使徒の働き27


蘇畑兄

(調布学び会、2005/01/27)

引用聖句:使徒の働き16章29節-34節
29看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
30そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
31ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
32そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
33看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
34それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

韓国の現代を描いているドラマには必ずと言ってもいいんじゃないかと思うように、クリスチャン信仰の影響が顔を出してるというような気がするわけであります。
もちろん儒教やさらにはアリニズム的な原始宗教の翳をも引きずってるような感じもするんですけれども、韓国には私たちの国よりもはるかにクリスチャン信仰が根付いているのじゃないだろうかという気がするのであります。

クリスチャン信仰がひとつのエスタブリッシュメントというふうになってる。社会的な公認のステータスと言いますか、その地位を得ていると言えそうであります。
それはまた、公認信仰としての顕在化の危険もはらんでいるわけですから、やはり注意すべきところも出て来るんでしょうけれども、ともかく韓国に行く日本人クリスチャンたちはその教会の多さに圧倒されるようであります。

戦前までは日本から韓国伝道に出かけた人々が少なからずいたわけであります。多くの自分の将来をささげた日本のクリスチャンたちがおりました。
ですからその当時は、日本のほうがこの信仰の面では進んでいただろうと思いますけれども、戦後のあの南北軍団のギリギリの極限的な社会状況が、韓国という国をクリスチャン国に大きく変えていった原因なのではないかと考えられます。

今年の年賀状で、かつて吉祥寺集会で一緒に信仰生活を送っていて、今は関西の大学に勤務してる私の後輩にあたる男性クリスチャンが、昨年何回か韓国に行く機会があった。研究の機会として何回か行ったんですけれども、この信仰も含め多くの意味で、「韓国恐るべし。」
このままでは日本は敵わないだろうという印象を持ったと年賀状に書いてまいりました。

それにひきかえ私たちの国ではどうしていつまで経ってもクリスチャン信仰がこんなにも密やかなままで、社会の片隅で、表面に現われてこないでいるんだろうか。
あくまでも個人的レベルでとどまっているかのようで、社会的なレベルまで達しない。社会を大きく変えるような力にまでなっていないと感じざるを得ないわけであります。

わが国では今もクリスチャン信仰とは特殊な人々の信仰と受け取られているのであります。いったいどうしてなんでしょうか。
私たちクリスチャンが信仰に不熱心なんだからでしょうか。大胆な勇気に欠けるからでしょうか。

と言って、日本は仏教国かと言うとそうでもないんですよね。タイやチベットは仏教国と言えますけども日本は仏教国ではないのであります。
仏教とも距離を置いてるんです。あらゆる信仰になるものに距離を置いて、現世というものにどこまでも立とうと言うんでしょうか。
この何ともとらえがたい、ふわふわとしたある層というものを突き破れないと言いますか。

遠藤周作さんなんかは盛んにそういうことを繰り返し書いておりますけれども、日本のその土壌ということについて、信仰的な土壌ということについて彼は絶望的なことを書いていますけれども。いかがなんでしょうか。
隣の国の韓国は本当にその生活の中にクリスチャン信仰が沁み込んで来ている。それは色んなところに出て来ているわけであります。それに対して、私たちの国はいったいどうなんだろうか。

いつまでたっても国が国としてこのステイタスに、クリスチャン信仰に正面から向き合うということがないのだろうかという思いがふとよぎるわけであります。
と言いますのは、この使徒の働き16章がこの前も申し上げましたように、福音が初めてヨーロッパ大陸に渡った。ヨーロッパの歴史においてもっとも重要な出来事がここに記されているからであります。

たぶん西暦紀元50年前後でしょうね。パウロとシラスとテモテとルカがこの名前としてわかっていますけれども、彼らはエーゲ海を越えて、ヨーロッパにこの福音を運び入れたわけであります。
使徒の働きの16章の11節です。先回も申し上げましたように、

