引用聖句:使徒の働き17章16節-21節
兄弟ももう七十おいくつかになられるわけですよね。昔ですと古希、古来稀なりというお歳なのですけど、そのお年寄りがお年寄りを看護する。老老看護と言うのだそうですけれども、本当にごく当たり前のようになっております。 何かやっぱり、人は生きて来たように死ぬのではないかとぼくは思います。死ぬときだけ調子よくというわけにはどうもいかないのではないか。 人間はやっぱり、いかに生きたかということによって、いかに死ぬかということになるのではないかという気がしてしようがないのです。どうもそれがやっぱりひとりひとりに対する神さまの計りに応じたことなのだろうと思いますと、ちゃんと生きなければいかんという思いを改めてするわけであります。 私の存じ上げている信仰の先輩は、全国の信徒大会の進行中に前列に座っていながらそのまま召されたそうであります。 信徒大会で重責を果たしながら、その席に座ったまま、この世を去って天に凱旋をなさったのであります。私たちも世を去るそのときまで、たゆまずにひたすら前を向いて歩まなければならない。それを思わされるわけであります。 前回私たちは、パウロとシラスたちが、特にこの2人がピリピの町で騒動に巻き込まれて、そこを追放されて、「この町を出て行ってほしい。」と言われて、テサロニケの町へ行ったということ。 テサロニケという町はそこでのいわば県庁所在地であって、大きな町であったために、ユダヤ人の会堂シナゴーグがあった。その会堂にはいってパウロとシラスは3つの安息日にわたって聖書に基づいてユダヤ人たちと論じたと書いていました。 3つの安息日にわたって、3週間ですから、どうも3週間ぐらいではないのではないかというように今言われているそうですけれども、もう少し長い期間彼はいたのではないか。 そうでなかったら彼があとで見ますように、テサロニケに書いている手紙において兄弟姉妹の信仰について心配して、その様子を伺わせているのを見ると、ちょっと期間的に短すぎるのではないかということを言われております。 3つの安息日にわたって、聖書に基づいて、旧約聖書が言っているとおり、「このイエスこそメシヤなのだ。」と論じたのです。その結果、少数のユダヤ人たちと多くのギリシヤ人たち、貴婦人たちが信仰を受け入れたと17章のほうには書いてありました。 使徒の働き17:4
と書いてあります。幾人かと書いていますから少なかったということでしょう。 使徒の働き17:4
異邦人のほうがむしろこの信仰を受け入れたようであります。そのためにユダヤ人たちのねたみによる暴動が起こって、彼らは迫害されていくわけです。 17章の10節に、兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行ったと書いてあります。 その結果、テサロニケでのときと同じように2人の言葉に真剣に耳を傾ける人々が大勢与えられて、2人の証言の真実さを認めて救いへと導かれていったと書いてあります。 使徒の働き17:11-12
彼らのうちの多くの者が、と書いていますから、テサロニケのユダヤ人たちよりもこのベレヤの人々のほうが、パウロとシラスの証言を真っ直ぐに受け取ったわけであります。 2人が語ったことというのは「イエスは復活された!」という証言です。この証言をユダヤ人たちは聞いて、この2人は嘘を言っているのではない、この人たちは真実を語っていると信じたのであります。 どうでしょうか。人間というのは、心して聞くならば相手の語っていることが真実かどうかということを判断できるものではないでしょうか。 あるいは、ちょっと待てよ。ちょっとどこかいまいちクエスチョンマークだなとか、そういう判別を出来るのではないでしょうか。 「この人は真実を語っている。」、「いや、どうも肝心なところはぼかしている。」、聖書のどこかにありましたね。私たちのこの舌が物の味を見分けるように、心というのは相手の言葉の真理を判別できるはずであります。 私たちが損得に目をくらまされていない限り、真実か虚偽かということがわかるでしょ。自分には話の内容はよく理解できないけれども、この人は嘘を言ってはいないということ。それはわかるだろうと思うのです。 パウロとシラスは、イエスの復活という重大極まりないことについて証言しているのですから、ことの重大さを理解できる人ならば、彼らが嘘を言っているのではないかどうか。何か下心を持っているのではないか。そういうことを、それこそ全神経を集中して彼らの真実性ということを判別しようとするのではないでしょうか。 前回引用しましたように、パウロやシラスは人間を喜ばせ、人間に取り入ろうなどとはまったく考えていませんでした。ただ真実のみを語るべきであり、人たちが信じやすくなるようにとわずかの混ぜ物もしてはならないということを彼らは自覚しておりました。 