神戸喜びの集い


岡本雅文兄

(神戸喜びの集い、2002/09/14)

引用聖句:詩篇107篇25節、29節-31節
25主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。
29主があらしを静めると、波はないだ。
30波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
31彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

今回の喜びの集いは、欠席させていただこうかと思っていたんです。しかし、日を重ねる度に祈ってくださった兄弟姉妹方に、一言ご挨拶をしたいと思うようになりました。

娘、さらの死を通して、本当にたくさんの支えと恵みをいただきました。
葬儀の日は、私の心の一部はまだ悲しみに支配されておりました。しかし、今日は悲しみよりも、喜びについて、もっとたくさんお話したいと思うようになっています。
兄弟姉妹が、ご一緒に悲しんでくださり、そしてまたともに喜んでくださったのは、私たち家族にとって、考えられないほどの支えでありました。そして、また恵みでもありました。
ですから、地方で祈ってくださった兄弟姉妹方にも、今日、ご一緒に喜んでいただきたいと思うようになったんです。

ルカの福音書22:31-32
31シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
32しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

このようなみことばが、ルカの福音書の22章にございます。このみことばを思い起こしました。
ですから、慰めと喜びを与えられた者として、兄弟姉妹たちにお会いしたかった。・・・そのように心が導かれました。

葬儀の日、兄弟のメッセージのテーマは、「主を畏れること」であったと思います。
主が祝福したいと考えておられることは、私たちの想像をはるかに超えることを、今回のことを通して、身をもって知らされました。

ヨブ記42:5
5私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。

このようにヨブが語った通りです。

あらしが静まった今、静かに思い起こしていることがあります。
主を畏れるということは、「主の約束を信じたい」と心から願うことであったと思うんですね。
すなわち、「みことばに心から従いたい」と願うことでありました。
「意識して、主の約束・主のみことばを信じて、そして心から従いたいと願うこと。」
この一点が、祝福の始まりであると、今思っています。
このような心の向き、心の態度が、主を仰ぎ見ることではないかと今思っているんです。

ヨハネの福音書3:16
16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

この聖書を代表するヨハネの福音書の3章16節の言葉は、深く心に残っています。
娘をとられて、神がひとり子をとられた、すなわち、死に渡されたことの、「私たちへのイエス様の思いの深さ」、このことを新たに覚えるようになりました。
それは、愛する者の死をもってしか、解決することのできない事柄であるということについてです。
愛する者の死以上に、神が望んでおられる大切なことがある、ということについてなんです。
神がひとり子をお与えにならなければ、解決しない私たちの側の「罪の深さ」と、神がひとり子を与えようと考えてくださったほどの、私たちに対する、ねたむほどの「神の愛の深さ」です。
今から、私たち家族に与えられようとしていることは、娘、さらの死以上の価値があることに違いないと思うようになりました。
葬儀の日、私はこのように申し上げたんです。

「この悲しみの深さは愛するさら以上のものでなければ、埋まりません。この地上には彼女に代わる何ものもありません。」

このように申し上げました。この思いは今でも真実です。
しかし、今日、私は地上におけるさら以上のものを、イエス様が私たちに与えようとされている確かな期待と、確かな望みで包まれています。
ほんとに不思議なことなんですけども、事実です。
なぜ、愛する者が前ぶれもなく心の準備する間もなく、とりさられなければならないのか詳しいことは、確かにわかりません。
葬儀の日に兄弟がメッセージしてくださった通りであります。

しかし、確信できることが2つあります。
もちろん、その1つは、葬儀のご挨拶で申し上げた通り、「天国」の確信であります。「再会」の確信であります。
ただこの確信だけが、その時の底なしの虚しさから守ってくれました。
もう1つは、「一つになることの喜び」であります。
さらの葬儀の日の夜、家内の母と、そして同じ家内の姉の一家と、私たち家族は、全員で会食いたしました。義理の母が帰る時、一言いいました。

「こんなに嬉しい日はなかった。」

こう言い残して帰りました。愛する孫の死んだ日に、母は「本当に幸せを得た」と、短い言葉を残して帰ったんですね。
今日は、この喜びについてご一緒に考えさせていただきたいと思っております。

