引用聖句:テモテへの手紙第II、3章12節-17節
おはようございます。 ここのところですね、どういうわけか、よく思わされていたことは、クリスチャンの信仰の生活にとって、聖書の全体的な内容についての確かな知識の大切さということでした。 確かに、人が救われるのに、聖書全体についての知識は必要ではありません。もし、聖書の全体についての知識が必要ならば、何年、何十年かかるでしょうし、第一、救われて初めて、聖書の語っていることも意味とか内容が、本当に理解できるのであって、救いのわからない人には聖書はほとんど何を言っているのかわからない本であります。 その意味で、ヨハネの黙示録に出てくる様にですね、聖書とはもう封印されているような本といって良いかもしれないんですね。何を言っているのか、さっぱりわからない。 信仰を与えていただいて、心の目を開かれて、初めて、聖書のみことばは、光となってですね、私たちの心の中に入ってきます。 詩篇の中にあるように、 詩篇119:130
とありますけども、本当に聖書のみことばというのは不思議な言葉であります。 かつて読んでいて、さっぱりわからなった、何の関心も呼ばなかったようなみことばが、ある時、突然ですね、自分の心の中に飛び込んでまいります。 みことばによって、私たちは、はっと気づかされたり、主の前にひれふさせられたりするんですね。 確かに、信仰に心の目が開かれ、真理を知ることに勝る幸せや喜びは、ほかにないと思います。 パウロは、 コリント人への手紙第II、4:18
と言いましたけど、信仰を与えられて初めて、私たちはこのことの意味がわかってきます。 見えないものにこそ目をとめなければいけない。見えないものに目をとめて、会いに行かなければ行けない。そのことの、本当の大切さに気づかされるんですね。 ともかく、救いを得るためには、聖書の知識を多く必要とはしません。ここにおられる方々の多くが経験したように、聖書を何遍も通読して、救いがわかったという人はおられないですね。 ただ正直になり、自分の心の高慢を悔い改めて、謙ってイエス様を救い主として受け入れて、救いを得ただけであります。 今までの高ぶっていた自分の人生に気づかされて、本当に低くさせられる。謙遜に、素直に、正直にさせられる。そして、イエス様を自分の救い主として受け入れる。そうしたら、奇跡が起こったのであります。 出口のないように思って、恐れ慄いていた人生から救い出されたのであります。絶望に恐れ慄いていたのに、本当の希望があるというこをですね、知るようになったのであります。 確かに、救いは、一方的なものであり、伸ばされているイエス様の御手を受け取るだけであります。心から、素直になって、この救いの御手につかまろうとしないから、いつまでも悩んだり苦しんだりするんですね。 自分を正当化し、言い訳をしようとする思いがいつまでもあるもんですから、正直に自分の否を認めようとしないもんですから、救いの門の外側にいつまでもたたずんでいるわけであります。 砕かれなければ、本当に正直に、素直に自分の高ぶり、罪を認めなければ、素直に主の前に頭を垂れなければ、ごめんなさいと人が言わなければ、救いの門は開かれないわけであります。 私たちはそのようにして、誰もが救いを見出したに過ぎないんですね。聖書を良く知っていたからじゃない、ほとんど聖書なんか読んでいない。そういう状態で、誰もが救われたわけであります。 しかし、救われてクリスチャン信仰を私たちが、確かなものとして確立していくためには、聖書の正しい知識が不可欠となってくるのであります。ただ部分的な知識ではなくて、聖書での全体的な知識というのがどうしても必要だと思うんですね。 「論語読みの、論語知らず」になってはいけませんけれど、聖書の知識だけが微に入り細にいり身についているけど本当に自分のものとなっていないというのは、困りますけど。しかし、私たちは、聖書の全体的な知識を正しく十分身につける必要があると思うんですね。 まあ、私たちは、いろいろな集会で、多くの兄弟たちを通して、いろんな角度から聖書のいろんなテーマについて、聖書を学んできました。 しかし、全体を通して学ぶと言うことはなかなかできないものです。特に、姉妹たちはですね、それは本当に難しいことではないではないかと思うんですね。 兄弟たちはメッセージに当てられますから、当番にですね。ですから、もう必死になって聖書を読まなければならない。 えー、本当に、場合によっては夜を徹して聖書にしがみつかなければならない。まあ、そこいらっしゃる兄弟もよく経験なさってこられたと思いますけども、本当に、聖書をただ聞いているだけと、当番になって学ばされるときには、もう、真剣さが違ってきます。 