使徒の働き26


蘇畑兄

(調布学び会、2004/11/25)

引用聖句:使徒の働き16章6節-15節
6それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
7こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
8それでムシヤを通って、トロアスに下った。
9ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
10パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
11そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。
12それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。
13安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
14テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
15そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。

ただひたすらクリスチャンの交わりと言いますか、もうお付き合いをするのは主に在る兄弟姉妹方だけの生活をしてるんですけれども、このような折に触れて、交わりを持って、ただ一つの目標に向かって何十年、ともに歩むことができるということは本当に感謝なことです。
クリスチャン信仰というのは、本当にひとつの目標を目指してみんながあらゆることにおいてひとつになって、霊的な有機体として歩むと、30年も40年も50年も密な交わりを続けていくわけですから、ほかのこの世の交わりとは本当に違うと言いますか、私たちの人生のすべてのすべてとなって、そういう交わりだなということをいつも思わされます。

この使徒の働きの第16章は、この前もちょっと申し上げましたように、キリストの福音が初めてヨーロッパに伝えられている福音宣教の歴史における、文字通りに時代を画する記事が記されてるところであります。
福音がついにこのローマに渡って行く、ヨーロッパに海を越えて渡って行く、それを通して福音宣教の新しい時代が始まっていく、ちょうどその分かれ目と言いますか、それがこの16章になります。

エルサレムで生まれた福音と言いますか、エルサレムに神さまのところから流れて来たいのちの水が、ローマ帝国の中心部に流れ行って、そこから全世界に向かって広がっていくその分かれ目、それがこの使徒の働きの16章ということになると思うんです。
賛美歌の217番というところに、あまつまし水流れ来てあまねくようどうるおせるという歌詞があります。
密かに、ひっそりと、おそらくローマ帝国の大反徒の中では辺境の地に過ぎなかったユダヤの地、あの砂漠とあの蠍の地と言いますか、ヨーロッパのローマやギリシヤの人々たちから見たらあまり行きたくないような、そういう地、パレスチナの地です。

今の。そのエルサレムに密かに天からひっそりと流れ下って来たいのちの水が、ローマ帝国の第三の都市、シリヤのアンテオケに達し、そこを拠点として小アジアを経てエーゲ海を越え、ヨーロッパにさらにアドリア海を越えて、帝都ローマに達していく。
そういう流れを私たちはこの14章あたりから見ることができるわけであります。

キリストの福音が確実な真理であるということ。これは本当に間違いのない神さまからの救いのみわざであるということ。
そのことの証人となった人々、すなわち言い換えると、イエス様の復活の証人になったということですけども、そして初代教会を担ったのは、使徒たちを初めとしてほとんどユダヤ人たちでありました。
このユダヤ人たちの福音に関する使命というのは、ヨーロッパへ福音を伝えるというところで、一応終わってるのじゃないかというような気もするんです。

ユダヤ人たちはエルサレムに起こったところの、この神さまの救いのみわざ、イエス・キリストの十字架と復活という、この救いのわざをヨーロッパに伝える、バトンタッチをする、そういうところでこのユダヤ人たちの使命は、一応達せられたということになってるんじゃないんだろうか。
歴史を見ますと、彼らは旧約聖書を受け継ぎ、そして福音書を記し、使徒たちの手紙が書かれ、それがだいたい一世紀の終わり頃には完成するわけでしょう。

聖書としてひとつにまとめられるのはそれよりも、もっとあとでしょうけども、こういうふうに聖書というものを彼らが書き残したということ。
イエス・キリストの福音というのは間違いのない真理なのだということ。このことを彼らは証人としてこれを証言し、これをヨーロッパに伝える。
どうもそれでこのユダヤ人たちの使命は一応達せられたというふうに考えることができるんじゃないかと思います。

そのあとクリスチャン信仰と福音宣教の中心は、ヨーロッパ、その中心地ローマに移っていきます。
こうしてヨーロッパ人によって全世界へと運ばれて行ったというのが歴史の示すところだからであります。
われわれアジア人には、初めはおもにスペイン人のカトリックの司祭たち、バテレンたちを通して、私たちの国には1549年にフランシスコ・ザビエルによって初めて福音というのは届けられるわけですけれども、その320〜330年あとに、今度はアメリカ系のプロテスタント信仰がおもにアングロサクソン系のヨーロッパ人たちを通して届きます。