彼らは主によってこの福音を託されているということ。だから主への責任が自分たちにあるということ。その責任がどれほど重大なものであるかということを二人はよくわかっていたのであります。 本当に人々を愛するならば真実のみが語られなければならないのだということを彼らはよく理解していました。 真実でないものを語って、人々をどんなに信仰に導いたからといって、それは役に立たないからであります。それは本当の意味で人を愛しているのではないからであります。人を愛するならば真実だけが真っ直ぐに語られなければならない。 真実なことばは相手の良心に向かって真っ直ぐに届けられなければならない。そのことをパウロもシラスもよくわきまえていました。 逆に言うと、だからこそ神はこの2人にご自分の福音を託していらっしゃるのであります。真実のみが、真理のみが人を本当の意味で絶望から解放することができるからです。本当に生きる力を、希望を与えることができるからです。永遠の御国へと人を導きうるからであります。 先月もいっしょに開けましたけれども、テサロニケ人への手紙第Iをちょっともう一回見てください。 テサロニケ人への手紙第I、2:1-2
まずピリピで語ったと書いています。そして、テサロニケの兄弟たちよ。あなたがたがのところに私は行った。それはむだではなかったと言っているわけです。 テサロニケ人への手紙第I、2:3-5
ガラテヤ人への手紙1:10
人の歓心を買おうとして、福音に混ぜ物をして伝えるということ。これは許されないことだということですとパウロは言っているわけです。 福音をゆだねられたものの責任なのだと言っているのであります。主の前に立って自分は語っているのだ。主が私の心を見ていらっしゃるのだと言っているのであります。 私が初めてこの福音に触れたとき、先回申しましたように、このドイツ人宣教師はただ真実のみを語ろうとしていらっしゃるということは、私にわかったのであります。 確かにそこに出席しているひとりひとりのことを心から大切にしていらっしゃるけれども、しかしこの人は人を喜ばせようとしてはいないということ。これはわかりました。 そこに集っている求道者に対して、深い祈りと配慮をもっていらっしゃる。そのたましいに対して本当に責任を負っていらっしゃる。しかしそうでありながらも聖書のみことばを真っ直ぐにこの人は語っているし、真理だけを問題にしている。だから真剣に聞かなければならないのだということを私は感じざるを得なかったのであります。 このベレヤのユダヤ人やギリシヤ人たちも、パウロとシラスのことばを同じように受け取ったに違いないのであります。 テサロニケ人への手紙第I、2:13
私たちが語ったことを神からの指針としてあなたがたは受け取ってくれた。そのことを私たちは主に感謝している。 あなたがたが受け取ったその神のことばは、あなたがたのうちにあって力強く働いている。こう言っているのです。 パウロやシラスたちはただ真実な証言者になろうとしただけでありました。聞く人々の心を開き、救いへと導かれるのは主のなさることであります。 ですから自分のなすべきことは、ただ自分が見たこと、聞いたこと、それを真実に語るということである。すべてのクリスチャンはそうでなければならないのです。 そこに偽りがはいっていたり、人の歓心を買おうとしていたり、そういう人間的なもの、肉的なものが混ざっているならば、それは役に立たないからであります。それはまた主が託された使命に反することだからであります。だから証しをすること、みことばを宣べ伝えることは非常に私たちに緊張を強いるものであります。大変なことだからであります。 コリント人への手紙第II、4:1-4
この世の神というのは悪魔のことです。悪魔が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。 コリント人への手紙第II、4:5-6
しかしながらテサロニケのユダヤ人たちは、パウロとシラスのベレヤでの宣教活動のことを聞いて、ベレヤまで押し寄せて来て、迫害と妨害とを執拗に繰り返すのであります。 そのためパウロは追われるようにしてアテネまで行くのです。先ほどの使徒の働きの17章に戻って、13節から15節。 使徒の働き17:13-15
パウロだけをアテネまで送り届けたのです。シラスとテモテはベレヤに踏みとどまったと書いています。 もう1回テサロニケ人への手紙第Iをちょっと見てください。 テサロニケ人への手紙第I、2:14-16
テサロニケ人への手紙第I、3:1-4
