引用聖句:使徒の働き11章15節-18節
一応私たちが今、こう続けているのは学び会ということになると思いますけれども、二つの目的があると言えると思いますね。 一つはまだ主をよくご存知でない方々、救いというものをまだ見いだしておられない方々が、この聖書のみことばを通して、一歩一歩救いに近づいていただきたい。この手助けと言いますか、そういうことが一つあるだろうと思います。 もう一つは、もうすでに救いを受け取っていらっしゃる方々、信仰によって神さまからの賜物として、自分のうちにすでに救いをもっていらっしゃる方々、すなわち主にある兄弟姉妹方がすでに自分に与えられているその救いというものの、さまざまな意味、その宝物のさまざまな値打ち、そういうものに気付いていくということ。 すでに与えられたと思っていたけれども、そういう意味があるとは知らなかったとか、そんなに価値があるものだとは気が付かなかったとか、そういうことに、私たちがさらに深く高く気が付いていくこと。 それは多くの兄弟姉妹の経験を通して気付かされていくものですが、すでにうちに私たちが与えられてる救いの尊さを、さらによく私たちが自覚し、それゆえにまたそれを大切に扱うようになること。 そういう二つの目的があると言えると思いますね。 どこまでいっても、私たちが探り究めることのできないものが、私たちのうちにすでに与えられてる救いと言われるものだと思うんですね。 ですからそういう意味で、聖書の学びは終わることがないと言えるんじゃないでしょうかね。 先月の学びでは、使徒の働きの10章全体から、イタリヤ隊の百人隊長で、名前はコルネリオという異邦人と、彼の家族の救いについて見てまいりました。 これは使徒たちによる福音宣教が、大きな大きな壁を突破していった、全世界に向かって広がる第一歩となる重大な出来事であったということを見てまいりました。 この第一歩は、現代の異邦人クリスチャンである私たちには、まったく想像すらできないような、とんでもないような一歩だったと思うんですね。 ユダヤ民族のあの選民意識というのは、いつ頃からあれだけ強固なものとして、牢固なものと言いますか、脱ぎがたくユダヤ民族に根付いたのか、はっきりはよく分からないんですね。 ユダヤ民族、要するにイスラエルの始まりというのはご存じのようにアブラハムでありますけども、アブラハムに、イエス様の時代に起こったような、どうにもならないぐらい頑固な選民意識というものがあったとは思えないんですね。 おそらく、モーセによってエジプトから連れ出され、さらに時代が下っていってヨシュアですね。サムエルの時代。サウロの時代。ダニエルの時代。 そういうふうに時代が下っていきますけども、この、イスラエルの国が分裂を起こして、バビロン王国などに捕囚として連れて行かれる。 あの頃から、イスラエルの民族の中にこういう強固な選民意識、神の民としての自覚が誤まった形で宿るようになったのじゃないかと思うんですね。 よく言われますように、イスラエルって国は、世界の列強に比べたらものの数にもならないような小国なんですね。四国全土よりちょっと大きいくらいの国なんですね。 ところが、エジプトにしてもバビロンにしても、アッシリアにしてもローマにしても、当時のイスラエルを取り囲んだ世界の大国というのは、もうそれは巨大な存在でしたから、そういう国々に踏みにじられていくと言いますか、そういう歴史ですよね。 もうほとんど太刀打ちできない、弱小の国でありました。 ダビデ王とソロモンの時代にわずかに、その国が平安を保ったくらいで、あとはもうイスラエルっていう国は、ヨーロッパとアフリカ大陸を結ぶ、ちょうど軍が行ったり来たりする通り道でしょ? むかしイザヤ・ベンダサンなる人が、いったい日本人なのかユダヤ人なのか分かんない、今もって分かんないんですけども、『ユダヤ人と日本人』という、非常にセンセーションを引き起こした本の中で、ユダヤ民族というのは、自分らの国というのは日本が箱庭のような、本当に恵まれた状況の国だったのに比べると、ユダヤっていう国は、まるでハイウェイに放り出された子どものように、激しく車がその行き交う中に放り出された子どものような民だったというようなことを書いてるところがあってね、もう忘れがたいんですけども。 巨大な帝国が軍をもって、常に踏みにじって通る所ですよね。あの場所っていうのは。そういうところにあって、常に蹂躪されていた国であります。 そういう国民が、必死になって信仰に立ち返らなきゃいけなかった。それは旧約聖書を見たら分かるとおりですね。 神さまから見ると、彼らは偶像崇拝の陥ると、大国が攻め寄せて、蹂躪してくる。