引用聖句:使徒の働き17章10節-12節
今日はこの使徒の働きの第17章、真ん中あたりまで、15節あたりまでを追って見ようかと思います。 これまで見てまいりましたように、旧約聖書風に表現しますと、シオンの山々に流れくだり、エルサレムに湧き出でたあまつまし水であるキリストの福音は、徐々に周りの国々に浸透してまいりました。 そしてついにパウロ、シラス、テモテ、ルカたちの手に携えられてエーゲ海を渡り、初めてヨーロッパ大陸にもたらされる。そういう非常に歴史的な、決定的な出来事が使徒の働きの16章に出てまいりました。 この福音を受け取ったということによって、ヨーロッパがアジアとは違った、それまでのヨーロッパ世界とは違った決定的な転換をして、2,000年のヨーロッパの歴史というものを支えてきたのは間違いなくこの聖書であるということ。 今日の全世界のリーダーとしていつでも先頭に立っている、そのヨーロッパという世界の価値観と言いますか、世界観と言いますか。そういうものの揺るぎなき根底になっているのが聖書であるということ。 結局のところ、アジアがこのヨーロッパに敵わないのは聖書という土台を持つか持たないかということであるということは、これは認めざるを得ないと私たちは思うわけですけれども、このヨーロッパに初めてキリストの福音を携えて持ち込んだのは、パウロとシラスとテモテとルカという四人のクリスチャンだったことが記されております。 ひっそりと何の見映えもなく、この四人の人々がエーゲ海を渡ったわけです。 しかしながらこの福音宣教の実情というのは、この福音が語られるところ、例外なしにおもにユダヤ人たちによる迫害の嵐が巻き起こって、クリスチャンたちはやむを得ずに難を避けるために別の町や地方に行かざるを得なかったというものでした。 燎原の火が燃え上がるという表現がありますけども、それのようにクリスチャン信仰の炎が燃え上がる。それを消そうとしてユダヤ人たちがこの火を叩けば叩くほど、それは周辺に飛び火していくというような、そういう状況であったことが聖書を読むとわかります。 当時のクリスチャンたちは、イエス・キリストの復活という使徒たちの証言の上に立つこの驚天動地の信仰、文字通り天地のひっくり返るような信仰を彼らは受け入れたのですから、当然のことながら、世の人々からすると異常なほどに伝道に熱心でありました。 そのためにいたるところで、ユダヤ人からは激しい迫害が起こってくる。そのために彼らは一ヶ所に腰を落ち着けるということができずに、次から次に新しい町、新しい地方へと進んで行かなければならなかったわけであります。 これも神さまの摂理だと言えるかもしれませんです。 イエス様はルカの福音書の中で、 ルカの福音書12:49
ということを仰っています。すべての古いものを焼き尽くす火、すべてを真に新しくする火、これこそが福音であると言えるんじゃないでしょうか。 福音が語られるところ、火が燃え上がってくる。これまでの古きものが新しくされるために、焼き尽くされるように広がっていく。 イエス様はこの状況を指し示して、そう仰ったんじゃないでしょうか。 パウロたちの一行は、この前私たちが見てきたように、ピリピの町を追い出されて、アムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ来たというふうに17章の1節に出ております。ちょっとそこに目を留めてください。 使徒の働き17:1
と記されています。 ピリピの町で伝道して、まずテアテラ市の紫布の商人ルデヤという婦人がヨーロッパの第一号の回心者となりました。 このルデヤの家がヨーロッパで最初に出来た教会となっていきます。その栄えある栄冠を勝ち得た人は女性でありました。 そのあと、パウロたちのあとを付きまとって止まないひとりの女奴隷、占いの霊につかれた女奴隷がパウロとシラスたちのあとを付いて止めようとしない。 「この人たちはいと高き神から遣わされた者だ。」と言ってやめない。それでパウロは困ってしまって、この女奴隷は確かに正しいことを言ってるんですけれども、まことの神から遣わされているということは本当なんですけれども、この女性が語るとつまずきになる。 一見してわかるような、占いの霊につかれている女がこういうことを語られると、キリストの福音がむしろつまずきになるということから、パウロは考えあぐねて、ついにこの女奴隷から占いの霊を追い出したと書いてあります。 