引用聖句:使徒の働き9章1節-9節
使徒の働きの一部分を読んでいただきましたけれども、この使徒の働き9章は、ご存知のように、あの偉大な伝道者パウロの回心の様子を記録したところとして有名であります。 クリスチャンたちの迫害者であったパリサイ人、当時はサウロですね。サウロが突然、天からの光にうたれて回心して、自らクリスチャンになり、迫害する者から逆に迫害される者となり、ついにその信仰のために殉教の死に至る。 その劇的な人生の分岐点となった出来事について書き記されている箇所であります。 パウロの回心は、あまりにも超自然的って言いますか、突拍子もないようなものであって、伝道集会などでこの話を初めて聞く人々にはかえって、まったく訳が分からないですね。 したがって多くの場合、何の感銘をも初心者には与えないような話ではないかと思うんですね。いわゆる伝道集会向きではない話のようであります。 ルカの福音書のあの15章の放蕩息子の話が、頻繁に伝道集会で取り上げられるのに対して、このパウロの回心という、あまりにも劇的な、とんでもないような出来事というのは、ちょっと初めて聞く人々にはピンとこない出来事であります。 普通の人々、われわれも、確かに主と出会って、今までの神さまにそむいていた罪の人生から、信仰の人生に立ち返るということは、それはやはり大変な経験であります。 ひとりひとりがそれなりの、真面目な、厳粛な出来事に触れて、そういう経験を通して、主に立ち返るわけですけれども、このパウロの回心というのは、通常の人々とは接点の見いだせないようなきわめて特殊な経験のようでありました。 私の学生時代の先生で、無教会系の先生なんですけども、その先生などは青年時代に、あの明治、大正時代の頃によく伝道で活躍された牧師からこの話を伝道集会で初めて聞いたときには、それは自分の四国の田舎の漁村の浜辺などでよくある日射病による立ちくらみのようなものに違いないと、半分冷やかし気味で聞いていたというふうに書いておられます。 こんな、突然、天からの光にうたれて、パウロという人が、迫害者が、地に倒れて、そりゃなんていうことだってな思いで聞くわけですね。 ただそのあとで牧師が、聞いてる人々に向かって、「あんたらは自分がこの世に生かされてるっていうことに感謝できるか。」「なにかいいことがあったときには感謝するだろうけども、そんな感謝というのはあてにならない。生かされてるという、そのことに感謝できるか?」と問うたんです。「できないだろう。」こういうふうに、言われたのそうです。 そのときに先生はハッとしたそうです。これは真面目に聞かなければならないと思ったそうです。 苦学生として、食うや食わずのギリギリの生活をしながら、ともするとつい、自分の親を恨みたくなる。なんでもう少し余裕のある学生生活を送らせるぐらいのことをしてくれなかったんだ。そういう思いが頭をもたげてくる。 恵まれた多くの学友たちを見てるとつい、この世の中ってものをそねみたくなる。そういうふうな、自分のすさんだような心に気付かされて、その心の貧しさやみじめさの原因が、まことの神さまに背を向けてさまよっているからなのだという、その牧師の語りかけに、思いもかけず招きに応じて、前に出て行ったということを書いていらっしゃいますね。 どうもクリスチャンになる人々の回心には、大きく二つのパターンがあるようであります。 一つは、私のこの先生のように、ともすると、この世を恨み、そねみかねない境遇の中にあって、自分のその心のみじめさ、浅ましさってものに気付かされて、聖書のみことばに触れるときに、悔い改めて、神さまの前に出ていくというパターンがあります。 もう一つは、それとは正反対で、このパウロのように、自らをエリートだと自認し、強い自負心を抱いている人間が、その自負心を神さまによって打ち砕かれて、ぐうの音も出ないほどに打ち据えられて、神さまの前にひざまずかされて、立ち返るという、そういうパターンがあるように思うんですね。 私たちは、この両極端の間のどっかに、どうも立っているように思うのであります。いかがでしょうかね? どちらがいいか分かりませんけれども、自負心の強い、自分をあまりみじめなどとは考えていない、そういう自信のある人間が、神さまの前に本当に砕かれて、悔い改めさせられるというケース。 それと反対の、自分がなんかこの世から落ちこぼれているかのように思う。そういうところから信仰に導かれていくような、どうもタイプがあるような気がするんですね。 