使徒の働き16:11
11そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。

ほんの短い距離です。海峡を見ますと。第二次伝道旅行に出かけたときにパウロはこれをヨーロッパに伝えるつもりはなかったんです。
ギリシヤに渡るつもりはなかったわけです。小アジアをめぐるつもりで出かけたのでありますけれども、トロアスまで来たときに幻でひとりの男が私たちのところに来て、「私たちを救ってください。」と懇願する、その幻を示されたと書いてます。

ですからパウロとシラスとそしてテモテと、そしてこの使徒の働きを書いたルカが初めて登場するんでしたね。
16章の10節です。これを私たちは、章句がここから始まるというふうに普通言われてるんですけども、一人称複数形がここに現われてくるわけであります。

こうして彼らは急遽、エーゲ海を渡る決心をするわけであります。彼らが最初に足跡を記したのはネアポリスと書いてますから、新しい町という意味でしょうね。そこからピリピへ進んだと記されています。
このピリピで、ヨーロッパのクリスチャン第一号の栄誉を勝ち得たのは、ルデヤという女性でありました。
往々にして男を出し抜いて女性が信仰の冠を勝ち得るということが聖書のところに出てまいりますけれども、この誉れある第一号はルデヤという女性でした。

彼女はテアテラ市の紫布の商人だったと書いてありますが、テアテラというのは地図を見るとわかるように、小アジアの町であります。
ですからルデヤは純粋のヨーロッパ人とは言えないかもしれないですが、しかしもう人種的にはアレキサンダーのアジア遠征以来、400年近く経っていますから、もうギリシヤの風土にこの辺りは全部染まっているわけです。
人種的にも混合されているわけですから、ほとんど区別はなかろうと思います。

ここで重要なのは、人種的な問題ではなくて、歴史的に見て聖書とクリスチャン信仰とが本格的に根付いたのは、ここから二種のヨーロッパ世界だったということであります。
発祥の地のパレスチナ、ユダヤはすっかり忘れ去られてしまって、聖書は、クリスチャン信仰はヨーロッパ大陸に受け入れられていったのであります。
そしてこの聖書とクリスチャン信仰との表面からの向き合いを通して、対決を通して、ヨーロッパという世界は根本的に作り変えられていくわけであります。

今日のヨーロッパは、ヨーロッパを正しめているのは、間違いなく聖書でありますし、クリスチャン信仰であります。このルデヤの家がヨーロッパ最初の教会となります。
ルデヤという女性は、いわゆる女性の経営者ですから、頭の回転が速くて、洞察力があって、さまざまなことに配慮が行き届いて、決断力のある女性だったようであります。彼女は真っ直ぐな心でパウロの語ることばに聞き入ったんです。

使徒の働き16:13-14
13安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
14テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。

ユダヤ人であれば、ユダヤ人と必ず書きますから、ルデヤはユダヤ人ではないのであります。しかしルデヤは、神を敬う心をもっていた。
よくはわからないけれども、高きを敬い、高きを尊ぶと言いますか。そういう真っ直ぐな正しいものってものに心を向けた人であったということです。天を恐れる人と言いますか。そういう人であったということであります。ですからパウロの語ることばを初めて聞いたんでしょうけれども、真っ直ぐにルデヤの心に届いたのであります。

こうしてイエス様を、天地を造られた神の提供された救い主神の御子として、ルデヤは受け入れたのであります。
そればかりか、彼女の家族も信仰へと導かれたとここで記されております。
彼女が家族全員の尊敬と信頼を十分受けていたということの証しでもあるわけであります。彼女が信ずるのだから私たち家族も信じ受け入れようと彼らは決心したわけです。

信仰とは人から人へと受け継がれていくものであります。あの人が信じているのだから、確かであるに違いないと人は思うのであります。
あの人の内にあるものだから、自分もほしいと人は願うようになるものであります。ですから尊敬できるクリスチャンに出会わない限り、人は導かれないと言ってもいいと思います。