根こそぎ、バビロンだとか色んな国に引き抜いて移していく。そういう中で、預言者が送られて、悔い改めて、立ち返るっていう繰り返しですね。 そういう、亡国の危機にしょっちゅう瀕するところの、そういう弱小の民、イスラエル。それが唯一よりどころとしたのが、自分たちが、神さまの名前を背負わされている民であるということ。そうでしたよね。 虐げられてるってことは逆に、彼らに信仰的な誇りと言いますか、「われわれはほかの民とは違うのだ。神に選ばれた唯一の民だ。」っていうで逆の自尊心と言いますか、そういうものを生み出していったっていうことは考えられますね。 虐げられてる人ほどそういう強固なる、プライドってもので支えられなければ持ちきりません。それはわれわれが日頃見聞きするところであります。 イスラエルの民というのは、そういうふうにこの・・・歴史的に見ると、ソロモン以降国が分裂し、そこにネブカデネザル王などが大群で押し寄せて来る。そういうところから、誤まった意味での選民意識というのが根付いたんじゃないかと思うんですね。 細かく調べていくと、おそらくはっきり分かってくることだと思いますけども、それが、イエス様がこの地上に来られたときにはもう強固な、神さまの前における壁となって立ちふさがってしまったんですね。 神さまの手が届かないほどに、彼らのその誤まった選民意識、選びの民という意識が、神さまのことばを妨げてしまって、神さまの御手が届かなくしてしまう。 彼らが他の民族より異邦人をまったくその見下げてしまう。犬かなにかのように見下してしまう。挨拶もしてはいけない。一緒に食事もしてはいけない。 そういうふうな鼻持ちならない選民意識となってしまうんですね。これが聖書の書かれた時代であります。 ですから、これはちょっと私たちには理解できないほどの強烈なものでありましたから、ペテロが踏み出させられた第一歩の意味の大きさというのは、ピンと来ないのであります。 私たちは生まれたときから、人間たるものはなに人だろうが、本質的に差別とか区別などあるはずはないと信じております。 ユダヤ人が救われるのなら、われわれ日本人だって当然救われる。それは自明なことであると思い込んでおります。 もちろん、民族とか人種によって色々な資質の違いがありますね。知的能力において優れている民族というのはやっぱりあるわけです。 身体的機能において優れてるって民族も当然あるわけであります。しかしそれらの違いは、人間としての本質的な違いではないっていうことを、われわれはすでに知っております。 確かにユダヤ人のあの人種的、宗教的偏見の歴史を見る間でもなく、つい数十年前まで、戦前まで、ヒットラーを始めとして大変な人種的偏見があったということ。 アメリカの歴史にも長い間人種的偏見があったし、今もあるということ。日本は日本で、結構戦前は大変なエリート民族であるかのように考えていたようであります。 しかしユダヤ人の異邦人への偏見は特殊なものであったということですね。 神による差別ということが、彼らの強固な信念でありました。その後2,000年に亘って、今度は逆にユダヤ人が世界中で差別を受け、蔑視され、激しく迫害されてきたというのも歴史の皮肉と言いますか。 本当に歴史のもってる逆説ですね。 あれだけ強固な選民意識をもっていたユダヤ人が、逆に世界の至るところで、枕する所もないと言いますか、どこに言っても流浪の民として2,000年間、世界中を放浪したということは、歴史上ほかにないわけですね。 これが今のパレスチナ建国ということになって、今、いつまでたっても解決のできない世界の火薬庫として残り続けているわけであります。 そういう意味で、確かにユダヤ民族というのは、不思議な民族ではありますね。 歴史の皮肉、逆説だと言いましたけども、そうじゃなくて、神の救いのご計画としての試練であると聖書は伝えております。ついでにローマ人への手紙の11章、ちょっと見てみましょうか。参考のために。 ユダヤ人というものがどういう意味で、このような時代に経ち至ってるかっていう、もう2,000年前に、まだ当時のイスラエルの国が崩壊する以前に、すでにパウロは書いてる言葉であります。 ローマ人への手紙11:25-31
イエス様の救いに頑強に抵抗し、神さまの最大の妨げとなったユダヤ人。そのゆえにユダヤ民族というのは、2,000年に亘る流浪の民としての、人類史上他に例を見ないような苦難をしょってるのだ。 しかしそれはときが来るまでであって、神さまの救いの約束は変わらないのだと聖書は言ってるということですね。 こういうわけで、神さまの前には人種的な区別や差別はありえないということ。ローマ人への手紙の3章をちょっと開けてください。ここでもパウロは、ユダヤ人との関係において、異邦人を弁護しております。 ローマ人への手紙3:29-30