多くの信仰の先輩たちの書いてらっしゃるのを見ると、どうもこういう二つのパターンがあるように思うわけです。 これから見ていくこのサウロ。われわれには親しい名前で言うと、ローマの名前でパウロですね。このパウロという人は、後者のタイプであります。 自負心に満ちた、自他共にエリート意識に満ちた、そういう人物であったことは間違いないのであります。 クリスチャンの歴史上、最大の伝道者となり、新約聖書という人類の宝物の半分を一人で書き残した人。このパウロは青年時代、サウロ、ユダヤ名でサウロと呼ばれていたこの青年は、パリサイ派に属する若きリーダーとして大いに嘱望されている人物でありました。 われこそは神の選びの民、ユダヤ人の誇りを担う者と、おそらく内心彼は自負していたんじゃないかと思うんですね。そういう、おそらく誇りに満ちたユダヤ人というのは、特別の民である、まことの主なる神によって選び出された、神の御名とその栄光を担う者である。われこそはこのユダヤの、輝ける伝統を担わなきゃいけない。 おそらく、そういう人だったろうと思うんですね。 彼も当時は決して思慮深い、本当の意味で賢い人間ではありませんでした。 なぜならば、本当の思慮深さと本当の賢さというのは、人が主との出会いによって、まことの謙遜を学ぶことによってのみ、人のうちに宿るもののようだからであります。 彼は決して、われわれが手紙で見るような、始めからそのような人間のレベルで見たら、おそらくもっとも賢い人物、知恵に満ちた人物ですよね。 それはもちろん彼のうちから出てきているんじゃなくて、主イエス・キリストを知るその信仰を通して、彼が啓示されたことでありますけれども、その彼もはじめっからそういう人物なのではなかったということであります。 うぬぼれの強い、わきまえることを知らないやはり青年にすぎなかったんじゃないでしょうか。ただ普通の青年とは違って、その重心ってものが、誇りっていうものが、宗教的な確信によって、支えられていたものですから、サウロのこの心の盲目さは、大変な結果を生み出していくわけであります。 同じ年齢の同僚たちであれば、誰にも引けを取らない。そういう思いでもって彼は、律法を重心にまい進していたわけですよね。ユダヤ教に精進していたわけでしょ。 そういう、いわばユダヤ教の律法主義の若き代表者が、イエス・キリストの福音に正面からぶつかっていくわけですね。その結果が色んな、深刻な問題を引き起こし、また、それを通して、パウロは私たちに真の福音が何であるかということを、もっとも深く、明らかに示すことができた人物でもあるわけですね。 内村鑑三という、私たちの先達がこう言っています。 「真の確信というのは、もっとも保守的な人物から出てくるものである。伝統というものを懸命に守ろうとした、そういう人こそが、真に新しいものに気が付くのだ。」 ということを述べてるんですね。例えば、マルチン・ルターという人は、当時のカトリックの修道僧たちよりもですね、はるかにカトリックの僧として熱心だった人ですよね。 彼は言われたとおりにそれを文字通り実行しようとして、あまりの断食や色んなことに気を失って、ドイツのその寒い冬の僧房で気を失って、しばしば倒れ込んでいたと言われていますけれども。 そういう人が初めて、聖書の福音がなんなのかっていうことに気が付いて、カトリックというものと、まったくそこから脱皮してると言いますか、そういうわけですね。 このパウロもそうなわけです。パウロは初めから自分の民族が受け継いだ、そのユダヤ教なるものを、律法主義というものに対して始めから距離を置いていた人じゃなかったんですね。 彼はそこに、だれにもまして愛着をもっていた人であり、精進しようとしていた人だったわけです。そういう人が福音というものに正面からぶつかっていく。 そうして、彼はユダヤ教と、このキリストの福音がどこが違うのかということを初めて徹底的に知るようになる。それが彼の手紙に記されている、繰り返し繰り返し私たちに伝えられていることですね。 宗教がらみの、信仰がらみの、誤った確信ほど恐ろしいものはない。それがどんな犯罪を生み出すかということは、私たちがよく知っていることであります。 ピリピ人への手紙3:5-6