私たちだけがアテネにとどまることにして、テモテを遣わした云々と書いていますけれども、このテサロニケ人への手紙というのは、アテネから書いているものではないようです。コリントから書いているのです。 ベレヤにはテモテとシラスは残っているわけであります。彼1人だけがアテネに難を避けて来ています。そしてそのあとで彼はコリントに行って、コリントからテサロニケの兄弟姉妹に手紙を書いて、テモテに渡しているわけです。 そしてテモテが帰って来て、テサロニケの兄弟姉妹たちが迫害の嵐の中にあっても、ますます信仰を強められて喜んでいる。しかも私たちのことを本当に慕ってくれている。そのことを聞いて私は本当に神に感謝しているというようなことを後ろのほうに書いてあります。 こういうふうな経路でパウロは1人、あの古代ギリシヤの首都、哲学の発祥地、人間の知恵の代名詞とも言うべきアテネに足を踏み入れたわけであります。もう1回使徒の働き17章にはいりますと、そう書いてありました。 使徒の働き17:15
このアテネにおいて神の知恵なる福音と人間の知恵なる哲学とが激突することになるわけであります。 しかしこの17章の後半の記述を見ると、両者は水と油のようにまったくかみ合わず、その対決は対決にもならずにすれ違いに終わってしまっているかのようであります。 パウロがアレオパゴスに連れて行かれて、そこで神について、救いについて語っています。パウロはおそらくアテネではこの1回だけ、こういう証言をしたのでしょう。次の伝道旅行でここを通ったという記録はありませんから。 使徒の働き17:16-18
ユダヤ人パウロは小さい頃から旧約聖書を通して、神が唯一の神であるということ、神々なるものではないということをよく知っていました。 多数の神々が存在するという考えは人間の理性に反し、人間の思考を混乱に陥れるものであること。したがって神が唯一であることはパウロにとっては自明のことでした。なぜなら神は至高の存在であり、全知にして全能なる万物の創造者であるということを彼は旧約聖書を通して知っていたからであります。 神はみことばによってこの万物を創造された。「光よあれ。」と仰ったから光ができた。天地を主はみことばによって無から創造された。そういうお方であるということを彼は小さいときから知っていました。 アテネの町でシラスとテモテの到着を待ちながら、パウロのことですから、アテネ人たちの宗教家に注意を払って観察していたでしょう。 いったいこの人々はどういう考え方をする人々なのか。何をこの人たちは信じているのか。あるいは何も信じていないのか。パウロですから鋭い目を持って見ていたはずであります。 するとアテネの町には偶像が満ちているのであります。それを見てパウロは心に憤りを感じたと書かれています。いったいパウロはこの地アテネに来るまで多神教的な宗教というものに触れたことはなかったのでしょうか。 神々というものを祀ってそれを拝んでいるという、そういうことはパウロには考えることすらできなかったのでしょう。 そういうふうに考えてみると、パウロが育ったあのパレスチナの地では、ペリシテ人であってもモハブ人であってもアモン人であっても、あるいはエジプト人であっても偶像にすぎないとは言え、その宗教は一神教であって、神はひとつなのであります。 ところがこのギリシヤの地では多くの神々が祀られており、それらが同時に拝まれているのであります。これはヨーロッパの地、ギリシヤにおいて初めて目にした光景だったのかもしれないのです。パウロが心に憤りを感じたと書いてあります。 そのあまりの愚かさ、あれほど人知を誇りとしながらもその不条理さに気の付かない、霊的盲目状態への深い悲しみ。そこまで人間が盲目になっているということについてのパウロの悪しき霊に対する、やみの霊に対する憤りを意味しているのかもしれません。 彼は心に怒りを覚えた。憤ったのであります。イエス様がラザロの死に立ち会ったときに、墓の前まで来たときに、多くの人々が涙を流しておられるのを見て心に憤りを覚えたと、ヨハネの福音書の中に書いてあります。 不思議な記事でありますけれど。人間を死の恐怖の中に閉じ込めている悪魔。この絶望的な状況に人間をおとしめている悪魔に対してイエス様が憤りを感じたということだろうと言われております。 パウロも同じように、人間をこんなに愚かにしているあの暗やみの力。人知を誇りながら、人間の知恵をその発祥地としての知恵を誇りにしながら、しかもさまざまな神々を作って、さまざまな神々の前にひれ伏して、それ自体が人間を混乱に陥らせるわけでしょ。 私たちの心はそれで混乱させられるわけでしょ。人間の考えはそこで一貫していかないわけであります。神々なるものが存在するのですから。 パウロは黙って見過ごすことはできずに、すでに聖書を知り、まことの神を知っているユダヤ人たちとは会堂で聖書に基づいて、すなわち聖書の預言を根拠にして、イエスこそメシヤ、すなわちキリストであると論じ、広場では哲学者たちを相手にして、そもそも神とはいかなるかとかいうことから彼は論ずるのであります。 