引用聖句:使徒の働き17章22節-31節
今読んでいただいた使徒の働き17章、区切りとしては16節から34節までということになるかもしれませんが、この個所はパウロが初めてアテネに足を踏み入れ、たぶん長くはなかったと思われる滞在時の記事であります。 聖書の記事によると、今われわれが見ているのはパウロの第二次伝道の途中ですが、もう一回彼は大伝道旅行をしていて、アテネに寄っているのです。記事を見ますと。 しかし聖書全体を見て、新約聖書を見てアテネについての記事というのはこれ以外ないのです。 ですから、このアテネという地は福音宣教の上においては殆ど重要性を持たなかったと言いますか、単に表面をかすっただけのような、そういう地ではなかったかなという思いがいたします。 この前、エピクロスやストア派の哲学者たちとパウロが語り合ったというところから、少しそういうお話をしましたけれども、このアテネでパウロは、何よりも知恵を尊び、知恵を誇り、知恵の追求をこととするギリシヤの哲学者たちと、直接あいまみえて議論を戦わせることになったわけであります。 結果は、議論は全くかみ合わないですれ違って、ここでの伝道はあまり実を結ばなかったようであります。 アテネに教会ができたという記録もありませんし、ほとんどこのアテネという地名は、あのギリシヤを代表する人間の知恵の象徴であるアテネの町は、福音書においては重要性をもっていないわけであります。 パウロは小アジアのキリキヤ州の首都、タルソに生まれた人であるということ。これは以前にも出てきました。このタルソは当時、アテネ、アレキサンドリアと並ぶ学問の都だったと言われております。 ですからパウロがギリシヤ哲学について全く無知であったはずはないのであります。あれだけの知者ですから、彼がギリシヤの知恵について知らないはずはないのです。 使徒の働きの22章、後ろのほうにパウロは少しそのことについて触れております。使徒の働きの22章1節からちょっと見てみたいと思います。これは彼が捕らえられて、いよいよ裁判にかけられると言いますか、アグリッパ王などの前に出て弁明をする、そのきっかけになったときです。 民衆に襲われて、暴行を受けそうになったものですから、千人隊長がパウロの身に危害が及ぶのを恐れて、彼を兵士たちを使って担ぎ上げらせる。 その暴動の中からパウロが守られて出て行こうとするときに、彼が語ったことばが短く書いてあります。 使徒の働き22:1-3
こう書いてあります。パウロの弁明なのですけれども、パウロは青年期から何よりもユダヤ教とユダヤの伝統に人一倍熱心であり、その道の権威者として名の知れ渡っていたガマリエルの門下に学んだ人であったということがここでわかります。 ですから、クリスチャンになる以前からギリシヤ人の知恵なる哲学のよって立つ土台と、自分の立っている土台とがいかに違うかは明瞭に彼は意識していたはずであります。 すなわち、ギリシヤ人の哲学には確実な土台がないということ。それは曖昧な、根拠の明確でない土台しか持っていないということを見抜いていたわけです。 その理由は、人間には自分がどこから来て、どこへ行くかを自分の知恵で解き明かすことができないからであります。人間の知恵では、人間自身は結局のところ謎でしかないということをパウロはよくわかっていたからであります。 ですからギリシヤ人の知恵は結局のところ、役に立たず、無力でしかないということをパウロはよく知っていたわけです。ギリシヤ人の知恵には万物の創造者なる唯一の神という真の知識の土台が、物事の一切の出発点が欠けているからであります。 真の土台が欠如しており、出発点が間違っているから、ギリシヤ人の知恵なる哲学は単なる想像の域を出ないのだ。根拠のない虚しいものなのだとパウロは見抜いていたわけであります。 コロサイ人への手紙の2章の8節によく知られているように彼はそう言っています。 コロサイ人への手紙2:8