今年の元旦、1月1日に、私の手帳に記した祈りの課題は、次のようなものだったんです。

  • 子どもたちの救いの確信
  • 救われた親族たちとの豊かな交わり
  • 未だに救われていない家族の救い
この3つです。
娘、さらの死は、私にとっては、この祈りへの主の答えではないかと、今静かに、そして嬉しい思いで心の中に広がっています。
この3つの祈りは、私たちの家族、親族の中に、未だに欠けたものがあった証拠です。
私自身は気づいていたことがあるんですね。本当の事実は、家族親族の中にではなくて、自分の中に欠けたものがある・・・そういうことがわかっておりました。
そして、それは、主の思い、すなわちみことばと、私の心の頑なさとのギャップのゆえであることも気づいておりました。

この数年、特に子どもたちのことに関しては、本当に悩むことが次々とありました。しかし、悩みながらも大きな恵みも、そのことを通して与えられるようになりました。
しかし、親族に対しては、本当の理由がつかめない不一致がありました。
私は、イエス様を受け入れていない実の姉夫婦たちと、心を通わせることができませんでした。また、イエス様を信じている実の母と、主にある喜びを心からともにすることもできませんでした。そして、家内は、実の姉がこの集会に集うようになってから、反対に疎遠になりました。
どうして、このようになってしまったのかわかりませんでした。昔は、「唯一の家族である」と疑うことのなかった者たちが、離されていったんです。
最も親しく交わることのできるはずの親族が、一つになれなかったんです。不思議で、不思議で、どうしようもありませんでした。
このもつれた糸が、どのように解けるのか考えることすらできない状態だったんです。どんなに祈っても、目で見えるところはびくとも動かなかったんです。

ペテロの手紙第I、5:6-7
6へりくだりなさい。・・・
7・・・思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。

ペテロの手紙第I、5章の言葉ですけれども、このみことばは、よくよく知ってるつもりだったんです。イエス様に、このことを祈ってるつもりでもありました。主を仰ぎ見ているつもりでもありました。
でも、目には何年もびくとも動かないように見えました。

さらが天に帰る少し前から、私は真剣に一つのことを祈れるようになりました。
イエス様をほんとの意味で知ってから、17年間とちょっと経ちますけれども、その間のイエス様との生活の中で、個人的に、何度も何度も、喜びの恵みを与えられた手順通りに、祈ることだったんです。そのことを、さらが天に帰る少し前から祈れるようになりました。
いろいろな地方に行かせていただいて、兄弟姉妹にお話しながら、自分自身では、自分の親族への祈りに対してだけは、このことに対して、中途半端でありました。
この時から、主に家族や親族をおゆだねするということについて、本当の意味でイエス様と対話が始まったように思います。
繰り返し、心の中を探られながら導かれていきました。もつれた糸が、どのように解けるのか期待できるようになりました。

何度も祝福に導かれたその手順とは、次のようなものだったんです。

まず祝福されていない自分自身の現実、すなわち「平安」「喜び」など、御霊の実のない現実を直視することから、いつもそれは始まりました。
聖書の語っている福音と祝福と異なっていることを認める時、それはいつも始まりました。
聖書の約束と自分自身の現実のギャップの大きさを知って、「そのギャップが解消されなければおかしい。祝福してもらいたい!」と、切に切に祈るように導かれるんです。
続いて、「主にゆだねなさい」とよく知っている言葉が、いつも一つのみことばに導いてくれました。それは、ヨハネの福音書の12章の25節の言葉です。

ヨハネの福音書12:25
25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

何度も何度も、個人的に導かれたその手順の最後に、このみことばにいつもたどりつくように導かれました。
「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」
「主にゆだねる」とは、このみことばに従うことだとその度に思わされてまいりました。
ここから何度も、本当に本当に、何度も、祝福を与えられてまいりました。