そういう風にして、何年もですね、場合によっては、何十年も、みことばの奉仕をさせられるということは、本当に大きな特権なんですね。 本当に懸命になって聖書を読むようになる、みことばの前に祈りを持って、そのみことばの啓示をですね、主に求めなければならなくなってくる。 それがどんなにメッセージを伝えるものにとって、大きな祝福であるかということを感謝するんですけども。姉妹たちは、なかなか、ご自分で聖書の全体的なですね学びといいますか、そういうことを続けていくというのは、まあ、容易なことじゃないですね。 だから何とかですね、この単発的なテーマで取り上げるのではなくて、せめてですね、新約聖書全体でもですね、姉妹たちが通読できるような、何かきっかけになる方法はないだろうかと、まあそういう風なことをずーっと考えていたんですね。 姉妹たちが聖書を通読なさる際のまあ、伴走者のようなものですね。傍についていてですね、一緒に走るという、そういうことはできないもんだろうかって、そんな思いをずーっと持っていたわけです。 しかしですね、まあ、月に一遍とか、2ヶ月に一遍というのじゃあ限られますね。なかなか、どうしたらよいかわからない。 まあ、そう思っていたんですけども、まあ、福音書から始めるべきか、どうしようか、それもまよっていたんです。 が、10月からですか、ベック兄がマルコの福音書をですね学び始めたと聞いて、アー、これはありがたいという思いを非常に強くしたんですね。 毎週毎週、姉妹たちがマルコの福音書をですねご一緒に学ばれる。それならば、この使徒の働きについて一緒に学んで、この新約聖書全体への姉妹たちの学びの手助けになったらいいんじゃないか、そういう思いで、実は、今日来ておるわけです。 ですから、私の聖書の講解といいますか、それを皆さんお聞きになるというよりも、お一人お一人のですね聖書の学びのための一つの手助けである。そのために、利用していただきたい。そういう風に考えているわけです。 使徒の働きを通して学ぼうと思った理由は、今、言ったようにベック兄が福音書を学ばれていらっしゃるということ。使徒の働きというのは、30年にも及ぶ、使徒たちの伝道の事実を記録したものですから、非常にそういう意味では大切な記録であるということで、これを選んでみたわけです。 ちょっと能書きが長くなりましたけれど、使徒の働きの内容に、ちょっと入ってみたいと思いますが、その1章のところをですね、開けてみてください。 1章の1節と2節をお読みします。 使徒の働き1:1-2
使徒の働きは、こういうですね珍しい冒頭の書き出しがあるのであります。 新約聖書は27巻からなっていますね。旧約聖書が39巻からなっているということ、全部で66巻の書物が、新・旧約聖書を成しているということは、まあ、ご存知だと思います。 イザヤ書がちょうど66巻なんですね。イザヤ書の全体がこの旧・新約聖書の全体に、非常に平行していると言われていますけども、新約聖書27巻の中で、非常に珍しい書き方ですね、この使徒の働きの1章1節、2節というのは。 ただ、ルカの福音書だけが、これと同じような前文が付いております。ルカの福音書をちょっと開けてみてください。1章の1節から4節まで ルカの福音書1:1-4
まあ、ルカの福音書はこういう書き出しで始まっているのですね。先ほど使徒の働きの中で言っていた、前の書で書いたというのは、このルカの福音書になるわけであります。 ですから、このルカの福音書とですね、使徒の働きというのは、同一の著者による前編と後編であるということになるわけですね。同じ著者が、この二つの書物を書いたということになります。 その著者がルカだというわけですけども、何故、ルカという人が著者なのかということは、この使徒の働きの中にあるいろんな記事からルカであろうといわれているのでありますね。 そして、この使徒の働きが、ルカによって書かれたわけですから、だから、前編であるところの、あの第3福音書もルカによって書かれたということになるわけですね。 ただ、ルカの福音書にも、使徒の働きにも、ルカという名前は出てこないようであります。 ただ、最初からですね、ルカが書いた福音書であるということは、当時のクリスチャンたちには、よく知られていたことだと思うんですね。 私たちが、今日その根拠を探るとですね、今いったように、使徒の働きの中に、このルカであるという根拠が出てきている。そこからですね、ルカの福音書もルカが先に書いたのだと、そういう順序になるということです。 