そのことによってその主人たちが儲ける望みが失われたとして、占いの霊が無くなったために儲けの望みが絶たれたとして、このパウロとシラスを訴え出て、パウロとシラスは獄舎に放り込まれて、そこでひとりのピリピの獄吏の看守の回心ということが起こったんです。16章の後半に出てまいりますけれども。 こういうことがあって、このピリピの町ではとにかくパウロとシラスがここにとどまると困る、町が騒然としてくるということで、ピリピの長官によって「この町を出て行ってほしい。」と言われて、実は彼らはこのアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケに行かざるを得なかったわけであります。 アムピポリスとかアポロニヤ、アポロですからいかにもギリシヤの町ですけれども、そういう町の名前は私たちクリスチャンの記憶にはとどまりませんけれども、しかしテサロニケという町の名前なら聖書に親しんでいるクリスチャンならばだれもが、馴染み深い名前であります。 というのは、パウロがテサロニケ人への手紙という名前の手紙が二通、新約聖書の中に収められているからであります。 私自身にとっては、このテサロニケという名前は特に印象深いものがあります。 と言いますのは、私が学生の頃初めて連れて行かれたベック兄のドイツ語聖書研究会なるもので、ベック兄がテキストとして取り上げておられたのが、このテサロニケ人への手紙第Iでありました。 それまで私は聖書を本格的に読んだことはありませんでした。ギデオンの新約聖書はもらったことがあって、高校時代に手にしたことはありましたけれども、聖書を本格的に語るのを聞くというのはその時が初めてだったんです。 聖書講義の冒頭でベック兄が、テサロニケという町の名前の由来についてちょっと触れられたのであります。 「このテサロニケという町はアレキサンダー大王の妹の名前で、彼女と結婚した将軍がその名前をこの町に付けたのです。」と仰ったのであります。 初めて聞く聖書の話に、中学生の頃偉人伝で読んで興奮したことのある、あのアレキサンダー大王の妹の名前が出てきたのですから、私にとっては強いインパクトとなりました。 「へぇーっ!」と半分驚き、半分感心しながら聞き耳をたてることになったわけであります。そのことで聖書が観念的な教理を説いてる単なる宗教書ではないということ。歴史上の人種と密接に関係する書物、一種の歴史書であるということが私の興味を一段とかきたてることにもなったと言えると思います。 今改めて聖書辞典を引いてみますと、テサロニケについて次のような説明が書いてあります。 エーゲ海北西部、サロニカ湾頭の町。最初はセルメ、あるいはセルマ、(ともに「温泉」の意味だそうです)と呼ばれたが、アレクサンドロス大王の後継者、カッサンドロスが自分の居住地とし、妻(すなわち、アレクサンドロスの異母妹です。母親が違う妹です)テサロニカの名にちなんでテサロニケと命名した。 この町はマケドニヤがローマの所領となっていたが、四分割されたとき、その第二の地方府となり、ローマ東方諸国つなぐ大街道の軍事的、商業的要所であり、紀元前42年には自由都市とされた。とこういうふうになっております。 このような、当時のいわば県庁所在地ですから、この町にはユダヤ人の会堂があったというわけであります。 ピリピにはユダヤ人の会堂は無かったんでしたね。10人以上のユダヤ人が集まらないと、会堂はできなかったと書いてあります。ですからピリピにはなかった。 ところがこのテサロニケには大ぜいのユダヤ人がいたわけであります。 ベック兄の聖書講義が2、3回目にかかったときでしょうか、テサロニケ人への手紙第Iの個所が読まれるのを聞いて、非常に強い感銘と言いますか、忘れがたい思いをしたことがあります。 テサロニケ人への手紙第Iちょっと開いてください。 テサロニケ人への手紙第I、2:3-5