私たちから見れば当たり前の話ですよね。神が神であられ、万物の創造主であられるなら、人間や人種に区別や差別をもうけられるはずはない。これは自明のことであると私たちは思っています。 しかし当時のユダヤ人にとっては、それは考えられないことであったということであります。 このコルネリオとその一家の救いという出来事を通して使徒たち自身が、イエス・キリストの福音と彼らが今まで育ってきたユダヤ教徒の違いに目覚めさせられていくということを、この前お話しましたけども、しかしイエス様はすでに福音書の中で異邦人の救いを語っていらっしゃるし、実践してもおられるのであります。 その点でも、弟子たちはイエス様のなされたことの後追いをやっているわけであります。 もう常にそうなんですね。私たちがやってることは、イエス様がすでにやってらっしゃることを後追いをしてるのであります。 弟子たちは、イエス様のなされたことの重大さについて、そのときには理解ができないのでありますけども、あとになって気が付いていくんですね。 マタイの福音書の8章をちょっと見てください。ペテロがイタリヤ隊の百人隊長、イタリア人でしょう、このコルネリオに福音を伝えた。そして彼らが救われた。 しかしそれよりもずっと前に、イエス様はこの地上を歩んでおられたときに、名前は出ていませんけれども、同じく異邦人の百人隊長と出会っていらっしゃいますね。 マタイの福音書8:5-13
イエス様が驚かれたと書いているのは、聖書に二回だけ出てくると言われております。一つはナザレに帰られたときに、ナザレ人たちの不信仰に驚かれたと書いてあるんですね。 もう一つはこの百人隊長の信仰にイエス様は驚かれた。目を見張られたんでしょうね。 異邦人の軍人が、「おことばをいただかせてください。あなたがお命じになれば、そのとおりになります。」と言ったのであります。 この百人隊長の確固たる信仰。神には一切のものがおできになる。救い主イエス様には、神の力によってイエス様のみことばには力がある。そう信じて揺るがなかったのであります。 マタイの福音書8:11
ベック兄によると、この「たくさんの人が東からも」、これは日本からもっていう・・日本も含まれているんだそうですが。私たちも・・・食卓にいっしょに着くわけであります。 しかし、御国の子らは・・これはイスラエル人のことですね、ユダヤ人たちは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。歯噛みをするであろうと仰ってるんですね。 さらに、 マタイの福音書15:21-28
イエス様は最初は聞かなかったんですね。このカナンの女の信仰を、主は試しておられたんでしょうね。どこまでこのカナンの女は助けを求めるのか、救いを求めるのか。 「主の救いなしにはもう帰ることはできない。あなたの祝福なしにはあなたを離すことはできない。」とあのヤコブが言ったように、もう必死にどこまでもすがりつこうとするカナンの女の信仰というものを、主は試しておられるようですね。 普通ならばすぐに手を伸べられるのに、このときには「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていない。異邦人にはわたしは関わらないのだ。」っていう、一見非常に冷たいことを仰る。 それに対してこのカナンの女は退きませんでした。「主よ。ただそのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただく。」この必死さと言いますか・・、一歩も引かない。 これに主は心打たれました。 「あなたの信仰はりっぱです。」、そこまで人が必死になるときに、主の力はその人のうちに働かれるんですね。 「ああ、そうですか。それじゃあしょうがありませんから失礼いたします。私はじゃあ諦めます。」っていうんじゃ、これはやっぱり駄目なんですね。 「そうですか。」って諦められるんであれば、大した問題じゃないんですよね。 救いというのはそういうものじゃないんですね。なにがなんでも退くことは滅びることである。そういうところに立ってると言いますか、そういう自覚があるところに主の救いは明らかに啓示されていく。 神さまは、惜しみなくその人に臨んでくださるのであります。「もしおできになるなら、私の息子をいやしてください。」と言って、イエス様に、「もしできるなら。と言うのか。」と言われた父親がおりましたね。 そのとき、「助けてください。」