エゼキエル書47:8-9
8彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。
9この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。

イエス・キリストの福音が流れて行くところ、そこではすべてのものが生きる。そういうふうになるのだと言えると思うんです。
2,000年近くかかって福音は地球をひと回りして、私たちの国までやって来たわけであります。
最後に私たちの国なんかたどり着いたように思うんですけれども、さっきの賛美歌の217番の歌詞はこういうふうになっています。

あまつまし水流れ来てあまねきようどうるおせる
長く渇きしわがたましいもくみていのちにかえりける

あまつまし水飲むままに渇きを知らぬ身となりぬ
尽きぬ恵みは心のうちに泉となりて湧き溢る

あまつまし水受けずして罪に枯れたるひと草の
栄えの花はいかに咲くべき注げ命のまし水を

こういうふうになっています。

本当に自分の聖書の福音との出会いを本当に思い出させる歌詞であります。

長く渇きしわがたましいもくみていのちにかえりける

あまつまし水飲むままに渇きを知らぬ身となりぬ
尽きぬ恵みは心のうちに泉となりて湧き溢る

福音を受け入れるようになって、たましいの深いところでいつも満たしを持つようになりました。渇きを忘れるようになりました。
私はときどき、自分の信じてるこの福音について、われながら不思議な思いを持つことがあります。
「よくもこのような人間の理解や想像を超えたようなことを信ずるようになったものだ。」と、われながら不思議に思うことがあるんです。

しかし確かなことは、イエス様を信じたことによって、罪の中から、罪の滅びから救い出していただいたという自分の身に起こった事実であります。
福音信仰というのは、本当に人間の想像を超えた驚くべき、信じがたいことでありますけれども、イエス様を信じ受け入れたことによって、私の人生は本当に根本的に新しくしていただいたのであります。

罪を罪ともわきまえず、罪の中に沈み、罪に汚れきっていたたましいを聖めていただいた。そういうことを私は自分の体験として知ってるんです。
ヨハネの福音書に出て来るあのいやされた盲人は、私はただひとつのことだけ知っています。「私は盲目であったのに、今は見えることです。」と言いましたけれども、私自身も同じなのであります。

この救いの事実があるから、誰が何と言おうとも私はキリストのこの福音が本当に救う力を持っている真理なのだ。これは事実なのだと確信しているのであります。
イエス様を信ずることによって初めて私はこの罪のどうすることもできない中から引き上げていただいたからなんです。

自分ではどうすることもできない。どんなに自分で意志を奮い立たせて、頑張って、自分の生活を立て直して、ちゃんとしようと思ってもできない。
そういう中から本当にたましいを聖めていただき、それによって自分の努力ではなく、スーッと引き上げていただいた生活を正していただいた。
かつてのような努力をする生き方ではなくて、本当に素直に主に導かれて歩む人生へと変えていただいた。

ですからもう疲れることを知らないと言いますか、本当に自分自身をゆだねて、主によって支えていただいて、主から力をいただいて、主によって内側を整えていただいて、思いを聖めていただいて歩むことができる。
本当に楽な人生に移していただいたんです。
前は一生懸命頑張っても全然ダメでした。しかし今は本当にそういう生き方とは別の生き方に変えていただいたんです。

イエス様を信じて素直に祈って、ゆだねて生きるという人生は本当に楽であります。
あのイザヤ書に出てくるように本当に、歩いても疲れない。歩いてもたゆまずですか、走っても疲れない。いつも感謝であります。
この事実があるから、繰り返し言いますように、このキリストの福音は確かなものなんだと私たちは確信してるわけです。

この救いの福音が、いのちのことばが、パウロとシラスによって初めてヨーロッパへと、あのエーゲ海を越えて渡ったのが、この16章ということになります。
この前見ましたように、パウロの第二次伝道旅行は、バルナバとマルコをめぐる意見の対立から、おのおの別行動になりました。
その結果バルナバはマルコを伴い、第一次伝道旅行と同じルートを通って船でキプロス島へ向かいました。
パウロはシラスとともに陸路でシリヤからキリキヤへと向かったと書いてあります。

使徒の働き15:41
41シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。

キリキヤ州にはパウロの故郷のタルソがあります。彼は自分の郷里のキリキヤ州を通り、そこから進んで、第一次伝道旅行のときに巡ったルカオニヤ地方の町、デルベと、次いでルステラに行ったことが書かれています。