一回にわずか数節のメッセージをなさる当時のベック兄、この話がここまで来たときに、私はこの聖書の個所を聞きながら、この人も同じ姿勢でこの聖書のことばをここで伝えておられるのだと感じました。これは文字通り真剣勝負の場だという感じでした。 この人は私たちを喜ばせようとして語ってはいない。自分の心をご覧になる神の御前で語るのだと仰っている。 私たちはかつて、自分はかつて、人にへつらうことばを、むさぼりの口実を設けたこともない。それは神がご存知である。こう語られる聖書のことばを読みながら、私は本当にこれは大変な場所だというふうに感じました。 大学の講義に失望してきた私としては、良心を研ぎ澄ますかのような一言一句は、「それこそ自分の求めていたものはこれだ。」と思わざるを得ませんでした。 ある意味では仕方のないことであります。この世の学問や科学は人間の理性の領域、頭脳に訴えるものであり、聖書は人間の良心、全人格に直接語りかけてくるものだからです。 そのときベック兄が、「真理とは科学者が組み立てる仮説のことではない。真理とは人格そのものである。」、そういうことを教えるのであります。もう驚かざるを得ませんでした。 真理を科学的な仮説に求めてはならない。真理とは生ける人格である。私にとってやはり圧倒的な印象でありました。ですからこのテサロニケという名前は忘れがたいのであります。 今言いましたように、この使徒の働きの17章に戻りますと。彼らはテサロニケに行きます。 使徒の働き17:2-3
パウロはこの使徒の働きを見て行くとわかりますけれども、彼はまずユダヤ人の会堂、シナゴーグをいつも目指して行くわけであります。 渡り鳥のように、このシナゴーグを飛び飛びに目指して出かけて行って、結局ユダヤ人に向けて福音を語っているのであります。 ご存知のようにパウロは異邦人の使徒を自称した人でした。「私は異邦人に福音を伝えるべく召された人間だ。」ということを彼は何度も語っております。 「ペテロがユダヤ人に遣わされた使徒であるように、私は異邦人に、すなわちユダヤ人以外の人々に向かって遣わされている使徒である。」と言っています。 ガラテヤ人への手紙の2章、ちょっと見ましょうか。二ヶ所ぐらい見てみたいと思います。 ガラテヤ人への手紙2:6-9
割礼を受けた人というのはユダヤ人のことです。無割礼の人というのは異邦人のことであります。 こういうふうにパウロはガラテヤの人々に向かって語っておりますが、エペソ人への手紙、ガラテヤ人への手紙の次の手紙がエペソ人への手紙ですが、3章の1節にも同じようなことを彼は書いております。 エペソ人への手紙3:1
云々と書いています。異邦人の使徒。パウロは繰り返しこういうことを言っていますけれども、彼の宣教の直接のターゲットは、ここでも異邦人というよりは、同胞のユダヤ人なのであります。 ところがこのユダヤ人たちの大半は、意志をもってこのパウロを迫害していきます。そうですからパウロはやむを得ずして異邦人にキリストを宣べ伝えるという形になっていくわけです。 パウロのユダヤ人向けの宣教は、ユダヤ人が問題の核心についての知識を十分もっているためなのか、極めて直接的であり、また挑戦的であるような印象を受けます。 パウロのメッセージを聞くユダヤ人のほうも、強烈な個性をもつ民なのかその反応は強烈で、私たち日本人のようなオブラートで包んだ反応ではなくて、感情むき出しの赤裸々なものであります。 受け入れて従うか、拒絶して反抗し、迫害するのかのどちらかであります。これはユダヤ人にとって曖昧なままで放置することのできない、彼らにとっての死活的問題だったということなのかもしれません。 この17章のあとのほうで出てくるギリシヤ人たちの反応とは大きく違うのであります。先ほどの17章の4節です。 使徒の働き17:4
この4節に非常に簡単にわずか一行そこらで書いてます。彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。 ここでのユダヤ人たちの回心はパウロの極めて理論的な説明、聖書の預言の正しい解釈はこれだという説明を受け入れて従うという、いわば説得に承服したというような感じに見えます。 私たちが今まで見てきた、あの使徒の働き10章に出てくる異邦人コルネリオとその家族たちの回心の様子と比べると、随分こう、あっさりしていると言いますか、何か物足りないような感じがするのであります。 異邦人のコルネリオと家族が回心したときには、彼らの上に御霊がくだって、その家族全員が御霊による威厳を語り始めた。それでペテロたちは驚いたと書いてありますけれども、このユダヤ人たちに対する宣教というのは、こういう経路を取らないんです。 「ユダヤ人たち、あなたたちが待ち望んでいるメシヤはこのキリストなのだ。あなたがたが十字架につけたキリストこそが、あなたがたが待ち望んでいる救い主なのだ。」 そういうことを旧約聖書のさまざまな預言を引き合いに出しながら、パウロはこの会堂で語るわけであります。 