ですからそういう意味でクリスチャンとの出会いというのは決定的なのであります。
私たちも出会ったから、すばらしい信仰を持っているベック兄姉を初め、クリスチャンたちに出会ったから、心開かれていったんです。
「クリスチャンが嫌いだ!」って人はクリスチャン信仰を受け入れませんよ。やはりそこに神さまは人から人へと信仰が受け継がれていくように定めていらっしゃるからであります。

ルデヤという女性、そういう意味でも大きな影響力を持っていた人だったんです。
このルデヤはパウロたちに対して、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせたと記されています。

なかなか重要な示唆に富む言葉であります。彼女はすでに主への忠実さということが、信仰の要請であるということを理解しているのであります。
主を信ずる人は、自分の都合によって動く人ではなくて、主への忠実さということを生活の軸としている人であります。
パウロが書いているように、忠実であること。これがクリスチャンにとっては非常に大切な点なんです。

自分の感情とか自分の色々な思い、思惑とか、そういうことで動く人はてんでん極まりないでしょ?そのとき、そのときでしょ。
それじゃあどうにもならないわけであります。イエス様を信じるという信仰というのは、自分の感情とか自分の思惑というものと決別するというはっきりとした、そういう決断というものを伴うものであります。
なぜならば、感情とか思惑によって動くというときに、私たちは揺るがない歩みはできないから。それは決して主のしもべとして、イエス様に仕えるということに相容れないからであります。

ヤコブが言っているように、いつも波に揺れ動くように不安定な人というのは実を結ばないんです。10年、20年、30年と経てば、結果は誰の目にも明らかになってくるわけであります。
ルデヤは主への忠実さということを、はっきり掴んでいたということがひとつ言えます。
もうひとつよく指摘されるのは、強いてそうさせたという表現であります。15節をもう一回確認しましょうか。

使徒の働き16:15
15そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。

ある伝道者が述べていますけれども、「お金が必要なときにはすぐ言ってね。」というような言い方では人はなかなか必要だとは言いづらい。
そうではなくて、お金を渡して、どうぞ使ってとなって初めて使えるものだと。
ルデヤはただ、よろしかったらお泊まりくださいと言ったのではなくて、強いてそうさせたのです。ここに彼女の本気さが表われているのだと、その伝道者は指摘しています。パウロという人は百戦錬磨の達人であります。霊の人であります。

パウロはこのルデヤという主にある姉妹の真に尊敬に値する、信頼に値する人であるということを見てとったでしょう。
彼が書き残した13の手紙の中でもっとも麗しい手紙は、だれが見てもこのルデヤたちの集会宛てのピリピ人への手紙であるはずであります。

喜びの書簡というふうに呼ばれていますけれども、このピリピ人への手紙を読むと、パウロがどんなにこのピリピの集会を親しく思っていたか。彼の感情が溢れていますよね。
ピリピ人への手紙の一、二ヶ所ちょっと読みましょうか。4章をまず。

ピリピ人への手紙4:1
1そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。

この呼びかけはすばらしいでしょう。私の喜び、冠よと、こう言ってるんです。私の誇りだ。あなたがたを私は心から誇りとしている。
彼はそう言ってるわけであります。

ピリピ人への手紙4:14-18
14それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。
15ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。
16テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。
17私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。
18私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。

ピリピの人たちはパウロの労苦ということを忘れなかったんです。いつも彼らはパウロに何とか足しになりたい。
そういう思いを忘れなかったと彼は言っています。パウロはここで言っていますね。
しかし私が求めているのは贈り物ではない。それは霊的なものなのだ。すなわち、あなたがたが主の前に喜ばれるように歩んでくれること、それこそが私にとっての何よりも嬉しい贈り物なのだと彼は言ってるんです。