、このお父さんは、本当に自分の心の横着さと言いますか、そこを見抜かれて、主の前に叫び声をあげた記事が福音書の中に出てきますけれど、「もしおできになるなら。ひとつお願いいたします。」、そういう相談事は、イエス様は聞かれないんですよね。 こういうふうにイエス様は、異邦人にももうすでに救いを伝えておられた。しかしこの当時、弟子たちはそのことの重大さをわきまえることはなかったのであります。 あなたがたは今、わたしがしてることの意味は分からない。しかし後に知るようになる。「今知らず、後知るべし。」ですか。 イエス様がペテロに仰ったように、後になって初めて弟子たちはひとつひとつ知っていくんですね。思い当たるのであります。 クリスチャン信仰の歩みは、みなそうじゃないですかね。信仰の先輩たちが色んなことを言ってくれる。しかしそのときには、なかなか分からないんですね。そして何年か経って、五年も十年も経って初めて、「ああ、そういうこと言っておられたのか。」ということに気が付きます。 ですから信仰というのは、そこで即断をしてはいけませんね。何年も経って、「なるほど。こういうことなんだ。」ということが分かってきますから、自分の軽はずみな考えで、そのときそのときに単純に否定してしまうっていうようなことは、厳にやっぱり慎むべきことですね。 今はよく分からないけれど、心にそれをおさめておかなきゃいけないと思いますね。 ところで、ペテロが立ち会ったこのコルネリオの回心は、エルサレム教会で大問題となりました。 そのような大きな問題となるからこそ、主はあらかじめペテロに確信を与える必要があって、あのようなペテロとのやり取りを三度も繰り返されたんですね。 そういうことがあったからペテロは、多くの非難を受けても揺るぐことがなかったわけであります。 使徒の働きの11章に戻りますが、サッとお読みしますね。 使徒の働き11:1-14
三回やり取りがあったことは、10章の中に出ていましたね。ペテロは頑固に言うことを聞きませんでした。主がこう仰ってるということを分かっていながら、「いえ。私は律法の掟に反することはできません。」と言って譲らなかった。 それが三回続いた。そのときに、下にカイザリヤからの、そのコルネリオの使いが家の前に立ったのだと言ってるわけですね。 常に主は、先々のことまで十分ご存知で、必要な用意はあらかじめ備えていらっしゃるということであります。 それは現代の私たちひとりひとりに対しても、全く同様であります。大切なのは、主のそのご配慮、主からのそのメッセージを受け取れるほどに、私たちの心が静まって主を見上げているかどうか。主との深い霊的な交わりをもって、歩んでいるかどうか。 日頃主の御胸に無頓着に生活してるのであれば、これは分からないことなんですね。私たちの霊が澄み切ってると言いますか、非常に、何て言うのかなぁ、・・・主との交わりを通して人の霊というのは整えられるわけでしょ。 この世の様々な雑多な色んなものが自分の心の中に雑多に入り込んでいる状況であれば、私たちは主とのやり取りと言いますか、主が語っておられるということに対しては、どうしても鈍感にならざるを得ませんよね。 ですから大切なことは、本当に私たちが自分の内面的な、自分の霊的な状態、自分の心とたましいを、神さまの前に常に出しておかなきゃいけないということですね。 そうすると主は、2,000年のときは関係なしに、このときに起こったのと同じように、私たちに常に語ってこられる。 ご自分の用意について、備えについて教えてくださると言って間違いないのであります。 ペテロはこの後々にユダヤ人から改宗した、頑固なあのユダヤ人たちを相手にしなきゃならなかった。ユダヤ人クリスチャンたちを相手にしなきゃなりませんでしたから、彼には揺るがない確信が必要でありました。 それが、この三回ものやり取りの意味だったということであります。そうでなかったらペテロはグラグラして、対応できなかったでしょうね。 責められると、非難されると、立ち往生していたかもしれませんね。「しかしそうじゃないのだ。主ははっきりそう示してくださったのだ。」と彼はここで言ってるわけであります。 主のみこころ、救いのご計画の広さ、高さ、それが全世界に及ぶべきものであるということを知らない割礼派の人々は、ペテロの帰りをてぐすね引いて待っていたようであります。 使徒の中の筆頭であるぺテロ。後々カトリックで地上におけるキリストの代理人の地位にまで祭り上げられた、あのペテロとは様子が随分違っていて、ここでは仲間たちから遠慮なく非難される存在であります。「彼を非難して」、と書いてありますね。 おっちょこちょいの、愛すべき人柄であったということもあるでしょうか。後輩たちも言いやすかったのかもしれませんね。 ペテロが、背後に主の威光をかがけていたら、こうは非難できなかったかもしれませんが、ペテロは、主から使命を託されてはいるものの、ごくごく平凡な一人の人間、漁師上がりのあの熱血漢。失敗の多き、一人の人として、人間として親しまれ、愛されていたということなのかもしれませんね。 あの、大使徒と後に呼ばれたペテロは、ここで随分厳しい非難を受けております。ガラテヤ人への手紙の2章の中に、パウロがペテロを非難したという箇所が出ておりますから、そこもついでに見ておきましょう。 ガラテヤ人への手紙2:11-14