何か物足りないなという思いを持ちながら、先ほど申し上げたように、先日モスクワの集会を訪ねるべく兄弟姉妹方と飛行機に乗ったわけです。 飛行機の中である本を読んでおりました。これは最近アメリカで非常な評判になっている本だそうで、日本語の題名は、「ナザレのイエスは神の子か」というものであります。 シカゴ、トリビューン紙の敏腕記者が、自分の奥さんがあるときクリスチャンになり、彼女のその変貌ぶりに接して、徹底的に聖書を検証するという、この問題に立ち向かった人の記録なんです。 イェール大学法律大学院で法律を学んだ、大した記者のようであります。 この記者は、持ち前のジャーナリスト魂を発揮して、徹底的に聖書の記事を検証しようとするわけであります。 自ら旧・新約聖書を読み、ほとんどあゆらゆるめぼしい聖書批判派の文献を読んだ上で、現代アメリカの聖書学の権威と言われる人々を中心に、13人にインタビューし、自分の疑問を正面からぶつけた記録なんです。その結果、本人はクリスチャンになるわけですけれども。 昔あのベン・ハーの小説を書いた南北アメリカ、南北戦争の将軍でしたね。彼がこの聖書の記事は本当かどうかを検証しようとして、確かエルサレム方面まで彼は出かけているはずですが、その過程でクリスチャンになって、「キリストに関するひとつの物語」という副題があのベン・ハーの映画にはついてますけれども。それを書き上げた人がいます。同じようだなと思って非常に興味深かったのであります。 その結果今言いましたように、本人は聖書の記事が反論の余地の無いものであることを認めざるを得なかったというわけです。彼自身がクリスチャンに変えられていくわけですけれども。 ともかくこの人の徹底的な取材が迫力十分で、説得力十分なので、アメリカにおいては絶賛されたようであります。 もうすでにクリスチャンの方々には必要ない本でありますけれども、まだ聖書に対して色んな疑問を抱いていらっしゃる方々にはお勧めできる一級の本だろうというふうに思います。 私はこの本を読みながら、昔、吉祥寺のキリスト集会で見せていただいた、アメリカの大学生のクリスチャン信仰との関わりを描いた短編映画を思い出しました。 ひとりの求道中の学生が、聖書の記事と科学的知識との対立、矛盾に悩んで、その疑問を、大学で伝道をしている中年の伝道者にぶつける場面があるのであります。 「聖書の記事を科学的に証明することはできますか?」、こういうふうにその若い学生が質問するのであります。若い学生で、この問題に悩まない人はいないのですから。 私はその伝道者がどのように答えるのかを興味深く観ておりました。 この中年ぐらいの伝道者は、その学生の深い戸惑いに十分な理解を示しながら、次のように説明するのであります。 「科学的証明の仕方には二種類ある。一つは実験による証明であり、例えば、軽石が水に浮くかどうかは何度も何度も実験して確かめることができる。浮かせればいいんです。何べんやっても軽石は水に浮くということが事実として確かめられる。自然的な事実は実験によって繰り返し再現することができるからである。 しかし歴史上に起こったことについては、そのような実験はできない。歴史上に起こったことについての科学的な証明とは、当時のさまざまな歴史的文献記録や、証言、考古学的な研究、さまざまなその時代の証言や考古学的なそういう証拠というものをつき合わせてみて、そこに矛盾点が無いかどうかという、そういう徹底的な検証による以外には無い。これは法律的証明と呼ばれるものである。」と彼が言うのであります。 歴史的に起こったことは実験できない。だからそのことに関連するあらゆる事実を徹底的に集めてくることである。それをつき合わせるのだと。そういうふうに彼が言うんです。この説明には私もなるほどと納得しました。 科学は事実に関する論証を課題とするものであります。事実には自然的な事実と歴史的な事実があります。ですからその証明方法には二種類あるわけであります。 この伝道者は今日の科学論というものを十分学んだ人だなと、そのとき感服したものであります。 ですから聖書が西暦何年のいつ頃、どこどこで、これこれのことが起こった。その事実を誰それが見た。それを見た人たちはだれとだれとだれである。 滔々と記録してるわけですけれども、それが私たちの常識や理解をはるかに超えているからと言って、科学と矛盾するというのは、そういう論断は早とちりなわけであります。科学は、実際に起こったことを論証するものだからであります。 