「自分のいのちを憎むこと」は、自分を喜ばすことから目を転じて、「イエス様が喜んでくださることを喜びとしたい」と、意識して見上げることではないかと思います。
「自分の感情よりも、主の喜びを大切にすること」ではないかと思います。
みことばに後押しされて、励まされて、自分のいのちを憎む、そのような大庭へ導かれる者は、本当に幸いだと思います。
私は、子どもや親族に対しては、この手順を適用することが、なかなかできませんでした。私自身の中に、欠けたものがありました。

主の喜ばれることだけに注目して、聖書を開くと、また主を見上げると、具体的な主の思いが、聖書のあちらこちらから飛びこんできます。
子どもを怒らせないのは無条件に主が喜んでくださることだったんですね。
あるいは、病気になった母を見舞うのは、無条件に主が喜んでくださることだったんです。
あるいは、主を知らな親族に、心を尽くすことも、無条件に主が喜んでくださることだったんです。
それは、相手の心の状態が、どのようであっても、関係ないということ、自分の心の態度が、状態がどのようであっても、関係ないということ。
何度も何度も、私はこの手順に従って歩む時に、必ず祝福されました。

だから、今回も何とかして喜びたいと、また何とかして祝福してほしいと願うようになりました。
肉の自分は、喜べなくても、こういう理由で、喜ぼうと意識して戦えるようになりました。それにしても、今回だけは、親族に対する思いだけは、本当に長い戦いでした。

心がここまで導かれたのは、今年の8月の20日のことでありました。その日、8月の20日と8月の17日の私の日記の一部を、真実な証しとして、お読みしたいと思います。
ま、断片的な書き方でしか、メモしていませんので、申し訳ありませんけども、お読みいたします。

8月17日
犠牲を払うことと、我慢することは違う。
みことばによって主が喜んでくださることを確信できる時、私も導かれて喜べるようになる。
母を見舞いに行くことは、主が喜んでくださることである。
なぜ喜べないのか。
主の望んでおられること以外のものが、自分の心の中にあるからに違いない。
母に対する期待、実の姉へのわずかな期待、妻に対するあわれみ、自分なりの心の平安など。

まぁこのように、思いつくままに記されています。
そして、その日の与えられたみことばは、

民数記10:33
33主の契約の箱は・・・先頭に立って進む。

という民数記の10章の33節でありました。

そして3日後の8月の20日、この日、私は心を導かれて、押し出されるように、姉夫婦と一緒に住む母の家に、会社の帰りに立ち寄ることができました。
駅前の喫茶店で、立ち寄る前にその時の思いを日記としてメモしています。

へだての壁、咎、罪、それは、イエス様より自分を大切にすること。
全く一つになれない。
ただ片方が主にあって喜ぶ道が残されている。
親しいものとの断絶は、主に出逢うために違いない。
家族が家族と争う。
それは、自分の愚かさ、罪の深さ罪の恐ろしさを知るために、本当に恵みである。
自分では、どうしようもない。
本当です。
どうしようもないという心の中の状況に陥る時、はじめて、本当のものに出会う機会が訪れた。

このように記した後に、心が導かれて、本当に喜びを持って、はじめて喜びを持って、姉夫婦の住む家に母を尋ねることができました。
目で見えるところは、その時まだまだ8月の20日に、聖書の語る祝福とは、かけ離れていましたけれども、心の中にトンネルの向こう側に光が見え始めるようになっていたんです。
そのような時、主はさらを突然取り去られました。
そして、今家族が本当に一つになろうとしています。
一人残らず、一つの群れになろうとしているなぁと本当に思います。

どのように考えてもびくとも動かなかった山が、動き始めました。
長年、心を通わせることのできなかった実の姉が、さらの死んだ日から何度も我が家に足を運んでくれれるようになりました。そして、さらの葬儀の日、別れ際に「近々皆で会食をしましょう」と心から願って言ってくれました。唯一の実の兄弟の家族に、橋が掛けられました。
さらが天に帰る4日前、日曜日の礼拝の後で、家内の姉夫婦の家に、本当に数年振りにさらと3人で行くことができました。
次の日には、いとこたちが始めて町田の我が家に来て、再び昔の群れのようになりました。
今まで、理由のわからないすれ違いがありましたけれども、突然へだての壁が崩れ始めたんです。そして4日後、さらが天に帰ったんですね。