使徒の働き16:1
1それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。

ルステラというのは、第一回の伝道旅行のときに石打ちにされて、パウロは死んだものと思って町の外に引きずり出されたという、あの町。あれがルステラです。
彼はそのルステラで、テモテという信者であるユダヤ人の子で、ギリシヤ人を父としていた青年にここで出会います。

ご存知のとおり、テモテはパウロにもっとも信頼され、実の息子のようにパウロの心に近しい人でありました。
パウロはテモテへの手紙の中で、「信仰による真実のわが子テモテへ。」と、そういうふうに呼んでいるのであります。
テモテは、終生パウロの傍らを離れることはなく、パウロの伝道を支えた、なくてはならない同労者でした。

テモテがいつも自分を心から信頼してくれ、常に側にいて、助けてくれているということによって、パウロはどんなに慰められたことかと思います。
この意味でも、この第二次伝道旅行は重要な意義を持っていたと言えるんじゃないかと思います。
テモテがパウロを父親のように慕い、パウロもまたテモテを息子のように思ってるんですけども、性格はどちらかと言うと、まったく反対だったようであります。

聖書の中に、パウロの書いた個人的な手紙は四通残っています。テモテへの手紙が二通。テトスへの手紙が一通。ピレモンへの手紙が一通。
あとは集会宛ですが、四通だけ個人的な手紙、私信が残されております。特に、テモテへの手紙にはパウロの心情が本当にこう、深く綴られているように思われます。
ちょっと見てみたいと思いますけども、

テモテへの手紙第II、1:3-8
3私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
4私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。
5私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。
6それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
7神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
8ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

こういうふうにテモテに語りかけています。
テモテは純粋な信仰をもっていた人と書いています。「その純粋な信仰は、祖母ロイスと母ユニケのうちに宿っていたものであって、それがあなたにも継がれていると、私は確信してる。」と書いてます。
ですから信仰の質というのは、どうもやっぱりこれは親から子についていくもんなんですね。

テモテはそういう意味で本当に純粋な心をもっている人だったんではないでしょうか。
その面また、どことなくこの、何て言いますか、ちょっと気の弱いところがあったらしいです。ですから彼は7節で、

テモテへの手紙第II、1:7
7神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

臆病になってはならないと、このテモテにパウロは励まし、教えを与えてるわけです。本当に自分の子どもに励ますように、そう言っています。
そして、私が主の囚人であることを恥じてはならない、福音を伝えることに尻込みしてはならない、福音のために私と苦しみをともにしてほしいと彼はこう言っています。

この手紙から、テモテという人の性格、人柄が少し浮かび上がってくるんじゃないでしょうか。2章の1節ではやっぱり、同じようなことばが出てきます。

テモテへの手紙第II、2:1
1そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。

テモテへの手紙第II、2:3
3キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。

こういう表現が繰り返し出ています。
私といっしょに福音のために苦しんでほしい、戦ってほしい。パウロはテモテに本当に懇願してるように励ましつつ、そういうふうに言っております。

テモテへの手紙第II、3:10-11
10しかし、あなたは、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、
11またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。

パウロの遺言と言われる最後の手紙の中で、彼は越し方を振り返って、テモテが自分といっしょにどのようなときもついて来てくれたこと。そのことを思い起こして、テモテ、私のところに急いで来てほしい。こういうふうに語ってるのがこの手紙なんです。

パウロから離れていったクリスチャンたちは多くおりました。
パウロのようなああいうような、ある意味で桁外れな人でしたから、多くの人々がパウロについていけなくなったということも大いにあったらしいのであります。

パウロははるかにほかの人々よりも先を見ていたんでしょうから。1章には、パウロと働いた人々も色んなきっかけを通して離れていった。それがあとのほうに出てきますけれども。
しかしテモテはそういうことはなかった。テモテは最後までパウロから離れなかった。
全面的な信頼と尊敬をパウロに寄せていた。そのことをパウロは本当に喜びとし、テモテに対する感謝、また励ましというのをテモテから受け取っていたということが言えると思います。

どんなにすごい伝道者であっても、信仰者であっても、やはりそういう慰めと励ましが必要だということじゃないでしょうか。
ベック兄が何かの中に書いていらっしゃいます。
「主の福音を宣べ伝える人々が、多くの兄弟たちの理解と同情を必要としてるのだ。そうでなかったら立っていけないのだ。」というような意味のことを書いていらっしゃるところがあります。