神々というものが存在するのではない。神は至高の存在であるから。神は全知全能の方であるから。それが2つも3つもあるわけはないということ。 ギリシヤ人やローマ人たちは、人間の姿に似せて、人間流のアナロジーで、人間に類して神々というものを考えたわけでしょ。アウグストゥスが言ったように、ローマやギリシヤの神話というのは人間を投影したものである。ギリシヤ神話やローマの神々が演ずることは、この世で行なう人間の嫉妬とか不倫だとか、騙し合いとか、そういうことをやるわけであります。 そういうふうにして人間はまったくまことの神さまを知るという道を閉ざされてしまう。彼はそういうことを告白録の中でも、自分のさまよっていた時代のことを述べているところがあります。 聖なる神。あくまでも義なる神。そういう究極的な存在。聖書が言っている、1点の曇りも翳りもないような聖なる存在。あらゆることを知り給い、あらゆるところに存在し、しかも人間を慈しみ、愛してやまない神。そういう概念です。神ということは。 ユダヤ人でなければ知り得なかったわけであります。旧約聖書をユダヤ人が持っていたということ。与えられたということ。ですから神はユダヤ人を選びの民と定められたと聖書が言っているわけなのです。 ギリシヤは人間の知恵を誇りとしたいわゆるギリシヤの知恵です。そこにパウロは福音を携えて初めて足を踏み入れるわけであります。そこにエピクロス派の哲学者とか、ストア派の哲学者という名前が出てきます。少し哲学の授業を聞くといつでも出てくる名前であります。 エピクロスという哲学者たちのことをエピキュリアンと呼んでいますけども、快楽主義者という意味で普通使われています。快楽を肯定する人々という意味です。 それに対してストアというのは、快楽を否定するのです。禁欲的、禁欲主義というような感じで使われていますけれども、しかしこのエピキュリアンという立場は必ずしもそうは正確ではないのです。 肉欲的な快楽を賛美謳歌する人々のことではありません。もっとまともであります。彼らが述べている快楽の定義というのは、心を乱す情熱や迷信的な恐怖、苦痛などから解放された静かな生活のこと。これを本当の快楽だと言っているのです。 ですから衝動的な欲望、そういうものによってかき乱されてはいけないのだということ。むしろそういうものから距離を置いて静かに生活する。そういうことを言っているわけでありますから、これはある意味で真っ当です。 ストア。ストイックという言葉、今でもよく聞きます。「あの人はストイックな人だ。」、どことなく雰囲気があるのです、ストイックな人間というのは。 自分のさまざまな肉なる欲望というものに打ち勝とうとして、出来るだけそういうものから距離を置いて、自らを律して生きようとする。そういう生き方のことをストイックと言います。 このストイック、ストアというものの考え方というのはこういうふうに書かかれております。理性の優越性を主張し、道徳的熱意と高貴な義務感とをその倫理の特徴とするもの。 理性の優越性を主張して、道徳的な熱意と高貴な、気高い義務感とをその倫理の特徴とするものと言うのですから、これはなかなかすばらしいと言いますか、非常な高い志を持って生きようとする。そういう人たちです。もともと。 日本の儒教とか、それを背景にしたかつての武士道などに非常に近いのではないでしょうか。 少しわき道に逸れてしまいますけれども、20世紀初頭の、100年ぐらい前の、私がちょっと職業にしている経済学の第一人者、イギリスのアルフレッド・マーシャルという人がおりまして、「経済学原理」という900ページぐらいの古典的な経済学の本を書き残しております。 この人はイギリス国教会の名門の牧師の家系に生まれた人だったそうですけれども、牧師にはならずに、経済学者になってしまった人なのです。どちらかと言うと、ヒューマニスティックな人柄であるということは、彼の書いたものを読むと伝わってまいります。霊的という感じがしないのです。 恵まれた、本当に別世界で育った人間が、あるときロンドンのイーストエンドと言うのですか、東の端っこにある貧民窟にたまたま迷い込んでしまって、あまりの惨めな生活に衝撃を受けたというのが、彼が経済学者になるきっかけだったと、有名な話でありますけれども。 こんな惨めな生活をしている人々がいると彼は驚いたらしいのであります。自分はヘブライ語やギリシヤ語を勉強するのは、どうも面白くないから、自分には合わないから、霊的な信仰、救いを伝える牧師には向かないだろうから、この惨めな、汚い生活の中に埋もれているこの人たちに少しでも救いの手を伸べようという、こういう決心を彼はするのです。 彼はそういう意味で、名誉を求めて、すごい学者と言われるために経済学者になったのではないのです。