引用聖句:使徒の働き9章32節-43節
前回と前々回の学びでは、使徒の9章の、あのあまりにも有名な、パウロの回心について一緒に見てきました。パウロは、ダマスコ途上で復活されたイエス様と出会うという、驚くべき体験を通して、迫害者サウロから最大の伝道者使徒パウロへと変えられていったのであります。 改めて思わされることは、このパウロの体験と回心のポイント、確信とは、イエス様の弟子たちの証言が正しいものであったということ、ついこの前見た、あのステパノの証言は本当だったということを、パウロがはっきりと知ったということではないかと思うんですね。 その意味で弟子たちの証言はやはり、徹底的に重要だったわけであります。 それらの証言っていうのが先に行なわれていての、パウロの回心だったわけであります。 パウロは、あのステパノの裁判を一部始終見、彼が、最後は石で打ち殺されるその現場に立ち会って、ステパノの言ってることを、彼ははっきり聞いていたわけですから、そのステパノの証言が本当であるということ。 ステパノ始め、ペテロやヨハネたち、使徒たちの証言が本当であるということ。この一事を知ったということが、パウロの回心を決定づけたことであったと言って、間違いないと思うんですね。 その弟子たちの証言の確信とはなにかというと、イエスはまことの神の御子であるということに尽きるのであります。 神とともに永遠のむかしからいたもうたそのひとり子が、人となってこの地上に来てくださったという、この考えることすらできない事実であります。 そしてこの御子イエスは、人類の罪と死の問題を解決してくださる。その解決が、本当のものであるということ。本当の解決であるということの証拠として、十字架に架けられたあと、三日目に復活されたということであります。 パウロは、弟子たちが言っていたことが本当なのだ。ただそのことを、彼はこのダマスコ途上の、あの体験を通して、疑いようもなく知ったということですね。 それがもう、パウロにとっては、何にもまして決定的な出来事であります。 今日はたまたま12月25日、クリスマスの当日であります。ただ、クリスマスの当日よりもクリスマス・イヴとか、その前のほうがなんかお祭りの賑やかであるかのような、あるいは、われわれの気持ちも高揚してるかのような気もするんですけども、確かに、私たちクリスチャンにとっては、特にクリスマスというのは、心楽しい祝日であります。 欧米人にとっては、一年のうち最大の祝日ですね。しかしこの12月25日が、本当にイエス様のご降誕の日であるという確たる証拠はないわけであります。 聖書辞典なんか調べてみると、昔、北欧のあまり陽の当たらないあの北欧の国々で、最も一年の間で日が短く、陽の光が弱い、冬至が過ぎて二、三日経ちますと、太陽の光がかすかに力強さを増してくるのを敏感に感じ取る。 われわれ日本みたいに、冬至前後でもまるで春じゃないかと思うぐらい光が満ち溢れてると、光のかすかな翳りというのは分かりませんけども、北欧で暗い冬を生活してる人々は、非常にこの光の強さには敏感だそうであります。 冬至が過ぎて冬至までは、日に日に日が短くなり、陽が弱くなってくるわけでしょ。それに、そのことを、ある種の恐れを感じながら人々は、心細い思いで冬至を迎えるんだそうですけども、それを過ぎて、一日、二日経つと、光が強くなってくることが分かってくる。 これを、実は喜び祝う祭りがクリスマスと結び付いたのだというんですね。ですから本当に、イエス様のご降誕が12月25日前後であったかということは、実はよく分からないんですね。 ピリピ人への手紙の2章から、イエス様のご降誕について見てみます。 ピリピ人への手紙2:6-11
ここに、イエス様のご降誕について、その目的について、簡潔に書いてあると思いますね。 ヨハネの福音書1:1-5
ヨハネの福音書1:14
ヨハネの福音書1:18