ちょっと私はそれを読んで心を打たれたんですけども。真の理解者を必要としてるということです。
伝道者などという人は、否が応でもこの世の色んな誤解、非難を、中傷を受ける立場の人であります。
この世からだけでなくて、多くのクリスチャンの人々からもさまざまな非難、批判を浴びせられるものでしょう。伝道者ですぐれた主のしもべたちであるほどそうです。いつの時代でもそうでしょう。

そういう立場の人に対して、真にその人を理解し、信頼し、常にその人の味方と言いますか、常に味方になってくれる人。
そういう人がどんなにありがたいかということをちょっと書いてるところがあって、改めて感じたことがあります。

私たちは何かともすると、是是非非とよく言うでしょ?あることには賛成して、あることには反対する。是是非非といって、兄弟たちにも対して是是非非しようとするんじゃないですか。
こっちは賛成できる。こっちは理解できないから反対するとかね。ここまではついて行くけどここから先は別ですよ。意見は留保します。
それは何か良心的であり、聖書的であるかのようにも思えますけれど、どうでしょうか。どういうときでも味方となって同じところに立って励ましてくれるという、そういう人というのはなかなかいないもんです。

しかし本当にありがたい人は、ぼくはそういう人じゃないかという気がいたします。
是是非非、ある場合には賛成し、別の場合には反対する。何かそういう態度は真っ直ぐな中立でいいもののようにも思えますけれども、私たちはそれを無条件に、そうあるべきだって言えないんじゃないかという気がいたします。

そんなこと言っても理由が間違っていたら、「間違い。」と言うのが本当だろう、というふうにみなさん思うかもしれませんが、最近改めてそういう思いをいたします。
テモテという人はパウロにとってそのような人だったんじゃないかなと思います。

テモテへの手紙第I、1:18
18私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

テモテへの手紙第I、6:11-14
11しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
12信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。
13私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。
14私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

懇々とパウロはテモテに諭しています。神の人よ。と呼びかけてもいます。
パウロのテモテに対してもってる大いなる期待と言いますか、最後まで主の召しにふさわしく歩みなさい。繰り返し、繰り返し彼はこう語り続けているわけであります。

テモテへの手紙第II、4:1-2
1神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

テモテへの手紙第II、4:9-11
9あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。
10デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。
11ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。

テモテへの手紙第II、4:13
13あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。

このようにデマスはパウロのもとを去り、このように戻って来たと書いてあります。クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったと書いてます。
これもパウロとともにもう、働けなくなっていたのかどうかは理由、書いてませんけど。
このテモテの次にテトスの手紙が出て来ますけれども、テトスもここではもういっしょにいないと言ってるわけです。

テモテへの手紙第II、4:21
21何とかして、冬になる前に来てください。

と書いてます。
このようにパウロがテモテに会いたい、テモテに早く来てほしいと繰り返し繰り返し宣べているのであります。
テモテによって慰めを得たかったということでしょうか?さっきも言ったように、クリスチャンというのは、どんなに信仰の強い人であっても交わりがほしい。真に心底信頼できる・・・

(テープ A面 → B面)

全幅の信頼を負うことのできる信仰の友がほしい。何でも心置きなく思いの丈を語り合うことのできる信仰の友がほしいのだということだと思います。

パウロはテモテをこのように深く信頼していたから、愛していたから、彼は自分の心の奥を本当にすべてと言いますか、語っているわけです。思いのたけを述べれるわけであります。
人間同士だけでなくて、主との関係においてもそうだと思います。
主はご自身を心から信頼する者にご自分のみこころの深いところにあるものをも示してくださると聖書は言っているわけであります。

人間の間と同じように、あるいはそれ以上に神さまと私たちの間の一番大きな絆、それが愛と信頼であるということです。
主を愛する人は、主の御胸をさらに深くわきまえることができるのだということも言えると思います。使徒の働きの16章に戻りますと2節に、

使徒の働き16:2-3
2ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
3パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。

異邦人には割礼を受けさせる必要はないということは、この前、エルサレム会議で決定されてたことでしたが、テモテは母親がユダヤ人であり、父親がギリシヤ人であったということを彼は、パウロは色んな意味でユダヤ人として正式に認めてもらうほうがユダヤの同胞たちにとって色々と都合がいいんだろうということから、彼に割礼を受けさせたということですが、テモテは、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であったと書いてあるんです。