彼のこの決心と言いますか、これはある意味で神さまにやっぱり嘉されたのだろうとぼくは思います。 彼の2人の有名な弟子と言いますか、ピグーというのと、20世紀最大の経済学者と言われるケインズが彼のあとから出て来て、今日の、戦後の世界経済の枠組みを作ったりしたのは、このケインズです。 戦後世界経済の枠組みをアメリカと交渉しながら、第2次世界大戦の末期にクィーンエリザベス号なんかに乗って大西洋を渡っているのですけれども、日本が1億総玉砕なんて言っている間、彼らはもう日本はあと何ヶ月しかもたないということをちゃんと読み取っていて、大西洋を行ったり来たりしながら、まだ日本が降参する前にです。ブレトンウッズ条約という条約を結んで、世界経済の戦後の枠組みを作っていったのであります。 そのおかげで私たち日本人も歴史上、こんな未曾有な贅沢な時代はないわけでしょ。私たちだってそれはよくわかります。親はこんなに、「食べない子ども」を心配するのです。どうしたら痩せられるかでみんな頭を悩ませているのです。 日本の2,000年、3,000年の歴史でこんなことあり得なかったのであります。明日何を食べるかという心配はしましたけれど、子どもに物を食べさせるのに親は困ってしまう。食べないからであります。 こういう本当に信じがたい世の中だとぼくは思っていますけれど。一部の貴族階級だけではなくてです。国民すべてが有り余るほどものを享受できるということ。これは本当にまるで夢のような時代でしょ? そういう意味でぼくはこのアルフレッド・マーシャルという人の願いは、100年ののちには本当に十分聞き届けられたのではないかといつも思っております。 もちろんそれは日本みたいな一部の国だと仰るかもしれませんけれど、しかし戦争とか内乱とかいうことさえ無ければ、今は世界中、物は十分あるのです。 政治的な闘争、あるいは自分たちの権力にしがみ付いたり、宗教的な分派や分裂によって国が混乱して、餓死者が出るということはありますけれども。 私の友人はクリスチャンではないから、その書いている意味はわからないのです。 ぼくは説明し・・・ (テープ A面 → B面) ・・・なかなか立派な男です。今は中国の上海の大学に行っていますけれど。 ぼくはその付録を読んでびっくりしたわけです。マーシャルは、えー!こんなことを言っているのかと思って。ちょっと余談ですけれど、紹介したいと思います。 何らかの参考になるかもしれませんので、ちょっと本題から離れて、少し内心戸惑いがあるのですけれども。ストアなどとの関係について、マーシャルが言っていることについてちょっとご紹介をしたいと思います。 古代ローマを支配した思想は、東洋的な静寂主義を背景に持つストア主義だが、それは高貴な義務の観念に支えられた個人主義であり、そのためストア主義者の生活態度は徳の実践においては積極的であったにも関わらず、この世からは超然としていた。 自らこう述べているのです。静寂主義という言葉はよく使われますけれどもそれはさっき言ったように、出来るだけ何もしないということなのです。 自分の強い欲に振り回されるのは、これはいけないから、これから出来るだけ離れるために、刺激を受けるような一切のものから自らを離すわけであります。 自然にそこには静寂と言いますか、静かである、じーっとしているという態度が生活の基本になるわけです。それを東洋的静寂主義と言います。東洋人にこれが特徴的なのです。 ストア主義者はただ自分の高貴な義務感のゆえにのみ、この世の問題に関わったのであり、この世と和合することは決してなかった。 したがって、ただ徳の追求を目的とするストア主義者の生き方には、自らの不完全さの自覚に伴なう内的矛盾のゆえに、常に寂寞感とでも訳したほうがいいかも、空虚感とでも言ったほうがいいですかね、そういうものと厳格さというものが付きまとっていたと彼はまず述べているのであります。 ストア主義者というのは、彼はただ高貴な義務感によって活動すべきだと、こう態度を決めているわけであります。だからしようがなければ、この世のことにはいって来ますけれども、この世というのは自分の本来いるべきところではない。そういう思いから逃れられないわけであります。 そのところは少しクリスチャンたちとも共通するところがあるでしょ。だからこの徳というものを追求していくわけですけれども、自分を律して。そうすると必ずこの世の事に関わって来ると色んな挫折や失敗が起こってきます。 人とやっているうちに色んな諍いが起こってきて巻き込まれたりして、自らの不完全さ、未熟さをさらけ出していくわけでしょ? そういう内的矛盾というものを抱えざるを得ませんから、そこに掲げている遥かなる理想と自分とのギャップによる空虚感。厳格に自分を律したいとは思いながら、その内なる主の疲憊と言いますか。そういうものの狭間に生きている者、それがストア主義者なのだと彼は言っているわけです。 