ここはパウロって人の強烈さ、バルナバまでもペテロに同調して、ペテロに遠慮したと言いますか、ペテロと同調し始めて譲歩しているのに対して、パウロは容赦しなかったんですね。 彼が、福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言った、面と向かって、いわば面罵すると言いますか、そうしたっていうんですからね。 なかなかすごいもんだと思いますけどね。パウロにとっては譲られない一歩、何があっても譲らない、譲ってはいけないものと見ていたんでしょうね。 古きユダヤ教の尻尾を切り落とそうとしてるんですね。割礼派の人々を恐れてと書いてます。 要するに後の割礼派と呼ばれるようになった、ユダヤ人クリスチャンたちの中の一派。律法主義者ですね。 ユダヤ教のこの律法というものを引きずって、福音信仰にはいって来た人々ですね。これが福音と律法という、また重大な問題を引き起こしてくるわけです。 このペテロを待ち受けていた人々は、ペテロの釈明を聞いて、それが主の明確なみこころであることを認めましたね。そして了解したわけであります。 使徒の働き11:15-18
と書いてあります。 ここで、この割礼派の人々の反発は治まったわけでありますが、しかし先ほども言ったように、この律法と福音信仰との関係を巡っては、もう後に相当の厳しい対立が出てきますね。 特にこの問題に厳しい対決を強いられたのがパウロであります。その結果書かれたのが、あのローマ人への手紙とガラテヤ人への手紙ですね。 律法主義との対決という重大な問題。それがパウロによって取り上げられていくわけであります。同じような問題は使徒の働きの15章でも後にもう一回出てきますけども・・・。 今お読みした11章の15節から18節、自分がどのように考えるかっていうことは側に置いておく、自分がどういうふうに感じるか、そういう自分の考え方や感じ方というのは、とりあえず側に置いておくんですね。これは大事なことなんです。 主は何と仰るか、まずそこに心をしっかり傾けなきゃいけない。 虚心坦懐という言葉がありますけども、常に何が正しく、主のみこころなのかについて、虚心坦懐に耳を澄ますということ。これがクリスチャン生活の大切な要件だと思いますね。 世の中には自分の考えや趣向に強いこだわりをもっていて、他のものを受けつけない、自信過剰な芸術家肌の人々というのがおります。 大体、芸術家なんていうのはそういう人々多いですよね。 反対に、どこにも立つべきはっきりとしたものをもたないために、いっつもウロウロとしてる人いますね。良く言えば良心的な人であります。自信がないんですよ。良心的というのは小心翼翼たるという意味もあるんですね。 英語の単語を読むと、面白いなと思うんですけども、良心的という英語がありますが、辞書には小心翼翼たるという、ぼくなんかによく分かりますね、自信がないんですよ。 要するに思い込めないわけですから。だからいつも・・・ (テープ A面 → B面) その間にわれわれはどっかにいるわけですけども。 クリスチャンというのは、このどちらでもないタイプなんです。自分流にこだわらないんです。 (テープ、一時中断) ・・・みこころに立って磐石。おのれのこだわりから解放された自由というものと、逆に、全能の主のみこころの下に立つという、この揺るぎなさと言いますか。そういうものが、実は本来のクリスチャンであります。 自分の見方、考え方というものにやたらとこだわりを持ち続ける。そういうものを聖書に触れることによって、イエス様を知ることによって、粉々に打ち砕かれていく。 そういう思い上がりと言いますか、そういうものが何の役にも立たない。それがむしろ妨げであるということ、罪というものに根ざしてるということに気が付かされて、そういうものから解放されていく。 そういう自由さというものと同時に、揺るぐことのない主の土台というものに立たされる。 これは、クリスチャン信仰だけがもたらしうるものであります。 より天的なものであります。