信仰の歩みというのは、同じ教会の中で多くの仲間たち、主に在る兄弟姉妹たちと場合によっては、何十年にも亘る密接な交わりを通して保たれるものであります。信仰の交わりほどに深い人間関係はほかにないのであります。
単に表面的、一時的な他人行儀のお付き合いというわけにはいかないもの。これが信仰の交わりであります。
クリスチャン生活をともにしてると、本当に私たちはその人の心の奥までお互いに知り合うと言いますか、そういうことになります。

信仰生涯にはさまざまな問題が出てきますし、いっしょになって力を尽くして乗り越えていかなければならない問題が必ず何度も何度も出て来るわけです。
そういう問題を通して私たちは、力を合わせて本当に信仰の歩みを全うするために、お互いに全力を傾けなきゃならなくなってきます。

そういうことを通して、「ああ、この人というのはこういう人なんだ。」、そういうことをひとつひとつの局面通して私たちは知るじゃないですか。
単に表面的な、この他人行儀のと言いますか、挨拶を交わしてそれで終わりというような、そういうものじゃなくて、本当に私たちは自分自身というものを明らかにさらけ出しながら、ともに歩むわけであります。

ですから兄弟姉妹を通して、私たちが何者であり、どのような信仰を主に対して持ってる者であるかということを私たちは明らかにしてるわけであります。
兄弟たちの間で、「ああ、この人の信仰というのは確かに信頼に値する者だ。」そういうことがだんだんだんだん分かってくるわけでしょう。否が応でもそうです。

こうして私たちはこの兄弟、この姉妹、色んな問題があったら、相談をしたり、何か頼み事があったら、この人になら大丈夫だと思って頼んだり、こういうときなら、この人はちゃんと責任を果たしてくれる。そういうことをお互いに知るようになるわけであります。こうしてその集会を通して、ある責任を負っていただいたり、集会から遣わされていったり、そういうことが起こってくるわけです。パウロはそのテモテへの手紙の中で・・・

テモテへの手紙第I、3:10
10まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。

と書いてますけど、「まず審査を受けさせなさい。」、周りにいっぱいいる兄弟姉妹の目が、実は私たちの信仰がどういうものかを判定してるということなんです。
そして、「こりゃ心配ない。これなら大丈夫である。」、そういうこと、これがある意味での審査なんじゃないでしょうか。

使徒の働きの16章6節からは、先ほど読んでいただきましたけれども、パウロは最初は、この小アジア全土をまわるつもりで出かけたようであります。
第一次伝道旅行のときに行かなかった小アジアの北の地域、今の黒海に面したビテニヤ地方というのが聖書地図にありますけども、そこに行こうと思ったようです。
北側です。北側の地域。そこをまわろうとしたんですけれども、何かの妨げがあって行けなかったようであります。

使徒の働き16:6-7
6それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
7こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。

と、こういうふうに書いてあります。
何が妨げであったかということは書いてありませんけれども、聖霊によって、あるいは、御霊がそれをお許しにならなかったという表現で、そこには行けなかったと書いてるんです。
そのため、西へ進み、エーゲ海に面した港町のトロアスに下って行ったと書いてあります。

使徒の働き16:8-9
8それでムシヤを通って、トロアスに下った。
9ある夜、パウロは幻を見た。

とあります。その幻というのが、夢によるものだったかどうか、これもはっきり書かれていません。ただパウロは確信を得るぐらい、それははっきりとしたものだったようであります。たぶん夢でしょうね。

これからどこへ向かうべきか、彼らは深く祈っていたに違いありませんから、そのときの彼に示されたことが、非常にはっきりとした確信を与えたんじゃないかと思います。

使徒の働き16:10
10神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信した

と、強い表現が記されているからなんです。もう一回9節見ますと、

使徒の働き16:9-10
9ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
10パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

この10節で、私たちという一人称の複数形が初めて登場するわけです。これを「私たち章句」と言うんだそうです。
私たちということばが、ここから始まって終わりまで続いていくんですが、使徒の働きの著者のルカが、このときに初めて加わったということです。10節からこれは始まります。

御霊が禁じた、聖霊が許されなかったとか、幻を見てこうだったとかっていうふうにできてます。
おそらくノンクリスチャンの方々が一番狐につままれたように不可解だと思うのは、こういう表現でしょう。
聖霊が禁じたとか、御霊がそれを許さなかったとか、幻を見たとかと言って、これはいったいどういうことなんだろう。イエス様を信ずるようになった人々は、こういう問題はスッともう、クリアしていきますでしょ。もう特に引っかからないです。