人間の理解を超えることが起こったからと言って、それが科学と真っ向から矛盾するものであり、否定されるべきものであるという結論を科学者は出してはいけませんね。それは科学の手続きを逸脱するものだからであります。 この記者も、彼の専門とする法廷での証言の真実性の証明という手法を用いて、聖書の証言の真実性をそれこそブルドッグの如き執拗さをもって追究していくわけであります。 嘘の証言を見破っていくさまざまな手続きがあるわけでしょう。その今までの長い間の経験を織り込みながら、その手法でもって文字通り、法律的証明を彼は追究していくわけです。 そういう意味で面白かったわけですけれども、この証言集とも言うべき本の中で、私にとって特に興味深かったのは、ひとりのユダヤ人クリスチャンの証言でした。 さっき言ったように、私はこの17章のこの個所を読みながら、ちょっと物足りないんです。わずか一行半ですから。 ユダヤ人たちが、このパウロの旧約聖書の説明に納得して従ったというのは、どうも迫力に欠けるというような感じが、正直していたわけです。 ところがやっぱりちゃんと主の導きがあるもので、飛行機の中でこのユダヤ人クリスチャンのひとりの人物の証言が、インタビューでえぐり出されていると言いますか、実に浮かび上がらされているので、これは私にとっては、この個所を学ぶのに非常にピッタリな内容だったんです。 そのひとりの人物の証言から、通常のユダヤ人たちがクリスチャン信仰について、新約聖書についてどのような教育を受けて育つのか、その極度の偏見について知ることができたことは、私にとっては非常に収穫と言えたのであります。 このユダヤ人のキリスト教信仰に回心した人は、ユダヤ人の救いのために献身している人らしいんですが、その人へのインタビューでした。 この人はユダヤ教の家庭に生まれて、とにかくもうキリスト教徒というのはユダヤ人を敵視している人々であると思い込んで育ったと書いてあります。 新約聖書はおそらくユダヤ人を迫害するためのガイドブックだろう。ユダヤ人を嫌う方法、ユダヤ人を殺す方法、ユダヤ人を大量虐殺する方法などが書いているガイドブックだろうというふうに思っていたと述べております。 そのひとりのユダヤ教の家庭に生まれたユダヤ人が、自分の両親の離婚を通して、ユダヤ教にも信頼がおけない。その信仰も捨てるわけであります。 そして彼は反体制的な生活を送るようになり、大学に行っても授業に出ないで、喫茶店で音楽を聴きあさったり、そういう虚無的な本を読みあさるという、そういう青春期を送るんです。 そして戦争の召集令状にも無防備なままにベトナム戦争に召集されて、ベトナムに送られるわけであります。 こう書いてあります。「ベトナムに着いてからオリエンテーションがありました。そこで、『お前らのうち、おそらく20%は死ぬことになる。残りの80%は性病にかかるか、アルコール依存になるか、麻薬依存症になるかのどれかだな。』と言われました。まともな人間としてここから出る可能性は1%も無いのかと思いましたよ。 非常に暗い時代でした。苦しみを、死体の山を、戦争による荒廃をこの目で見たのです。」 こういうふうに語っていますけれども、いつしか彼は東洋宗教に興味を覚え、色々と調べるようになりました。 「ユダヤ教にはもう失望している。キリスト教はとんでもない信仰である。彼が救いを求めるのは東洋宗教であります。 日本駐屯中、彼は東洋哲学の本を読み、寺を訪問した。自分が見てしまった悪しきものに苦しめられ、悩まされていました。そうして信仰がその悪しきものをどう処理するかを考え、その方法を探そうと必死になりました。 当時の私は、『神が本当にいるなら、シナイ山の神だろうが富士山の神だろうが信じてやるよ。』とよく言ったものです。」 ベトナムを生き抜いた彼は、マリファナの常習癖と僧侶になるという計画とを携えアメリカに帰国した。 そして過去に犯した過ちの悪いカルマを洗い落とすべく、自己否認と禁欲の生活を送り始めた。しかしすぐに自分の間違いをすべて正すことが不可能なことに気付く。彼はしばらく黙っていた。とても落ち込みました。 地下鉄に乗りながら、線路に飛び込むことが答えなんじゃないかと思ったこともありました。死をもって自らをこの身体から解放し、神と一体になるのだと非常に混乱していました。それから更にひどいことに、LSDに手を出したのです。 仏教の会合に行きましたがそこには何もありませんでした。