ここにもクリスマスの意味が、明確に記されていると思うんですね。 12月20日の新聞のコラムに、次のような、アテネ特派員のメモっていうのが記されて、おや?と思いました。ちょっとお読みします。 『商業化嘆く信者』っていう、アテネの記者の記事なんですが、クリスマスについてのことが短く書いてあります。 「巨大なツリーが、街の中心部のシンタルマ広場に飾られ、アテネもすっかりクリスマス気分に包まれている。 今や世界共通の歳末風景となっているのだが、ギリシャでは八十年代初め頃まで、キリストの誕生を祝うクリスマスは地味だったそうだ。 キリストの復活を祝うイースターのほうが大切なんだ。 復活がなければ、キリスト教はなかったわけで、宗教の起源と結び付いた行事が重みをもつのは自然じゃないか。 熱心な信者の友人の解説だ。 キリスト教文化には東西があり、欧州でもクリスマスを盛大に祝うカトリックなど西と、ギリシャ正教のギリシなど東では、慣習がかなり違っていたようだ。 昨今のクリスマスは、商業主義が優先する軽薄なイベントに堕落してしまった。アメリカや西ヨーロッパの文化に毒された気がして寂しいね。 そんな友人の嘆きを聞きながら、日本のことを思った。まさに年の瀬のクリスマス商戦と一体化し、若い世代にとっては、クリスマス・イヴが本命の異性と過ごす、大切な日となっている。 グローバル化にともなう、画一化の波が宗教の世界にも押し寄せている。だが、国民のほとんどが正教徒のギリシャである。友人の嘆きは深い。」 面白い、随分信仰に関心を寄せている記者だなと思って、心に留まったわけであります。 まったくそのとおりで、イエス様の復活を祝うイースターあってのクリスマスであります。私たちの国では特に、クリスマスの本当の意味も多くの人が知らず、したがってこれを、聖い、聖なる喜びの日として迎えるなどということは、思いも寄らないでいますから。 酒を飲んで、そこに書いてある、本命の異性と過ごす日となっている。 なんともまったく俗臭ぷんぷんと言いますか、そういうものになってきているわけですね。 ですから、イースターなどについては、そのような祝日があることすら、ほとんど知らない人が多いわけであります。 しかしイエス様のご降誕の日としてのクリスマスがいつであったか。12月25日であるという明確な根拠がないのに比べて、イエス様が復活されたイースターは、明確な根拠のある正しい日付であります。 これははっきり知られてるんですね。 春分の日の次の満月の、すぐ次の日曜日である。これは、聖書が明確に記しているわけですので、そこにも、私たちはなにか、私たちの信仰の一番大切なもの、それがイエス様の復活なんだということ、いわばその事実からさかのぼるようにして、イエス様の誕生であるクリスマスを祝おうということが、出てきたわけですね。 まず、主はよみがえられたということ。パウロはこのことと出会ったわけであります。あまりにもよく知られていますけども、もう一回、コリント人への手紙第Iの15章、ちょっと読んでおきましょう。 コリント人への手紙第I、15:1-10
私たちがよく知っている聖書の箇所ですね。最も大切なこととしてパウロはそこに書いております。そしてこの福音に立っているならば、この福音によって私たちは救われるのだと言ってますね。 前回見ましたように、パウロは、ここではまだユダヤ名のサウロですけれども、回心のあと約三年くらい経ってからエルサレムへ上ったのであります。 使徒の働きの9章にもう一回戻りますと、そう書いてありますね。 使徒の働き9:26
そこで彼は、ペテロやヤコブたちと会ったということを、彼の手紙の中に書いてありましたね。そして彼は例の調子で、エルサレムで激しく伝道を始めようとしたようであります。 しかしその結果は、救われる人々が起こされるというよりも、むしろ彼への迫害を引き起こしていることになってきました。 使徒の働き9:28-29
後にパウロが気付いたように、彼は御霊の力によるよりも、肉の力によって伝道しようとしたのかもしれません。 救われてまだ三年ですから、彼は御霊の力と肉の力の区別についても、はっきりと認識していなかったかもしれませんね。 主と出会ったその衝撃の大きさ、それによる熱心さ、燃えるような思いで彼は、主の復活について語ったんでしょうけど、彼はいかに伝道すべきか、人にみことばを伝える前の自分自身の条件と言いますか、そういうことには十分気が付いていなかったんじゃないでしょうかね。 先輩の使徒であるペテロやヨハネは、そのことをすでに学んでいたでしょうけれども、パウロはまだその段階に来ていなかったんでしょう。 霊的訓練をまだ十分経ていなかったんじゃないでしょうかね。 霊なるもの、御霊から出るもの、クリスチャンであっても、生まれながらの肉なる力によるもの、そういうものをはっきり見分けると言いますか、そこに立たない限り、伝道というのは実を結ばないんですね。 そういうことをパウロは後々、よーく気が付いていったようであります。 彼は手紙のいたるところにそれを書き記しているわけですけれど、まず、ヨハネの福音書の6章63節。イエス様のことばですね。 ヨハネの福音書6:63