彼はイスラエルの民族の中のベニヤミン族に属してる者でした。あの初代イスラエルの王サウロ。あの名前をとって彼の名前は付けられていたんですね。 きっすいのヘブル人。律法についてはもっとも厳格なパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。 私は今、クリスチャンを迫害している彼らのように中途半端じゃなかったよと言っているわけですね。彼らよりも私は律法に対して自分のすべてをかけたんだ。 このように、その前のところを読むと言っていますね。そういう意味でパウロは、そういうことについてもし心うつんだったらば、私は劣ることはないと言ってるわけです。 ガラテヤ人への手紙1:13-14
はるかに進んでたと言ってるんですから、これは決して大げさに、誇張した表現ではないはずであります。 誤った信仰ほど恐ろしいものはほかにはないのはご存じのとおりです。人々を不当に殺戮しながら、自分は神に熱心に仕えていると確信することができるわけであります。 今日、21世紀というのはよく言われるように、20世紀のあのイデオロギーの時代が終わって、宗教対立の時代となってきましたよね。また、かつての中世時代の宗教的対立というのが、おそらく世界の一番の大きな厄介な問題として、再び立ち現われてきてるんじゃないでしょうか。 容易にこれは、解決し得ない、あるいは解決不可能だということかもしれませんね。本当に厄介な問題ですよね。 サウロは、誤った信仰の確信に立って、猛然と突進していた人であります。サウロはステパノの処刑の場で初めて聖書に登場してくる。これはこの前、私たちは見ましたね。 7章の58節に、サウロという青年が初めて聖書に登場します。彼はステパノの裁判から処刑に至るまでの経過を注意深く観察していたようであります。 処刑といっても、人々は殺到して石で打ち殺したわけですから、処刑といえるかどうか分かりませんが、まるでリンチのようですけれども、その様をこの青年サウロはジッと見ていたんですね。 その間、彼の「ステパノ殺すべし」という判断は、揺らぐことはなかったはずであります。 ステパノは殺されるべきである、当然であると彼は考えておりました。しかしステパノの、彼が見た一部始終のその裁判での言動。ステパノの顔の表情の穏やかさとその柔和な輝き。 それはパウロが、サウロが今まで接したことのないタイプの人間だったに違いないのであります。 伝統的なユダヤ人社会の中で育ち、その中でももっとも厳格なエリート集団であるパリサイ人たちの中で訓練されてきたサウロにとっては、今まで接したことのないタイプの人間が、このステパノだったんじゃないかと思うんですね。 遠くからステパノの表情を見ながら、サウロはそこに自分たちとは異質のものを、なにか感じ取ったに違いないのであります。 明確に表現すれば、サウロが律法による自分自身の義を掲げ、自らの義を誇りとして生きているのに対して、ステパノは信仰による神の義にまったくより頼み、自らの義を誇るのではなくて、「誇るものはただ主を誇れ。」、この信仰の真理に立っていたのであります。 そこからくる心の穏やかさと安らぎ。深い謙遜とまた物怖じするところのない、媚びるところのない堂々たる確信。ステパノはそこに立っていたのであります。 大祭司を始め、多くの議員たちに非難されながら、さばかれながら、この一介の名もなき人物が、本当にいきり立つのじゃなくて、訴えるように、人々の、主に対するかたくなさを訴える。愛をもって語りかけてくる。 そのステパノの振る舞いというものが、サウロのうちに大きな影響を与えたに違いないのであります。 ステパノという生きた信仰に立っているこの人物を見たということ。それが、サウロのたましいに彼の自覚を超えて大きく揺るがす、衝撃となったに違いないのであります。 言い換えれば、ステパノを通して現わされた主イエス・キリストの人格というものが、やっぱりサウロに大きな衝撃を与えているに違いない。 それがこの9章の、サウロのあの劇的な回心のシーンへの伏線となっていたことは間違いないのであります。 サウロは、生前のイエス様には一度も会っていないようであります。あれだけエルサレムで大騒動があったにも関わらず、サウロは当時、エルサレムにいなかったってことですよね。タルソの出身ですよね。 エルサレムのガマリエルの門下生であった。イスラエルの人々から尊敬されていた律法の碩学と言いますかね。大学者ガマリエルの門下にいたときに、彼は述べていますけれども、どういうわけか、イエス様が十字架に架けられるまでのその3年間そこら、彼はエルサレムにいなかったんでしょうね。イエス様を見ていないようであります。 使徒という言葉は、復活されたイエス様を直接に見て、知っている弟子たちの中から12人に与えられた呼び名なんです。使徒ですね。 だからパウロが、使徒と名乗るのはせん越であるという、パウロに敵対心をもっている人々からの非難もあったのであります。 しかしパウロは揺るがなかったんです。 イエス・キリストの使徒パウロ。彼はこの言葉を用いて譲らなかったんですね。彼の手紙はみんなそういう書き出しになっていますでしょ。 私は主を見たではないかと言って、あえて彼は、その回心のときの、主との出会いを引き合いに出して言っていますが、 コリント人への手紙第I、9:1-2