まあ、これらの細かい事情はこれから出てきますから、ここでは取り上げないようにしますけども、ルカは、新約聖書の記者の中で、ただ一人ですねユダヤ人ではない。ギリシア人であります。 医者であり、パウロの同労者であり、パウロの殉教の死を見届けたかもしれない人なんですね。 ルカが、ギリシア人の医者であるということは、皆さんもご存知だと思いますけれど、あの聖路伽という病院ですね、あれがこのルカの名前を取ったということを、私は知らずに、クリスチャンになってから初めて、その意味がわかったのですが、ルカはそういう意味ではクリスチャンの中ではですね、医者だったということから、病院なんかの名前に用いられているようですね。 コロサイ人への手紙の4章をちょっと見てみましょうか。4章14節にこのように書いています。 コロサイ人への手紙4:14
パウロの手紙の結びに近い挨拶の言葉ですけども、「愛する医者ルカ、それにデマスがあなた方によろしくと言っています。」ここからルカという人が医者であったということがわかるわけですね。 テモテへの手紙第II、4:9-11
云々と書いていますね。「ルカだけは私とともにいます。」「デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまった」と書いていますね。 コロサイ人への手紙では、この時ルカとともにデマスもいたのですけれども、このパウロの最後の手紙、遺言書といわれるテモテへの手紙第IIですね。この中に、パウロはこの時、刑務所に囚われていて、彼の死が間近に迫っていたようでありますけれども、そういう時には、ルカだけがパウロの側にいたんですね。 牢に入れられているパウロの側にいていろいろとですね助けていたということじゃないかと思います。 ルカの福音書が詳細に、イエス様の誕生の経緯を記しているのも、ルカが医者だったからだという風に考えられております。 先ほどですね、使徒の働きの1章の1節に「テオピロよ。」と出ていますね。これは、先ほどのルカの福音書の1章の中で、「テオピロ殿」というような表現で出ています。 使徒の働き1:1
ルカの福音書も、使徒の働きも、このテオピロという人に献呈されたものらしいんですね。 テオピロという人は、よくわかっていませんけれど、ローマの高官であったろうといわれています。 ルカの福音書では「尊敬するテオピロ殿」というような、改まった表現が用いられていますけども、ここでは「テオピロよ」とですね、親しげに呼びかけられていますね。 ですから、このテオピロという人が、ルカの福音書が書かれた当時はですね、まだ、みことばを聞いて、求道中であったのではないかと思います。 けれど、この使徒の働きが書かれた時点では、信仰を受け入れて、主にある一人の兄弟と、彼が認められるようになったということではないかと思いますね。 ルカの福音書では ルカの福音書1:4
と、こうなってます。ですから、テオピロは求道心があって、この福音に耳を傾けるようになっていて、いろんなことを聞いていた。 それで、ルカは、テオピロのために綿密に調べて、イエス様の救いの事実が間違いのないものであるということを、テオピロに確信してもらうために、彼は書いたんですね。 ところがそれから1、2年経った後、使徒の働きを書いたときは、テオピロは信仰を受け入れていたようであります。それが、この「テオピロよ」という呼びかけからもわかるような気がするんですね。 福音書でルカは、イエス様の誕生から死と復活までの30年余りの出来事についての詳細な記録を残したわけです。 そして、この使徒の働きで、イエス様の昇天から、パウロのローマ移送、そして投獄までの、ほぼ30年位の出来事を記録しているんですね。 ですから、合計すると60年以上にも及ぶ出来事を詳細に調べ上げたということですね。 60年に亘る記録を調べ上げるということは、本当に、容易なことではないわけですけども、それを彼は注意深くやっているということなんですね。 使徒の働きというのは、最後が、何かこう途中でちょん切れたように終わっていまして、ペテロやパウロの殉教の死というものについての記録はないわけですね。ですから、ネロによる迫害が起こるその前で、この使徒の働きというのは終わっているわけです。 ということは、ペテロもパウロもまだ生きているんですね。そして多くの証人たちが、まだ生きている。イエス様が、昇天されてから30年。 私は、いろんな聖書辞典なんか調べませんでしたし、余り必要ないと思うから調べません。この大きな、私たちが持っている大きな聖書の解説の中に、必要なことは大体出ていますから、その程度のことでお話をしているのです。 