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしませんと書いてますね。 肉なるものと御霊なるもの、その区別をはっきりして、自分の肉からの出るもの、そういうものを欠けると言いますか、そのことによーく気を付ける、そうでなければみことばに仕えるということはできないということなんですね。 人のたましいに触れることができないということなんです。 ローマ人への手紙8:1-10
ローマ人への手紙6:3-8
ガラテヤ人への手紙の2章、有名な箇所ですね。 ガラテヤ人への手紙2:20
パウロは、これこそが福音というものの奥義だと言ってるのであります。 私はキリストとともに十字架につけられた。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる。これがパウロの発見した福音の奥義だったんですね。 彼は繰り返し繰り返し、先ほど読んだローマ人への手紙の6章の中でも述べておりましたですね。 バプテスマを受けるということはそういうことなのだ。古き肉の支配にあった人生、それを葬ることなのだ。 肉の支配にあったとはなんですか?自我の支配にあったということですよね。自分自身の生まれながらの意志、自分のやりたいことをやるという生き方。 人生、あるいは生活のすべての中心に自分自身を置くというこのありかた、これが肉の支配ですね。 この自我っていうのは、手に負えないほど厄介なものであるということ。誇り高くて、うぬぼれが強くて、それを守るためには嘘もつくし、ごまかしもするし、どうにも手に負えないもの。 それがパウロの体験だったわけですね。 結局、これら一切の、私たちの生活の汚点となる一切のものの根源であるところの、この肉なるもの、自我の支配、これをはっきりとキリストの御手にゆだねて、キリストのご支配を受け取らなければならない。 そのためにこそ、イエス様の十字架というのは自分のためにあるのだ。これがパウロの発見でしたね。 彼は、古き自分を脱ぎ捨てることと言っていたり、キリストとともに十字架につけられた、葬られたのだというふうに言っていたりしますけれど、結局、私たちを問題の中に引きずり込み、私たちの歩みをメチャクチャにするような、そういう根源であるところの自我。 生まれながらに人間が持ってるところの強烈なこの自我、エゴ、そういうものを、キリストご自身と交換すること。エゴを差し出して、御霊なる主を受け取ること。これが本当の信仰ですよね。 このことをはっきりと自覚して選択する、信仰の決断をする。 なかなか意外と、漫然として主を信ずるという場合のほうが多いような気が私はしますけれど、聖書が語っているのはそういうことじゃないっていうことですね。 パウロは主と出会ったときに、すぐにこのことに気が付いたわけじゃないのであります。彼は、イエス様がよみがえられたという、この事実で彼はもう、天地がひっくり返るようにすべてがひっくり返るわけですから、いわばこれは客観的な事実ですね。 主の復活には二つの意味があると思うんですよ。 一つはイエス様が、事実よみがえってくださった。もう死は確かに終わりではないということ。死は滅ぼされたということ。それが事実としての第一の意味ですね。 もう一つは今言ったように、実は私たちも、この主とともに死んで、主の復活のいのちにあずかって、新しいいのちへとはいることができるのだという、自分自身の具体的な、個人的な体験としての意味であります。 主観的な意味と言ってもいいですかね。 パウロが繰り返し繰り返し、なんとか私たちに伝えようとしてるのは、このことであります。 自分のうちに、よみがえられたキリストが信仰によって住んでおられる。聖霊が、私の中に事実住んでおられる。これが、パウロにとって救いの奥義でしたね。 こうして彼は、自分自身は重要ではないということ。大切でもないということ。重要なのは、大切なのは、信仰によって自分のうちに宿っておられるキリストであるということ。これこそがまことのいのちであり、不朽の、朽ちることのない宝なのだということ。 それは、パウロは気が付いたということですね。 コロサイ人への手紙3:1-3