私は使徒ではないのでしょうか。あのパウロは使徒なんかじゃない!こういう、批判が同じクリスチャンの仲間からもあったということですね。 私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。私はよみがえられたイエスを確かに見たのだ。彼は、このように言わなければならなかったんですね。かつての迫害者サウロですから。 当時の主の直弟子のひとりではなかったわけですから。 使徒の働きの9章に戻りましょうか。 使徒の働き9:1-2
脅かしと・・・(一部聞取り不能)・・・突き動かされているサウロの姿が、そこに読み取れるんじゃないでしょうか。 パウロのこういう、心から出ている行為と言いますか、それ自体がもうすでに正しくないですよね。 人を脅かす。脅かすというのは、脅すという意味ですよ。これはもうすでに神さまを知っている人のやるべきことじゃないですね。 脅かされても脅すことをせず。イエス様のことをペテロはそう書いてますけど。苦しめられても脅すことをせず。 パウロは律法に熱心であり、神さまに熱心に仕えていると言いながら、パウロをやはり突き動かしてるのは、肉なるものですね。 彼はまだ御霊を知らないのであります。使徒の働きの26章の9節から11節。これはパウロ自身がアグリッパ王に述べていることです。 使徒の働き26:9-11
強いて御名をけがすことばを言わせようとしたと書いてるでしょ? 押し曲げ、捻じ曲げてまで、冒涜のことばを吐かそうとしているということですよね。そこに、この当時のパウロのありようというものがよく現われているわけであります。 ヤコブの手紙3:13-18
もっとも厳しい手紙のことばを書き連ねてるヤコブにして、こういうことを言ってるんですよね。上からの知恵というのは、柔和なものなんだってんですね。 脅かしとか殺害の意とかいうようなもの、それは上から来たものじゃないのだ、真理に属するものではないのだと、ヤコブは言ってるわけであります。 ステパノを通してサウロに照らされた光って言いますか、ステパノという人物を見ることによってサウロが受けた衝撃と言いますか、そういうものは、サウロを自己反省とか、自己抑制というものに至らせるのではなくて、逆に一層彼を凶暴化させていったわけであります。 むしろ彼はステパノから受けたそういう印象に、あえてそれを逆らうように突っ走って行ったんじゃないかと思いますね。 パウロの心の中のこの緊張関係と言いますか、たましいに大きな衝撃を受け、根本からそれが揺れ動いてきている。それにも関わらず、そのことをあえて無視し、光に目を閉じて、突き進もうとする。 そういうサウロ。その状況が極限に達したときに、主は彼に臨まれたのじゃないかと思います。 よく言われるように、まるで一撃で獲物を仕留めるかのようでしょ?イエス様はこのサウロを、一瞬にして屈服させるって言われるんですよ。 猟師が獲物を狙い、一本の矢で獲物の心臓を貫くように、サウロのこのダマスコ途上で、主はサウロをとらえられます。 ある方が述べているように、理性に対しては光をもって、意思に対しては力をもって、イエスはサウロに臨まれたのであります。 このときサウロは主の啓示の光を内面に受けると同時に、いわば、地にねじ伏せられるようにして、彼は主の前に屈服させられていくんですね。 このダマスコでのパウロの回心の記事というのは、使徒の働きに3回出てくるんですね。 今、使徒の働き9章に、ルカは時間をおって書いていますけども、パウロ自身が2回、このことについて語っているからなんですね。少しずつ・・・。 語られていることばは少しずつ違いますけれども、もちろんそれは、パウロが主から受け取った啓示であります。主はあのとき、こう言われた。こういうことも自分に啓示された。 それを彼は、ことばは違うけれども語ってるんですね。 使徒の働き26:12-16