中国仏教は無神論。日本仏教は偶像礼拝。そして全仏教は漠然として掴みどころが無さすぎました。 サイエントロジーの集会には行っていましたが、彼らもごまかしと管理主義に明け暮れるだけの人たちでした。 ヒンズー教はいわゆるどんちゃん騒ぎを信仰としていて、このどんちゃん騒ぎは神がなさるもので、パーティのホストであるその神を・・・ (テープ A面 → B面) ・・・求めた人であります。 こうして彼はある街角で、路傍で伝道しているクリスチャンの人々を見て、「こんな奴ら、オレが説き伏せてやる。」と言って、麻薬か何か中毒気味のままその路上に出て行って、若いクリスチャンたちと口論を始める。 その口論がきっかけとなって、面白いことが書いてあります。彼はこう言ってます。 「神が天にいらっしゃるなんていうのは間違いだ。」、空を指して彼は話しかけた。「俺たちが神なんだ。俺も神。あんたも神。それがわからないようじゃダメさ。」 それでクリスチャンたちがこう言います。「それでは巌をひとつ作ってみてください。」 ひとりの青年が答えた。「もしあなたが神なら、何もないところに何かを出すことができるはずです。」 麻薬で朦朧とした意識の中、彼は巌を抱えているところを想像して、「ほら。巌が出てきました。」と言った。 クリスチャンの青年は笑って答えた。「それが神とあなたとの違いです。神が何かを創造されるときは、だれの目にも明らかですよ。神の創造とは主観的なことではなく、客観的なことなのです。」 この言葉が彼をとらえた。青年の言葉についてしばらく考えたのち、もし神を見いだすのであれば、その神は客観的でなければならないのだと自分に語りかけた。 すべては自分の心の中のことであり、自分の世界は自分で作るものと教える東洋哲学とはもうおさらばだ。自分の想像を超えて何らかの意味をもつ神は、客観的な現実でなければならない。 こういうふうに、この人の考えはまともなんです。徹底的にやっぱり彼は求めていたから、主観的な、単なる主観の世界に閉じこもって、客観性を持たない東洋哲学。仏教のようなもの。これは根拠がないということ。役に立たないということ。彼はそのことに気が付くのであります。 このときに彼は一冊の聖書を渡される。「これ読んでみませんか?」伝道者によってもらっている。このとき彼はこう言ったそうです。 「私は絶対新約聖書を読まない。旧約聖書だけなら読んでみる。」と初めて彼は旧約聖書を読むわけです。ユダヤ人でありながら旧約聖書を読んだことがないわけです。 ユダヤ人たちはクリスチャンたちが、キリスト教徒たちが勝手に旧約聖書を書き換えて、キリストは旧約の預言の成就をしたというようなことを小さい頃から教えられているもんですから、彼は聖書を始めから読みながら、例えばあの有名なイザヤ書の53章の預言の書を読んだときに、これは自分が今まで見て、おぞましいと思ったキリストの姿じゃないかということはすぐわかったそうです。 血にまみれて、磔にされている教会のあのキリスト像はこれとピッタリじゃないかというような思いをしたそうでありますけれども、彼は自分の親族から原文の、ヘブライ語の原文の旧約聖書を取り寄せて照合するんです。 本当にこのクリスチャンが持ってる聖書と同じかどうかと思って。彼は照合してみると、ピッタリ同じなわけです。 そういうことから彼はこの聖書に真剣にならざるを得ない。こうしてついに彼も教会に訪ねて行った。 驚いたことに、あの路傍で聖書をくれた牧師がそこの教会を主宰していて、その牧師さんも驚いたというふうに書いてますけども。こういうふうにしてひとりのユダヤ教徒が聖書と真剣に向き合いながら真理を見いだしていく。これは非常に私にとっては興味深い証言でした。 ですから4節には今言ったようにほんのわずかしか書いていないわけですけれども、 使徒の働き17:4
やっぱり真剣に聖書の預言というものを受け取る人。救い主という、救い主の降誕を待ち望んでいる人。要するに求める思いのある人。真理を知りたいという願いを強くもっている人というものは、やはり目を開かれるものだということを思うわけであります。 単なるパウロの説得に、単にそれを承服したというだけじゃなくて、やっぱり彼らの内にも御霊が大きく働いてくださったのだろうと思います。 その間に、ギリシヤ人が大ぜい受け入れ、貴婦人たちも少なくなかったと4節の後半にあります。聞く耳を持った求めるたましいがそこにも備えられていたということであります。 5節からちょっと見てください。 使徒の働き17:5-9