パウロの表現によると、ストア主義者というのはある意味で律法による自分の義を追求するわけであります。しかしそれを追求すればするほど自らの不完全さへの自覚から内的矛盾に陥らざるを得ません。 そこに孤立感とか空虚感とか、外面的には何て言いますか、秋霜烈日でしたっけ?そういう言葉がありますけれど、霜をおくようにして、何か冬の広野の中に立っているかのように寒々として。 ストア哲学というのが結局、生命感の枯渇に行き着くものであるということをマーシャルは指摘しているわけであります。そして次のように述べているのです。 このストア主義者の矛盾は次のこと。すなわち内的完全さは自己否定によってだけ達成されうるものだということが認識されるまでは解決しないであろう。 内的完全さは自己否定によってだけ達成されうるものだということが認識されるまでは解決しないであろう。そして内的完全さの追求があらゆる社会活動に必然的に附随する挫折と融和させられるまでは。ここ、ちょっとわかりづらいのですけれども。 さっき言ったように、内的な完全さというものを人間が求めると、社会に踏み込んでいくと、必ずそこには挫折が待ち構えているわけであります。 聖人君子ではおれないわけですから、社会にはいり込んだ途端に人は内面のその不完全さ、みじめさ、そういうものの中をさらしていかなければならないわけでしょ?ですから必然的に社会活動というものは挫折が附随してくるわけでありますけれども、それを受け入れられない。ストア哲学に人が徹すると、人はそれを受け入れられないのです。 しかしマーシャルは、ストア主義というのは必ずそういう意味で挫折するのだということ。それを克服せしめるのはキリスト教信仰なのだと、こう言っているのです。ついに。この偉大な変化のためにユダヤ人の強烈な宗教的感情が道を備えたのである。こういう内的な転換のために。 しかし世界がキリスト教精神の満ち満ちた豊かさにあずかる用意のできる前に、ドイツ民族の深い人格的傾向によってキリスト教精神に新しい色合いが付与される必要があったのである。 ギリシヤ哲学というのは結局、いのちを得ようとしてついにいのちの枯渇へと至っていく。その必然性から逃れられない。 これを克服しうるもの、それはユダヤ人を通してこの世界に伝えられているところのキリスト教精神だと彼は言っているわけです。 世界がキリスト教精神の満ち満ちた豊かさにあずかる用意ができる前に、ドイツ民族の深い人格的傾向によってキリスト教というものがある種の変革を遂げなければいけない。ルターのプロテスタント宗教改革を言っているのです。 マーシャルという人は珍しくドイツにも留学した人でした。ですから彼はドイツで勉強していましたので、ドイツということを相当よく知っていたようであります。 ドイツ国民を通して、すなわちそのプロテスタント信仰というものの発生を通して、初めて世界はこのクリスチャン信仰の満ち満ちた豊かさにあずかるようにさせられているのだということであります。 人間が神と1対1で向き合うというプロテスタント信仰の立場は、正しく理解されれば霊的信仰のための不可欠の条件であった。 しかしこの信仰的立場はともすると、生来優しい性格の人間においてすら厳しい概観を示すものであり、粗野な性格の人間の場合には自意識過剰と自己吹聴癖とをともなうものであると、実に耳が痛いのです。これは痛烈だと思います。 プロテスタント信仰によって初めて人は1対1で神さまと向き合うというふうになったのです。それまではカトリック司祭が間に立っているわけですから、人々は神さまと1対1で向き合うという、そういうことはあり得ないのであります。 ルターが初めて、人は神と、自分と1対1と向き合うものである。万人祭司なのであるという聖書の正しい立場を明らかにしてくれたわけであります。ですから彼は、これは霊的進歩のための不可欠の条件である。こう言っているわけです。 しかしこのプロテスタント信仰というのはともすると厳しい概観を人に与えてしまう。例えばカルヴィニズムなんかそうでしょ?非常に厳格です。 それが人間に、カルヴァン信仰に生きている人々にある一種の厳しさを概観に与えてしまいます。 生来優しい性格の人間においてすらそうだと言っているわけですけれども、そのような性格の場合には自意識過剰と自己吹聴癖とをともなうと書いているのです。これはしかし痛切でしょ。 彼らは社交を喜ばず、騒々しい大衆的娯楽を遠ざけて、家庭生活での静かなくつろぎを好んだ。そして告白されなければならないが、彼らのある者たちは芸術に対して敵対的な態度を取ったのである。芸術一切を禁ずる。そういう極端なプロテスタントの一派も少なからずあります。 神さまが人間に美というものに対する感覚を与えておられる。その芸術もまた神さまからの恵みとして受け取ろうとしない。