あんまり厳密な話をする必要はないし、そこまで、私たちは聖書を専門家みたいに学ぶ必要はないでしょうから、学術的にといいますかそういうことを問題にしているわけではありませんけど、大体ですね、この使徒の働きが書かれたのは西暦60年前後だろうといわれているんですね。 ペテロとパウロが、ネロの迫害によって、殉教の死を遂げた年というのは、大体わかっていますから。ということになってくると、イエス様がお生まれになったのは、西暦5年か6年位前ですよね。 ペテロあたりが、イエス様より少し年が若かったとして、この頃にペテロの年齢は60前後だろうと思いますね。 パウロはそれよりも若いでしょうから、おそらく、今の僕くらいじゃなかったでしょうかね、50代半ばではないかと思いますね。 このルカの福音書の1章の1節を読むと ルカの福音書1:1
と書いてあります。 「初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった」というのは、これは主に、使徒たちです。 使徒たちがですね、ほとんど皆生き残っていましたね。ヨハネの兄弟ヤコブはですね、初期のころに剣で殺されてしまいましたし、人としては最初の殉教者として、彼はいませんでした。しかし、ほとんどの使徒たちは、ネロの迫害くらいまでは生きていたわけですからね。 ヨハネの黙示録を書いたヨハネは、おそらく90〜100歳くらいまで生きたのではないかといわれているわけで、まだまだ、生きているわけです。 ですから、60年に及ぶ福音書と使徒の働きを調べ上げて書くと、そのことを考えただけでも、もう、大変なことだと思うんです。 けれども、ルカという、医者という職業によって鍛えられた綿密性といいますか、冷静にして厳密な忍耐の必要な作業をできる人、そういう人でなければ、やっぱり、これはできないんではないかと思いますね。 情熱的で、気短でですね、例えばペテロのような人には、もう、とてもできないんではないかと思います。 ルカの福音書の1章の4節に ルカの福音書1:4
と書いているのですね。 正確な事実が何か、ルカはそこに冷静な目を注いでいるということですね。これは、もちろんお医者さんの必要条件であります。 お医者さんは、何よりも冷静でなければならない人たちですね。事実を確定する、そういうことが身についている人だと思いますね。 そして、彼が書いたのは、一次資料といいますか、直接見た人からの資料に基づいているということですね。 これも、とても大事なことだと思いますね。又聞きではないんですね。 誰かが言っていたこと、ある人が聞いて、それを彼がまた書いたというんじゃなくてですね、初めからの目撃者であり、みことばに仕えるようになった人々が伝えたそのとおりのことをですね、私は綿密に調べて書き上げたんだといっているわけですね。 これらはですね、パウロが投獄の間、彼が伴っていた間に書かれただろうと、この大きな聖書の解説ではなっております。 使徒の働きを見て行きますと、16章とか17章位になってきますと、突如「私たち」という一人称が出てくるんですよね。 それまでは、パウロやペテロがどうしたかということが書いて、彼らはとか何とか使っているのにですね、突如、その中にこの著者であるルカが加わってきているということが、実は出てくるわけなんですね。 そうですね、使徒の働きの16章を、ちょっと見てください。 使徒の働き16:9-10
この10節の「私たち」という言葉がですね。最初にここにはいってくるのですね。ですからこれは、「私たち表句」と呼ばれていてですね、この後、ずーっと、この「私たち」という言葉を著者が使っているんですね。 だから、この使徒の働きを書いた人がですね、この中に含まれている。この人は、最後までパウロに伴って行っている。で、こう何人か上げてくると、ルカに絞られてくるわけなんですね。 だから、ルカが書いたと言われていることになっているし、第3福音書も、ルカの福音書と呼ばれている。 さっき、言ったように、当時書かれていたクリスチャンたちはですね、ルカが書いたということを誰もが知っていたに違いないんですね。 そして、それが確かな伝承として、記録されたに違いないわけですけども、今言ったように、この使徒の働きを見ると、こういう風に、途中からですね、「私たち」という言葉が入ってくるんですね。 パウロが始めて福音をヨーロッパにですね、彼が伝えたときなんですね。 ギリシアに初めて福音がですね、小アジアから、今のトルコから、海を渡って、ヨーロッパに入ったとき、そのときに、ルカはやっぱり一緒に加わっていたんですね。 