ヤソンというのはおそらく会堂管理者でしょうね。そこには書いてありませんけれども。ユダヤ人の会堂の管理者じゃないでしょうか。 パウロやシラスを捕まえることができなかったので、ヤソンとその兄弟たちを捕まえて、訴え出たと書いてあります。 ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、云々と書いています。 多くのユダヤ人たちは受け入れませんでしたけれども、一部の人々が受け入れて、パウロたちに従うその信仰を見て、ねたみにかられたのであります。 キリスト信仰を受け入れるとは、これまでの仲間たちの群れから出て、クリスチャンたちの仲間にはいることですから、そこにかつての仲間との間に分裂が生じてくるのであります。 水と油とのように分かれてくるのであります。交じり合えなくなるのであります。 一ヶ所だけ、イエス様のみことばをちょっと見てみたいと思いますけれど。ルカの福音書です。 ルカの福音書の先ほどちょっとだけ引用しましたけれど、 ルカの福音書12:49-53
平和の君と呼ばれるイエス様のことばにしては驚かれるかもしれません。 しかしある人が本当にイエス様を信じ、イエス様に従っていこうと決心するならば、その人は今までのこの世の生活、風習、これまでの仲間たちとの付き合い、これまでの趣味や習慣というものから、はっきりそこに一線を引かなければならなくなってくるのであります。 それがクリスチャンにとっては確かに痛い経験です。クリスチャン信仰にとって、これは避けることのできないことであります。イエス様はそのことを仰ってるわけです。 イエス・キリストを神の子と信じ、その復活を信じ、キリストに従っていこうという信仰を心から受け入れながら、クリスチャンの群れに加わることはご免であるという、そういうわけにはいかないのであります。 私はどんなグループにも属したくないという偏屈な人間というのは少なくありません。私なんかもどちらと言えばそうであります。 あんまり趣味の合わない人たちといっしょにいるというのは、自分にとって嬉しいことではありませんから、多くの人々の中にはいって行くのは自分の性に合わないのであります。 確かに集団に加わると煩わしいことも多々あるのは事実であります。けれども、ひとりぼっちの一匹狼的な信仰は聖書のどこにも述べられてはいません。 クリスチャンは狼ではなく、羊に例えられているのであります。ひとりの牧者、ひとつの群れとイエス様が仰いました。真の回心は人を謙虚にするものです。 自分の好き嫌いによって人を選別したり、人をさばいたりするということをやめさせるものであります。そういうわけでクリスチャンというのは、必ず群れになるのであります。それが教会であります。 教会での交わりを通して養われない信仰というのは、いびつなものになるんです。 ですからそこに集まっているクリスチャンたち、もちろん人間的に色々な欠陥を持っていますけれども、だからと言って、私はひとりで信仰生活を歩むということは非常に危険です。それは非常に危険というよりも、絶対に避けなければならないことなんです。 交わりにおいてクリスチャンは真の意味で成長していくものだからであります。 先ほどの使徒の働きの17章の5節。三つのことばをちょっと・・・。ねたみ、ならず者、暴動、三連句です。 この三つのことばは同じ性質を表わしています。要するに、これらの三つは真理に属するものではないということです。暗やみに属するものであるということです。 ねたみという感情ほど肉的な性質に属する卑しくて、暗い感情はほかにないかもしれません。これが7節での虚言となります。17章の7節です。ユダヤ人は意識的に事実を歪曲していくのであります。 イエスという別の王がいて、カイザルの詔勅にそむくということは、彼らはそうじゃないということを知っているのであります。 イエス様に十字架の判決を下した、あの総督ピラトでさえ、このユダヤ人の王と言っているという訴えに対しては、それはそういう意味で言ってるのではないというふうに認めたのですから。 ローマ皇帝に逆らう意味での王ということばではないということはピラトは認めました。だからこの人に罪はないと彼は宣言したのであります。 政治的な意味で言っているのではないということ。この人はいわば霊的な宗教上の、信仰上のことばとして、ユダヤ人の王であるというふうに言ってるということはだれもがすぐわかったからです。 しかしそれではローマの権力はこのクリスチャンたちを弾圧できませんから、彼らはここで歪曲をし、嘘を嘘と知りながら彼らはこの事実を捻じ曲げていくわけであります。目的のためには手段を選ばないというやり方をやっていくわけです。 ヤコブの手紙の3章13節からちょっと見てください。 ヤコブの手紙3:13-17
