときにその夫婦っていうのはいったいどうなるのか、イエス様は福音書の中で「天国ではそういった夫婦関係っていうものはないものである」と、そのようにおっしゃられました。
今まで夫婦だった者が、天国ではそういう関係がなくなるというのは何かほんとに不思議な気がするんですね。でも考えてみますと、ほんとに祝福された夫婦以上の関係に、私たち兄弟姉妹一人一人がなってしまう。素晴らしい、相互に愛し合える、本当の祝福の関係に兄弟姉妹がいるところが、やはり天国だと思いますね。
ですからこれは私の想像ですが、地上での夫婦というものを、存続しなくてもさらに素晴らしい関係が用意されているので、おそらくそういう関係がなくてもいいのだと、イエス様がおっしゃってくださったのではないかなと、これは私の想像でありますけど、そのように思います。
主がおっしゃってくださった新しい戒めであります、「あなたがたは互いに愛し合いなさい」というみことばが本当に完全に実現するところが、天国ではないかなと思ったんですね。
ほんとに素晴らしい世界ではないかと思いました。本当に待ち遠しいと思います。

最後に、天の御国のみことばをいくつかお読みして終わりにしたいと思いますが、やはりヨハネの黙示録のところです。

ヨハネの黙示録21:22-27、22:1-7
21:22私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
21:23都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
21:24諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
21:25都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
21:26こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。
21:27しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。
22:1御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
22:2都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
22:3もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
22:4神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
22:5もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。
22:6御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。
22:7「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」

ヨハネの黙示録22:16-17
16「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
17御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

最後に、

ヨハネの黙示録22:20-21
20これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
21主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

ありがとうございました。




戻る