そういうことからですね、このルカが、この福音書と使徒の働きを書いたのはですね、おそらく、パウロがエルサレムで捕えられて、カイザリアに護送されていくんですね。 エルサレムでは、彼の命が危ないですから、総督がいたカイザリアのほうに、彼が護衛されて送られていく。そして、そこに彼は2年くらい牢獄に閉じ込められております。 そして、さらにですね、パウロがローマの皇帝に上訴する門ですから、やむを得ずですね、彼はローマの方へ移送されていくんですね。この間に、おそらくルカは、福音書と使徒の働きを書いたんではないかというんですね。 この解説ではなっているんですね。ですから、西暦60年前後のですね、まあ、2〜3年の間に彼は、その時間が持てたんじゃないかという風に言われています。 これが、この使徒の働きのですね、概要といいますか、書かれた前後の事象なんですね。 使徒の働きの1章の方のですね、3節を見てください。ここから本論に入るわけです。 使徒の働き1:3
ルカは、使徒の働きを書くときに、一番大事なことをですね、この本論の最初に書いてるんですね。 「イエス様は、苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語られた。」ご自身が復活されて生きておられるということを、四十日にわたってですね、示されたと書いていますね。 四十日の間おられたということを書いているのも、使徒の働きの、この箇所だけのようですね。復活から昇天までの期間もですね、ルカはきちんと調べているということなんです。 コリント人への手紙第I、15:6-8
パウロはこの様に語っていますが、「今なお生き残っています」と書いていますね。 これは、この手紙が書かれたのは、イエス様の復活の後、約25年位後だといわれていますが、この時にもですね、大部分の人が生き残っていたんですね。 イエス様は、復活されて、四十日間、この地上に弟子たちと共におられた。 四十日となってくると、計算するとわかるんですね。 イエス様の復活なさった聖日、日曜日というのは、今の暦でわかっていますから、春分の日、3月20日前後ですけれども、春分の日の次の満月のその最初の日曜日ですね。 それが、イエス様の復活された日曜日ということに、暦の上で計算できるわけですね。それから四十日後、イエス様は昇天なさった。そのときの事情もですねルカだけが記しているんですね。 使徒の働きに戻って、そこの1章4節から8節を見てください。 使徒の働き1:4-8
イエス様は、聖霊が下られるまで、そのままエルサレムに留まっている様にと、お弟子たちにおっしゃっているわけですが、不思議なことですけれども、弟子たちはですね、イエス様の復活を目の当たりにしながら、四十日間、何遍もイエス様に接していながら、この復活の持つ意味が、まだ、本当にわからないんですね。 すなわち、救いの意味が、まだ、わからないんです。 イエス様の復活という、天地創造以来、最大の出来事を、目で見、手で触れていながら、この事実と、自分たちの救いとの関係が、充分にわからないんですね。 ですから、彼らは、「今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」と質問しているのですね。 このローマの圧政下に、植民地のようになっているイスラエルを、今こそ復興されるのですかと、まだ、こんなことを言っているのですね。 彼らはですね、まだこの世のイスラエルの復興ということに、非常に心囚われていて、イエス様の救いについても、そういう風にしか見ていないということなんです。 使徒の働き1:7
このイエス様の答えはですね、イスラエルの再建ではなくて、福音の宣教と神の国の建設、すなわち霊的なイスラエルの建設、教会ということですね。 そして、その後の新天新地の完成、そういうことにイエス様は、ここで示唆しておられるように思うんですね。 使徒の働き1:7
イスラエルの再興ということじゃあない、別のことを語っていらっしゃるように思うんですね。 イエス様の昇天についてもですね、このルカだけが記しています。 ついでにルカの福音書の24章を開けてみてください。50節と51節。 ルカの福音書24:50-51
このルカの最後の箇所でですね、イエス様がベタニアヤまで、彼らを連れて行って祝福なさり、それから昇天されたというようなことがですね、示唆されていますが、「彼らから離れていかれた」とありますね。 しかし、使徒の働きの1章では、このところがですね、もう少し具体的に書かれています。 使徒の働き1:9-12