主はやっぱり、ねんごろに語ってもいらっしゃるんですね。有無を言わさない・・・、パウロという人は、もちろん人間にすぎませんけど、強固な意思をもっていた人でしょう。 だから先ほど言ったある人が、意思に対しては力をもってであります。 パウロは人間的には非常に賢い男だったでしょう。理性の力においてパウロは非常に優秀でしたよね。 理性に対しては光をもって、主はパウロにご自分を現わしていらっしゃいました。 単なる理性の限界を超えて、霊的な啓示というものを与えられてくるものですね。霊的な啓示というものは、人間の理性ではとらえられないものですね。 パウロは律法という、理性の次元で今まで懸命に精進してきたに違いない。で、彼はそれによって、人には人後に落ちないという自負をもっていたに違いない。 しかし彼がこのとき受けたのは、上からの啓示であります。 「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。光にあえて目を閉じようとしてはならないのだ。」 主はそう仰ったんですよね。 もうこのときパウロは目を閉じて、光に目を閉じて、自分の今までの律法の生き方を捨てまいとして突進しようとしてるのですから。サウロよ。それはとげのついた鞭を蹴ることに等しいのだ。自分自身を痛めつけていくことなのだ。 そういうふうに、主はパウロに諭していらっしゃるわけですよね。ねんごろに仰っているわけですね。 このパウロの回心は、先ほどの先生が青年の頃、冷やかしながらその話を聞いていたというふうに、日射病による立ちくらみなどではもちろんないのであります。 先ほどの9章の7節。パウロ個人だけの経験ではなかったということなんです。 使徒の働き9:7
声は聞こえていた。主が、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」というふうにサウロに語りかけられた。その声は聞こえたと言うんです。 さらに使徒の働きの22章の9節。これもパウロの弁明ですね。同じようなことがここで述べられていますけども、 使徒の働き22:9
彼らは声は聞いたんだけれども、何言ってるかは分からなかった。聞き分けることはできなかったと言ってますね。 使徒の働き26:14
と書いています。私たちはみな地に倒れたと書いてあるんですね。ここのところは、9章の記事とちょっと違うんですね。 先ほど読んだ使徒の働きの9章の7節では、 使徒の働き9:7
パウロのこの弁明では、私たちはみな地に倒れたと書いてますね。私だけが地に倒れたんじゃない。彼らも倒れた。しかし彼らはその声を聞き分けることはできなかったというわけであります。 このところに少しズレがありますね。 いずれにしても、これは単にサウロだけの上に臨んだことじゃありませんでした。回りの人々も、それを同時に経験したのであります。 客観的な出来事であったということですね。なんかパウロが、立ちくらみでもしたんじゃないか。幻聴や幻覚でも見たんじゃないか。そういうものではなかったんですね。 使徒の働き9:8
その天からの光が強すぎたせいだったこともあるんでしょうかね。それだけじゃないでしょうね。 (テープ A面 → B面) パウロに与えられたことだったんでしょうね。 正午ごろ、王よ、天からの光が、太陽よりも強い光が巡り照らしたとパウロは言ってるわけですから、その光は相当に強い光だった。 このときにパウロは三日間、視力を失ったということが書いてありますが、後にパウロが、私はこのように大きな字であなたがたに、手ずからこの手紙を書くのだという文章があって、パウロは、目の病気っていうものを一生患っていたんじゃないか。影響していたんじゃないかっていうことも言われますけども、どうもはっきりした根拠はない。 いずれにしても、彼は目を開いてもなにも見えませんでした。三日間、何も見ることができなかった。 人々の手に引かれて、ダマスコに彼ははいって行きますね。このときパウロは、人間がどんなに無力な存在なのか。一瞬にして人間はまったくなにもできない状態に陥りうるのだということを、初めて経験したに違いないんですね。 私たちがこのように動けたり、喋れたりするのも、主がそれを赦しておられるからであって、自分自身の力、意思によるものではないんですね。 ちょっとなにかが狂うと私たちはもう、立ち往生してしまうわけです。言葉も出ませんし、目も見えません。物も食べれません。そういうもんですよね。 パウロの自負心、彼の自らの意思により頼む、そういう思いっていうのは、ここで根底から崩れ落ちていくわけであります。