しかし、まだ救いが分からない人、信仰を受け入れていらっしゃらない方々は、こういうところに一番おそらく引っかかるんじゃないかと思います。
私たちクリスチャンはもう、こういうことに何ら疑問を感じなくさせられるのであります。
あるところを超えさせてもらってると言いますか、そこはなかなか説明しても理解のできないところなんですけれども。

クリスチャンは祈りを通して、「ああ、これは主のみこころじゃないんじゃないか。」とか、「この夢は何か主が語っていらっしゃるんじゃないか。」
そういうことを疑うことなしに、主からのメッセージとして受け取る。そういうことができるように変えられますから、何ら疑問はないのです。

11節から15節までに、キリストの御名が初めてヨーロッパに伝えられるという、さっきも言ったヨーロッパの歴史上最大の出来事がここに記されています。

使徒の働き16:11-12
11そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。
12それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。

だれもが知ってる通り、ヨーロッパとキリスト教は切り離すことはできません。今日のヨーロッパを、ヨーロッパたらしめてるのはキリスト教であり、聖書であります。
ユダヤで生まれたキリストの福音と聖書は、ヨーロッパによって受け入れられ、ヨーロッパに根付いたのであります。ユダヤには根付かなかったんです。パレスチナには根付きませんでした。

あそこにはイスラム教が入ってき、今はユダヤ教徒たちがあそこにいますけれども、福音はヨーロッパに移されたのであります。
このキリストの福音によって、否が応でも聖書と向き合わざるを得ないということによって、ヨーロッパは2,000年の歳月を経て、根底から作り変えられていったと言えるのではないかと思います。

もちろんさまざまな紆余曲折があったわけですけれども、カトリックの長い時代がありましたし、色んなことがありましたけれども、それでもヨーロッパという社会には聖書が根底として置かれていたということです。
そこがヨーロッパという世界の一番根本的な特徴じゃないでしょうか。
このキリスト教信仰が受け入れられなかったら、これがヨーロッパの根底として据えられなかったら、ヨーロッパももっとも根本的な、精神的、霊的な側面においては、東洋とそれほど変わりのない世界観の中に今もあったんじゃないかと思います。

ギリシヤ哲学なんていうのは、かなりこの日本なんかの持ってるような、何て言いますか、日本人なんかの思想の背景にあるような、空虚感と言いますか、むなしさと言いますか、人生に対する諦めと言いますか、そういうものを背景にしている思想だと言われております。
聖書がはいって初めて、ヨーロッパの独特の強力な文化というものを作り上げていったと言えると思います。
向きに、積極的なこの世界と人生を根底に置いて肯定するところの世界観。そういうものをヨーロッパにもたらしたのは、ただ聖書だけだったわけであります。

前、ヨーロッパの文化には、ヘレニズムと言われるギリシヤ的な考え方と、ヘブライズムと言われるユダヤ教からクリスチャン信仰に発展する、その聖書の世界というのがいつも並存していて、これがあざなえる縄の如くと言いますか、これが二ついつも絡み合いながら流れてるということ。
そういうことはよく言われるということは言いましたけれども、単なるギリシヤの偉人たちの人生観だけであったら、本当にやはりそれは、人生に対する最終的には諦め。諦めて最後は、この人生をもう諦めるという、そういう生き方しか出てこないと言えるんじゃないでしょうか。

ヨーロッパは聖書を知ったことによって、真理を知ったのであります。それによって彼らは揺るぐことのない人生と世界の土台というものを見いだしたのであります。
それはヨーロッパは全体として考えた場合ですよ。そこまでにもちろんさらに、ひとりひとり人間は色々だったかもしれないけれども、しかし、2,000年の福音がはいっていったあとの2,000年を私たちが見るときに、ヨーロッパというのは、ほかの世界の持ち得ないところのものを確かに持っていたということ。真の揺るぎない土台というものを彼らは聖書を通して見いだしたということ。
それがやっぱり、何だかんだと言ったってあのヨーロッパが人類世界の先頭を歩むというその地位を確保したということ。それは私たちは認めざるを得ないんじゃないでしょうか。