ここでオリーブという山だったと書いてありますね。 ルカの福音書によると、ベタニヤの方まで連れて行かれたと書いていますが、地図をご覧になると、エルサレムからオリーブという山があって、その先の方に、マルタとマリアがいた小さな村があるわけですね。 その付近まで、イエス様は弟子たちを連れて行かれた。そして、そこからですね、雲に包まれて昇天なさったと記しているわけです。 イエス様が、天に昇られた時に、 使徒の働き1:11
聖書の別の箇所でいっているように、雲にのって、イエス様がまた来られるということは、この記事と符合しているわけですね。 使徒の働き1:13-14
13節には使徒の名前が全部出ています。そして、その他にも、イエスの母マリアがいましたし、イエス様の兄弟たち複数ですね、何人かの兄弟たちも一緒にこのとき居た。「みな心を合わせ、祈りに専念していた。」と書いてあるんですね。 一番イエス様につまずく可能性があったのは、イエス様の兄弟たちだったろうと思いますけれど、ここでは、彼らでさえみな、イエス様が救い主であることを認め、信じていたということがわかるわけです。マルコの福音書の6章を見ますと、 マルコの福音書6:3
イエス様がナザレに帰られたときにですね、ナザレの人はそう言ったというんですね。イエス様の兄弟には、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンと4人居たんですね。そして妹たちも居たということが、ここで、わかるわけです。 しかし、この兄弟たちは、イエス様に対して最初はなかなか冷たい対応をしているということも聖書は記しているんですね。ヨハネの福音書7章の節から... ヨハネの福音書7:2-9
このやり取りを見ますとですね、このイエス様と弟たちとの間に、何か溝があるという感じがしますね。何か冷たい関係があったらしいということが、すぐわかりますね。 私たちクリスチャンも、自分の家族が一番難しい。何せ、私たちについて、信仰..なんと言いいますかね、厳しくチェックしながら見ているのは、結局家族ですから。 家族はなかなか、私たちの信仰を受け入れてはくれないですよね。家族が救われるには、本当に何十年かかるかもしれません。 実は、後2週間後にですね、沖縄でですね、ドイツの姉妹方がいらっしゃってですね、キャンプがもたれる予定だそうですけども、私の一番上の兄貴ですね、奄美大島に住んでいるんですが、この兄貴がこの1〜2年洗礼を受けたいと非常に強く言うもんですから、思い切って連れて行くように、段取りをして、今日切符を送ったばかりなんですね。 精神的に病んでいたところもあって、私は、この兄の挫折を通してですね、信仰に触れるきっかけになった、そういう意味で、私の人生に重大な影響を与えた兄なんですけども、数年前から脳梗塞を起こして今してですね、自分では歩けないような状態なんですが、車椅子で何とか飛行機に乗せようと手配しているところなんです。 都合よくですね、私のすぐ上の姉の夫婦が、大阪の御堂の集会に、以前集っていたんですけども、洗礼を受けてですね、定年になったものですから、この義理の兄と実の姉が、もう田舎に帰っているんですね。住まいを移して。 この義理の兄の方は出すね、自分にできることなら何でもするからと言ってですね、自分が付き添っていくから言って、実は長女と3人、小さな40人乗りの飛行機、プロペラ機が飛んでいるんですけども、それで、沖縄に行くことになっているんですね。 私にとっては33年かかったわけです 家族の救いということについて、祈らない兄弟姉妹はいないんですけども、だんだん、段々ですね、福音に関心を持ってくれて、弟たちが教会へ行っている、イエス様を信じてる、そういうことが、この兄の内に、なんといいますかね、いろんな思いを与えていたようであります。 ですから、車に乗って、いろんな物を売って歩くようなことを一人でやっていたんですども、行く先々でですね、カトリックのクリスチャンなんかが、田舎にはいるんですね、そうすると、そこにあがりこんで、色々と話すらしいんです。 そして、時々そういう話を、僕にするんですけども、私たち家族が位牌を拝まないとかですね、お墓に行って線香を立てないなんてことを、そのカトリックの方々に言うと、そのカトリックの方々が、それは、弟さんの方が正しいですよ、みたいなことを言うんだそうです。 そういうことで、兄貴はいつの間にか関心を持つようになって行ったわけなんだと思います。 私の田舎は、どういうわけか、カトリックは、かなり昔から入っているんですね。修道院中まであるんですよ。田舎の村に行きますとね、十字架の立っている墓も、実はかなりあるんですね。 