使徒の働きの16章にもう一回戻りますと、その16節から18節までは、ひとつの事件が起こるわけです。
ピリピの町にはユダヤ人の会堂、いわゆるシナゴーグと呼ばれる会堂がまだなかったようであります。
最低10人のユダヤ人がいないと、この会堂は作れない規則だったそうでありまして、だからパウロたちは川岸にあるユダヤ人の祈り場へ出かけて、そこでルデヤに会ったわけです。

このようにして、シナゴーグがないもんですから、ユダヤ人たちが集まって祈る場所、そこに出かけて、できればユダヤ人たちに会いたいということだったんでしょうか。
そういうふうに、日々そこに出かけていたんですけども、その途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に付きまとわれて困ったとあります。

この女奴隷はなかなか言うことは言うんですけれども、その振る舞いは正常ではなくて、それでパウロたちは困ったんです。17節を見ますと、

使徒の働き16:17
17彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。

と書いてますから、代わりに伝道してくれてるようなもんですけれども、パウロたちは困り果てちゃったんです。
それは、この女奴隷が占いの霊につかれていて、見るからにどこかおかしい。そういう人であることがわかったからであります。
そのことがパウロたちに伝えている福音のきよさと健全さを損ねる恐れがあるということなんです。

それが人々に誤解を恐れ与えるものですから、パウロたちは困り果てたんです。そのためしばらくはしょうがないなと思っていたようですけれども、ついにパウロは決心して、その霊を追い出したと書いてあります。

使徒の働き16:18
18幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。

このことが引き金となってパウロたちはあのトロアスで見た幻の実現へと導いていくのであります。
19節から34節は、この占いの霊につかれた女奴隷の霊を追い出した、これに直接関わったのはパウロとシラスのようで、その結果この女奴隷の主人たちに怒りをかって、捕らえれて、公衆の面前で裸にされ、むち打たれ、投獄されるはめになったとあります。

使徒の働き16:19
19彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。

と書いてあります。むち打たれた。パウロはコリント人への手紙第IIの11章で、・・・・24節と25節でこう書いてます。

コリント人への手紙第II、11:24-25
24ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
25むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、

と書いてあります。石で打たれたことについては、この前の第一回の伝道旅行のときに出て来ましたけれども、むちで打たれたことが三度。
このときの、16章のことを彼は言ってるようです。このときに一度、ローマ人たちに、役人たちによってむち打たれたと書いています。
ふたりは血の滲む体で、その上足かせまで掛けられて、奥の牢に入れられたとありますから、特別の要注意人物ということになったんでしょうか。

使徒の働き16:22-24
22群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、
23何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
24この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。

と書いてあります。牢と言うと、すべて地下牢ですよね。
おそらく、地下二階、三階というような所でしょう。奥の牢に入れたと言うんですから、一番嫌な、一番状況の悪いような獄に彼は入れられたわけであります。

そのような地下牢に入れられるだけで、気が滅入って、もうそれだけでも参ってしまいそうな中で、パウロとシラスは真夜中ごろ、神に祈りつつ賛美の歌を歌ったとあります。

使徒の働き16:25
25真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。

真っ暗闇の中で、パウロとシラスは静かに神に祈り、主をほめたたえる賛美の歌を歌ったのであります。
だいたい年がら年中投獄されて来る犯罪者たちを見てる看守ですから、ある種の人を見る目が肥えていて、人間というのを見分けるでしょうね。
ですから、どうもこのふたりはこれまで見たことのないような種類の人間、通常の犯罪者とは異質な連中だと気が付いていたのじゃないかと思います。

かつての新宿淀橋教会と言うと、日本の日本キリスト教団の中で一番大きい教会じゃないかと思いますけども、あそこに非常によく知られた牧師がいらっしゃいました。
この方は戦前、キリスト教弾圧のために刑務所に入れられたそうですけれども、最初の日に出された食事を、いわゆる臭い飯と言われる、その刑務所のご飯を平気で平らげて、平然と眠ってしまったので、いわゆる労務士から、こいつはよほどの豪胆な悪党ではないかと思われたということであります。