われわれアジアが彼らにかなわないのは、聖書を知らないということ。仏教という根拠のない曖昧で不確かな土台しか持ち得なかったということ。
そこに私は究極のやっぱり原因があると思います。
聖書だけが、人間存在の根拠、根底というものをわれわれにはっきりと納得させることができるから。

自分は何者かということです。これが人間存在の根底です。
要するにアイデンティティなんて英語が使われましたけども、私たちとは何者だっていう、この問いに対してはっきりと私たちにその答えを提供してるもの。
私たちがはっきりそれを納得し、確かにそうだっていうふうに確信できるもの。それは聖書だけなんです。

ですから聖書を知らない人は全部、自分というものの、自分という存在に対する、その根底に対する不安から逃れられないんです。
自分は何者かという問いに答えられないのであります。
ここに自分はいるけれども、いったいどこから来たんだ、いったい何者だというこの問い。それに対する答えがないのであります。
聖書を知って初めて私たちは、この不安から初めて解放されるんです。

初めに神、天地を造り給えり。
神さまが、万物をお造りになり、私をも神がお造りになった。神のお姿に似せて私たちは造られており、神と人との間に今もなお祈りを通して呼びかけがあり、神さまの応答があるのだということ。
このことを知るようになって初めて私たちはこの人生の根底にあるところの曖昧さ、不確かさ、まったく訳の分からないそういうもの、それからその答えを見いだすわけであります。

ぼくなんか、かつて証しにも書きました。ここはどこか・・どこで・・・ここは。私は何者だろう。という不安で、一気に打ちのめされて、もうまったく立ち上がることのできないくらいの恐れに打ちのめされた経験があって、よく自分にはそれの意味が分かるんですけどね。

いったい私とは何者か。
いったいここはどこだ。
いったい自分はどこから来て、どこに行くのだ。

という、こういう人間の根底にあるところの問いに、あるときにそういう恐るべき問いに気が付かされたということなんですけれども、それで私なんかは吉祥寺集会に、もう雨の日も風の日も通わなきゃならなくなった。実はそのためなんですけども。

今言ったように、聖書を通して初めて、いったい自分は何者だというこの問い、それにはっきりとした確かな答えをいただいた。
もう恐れることがない。不安に怯えることがない。そういう気がいたしております。

この聖書を抜きにして、人は肝腎なその人生の本当の土台、自分の真の意味でのアイデンティティ、自分はいったい何者であるかという、そういう答えをそれは見いだすことはできない。
それを見いだせずして、色んなことをいくら、その先のことをやろうたって、結局、積み上げることはできないんです。
それがアジアなんかの歴史ではないでしょうか。積み上げれないんじゃないかと私はいつも思っております。真の土台がないから。

ヨーロッパの根底をなすのはクリスチャン信仰である。聖書である。
それはこのとき、西暦50何年ぐらいでしょうか・・、パウロとシラスが、そしてテモテが、ルカがでしょうか。四人いたんでしょうか。
このトロアスから船に乗って、ネアポリスに着き、それからピリピに初めて福音を伝えたという、そのことによるのであります。

神さまのなさることは、いつもこのようにさり気なく、見映えなきもののような気がします。
たったこの四人があの海峡を渡ったということ。それによって、ヨーロッパ2,000年の歴史は根本から作り変えられていったのだということであります。

ある人が言ったように、この海峡はかつてアレキサンダー大王が大軍を率いて渡ったところでありますし、逆に、あのペルシヤ方面からの大軍によって何べんも行き来したところです。
そこをこの四人のまったく見映えなきキリストの福音の使者たちが渡った。
ローマ帝国はすでに崩れ去ってありませんけれども、福音はヨーロッパ世界を根底から作り変えていったわけであります。

ヨーロッパで最初に福音が宣べ伝えられた町は、その先に続くピリピであり、この町で最初に福音を受け入れた人、ヨーロッパで最初の初穂となったのはルデヤという女性でした。
このことのゆえに、このルデヤという名前はクリスチャンネームとして今日も多くの女性に受け継がれているのは、みなさんご承知の通りです。

ドイツのシュベスターたちは何人もルデヤというお名前の方々がおられますけども、紫布の商人ルデヤ、彼女が福音の初穂でありました。
そしてこのピリピにヨーロッパの最初の教会が建てられていったわけです。
それがピリピ人への手紙として、あのすばらしい手紙としても残ってます。ちょっと取り留めのない話を永遠としましたけれども、とりあえず今日はそこまでにしたいと思います。




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