上からというのは、神さまからという意味です。 ヤコブの手紙3:17-18
イエス様の弟ヤコブだと言われてますけども。このヤコブのこのことばは非常に印象的です。 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれるのだ。暴力によって行なわれ、それで実を結ぶようなものではないのだと彼は言っているわけです。 町ぐるみの暴動になりかねない状況を危惧して、兄弟たちはパウロとシラスとをテサロニケから脱出させて、ベレヤへ送り出すのですけれども。先ほど読んでいただいた使徒の働き17章、もう一回返ってください。 使徒の働き17:10
とまた書いてあります。ベレヤですが、ふたりはベレヤの町に着くとまたすぐにユダヤ人の会堂にはいって行くのであります。 ベレヤのユダヤ人たちはテサロニケのユダヤ人とは違って全うであり、多くの人々が信仰にはいったと書いてあります。 ここでもギリシヤの貴婦人や男子が少なくなかったとあります。彼らは旧約聖書と照合して、本当にその通りかどうかを熱心になって調べたと書いてあります。 しかしテサロニケのユダヤ人たちは、ベレヤまで押しかけて妨害しようとします。こうしてパウロはユダヤ人たちの迫害に追われるようにして、ついにギリシヤ文明の発祥地であるアテネにまで足を踏み入れるわけです。 16節から。アテネでのギリシヤの哲学者たちとの彼の問答が記されています。 先ほどお話したとおり、今回初めてモスクワの地を訪れました。予想と期待に反してさすがに寒くて震え上がりました。 しかし5、6人のクリスチャンたちとの思いもかけないすばらしい交わりが与えられて、一挙にモスクワが親しみを覚えるような、懐かしい所と変えられていきました。 初めて会った方々がもう昔からの知己のように、会った途端にあの親しみ深い笑顔を浮かべてくださって、あちらこちら案内してくださって、本当に聖書が言ったように、同じいのちを持っているというのは、こういうことだなということを感じざるを得ませんでした。 最後にひとつだけ感じたことを付け加えますと、ロシア正教のイコン崇拝についてであります。 教会の壁に所狭しと飾られ、これは何百年前のイコンであって、大変な価値のあるものだとか、寺院の中は飾られているわけですけれども、聖なる崇拝の対象物となっているその聖人やマリヤやイエス様を描いた絵であります。 どうしてあのような絵をあんなに崇拝するのか、私たちには子どもじみて見えるんです。 要するに聖書そのものを読まない信仰が、いかに本当の軌道を逸脱するものであるかということを痛感させられるのであります。 昔の、文字を読めないロシアの農民たちが、深い敬虔さはもっているけれども、聖書に何が書かれているのかを知らないために、ただの迷信を信じて、それをキリスト教信仰として、非常に大切にしているように思われるからです。 敬虔深い、信心深いという態度を聖書そのものは否定しているでしょ。私たちが信心深いからこういう奇蹟をなしたと思ってはいけないというふうにペテロは言っていますよね。 そうじゃなくて、私たちの外側にあって生きておられるところのイエス・キリストが、この私たちの祈りに対して応えてくださったのだ。この病人を立ち上がらせてくださったのだとペテロが言っているとおり、私たちの信心深さが何か力をもっているのじゃないのであります。 神ご自身が、救い主ご自身が今も生きておられて、私たちの心の願いに対して、正しい願いに対しては応えてくださる。私たちの誤りに対してはそれを叱責し、矯正してくださる。聖書はそう言っているわけであります。 このことを通しても聖書そのものを自分自身の本として日々私たちが読むことができるということ。それがどんなに大きな恵みであるかということ。信仰にとって欠かすことのできない本当に大切な碇綱だということを改めて実感した次第であります。 もう一回最初に読んでいただいた17章の10節から読んで終わりたいと思います。 使徒の働き17:10-12
長くなりましたけれどもそこで終わります。 |