日本のような、こういう縦長の石塔の上に十字架を立てているわけですから、すぐ、目立つわけなんですけども、こういう村々を回っていると、やっぱり、心から信じている人が中にはいらっしゃるわけですね。 そうすると、こういう人々と話をしながら、家の弟たちがどうのこうのという話をする。それがですね、段々、段々兄の関心を広げて行ったんじゃないかという思いがするんですね。 ですから無駄じゃあないなあということを、本当にしみじみと思ってしまいます。 もう一人の姉がいるんですけども、今回一緒にどうかと勧めてみたんですが、まだ、臍を曲げていて、弟だけ一人連れて行きなさいと言ってね、なかなか耳を貸してくれないんですけども、この姉も私から聖書を二冊くらい送らせたりして、読んでいるのと言うと、時々読んでいるいるけれど、わからない。 何か小説を読んでいるような気がするというようなことを言っているようですが、なかなかですね、我の強いというのですかね、非常に気の強いといいますか、昔教師をしていて、僕は担任で持たれてよく殴られたんですね。 この、理解が悪いっていうんですよ、要するに何遍言ったらわかるんだって言うんですが、女のくせに拳骨を食らわせるもんですからですね、小学校の2、3年の頃ですがね、この姉に担任になってたたかれた思いが、今もあるんですけども、なかなか激しい気性でですね、弟、妹たちはなかなか頭が上がらないんですけども。 電話で話しながらですね、「もう、本当に、望みはないだろう、これからいったいどうするの?」なんか言って、半分脅迫なんか、僕はするんですよ。 「もう、70前になって、一体何を望みに生きるの」って言うと、もう黙って聞いているんですよね。静かに。 なかなか、人を見る目があるっていいますか、表面的なことはすぐに見抜いてくるところがあって、通じないところがあるんですけども、信仰にしか道がないということは、もう、わかってきているんですよね。 母の死があったり、父の死にあって、みんな看取ってきているわけですから。そして三番目の鹿児島の集会に集っている姉が十年位前に救われて、本当に感謝して喜んでいる。その姉の姿を見て、やっぱり羨ましいんだとそう思うんですね。 そして、その下の四番目の妹が、また、洗礼を受けて帰った。 長女は長女で、一番初めに洗礼を受けたのは長女なんです。 で、私のすぐ下の妹が、昔、吉祥寺集会で洗礼を受けて、今は、私に背いてというか、別の教会へ行って、来ないんですけども、僕の「我輩の不徳のいたすところで、」ですね、なんですけども、要するにですね、みんなほとんどの兄弟たちが洗礼を受けてきているんですね。 外堀は、もう、埋められてきているんですね。だから、自分も信仰に踏み出さなければならんということは、わかっているわけなんです。 しかしですね、素直に、本当に参ったが言えないというのかな、やっぱり自分の義を立てようとするといいますか、弟と一緒に洗礼なんか受けられないって、人の面倒になっているようなあの状態で、洗礼に与かって、救いに与かるなんてけしからんと思っているんですね。 自分で自分のこともできないで、何だっていう感じを、何十年にわたって、その弟の色々な重荷を自分の方にかかってきているということがあるもんですから、なかなか頑固に頑張っているんですね。 まあ、イエス様の兄弟たちも、一番難しかったろうと思います。しかし、この使徒の働きのですね、その最初のところには、もう、イエス様の母マリア、もちろん母マリアはですね、やっぱりよく事情がわかっていましたから、ちょっと違っていたと思いますけれど、イエスの兄弟たち、彼らが共にいたということですね。 これは、非常に私等にとっても、大きな意味のある箇所ではないでしょうか。 このイエス様のすぐ下の弟はヤコブですね。ヤコブはいうまでもなく、エルサレムの教会の長老、柱になった人物ですね。 そして、ヤコブの手紙が残っていますし、その三番目の弟ですか、さっき名前がありましたね、ユダ、そのユダも、ユダの手紙が残っていますね。こういう風に見て行きますと、本当に、福音の確かさということを、私たちは、更に覚えるのじゃないかと思います。 ガラテヤ人への手紙の1章ですね。もう時間が来ましたけども、ガラテヤ人への手紙の1章18節から20節。 ガラテヤ人への手紙1:18-20
このときですね、ヤコブは柱として居たんですね。これがいま、今行ったようにヤコブの手紙として、あるいはユダの手紙としてですね、残されて、福音の貴重な証じゃないでしょうか。 こう見て来ると、聖書の証は、本当にですね、完璧なもの、十二分なものじゃないかという気がするんですね。 時間になりましたので、ここで終わりたいと思います。 |