刑務所に入れられてすぐ、あのご飯が平気で食べられるという人はいないんだそうですけれども、牧師は主に祈って、食事を美味しそうに食べて、部屋の隅に寝られたのでしょう。
それでその刑務所に入れられている極悪な連中から驚かれたという話を私の先生が語られたことがあります。

本物の犯罪者集団の集まりの中に、光の子たるキリスト者が入って行くと、その違いは歴然として目につくんじゃないでしょうか。
イエス様が仰ったように、あなたがたは世の光、地の塩であります。
この人はちょっと違うな。なんでこんなとこ、入って来たんだろうというような、そういうふうにパウロとシラスの様子、振る舞いは異彩を放ってたんじゃないでしょうか。

血で染まった体をしながら、怒りや恨みの暴言を吐くでもなく、静かに祈り、賛美の歌を歌っているふたりの様子に、囚人たちも、看守も見入り、聞き入っていたようであります。
ところがとつぜん大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、すべてのとびらが全部ひらいて、囚人たちの鎖が解けてしまったと聖書は記しています。

地震によって鎖が解けてしまうとはどういうことか。単なる自然現象ではなくて、私たちが見てきたあのペテロの投獄の場合に起こったような、主の特別の介入かもしれませんね。
ただ、この地震という出来事によって看守の人生はどんでん返しを受けて、一変してしまうのであります。

先ほど兄弟も仰ったように、ちょうど一ヶ月ぐらい前ですか、あの未曾有の規模のスマトラ大地震と大津波がアジア各地を襲いました。
あまりに凄まじくて、ちょっと私たちは言葉を失ってしまうと言いますか、唖然としてると言いますか、ピンと来ないというような感じすらするんですけれども、二十万人以上の一瞬にして犠牲になりました。文字通りの歴史的な大災害であります。

突如死の淵が人々の前に姿を現わして、平穏な生活を一瞬にして根こそぎにして行ったのであります。
何百万もの人々が生と死は間一髪なのだ。髪の毛一筋ぐらいの違いしかないのだ。生と死の間には。そういうことを身を持って思い知らされたわけであります。
ちょうど同じことがこのピリピの看守の上にも起こったのであります。それまで彼はパウロやシラスをどういう事情だか知らないけれども、あわれな連中だと思っていたでしょう。

川の向こう側を見るように、何という気の毒な連中だ、こんな所に閉じ込められて。そういうふうに思っていたに違いありません。
このあとでどんな処分があるのかわからない。それに比べて自分は、川のこちら側にいるわけであります。安全地帯に立っていると思っているわけであります。
そういう目で彼は、この囚人たちを見ていたに違いないのであります。今までずっと。

ところが地震という一つの出来事によって彼の立場は一変するんです。彼は一瞬にして生死の淵へと追い詰められていくのであります。
劇的ですよね。この個所は。

使徒の働き16:26-28
26ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
27目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
28そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。

こう書いてあります。というのは、どのような事情であっても、囚人を逃がした看守は、自らの命によってそれを償わなければならないという厳格な規定があったのだそうであります。
ひとりの囚人を逃すだけで自分の命をそれに代えなきゃいけないんですから。多くの囚人は逃げたに違いないのであります。
彼は急いで、剣を抜いて自殺しようとしたと書いています。グズグズしてはおれない。早く決断が鈍らないうちに自らの命を絶たなきゃいけない。その様子をパウロは見ていたんです。

よくわれわれが映画で観るような、ベン・ハーなんかの、あの地下牢の様子なんかたぶんこういうもんだろうと思いますけれども。
松脂か何かの松明を持って、駆けつけて来たその看守が、とびらが開いているのを見て、自殺しようとするんです。
その様子を獄舎の暗がりからじーっと見ていたパウロは大声で制止するわけであります。