この世から出たものではないのであります。この本当の意味での内的な自由と、揺るぐことのない確信。そういう二つのものを与えられるというのが、実は福音信仰というものの持ってるすばらしさなんですよね。 このことに気が付かないと、信仰がいわゆる律法化し、膠着化していくのであります。 天的なものじゃなくて、地的なものに座していくのであります。 教会生活をしている、いわゆるクリスチャンと言われる人々が多く、このことに本当の意味で目が開かれない。 信仰と言ってるけれど、非常にこれが律法的である。本当の内的な自由というものとは違うと同時に、自分ではない揺るがない磐石の土台に立ってるという、その確かさでもない。 そういう場合がぼくは非常に多いと思いますね。 あのマルチン・ルターが書いた「キリスト者の自由」という本で、彼が言いたいことはやっぱりそれなのだと思いますね。 ルターは厖大な本を書いたと言われていますけども、もうとにかく大変な量の本で、日本なんかで全部それが日本語に訳されているかどうか分からないぐらい多いそうですけども、もう眠る時間も無いほどの、あの宗教改革の嵐の中で、それについて起こったドイツ農民戦争とか色んな信仰絡みの大変な困難の中で彼が、本当のキリスト者の自由とは何かということを、信者たちに伝えようとして書かされた本だと言われていますが、ほんの短い薄い本ですが、本当に、二度と同じのは書けないんじゃないかと思われるような、すぐれたすばらしい内容ですね。 文字通り、御霊が書かしていらっしゃるというものかもしれませんね。「キリスト者の自由」、その自由を取り違えて、とんでもない方角に走る。逆に、今度は律法化していく。膠着化していく。非常に、窮屈な冷たいものになってしまう。 そのどちらでもない、さっき言った本当の自由。御霊だけが与えうるところのキリスト者の自由。 私たちはそれにこそ生かされなければならないんですね。これはこの世のいかなるものを持ってしても、不可能なものなんですね。 ただイエス・キリストの福音を通して、御霊を通して私たちのうちに啓示されるものであり、私たちのうちにいわば宿るいのちと言っていいですかね。そういうものだと思いますね。 11章の19節からは、あと少しありますから、ちょっとお読みしましょうか。 使徒の働き11:19-21
コルネリオ一家に続いて、アンテオケでもギリシヤ人の回心者が大ぜい起こされたのであります。このときにはもう、使徒たちの間に主のみこころがはっきりと確認され、納得されていたので、使徒たちはなんの躊躇もなく、すべての異邦人に、周りにいらっしゃる求めてる人々へ救いを、なんのためらいもなしに伝え始めていったんでしょう。 何事でもそうですけれども、最初の戸口が開かれると、そこから一気にドォっと、奔流がほとばしるように前進が始まりますが、ペテロがその最初の戸口を開いたということですね。 しかしすべては、背後に主のお膳立てがあった。一から十まで主はそれを用意しておられたということを、私たちはさっきの10章から知るわけであります。 人間の性格によるのではなく、主のご計画に従って、彼はよく分からないながら、主が「行け。」とおっしゃるから、嫌々ながら行ったのであります。 大切なのは人間の性格ではないとよく言われますけども、これを見るとそう思いますね。 ペテロなんか、なにが起こるかさっぱり分からなかったんですから。ただ主が「行け。」と仰るもんですから、彼は行っただけであります。 主がまず動き始められたということは、明らかであります。主によって遣わされて、主が備えておられるたましいに語ることであります。 そうでないと、取り留めのない、荒野に叫ぶような徒労に終わってしまうんじゃないでしょうか。 主は常に私たちの生活の場に、主の御用を備えていらっしゃるということがあります。すぐ側に、主を求めている人たちがいっぱいいらっしゃるんですよ。必要な人々がね。 そういう人々を通して、その人たちの周りの人々に転移して、福音は全国に、あるいは世界に向かって今、集会の宣教活動というのは広がっているわけですよ。 主は常に私たちを用いようとして、待っておられるんですね。これは間違いのないことですよね。働きを期待されていない人はひとりもいないんですから。 ただ問題はやっぱり、その備えがあるかどうかということですね。私たちのがわに。 テモテへの手紙第II、2:20-21