人間は神さまの前に徹底的に無力なのだ。人間がどんなに頑張ったって、どうにもならない、そういうのがいくらでもある。その事実にパウロの目は初めて開かれたんじゃないでしょうかね。 あまりの衝撃の大きさに彼は三日間、飲み食いもしなかったと書いてますけど、おそらくもう、食べたり飲んだりするどころのことじゃなかったでしょうね。 人はショックが大きいと食欲なんかすぐ失ってしまいますよ。お腹がどんなに減っても、全然物欲しくないっていうことだってあり得るのであります。 パウロはおそらく、全然食べる余裕はなかったんでしょうね。 食べ物が美味しいのは、私たちの心にゆとりがあって、私たちが平安であるときであります。深い恐れや不安にさいなまれるときに人は全然、食べて美味しいとは思わないですよね。 こうして彼はダマスコに連れて行かれます。今日は、その9章の19節までが、ここ半分で、ここまでがパウロの回心に関わってるもんですから、ここまでのつもりで、ちょっと見るんですけれど、その10節から19節は、ダマスコのクリスチャンたちの中で多くの人々に尊敬されていた、中心的な人物でしょうね。アナニヤとパウロのことが出てくるわけですね。 使徒の働き9:10
この答え方、なかなかいいですね。「主よ。ここにおります。」、アブラハムもこのように答えていますよね。「アブラハム、アブラハム。」という呼びかけに対して、「主よ。ここにおります。」 面白い答え方と言いますかね。しもべが主人の呼ぶ声に、「私はここに控えております。」、なんかそういう感じの返事ですね。 使徒の働き9:11-13
このダマスコ。シリアの首都ダマスコ。このダマスコには、今、こんにちも、この「まっすぐ」という街路は残っています。そこにサウロは連れて行かれたんですね。 そこにタルソ人サウロが、ユダの家、ユダという人の家に行って、今祈っている。彼らのところに行きなさい。主はそう仰った。しかし、アナニヤはこう答えた。と書いていますね。 「主よ。はい。分かりました。」、とやっぱりアナニヤもすんなりは言わなかったようです。「主よ。だけどこうですよ。」って言ってるんですね。 いつかベック兄がこの箇所を学ばれたことを思い出しますけどね。主が、「こうこうこうしなさい。」と言った。「主よ。われわれはこうしました。だけどダメでした。」 ペテロに、「もう一度、水に網を入れてみなさい。」とイエス様が仰った。ペテロは、「主よ。私たちは夜通し漁をしましたけど、無駄でした。しかし、おことばですから、やってみましょう。」と言った。 イエス様が、あのベタニヤの、あのお墓の前でもう四日間、腐っている。あの記事のあるところでやっぱりマルタに言っていますね。 「墓の石を取り除けなさい。」、「主よ。もう四日も経っております。もう臭くなっております。」と。 人間は、いつでも主のことばに対して、「はい。分かりました。」と言いません。そういうふうに学ばれたことを、忘れがたく思ってるんですけど。 あのアナニヤも、「主よ。彼はこういう人なんです。」と、主に言い返してるんですね。すんなり「はい。」とは言ってない。 使徒の働き9:15-16
なんていうことばでしょうかね。この16節のことばは、なんか、ゾッとしませんか?なんていう厳しさだろうか。 使徒の働き9:16
福音の厳粛さっていうのを思わされますね。 使徒の働き9:15
わたしが彼をあらかじめ選んでおいたんだ。救いを伝えるべき者としてあらかじめ選んでおいた器なんだ、と仰ったあとで、 使徒の働き9:16
こういうところがなんか、聖書の底知れぬところと言いますかね、そういう気がいたしますね。 福音の恵みにあずかるということが、どんなに大きな光栄であると同時に、自らのすべてをささげる犠牲を求められるものであるか。 パウロは、この両方を徹底的に知らされていくということでしょうね。 その両面をパウロは、この福音宣教の生涯を通じて、知らされていくわけです。私たちの信ずるこの信仰。まことの真理というのは、そういうものですよね。 甘いだけのものじゃないですね。とてもそんなものじゃない。 ついでに、そのあとのほうまでお読みします。 使徒の働き9:17-19
パウロという人は、この主から、ご自分の御名、救いの福音というのを伝えるべく託されました。その福音を伝えるということがどんなにすばらしいことであると同時に、どんなに、それがためにおいて、人間の力では代え得ないものであるかということも彼は言わなければならなかったっていうことでしょうかね。 コリント人への手紙第II、2:15-16