美しいものを美しいものとして、それが人間を豊かにするものとして受け取ろうということをしない。 ルターなんかは自分自身が、あれは詩人でしょ?ルターは有名な賛美歌いくつも残しています。 ルターという人はそういう豊かな感性を持っていた人でありました。ですからいわゆるルター派のプロテスタント信仰というのはそういうものも正しく受け取ると言いますか、そういう姿勢を持っているものでしょ。 あのバッハがルター信仰から出たのですから。本当に優れたものというものを見分けてそれを受け取るということ。神さまの祝福として、恵みとして受け取るということ。それは大切なことなのです。 ところがともすると信仰のこの熱心さというのが極端に走ってしまって、そういうことを全部切ってしまう。いわゆるストイック的なところに偏ってしまう。その判断は非常に難しいのではないでしょうか。 私たちの信仰の成熟と言いますか、そういうものに関わってくるのではないかと思います。私たちは色んなクリスチャンの方々に出会うでしょ?、「ああ、これはすばらしい信仰の人だな。」という方に出会ってくる。交わりを通して。 そして自分が欠けているものと言いますか、自分が間違って判断していたもの、そういうものを段々気付かされてくるのです。 そういうふうにして、この調和の取れたと言いますか、それこそ満ち満ちた豊かさとマーシャルすら言っているそれを受け取るようになる。それをまた私たちは人々に分け与えるようになる。そうなるべきであると聖書は言っているわけであります。それが成長であると、彼はまたこう言っています。 プロテスタント信仰のこの強烈さは多くの試練によって純化され、和らげられる必要があった。この強さの周りに新しい性質が成長し、あの古い団体的傾向、これはカトリック主義ことを言っているのだと思います、あの団体的傾向中に存在したもっとも美しく、もっとも堅固なものをより高い形態で再生するためには、新しく生み出すためには、プロテスタント信仰は弱くなってはならないけれども、しかし、もっと自己抑制的になる必要があった。 それはこの地上におけるもっとも豊かにして、もっとも満ち足りた感情、すなわち家族愛を強めた、おそらく社会生活の高貴な組織を構成するためのこれほど強固にして、これほど上質な材料はかつて存在しなかったであろうと、こう書いてあるのです。 この地上におけるもっとも豊かにして、もっとも満ち足りた感情、それは家族愛だと言っています。それをプロテスタント信仰というのは強めた。 ただプロテスタント信仰が個人主義に走りすぎて行って、団体で、団体主義、交わり、一つになるということです。主と一体して向かい合いながらも、しかも集会はひとつであるということ。その中にあって人は豊かに育まれていくということ。 ひとりで人と関係なしに信仰を歩むという、そういうものであり得ないということ。それは教会がキリストのからだであり、霊的有機体であるということ。聖書はそう書いているわけですから。 キリストの霊的なからだをともに建て上げなさいとパウロは手紙で言っていますけれど、そういうものだということです。そこを彼は指摘しているわけであります。 そういうふうにプロテスタント信仰は弱められてはいけない。しかしその強烈さは和らげられなければいけない。自己抑制ということを学ばなければいけない。 こういうことを彼は言っていて、私たちの社会生活を組み立てる上でこれほど強固にして、これほど強くて、これほど上等な材料というものはかつて存在したことがなかった。社会生活の高貴な組織と書いています。気高い組織。仕組みを作るための。それほど彼はこのプロテスタント信仰について述べております。 なかなか的を射った指摘ではありませんか。経済学の本にこんなことが書いてあるのです。こんな話は今の経済学の本には全然書いていません。100年前まではこういうことを長い附録の中で付けているのです。驚きであります。 この古代ギリシヤ人やローマ人の生き方に強い影響を与え、今日もなお、多くの高邁な人生を志す人々です。背中を真っ直ぐに伸ばして、この人生を高い志を持って生きようとする、そういう人々にこのストア主義というものは今も影響を与え続けているのではないでしょうか。 私たちも学生時代にはずいぶん惹かれました。ですからストア的な生き方というのは決して私たちにとって知らない、無縁のものではありませんでした。 だからマーシャルがその心の内面的な矛盾のゆえにその一種の悲哀と言いますか、悲哀をいつも抱え続ける者。悲哀と虚しさというものをいつも抱えざるを得ないものだと言っているのはぼくは非常にわかる気がします。 こういう生き方とクリスチャン信仰についての有名な名著があります。三谷隆正という人が書き残している、日本の道を求める青年たちへの自分の遺言書として、彼が最後に書き残した本があります。