そこにパウロは、自分自身から自由である!本当の意味での自由の秘訣もまたそこにあったんですね。 私のいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてある。彼はそのことに気が付いたわけであります。 この、霊の人に成長するまで、パウロは伝道の第一線から引かなきゃならなかった、遠くタルソに身を潜めなければならなかったということだと思いますね。 ちなみに、肉のクリスチャンとはどういうものかということについて、パウロはコリント人への手紙第Iの3章の中に書いています。 コリント人への手紙第I、3:1-3
教会の中にもさまざまな争いが、人間的な不一致があるというようなことを聞きますね。 人間は肉なるものを持ってるんですから、それは分かりますよ。自分のうちから出てくるんですから。いつだって出てくるんです。 しかしそれは愚かなものであり、それから離れなかったら、それに捕まると、あとでひどい目に遭う。いわば、肉なるものに捕えられて、あとで自分自身が七転八倒すると言いますか、ひどい目に遭わされるわけであります。 そういうことに気が付くから、私たちは自分のうちから出てくる肉なるものってものに対して、慎重にこれを用心しなきゃいけないんですね。 私たちの集会にも、自分の肉なるものと、御霊なるもの、主の霊から出てくる御霊なるものの区別があることすら、知らない方もいらっしゃるようであります。 ですから信仰には歩むと言っても、どういうふうに歩んでいいかさっぱり分からない。 肉なるものを避けて、御霊なるものに従って歩むのが信仰の歩みですから。そしてそのように歩むときに私たちの歩みは、問題がないのであります。 どのような問題にも往生すると言いますかね、どうにもならんとかいう、こんがらがってしまってもう、訳分からないっていう、そういうことはないわけですね。 大切なことは、御霊に導かれて歩むこと。自分の肉なる、エゴから出てくるものに注意すること、そこから離れることであります。 ただ何が真実であり、何が真理であり、何が御霊の示すものであるかということにだけ目を留めなければ、私たちは厄介な目に遭いますね。 パウロだって、ローマ人への手紙7章で、七転八倒したわけですから。だれもがそういう経験をするということでしょうね。 そして賢くなるんですよね。懲りるからですよね。 痛い目に遭って、懲りて、火傷をしたら痛いですよね。火の前、火の側を通るときには用心しますでしょ。 同じように、私たちは痛い目に遭って初めて、避けなきゃならないのだということに気が付いてきます。 使徒の働きの9章に戻ると、この前も言ったと思いますけども、 使徒の働き9:30
船ででも送ったんでしょうかね。カイザリヤ。ローマ総督が駐在していた海辺の町ですから、そこまでサウロを送って、そこからタルソへ、彼の生まれ故郷であるタルソに、今のトルコにある町、そこに送り返したんです。 使徒の働き9:31
パウロがエルサレムからいなくなってくれたおかげで、教会は平安を取り戻しましたよと言わんばかりですね。 そして信者の数も増えて、伝道も実を結んで、前進し始めたというようにとれないこともありませんね。 パウロが伝道の前線に帰って来るためにはまだ何年間か、彼の霊的な成長が必要だったということでしょうね。 先ほど読んでいただいたのは、このあとであります。ここから、使徒の働き12章まで続くペテロの伝道は、パウロとは対照的であります。 何ら障害に妨げられることがなく、というよりも、大変な障害をも楽々と乗り越えて行くようにして、ペテロは進んで行きますね。 そこに、このときまでのパウロとペテロの、信仰の状態と言いますか、それが反映されていたのかもしれませんね。 使徒の働き9:32
この箇所は前回も見たんですけども、少しだけ触れて、今日は終わりたいと思います。 使徒の働き9:33-34