主は私たち一人一人を救うために、ただ救われたのではない。よく言われますね。主の器として用うるために救われたのだ。主の栄光を現わす器として、大いに用いられるために一人一人は召し出されたのだ。 ただ、「あの苦しみから救われて良かった。これで安心だ。」って終わりっていうんじゃないんですね。今度は逆に、主の器として遣わされるために、召し出されるわけです。 ちょうど神さまに逆らって、神に敵対する者として戦っていた敵の兵士が、イエス様によって捕虜とされて、イエス様の今度は兵士となって、今度はこの世に遣わされていく。それが主のなさるやり方ですね。 主は敵を捕らえて、ご自分の兵士として、送り出していかれる。実に、神さまはやっぱり頭がいいし、全部兵士は敵の兵なんですよね。用いてらっしゃるのは。 そういうところもやっぱりすごい話ですね。 主の器としてもっとも必要な条件はなにか。それは聖められているということだと聖書は言っております。これが不可欠の条件であるということですね。 テモテへの手紙第II、2:21
最大の条件のようですね。 テモテへの手紙第I、5:22
他人の罪にかかわってはいけない。色んな人の悩みや色んなことに相談を受けて、いつの間にかその人の罪にかかわっていってしまう。自分もその中に引き込まれてしまう。 そういうことがあってはいけない。主にはどのような罪でも、そこにかかわってはならない。そういうことを、パウロはテモテに教えているわけであります。 それが働き人の条件なのだ、キリスト者としてのあるべきあり方なのだと言ってるんですね。 ペテロの手紙第Iでペテロ自身がこう言ってるわけです。 ペテロの手紙第I、1:15-16
あのペテロが、やっぱりこのように言ってるんですね。「主にふさわしく、聖い者とされよ。」、そうでなければ、どのような主の働きもできないからだと言ってるんですね。 ヘブル人への手紙12:14
聖くなければ、だれも主を見ることができません。 マタイの福音書5:8
自分のたましいをきよく保つように気を付けなきゃいけない。人間はこの肉体をもって、もちろん悪を行なうわけですけども、しかしこの肉体をもって悪を行なわなくても、人間のたましいっていうものは、地にのめり込むことはいくらでもあるわけでありますから、気を付けるように。自分のたましいはよく見張るように。聖書は教えているんですね。 調子がいいと、私たちは主と交わることができないというのであります。 バルナバはアンテオケに遣わされて、こう書いてありますね。 使徒の働き11:22-23
主の御用に役立つ備えをしていなさいっていうことでしょうね。みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと言ってるわけです。 罪から、ぜい肉の汚れから離れて、光のうちを歩みなさい。そういうふうに励まし、また指導したと書いてありますね。 常に私たちが主の光の中にとどまる、これが大切ですね。そのために私たちは折に触れてこのような学びや交わりをもつわけであります。 使徒の働き11:24
と書いてありますが、ここでバルナバは郷里のタルソに引きこもっていたサウロ、のちのパウロを捜し出して、もう一度アンテオケに連れて行きますね。 使徒の働き11:25-26
このアンテオケとタルソは、地図で測ってみると大体百数十キロぐらいの距離ですね。当時アテネ、アレキサンドリアと並び称される学問の三大都市と言われたところだそうです。キリキヤ州の首都タルソ、サウロの生まれ故郷であります。 そこに何年鎮静していたか分からないパウロは、ここで再びバルナバによってアンテオケに引き戻されるわけですね。 そして一年の間、多くの人たちを教えたと書いてあります。おもしろいですね。 弟子たちは、アンテオケで初めてキリスト者と呼ばれるようになった。キリスト者、クリスチャンという言葉は、周りの人々が信者たちにつけた名称だったんですね。 当時は、「この道の者」といったそうであります。信者たちはね。 いつも、「キリスト」、「キリスト」というようなことばかり言ってるもんですから、周りの人々が彼らを指してキリスト者と呼ぶようになったというわけであります。 そのあと数節に、アガボという預言者が世界に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こったというふうに記されていますが、この大きな聖書の注には、あの当時の有名な歴史家ヨセフォスが、紀元四十六年にこの大ききんが起こったと、彼の歴史書に記してるそうでありますから、大体今、11章で見てきた出来事というのはですね、紀元四十六年当時ですね。 イエス様が天に引き上げられてから大体十四、五年でしょうかね。その頃の出来事であるということ。それが当時のクリスチャンたちの様子であるということだろうと思いますね。 大体時間になりましから、この辺にしたいと思います。終わります。 |