「幸福論」という本でありますけれども。 この方が専門の哲学者の立場から、いのちの充足を求めるストア的生き方がついには、いのちそのものを否定するというところに行き着いてしまう。多くのギリシヤのストア哲学者たちが自らいのちを絶つということを次々にやっていくのです。 有名な哲学者たちが。そういう逆説を明解に説き明かしながら、まことのいのちの充足というものは徹底的な自己否定と絶対者への献身。自分自身の一切をささげて絶対者の前に、言い換えると、絶対者のいのちを生きる。神のいのちを生きる信仰にこそあるということ。 それをご自身の深い体験の裏づけをもって、これ以上ないような明晰さをもって述べておられます。こう言っては何ですけれども、あれほど明晰と言いますか、文章というのは、ちょっとないのではないかと感じますけれど。 今は岩波文庫の中に収められていますから、古典としての位置をすでに定められているというわけであります。知る人ぞ知るで、多くの人々は、若者たちはそういう本があることも知らないのですけれども。この問題について死の前に、死の何年か前に、最期にあの人が書き残したものです。 またこれもちょっと恐縮ですけれども、文学作品ですが、あのポーランドのシェンケビッチが書いた「クォヴァディス」という本があります。 私はやっと去年になって読む機会があって読みました。いやー、本当に圧倒されました。この「クォヴァディス」 「クォヴァディス」というのはクォヴァディスドミニという、本当は言葉だそうですけれど、ラテン語だそうです。「主よ。いずこに行かれるか。」というラテン語の有名な言葉から取っているのです。 クォヴァディス。どこに、ディスというのは行かれるかという意味でしょう。「主よ。主よ。いずこに行き給うか。」という伝説で、ペテロがあのローマの大火のときに、ネロが起こしたというローマのあの大火災のときに、「あなたは生き残ってほしい。」と、「あなたがここで死なれたら多くのクリスチャンたちが柱を失って困るから、ローマを離れてほしい。」と言われて、ペテロがそのローマを脱出する。 彼がローマの市外を出て、アッピア街道でしたか、どこかを彼が通って行くときにイエス様と出会ったという、そういう伝説があるわけです。それを基にして書かれている本であります。 そのときにペテロは、朝もやの中に現われて自分の前に立たれるイエス様を見て、「主よ。いずこに行かれるのか。」と聞かれた。「君がわたしの民を捨ててこの町を去るなら、わたしはもう一度ローマに行こう。」と言ったと、そういう言い伝えがあるのです。 そのことばを用いてこの題名はなっていますけれども。とにかく、その初代クリスチャンたちの有りようと言いますか、目に見えるようにすばらしい描写で描いているのであります。3巻から成っていますからボリュームもありますけれども。 そこで私が感心した一つは、このシェンケビッチという人は一方においては、当時のもっともすぐれたローマ貴族の生き方。文字通りエピキュリアン的な生き方です。 すぐれた知性と勇気と、洗練された巧者な主義を身に付けたある貴族の生き方と、他方において、この地上的な生き方、この地上においてのそのありさまは本当に見栄えのしないクリスチャンたち。それを対照して描いて見せるのです。 そこに出てくるあのペテロの説教なんていうのはちょっと驚きです。シェンケビッチ、よくこういうことばをペテロの口から語らせるものだと思って驚きでありますけれども。あの中でそれを鮮やかに描いていくのであります。もし機会があったらいつかお読みになったらいいと思います。 高貴さ、高邁な生き方を求めながらついにいのちの枯渇に至らざるを得ない。悲哀と虚しさに終わらざるを得ないギリシヤ的人生と、一見見栄えのないキリスト者たちの希望と歓喜、力と正しさと生きるというその人生とが非常にすばらしく描き出されているのです。 ひとりの青年貴族が回心していく、その過程を実にリアルに描いております。その回心してクリスチャンになっていく青年将校貴族とそのおじ、ついに最後は祝宴を開いて人々に大いなる宴会をして、もてなしながら、ネロとの抜き差しならぬ対決によってついに自分のいのちが奪われることを覚悟した、この貴族が、おじさんが、夜宴会の席で医者を呼んで、自分の手首の血管を開かせるのです。 こうして談話を普通にしながら彼は死んでいくわけでありますけれども、自分の妻といっしょに、2人して。そういう生き方というのが本当に説得力をもって2つが対照されて描かれております。 いのちはどこにあるか。真理は何か。私たちはただこの一つのことを、そこに向かわなければならないのであります。 最後に1章だけ。コリント人への手紙第Iの1章の18節から25節までお読みします。 コリント人への手紙第I、1:18-25
少し時間をオーバーいたしました。 |