ペテロは、三年半ぐらいいっしょにいたイエス様がなさったと同じようにしています。アイネヤ、中風で八年間臥していたアイネヤの中風をいやし、タビタという女性信者を死から生き返らせます。 やっぱり信仰の歩みっていうのは、先輩たちの働きに連なることによって初めて私たちは学んでいくものですよね。 私たちはベック兄の、その信仰というのを間近に見て、ベック兄が、色んな方をお見舞いに行かれるなんかのついでに、一緒について行く機会があり、ベック兄が病人と交わられるのを側で見ながら、「ああ、なるほど。こういうふうに病人とは交わるものなんだ。」と、「こういう悩みの人には、こういうふうに対応するものなのだ。」ということを私たちは側で見ながら、学んでいくものですね。 ですからこの使徒たちも、イエス様のなさることを見たわけであります。一部始終。 イエス様はわざわざ見せるために、彼らを連れて歩かれたわけであります。 弟子はその師にまさらずとイエス様仰いましたけども、信仰というのはやっぱり、良き師につくと言いますか、良き先達につくっていうのは大事ですね。 独りよがりの信仰というのはダメですね。逆に言いますと、多くのすぐれた先達たちが、信仰の歩みを、引き継いで私たちに見せてくださる。そういう信仰に触れて、見よう見まねでと言いますか、付いて回るうちに、私たちはどういうふうに歩まなきゃいけないか、どういう態度を取るべきなのか、そういうことを自然に学んでいくわけですね。 その信仰の創始者がイエス様なのだ。イエス様は学ばなかったわけです。だれかに学んだんじゃないんですね。 イエス様が仰るように、御父に学ばれたわけです。ただ御父だけを見ながら、主はどう歩むべきか、父なる神とともに、この地で歩んで見せたわけであります。 そのイエス様の歩みをつぶさに見た弟子たちが、あとの人々に身を以って伝えていったんですよね。 前も言いましたように、信仰というのは、書物を読んで学ぶものじゃないんですね。信仰に生きてる人々。生きた信仰に触れて初めて、「なるほど。」と分かるわけでしょ? ペテロは、イエス様が通られた道ですから安心して通ったんでしょうね。信仰の歩みには道があるんですよね。その道を最初に通られたのは、聖書が書いてるように、主イエス・キリストであると書いてるわけです。 「信仰の創始者であり、その完成者であるイエス。」と書いてあるわけです。 そして十二使徒たちがその道を歩んだのであります。そして私たちにその道は伝えられて来てるんですね。 それをちゃんと私たちは歩まなければいけない。いや、私は私の独創性によって・・・なんて、信仰は独創性なんか要らないもの・・・ (テープ A面 → B面) ・・・歩まなけりゃ歩めないものですね。 このアイネヤの中風を癒したときに、もちろんペテロは、主が中風の人をいやされたことをよく知っていましたから、覚えていましたから、マルコの福音書の2章、ちょっと見てください、大勢の人の前でしたから、 マルコの福音書2:1-12
「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」、イエス様はこのとき、そう仰ったんですね。 そして、「寝床をたたんで、家に帰りなさい。」、そしたら彼は立ち上がった。このことを、ペテロは見ておりました。ですからアイネヤに向かって、「イエス・キリストの名によって、立ちなさい。」と語った。と書いてますね。 「この方があなたの罪を赦す権威を持っていっらしゃる。アイネヤよ。イエス・キリストの名によって、起きなさい。」、ペテロはそのようにアイネヤに向かって言ってますね。 使徒の働きの9章、もう一回戻りますと、タビタの話が出てきますね。 使徒の働き9:35-43
呼ばれて行って、不安もなかったんでしょうね。そこに行って人々を外に出し、ひざまずいて、「タビタ。起きなさい。」と言った。 これもまた、ペテロは主がなさることをよく見ていたのであります。イエス様は彼らの前で何人かを、死の死者の中からよみがえらせましたね。 会堂管理者の十二、三歳になる娘の記事もありますし、四日間墓の中にいたラザロのよみがえりのこともありますし、ナインという町のやもめのひとり息子。 棺に担がれて、出て行くところで主が、「青年よ。立ちなさい。」と仰ったという記事が書かれていますね。 ですからペテロは、主がなさることをよく見ていました。タビタの遺体の側に座って、彼は祈って、「起きなさい。」と言ったのであります。 マルコの福音書5:21-24