昔、戦争で凱旋するときに、多くの捕虜を引き連れて軍が凱旋してくる。そうすると、町の人々は総出で出迎えるわけです。もちろん凱旋の行列を。 そのときに、花を、その凱旋の行列にふりかける。その行列の中で、のちに、「これは重罪であるから死刑である。」、「これは赦免である。」 そういう、その捕虜たちが分けられるわけですね。ふたつに。そのシーンを描いていると言われていますね。 コリント人への手紙第II、2:15
花を送る人たちも花のかおりのようなもの。 コリント人への手紙第II、2:16
口語訳では、いったいこのような任務にだれが耐え得ようかとなっています。いったいこのような任務にだれが耐えることができるのか。 パウロはその任務を主からゆだねられたわけですね。いつも彼は、この福音に生きることの、あるいは宣べ伝えることの、どんなにそれが大きな光栄であるかとと同時に、いったいだれがこのような任務に耐えることができようかという思いも、同時にもっていたということだと思いますね。 コリント人への手紙第I、9:16-17
もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会う。逃れられない。パウロはそういう思いを終生持ち、そういう思いにいわば押し出されるようにして、主の福音を語り続けたわけですね。 彼にとっては、もし福音を語らなければ、私はわざわいに会う。彼はそのことを恐れたわけであります。 主の強制ですよね。主の強制があるから、私たち人間、弱い人間が、主が後ろに立っていて、退くことを許されないから、前進するんじゃないでしょうか。逃げ道があったら、逃げるんじゃないでしょうかね。 後ろに退くなら、主のわざわいに会う。主によってもっと大変な厳しい目に会わされる。パウロは、どうもそういうふうに考えていたようであります。 使徒の働き26:16-18
パウロは主からそのように語られたのだと言っていますね。 使徒の働き22:11-16
目からうろこのような物が落ちた。目からうろこっていうのは世界中でそれから使われるようになったんでしょうか。 この、パウロの、この記事から出てきたんでしょうね。目からうろこのような物が落ちて、見えるようになったと書かれています。 彼は立ち上がって、主の御名によって洗礼を受け、今までの過ち、罪、それを聖めていただいた。洗い流しなさいと言われたのでそうしたんですね。罪の赦しにあずかったのであります。 迫害者パウロは新しい宣教の使徒として、新しい人生を歩み出したんですね。 このパウロの劇的な、と言うべき回心の体験は、外面的、内面的なさまざまな要因の絡まり合いと多様な意味合いをも含んで、もちろん色んなことがあの一瞬に、ちょうど時満ち、パウロの召命のときとして、主に出会うときとして、今までの一切のことがそこにいわば結集するように、主との出会いというのが備えられたんですね。 しかしもっとも重要な結論は、彼が迫害していたクリスチャンたちの証言が正しいということ。イエス様は死から復活されたまことの神の御子であり、救い主であるということの確証となったということであります。 確かに、イエス・キリストは生きておられる。彼は事実私に現われて語りかけてくれた。あの弟子たちの証言は本当だったのだ。キリストは今も生きておられるのだ。 これこそが、パウロのこの、ダマスコ途上での回心のもっとも重要な意味だったと言えると思いますね。 すなわち、イエス様が生きていらっしゃるという客観的な事実。パウロが何を経験したかということを超えて、イエス・キリストは今も確かに生きておられる。 聖書が約束してる、確かにメシヤである。救い主である。このこと。これがもっとも、ダマスコ途上におけるパウロの回心のもってる意味だと思いますね。 イエス様による神の救いの復活ということであります。二箇所だけ読んで終わりたいと思いますが、 コリント人への手紙第I、15:1-10
テモテへの手紙第I、1:13-15
パウロが、このダマスコ途上での回心の経験によって見いだしたもの、それは、イエス・キリストは確かによみがえって、今も生きておられる救い主である。 このイエス・キリストを信じる信仰によって、人は間違いなく救われ、神によって義と認められる、受け入れられるということ。 彼は、これを自分の生涯をかけて伝えたということだろうと思いますね。 こういうわけで、今日はこの使徒の働きの9章の前半を、ご一緒に考えてみました。 |