獄舎の土台ばかりか、人生そのものの土台をも揺るがす大地震の中で、揺るぐことなく静かに立って変わらないパウロとシラスがそこにいるわけであります。
多くの囚人たちはもう無言のうちにパニックに陥らせらいで、秩序に服させているふたりの存在の重さというのがそこにあるわけであります。
パウロとシラスがそこにいるから、多くの凶暴な囚人たちが飛び出さないわけでしょう。

看守はこのふたりの内にあるものが、自分のこれまでの常識や理解を超えたものであるということ。
このふたりは、この世を超越した存在に支えられているということを一瞬にして理解したに違いないのであります。
おおわれていた存在の根拠は、思いもかけない危機の発生によってあらわにされていく。そのとき、人々のよって立つ人生の土台が音を立てて崩れていくのであります。

これは決して特殊な方々の経験だとは言えないんです。私たちも・・・

(テープ A面 → B面)

・・・閉ざされることがあるはずであります。
そのとき初めて私たちはこの人生というものはどのようなものか、その厳粛さの前に私たちは本当にひれ伏さざるを得ないです。

看守はそのことをまざまざと経験させられるのであります。
ただひとつの地震という出来事を通して、彼は一挙に絶望の淵に自ら命を絶たざるを得ないというところに追い込まれていくんです。
それが人生なんです。

そのときに初めて私たちは、この人生というのは本当に侮ることはできないのだということ、聖書はそういうところに語りかけられていることばなのだということに気が付くんじゃないでしょうか。
この看守にとって救いとは何かということは説明してもらう必要はなかったのであります。彼はそこに滅びの淵を見ているのですから。
ですから彼は単刀直入にパウロとシラスの前にひれ伏して聞いたんです。「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」こう言ったと書いてあります。

彼はこのふたりがユダヤ人であり、彼らに従うことが町の多くの人々の反感を買うことであるということは、知っていたはずであります。評判は良くなかったんですから。
ユダヤ人が宣べ伝えている信仰などというのは迷惑がられていたんですから。

しかし、この看守の目は開かれたのであります。自分の周りの人々とうまく折り合いをつけて生活すること以上に大切なことがある。
何が何でも必要なことがあるのだと彼は気が付いたのであります。
彼のこの心からの必死の叫びに対して、有名なみことばがパウロとシラスの口から発せられたわけであります。

使徒の働き16:31
31ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

ある伝道者がむかし、われわれの若い頃に語ってくださったんですが、私たち伝道者が国内の至る所を経巡るのは、ただこのひとつのことばを聞きたいからなんです。
「救われるためには、何をしなければなりませんか。」
この心からの問いを聞きたいためにまわるのだと仰っていました。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
看守にはこれ以上のさまざまな説明はいらなかったんでしょう。パウロとシラスという、ここに揺るがない人がいるんですから。
彼らがもっているものこそ救いなんですから。彼は主イエスを信じ受け入れたのであります。これこそ揺るがない岩なのであります。

詩篇18:2-3
2主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
3ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。

ルターの有名な賛美歌の歌詞はここからひとつ取っています。主はわがやくら、です。ここから出ているものであります。

詩篇46:1-3
1神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
2それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。

あのスマトラ大地震と大津波のような感じがしますね。そこにあってもわれらは恐れない。
主がわれわれの避け所であり、岩だからと聖書は証ししているわけであります。
最後にマタイの福音書の7章、イエス様のみことばを読んで終わりましょう。

マタイの福音書7:24-27
24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。

イエス様こそ私たちの立つべき真の岩なんです。私たちはこの岩を見いだし、これを私の人生の土台と据えさせていただいているわけであります。
どのような試練や嵐があっても、この岩の上に立っている限り安全であります。それを知ってるということは、どんなに大きな恵みでしょうか。
それをまだ知らない方々にこのことを知っていただきたい。これが私たちの願いであり、このような集会をもっている意味でもあるのであります。




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