マルコの福音書5:35-43
ペテロはひざまずいて祈ったんですね。そして、「タビタ。起きなさい。」と言ったんですね。 イエス様は来られて、子どもの手を取っていきなり、「タリタ、クミ。」と仰った。 ペテロはもちろん、自分のうちにその力はありませんから、彼は常に主に祈り、主に働いてもらわなきゃいけません。 イエス様は、自らの力で、主は御父とともに住んでおられましたから、神の力をもって、そのおことばのとおりに、すべてのことをなされたわけであります。 神にとって不可能なことはないからですと仰ったとおり、主は来られて、すぐ立たされましたね。 このタビタの記事を読んで、面白いって言っちゃなんですけども、面白いと思うのは、初代教会の当時のクリスチャンたちは、信者の死を泣いて悲しんだということであります。 今の集会のみなさんたちはいかがでしょうか?悲しむどころか、召された方が主イエス様と共におられることを考えると「まぁ、良かったですね。」と、仰る人のほうが多いんじゃないでしょうかね。 このタビタの死を悲しんで、彼女たちが泣きながら、ドルカスがいっしょに作ってくれた色んなものを見せたと書いてありますね。 もちろん当時のクリスチャンたちもみな、召されたら天国に行くってことを分かっていましたね。その希望があったから、彼らは大喜びで、爆発的な喜びでみことばが伝わっていったわけですから。 しかし彼女たちは、タビタの死を残念がったようであります。 一時的な別れを悲しんだでしょうけれど、特に若いこれからの人々、若者の死は、クリスチャンの死であっても、生木を引き裂かれるような思いがして、私たちにとって、やはり辛いことであります。それは当然でありますね。 ですから、クリスチャンの死だから、悲しむ必要はないとか、助かってほしいというふうに祈っちゃいけないとかって、そんなバカなことはないですよね。 クリスチャンだって、病気になって危険な状態になれば、みんな心配しますし、何とか癒されてほしいですし、いいお医者さんに来てほしいし、それは当然なことです。 痛みは痛みとして、悲しみは悲しみとして、希望は希望として、事実だということですね。ですから私たちはそれを、素直にありのままに受け取ればいいわけですね。 無理にそれを、「ああ思おう。」とか、「こう思おう。」とかって、そういうことは不自然なことであって、いいことじゃないですね。 ですからタビタの場合のように、しばしの別れを悲しんで涙するも良し、心からの感謝を主にささげて喜ぶのも良しですね。 何事も導かれるままに、素直に受け止めることが、クリスチャンにとってはふさわしいんじゃないでしょうかね。 タビタは一時死んでいたわけですが、あのときにすでに天国にはいっていたんでしょうかというようなことを、詮索する方々も時々おられますね。あのラザロは四日間、墓の中にいたのです。 しかし、初代教会のクリスチャンたちはそんなことを詮索はしなかったようですね。そんなことは分からないですし、また知る必要もなかったっていうことでしょうね。 それが聖書の教えだと思います。あの瞬間に、主のところに移されてたのに、またこの世に戻されたんでしょうか。分かりませんよね。しかし、そういうことを私たちは知る必要はない。 伝道者の書に、今すでに知らされているのは人間の領分、隠されているのは神さまの領分であるとありますが、そのことをわきまえることが賢い態度だと思いますね。 すでに私たちに知らされていること、それが主のみこころとして、十分なものとして知らされているということ。それを受け止めて、主の栄光を現わすために、私たちが力を尽くして生きるということこそが大事であって、隠されていることを詮索することは、あまり賢い態度ではないということだろうと思いますね。 ペテロの手紙第I、1:3-5
この確かな望みで十分ですね。もう私たち、この地上を歩むのに必要なものはすべて、主はすでに私たちに示していらっしゃるんですね。 ですから私たちは、大喜びで、前を向いて、残されているこの信仰の生涯を力を尽くして歩めばいいということだろうと思います。 そこまでで終わりたいと思います。 |