先ほどお話したように、さらの葬儀の日、骨になったさらを囲んで、全員で会食いたしました。
その時、さらのおばあちゃんは、「こんな嬉しい日はなかった」と先ほど申し上げた通り、言い残して帰りました。
本当に、嬉しい喜びに満ちたさらの葬儀の夜でありました。

昨夜、夜遅く家内に彼女の姉から電話がありました。「今まで、あなたを裁いていた。ごめんなさい」というものだったそうです。
散歩をしながら、私たち夫婦は、「本当に嬉しいねぇ」と、話しあいました。今度は、私たちの心の中がさらに整理される時が来ているように思います。

1月1日に、私の手帳に記した3つの祈りは、すでにきかれているという確信が、さらの死によって確かなものになりました。
一切を神が支配されているという畏れを、私たちは再び覚えるようになりました。
この一連の出来事は、さらが天に召されたから起こされたのではないと言えます。
すでに、家族の間で起こされていた祝福、心の内側の変化が、さらの死で結び合わされたとしか思えません。一つになるための最後の仕上げであったと思うんです。

正確には、自分のことしかお話することはできませんけれども、少なくとも、私の心の中にあったへだての壁が音を立てて崩れ始めておりました。
私の3つの祈りの結果は、目に見えないところで徐々に進んでおりました。
家族が一つになる準備が整った時、さらが取られたと思わざるを得ないんです。
理由のわからないからみ合った糸のような、見えない断絶が突如として消え始めたのは、私の心の内にそびえ立っていたエリコの城壁、へだての壁が崩れ始めたのであるのがわかります。
「主の喜ばれることを喜びたい」と、意識してヤコブのように祈り始めた時からであります。
同じように家内の姉の心の内にも、同時に起こっていたということがわかります。
私には、家族親族の一人一人の心の内側で、隠されていた「自分を義とするへだての壁」が壊されつつあるそのような足音が聞こえてくるようです。

こういうわけで、私たち家族は大きな恵みを受けました。今日、兄弟姉妹に聞いていただきたいと思ったのはこういうことなんです。
どうか、兄弟姉妹方も主の喜びだけを喜べるように祈っていただきたいと思います。
主と一つになるとは、こういうことではないかと思います。そうすれば、地上でも一つになる。喜び、幸せ、これが必ず与えられる。そのような確信を与えられました。

娘の名と同じ女性、サラは主を畏れることを知った後に、大いに祝福されました。
それと同じように、一人の力のない私の娘さらの死を通して、ほんとに多くの人に福音が伝えられているのは、私たち夫婦にとって驚きであります。
彼女は一瞬にして、何百人もの方々に福音を伝えてくれました。

さらの日記の所々に書かれてあった言葉は、「イエスさま助けてください」というものでした。
日常の生活の中で、いろいろな悩みに、そしてまた喜びに遭遇しながら、「イエスさま助けてください」と何度も書いてありました。
「イエスさま、ごめんなさい」というそういう思いもあったようです。この小さなイエス様への叫びを、よしとしてくださったに違いありません。

最後に、9月6日の日々の光のみことば、これをお読みして終わりにしたいと思います。
この日のみことばは、私にとって忘れられないものとなると思います。それは、さらが死んだ日としての記念としてではなくて、さらを通して忘れ得ぬメッセージを与えられたからであります。
その日の夕方のみことばは、こういうものであります。

イザヤ書21:11
11夜回りよ。今は夜の何時か。

ローマ人への手紙13:11
11あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。

マタイの福音書25:13
13目をさましていなさい。

眠りについた者がこのように語っています。
「あなたがたが眠りから覚めるべき時刻がもう来ています。目をさましていなさい。」
永遠のいのちに目覚めた者から、地上で眠っている者へのメッセージであると思います。
最後に、同じ9月6日のみことばです。

ヨハネの黙示録22:20
20これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

どうもありがとうございました。




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