確実な根拠を持っていないのだ。単なる人の言い伝えによるにすぎないのだということを彼は言っているわけです。 この使徒の働きの書かれていた時代、パウロが活躍した時代よりも、約300年の後の人、あのアウグストゥスは若いとき、罪のゆえに肉の欲の鎖に縛り付けられて、喘ぎながら、しかも真理の追究にすべてをかけようとし、ギリシヤ哲学の習得に精進した人のひとりですが、晩年になって当時を回顧した彼の告白録というものの中で、あのような学問を容易く身に付け、多くの難解な書物を他の教師の助けを借りずに読解できた才能が、当時の私にとり、何の役に立っただろうかと言いながらこう言っています。 計り知れないほど転倒していました。私は完全に転倒した状態でした。人間そのものが究め尽くせないほどに大きな謎です。 こういうふうに主に向かって告白しているのであります。 ギリシヤの哲学、新プラトン学派と言われているのだそうですけれども、そこに熱中して、多くの人々が食らいつかなければ理解できないような書物をいと容易く自分は理解することができたというようなことを書いていますけれども、しかし、それらのことが私に何の役に立ったのだろうか。何の役にも立たなかったと彼はそこで言っているのです。 まったく自分の成していること、考えていることを自分は全くわかっていなかった。すべては逆さま。転倒していた。そう言いながら、しかしまた人間の罪ゆえのこの底知れない霊的な、精神的な逆立ち、倒錯に気付くのも、彼が聖書を真剣に読むようになり、救いを見いだし、真理を知るようになってからのことであって、それまでは彼は自分のその絶望的状態に気が付かず、ただ自らの才能を誇り、自負していた青年にすぎなかったのであります。 聖書に触れ、聖書の真理に目が開かれて初めて、今まで自分が本当に何をしていたのだろう。全く訳のわからない状態に自分はいたのだということに気が付くのです。 聖書の真理に触れない限り、人は自分のそういう間違った状態にすら気が付かないわけであります。全く絶望的と言っていい状態に人間は在るのであります。 ちょっとその辺りのことを見ようと思って、本箱にしまわれていた哲学史の教科書を開いてみたら、日本の代表的な哲学者が書いた哲学史の中で、アウグストゥスの「神の国」という有名な本について、「この本はキリスト教信仰に基づいて書かれた空想的な書物である。現代人にとっては何の意味もない本であるけれども、云々...」なんて書いてあるのであります。本当に日本を代表する哲学者が。 アウグストゥスの「神の国」は、この世界には目に見えない神の国と目に見えるこの世という二つの国があるということを彼は言っているわけであります。 この二つが言わば歴史の中で交差しながらと言いますか、歴史というのは動いて行くのである。しかしやがてこの二つの国は明らかに分離されるようになってくる。そういうふうなことを彼は信仰の目を持って書いているわけなのです。 ですからクリスチャンから見ると、これは本当に説得力を持った、非常に重要な本であります。 霊的な視点から人類の歴史というものを彼は描こうとしているわけなのですけれども、この世の知者である哲学者が、この本は全く空想的な本にすぎない。現代にとっては何の意味もないというようなことを平気で言っているのです。 この世の人にとっては、霊的な世界、神の国というもの、そこに召し出されて属している人々が今もいるわけであります。神の国に生きている人々がです。しかしその神の国に属して、今生きている人々はこの世に今、存在してもいるわけです。 クリスチャンというのはそういうものであります。教会というのは、この地上に神の国が言わば現われている場所でしょう。目に見えない永遠の神の国がひとつの形をとって現われているのが神の国。これが教会であります。 その神の国に、神によって召し出された人々が属しているわけです。そういう、この霊の国。神の国の現われざる教会と全くそれとは別の原理、原則によって動いているところの、悪魔が蹂躙しているところのこの世というものが並存しているわけです。 そういうことは、聖書の真理に目の開かれた人でなければ、見通すことができないのであります。この世の人にとってはそれはまったく空想の話にすぎないわけです。 本当にこのことを思うと、私たちは何と言いますか、この世の知恵というものが水と油のように聖書の知恵と相容れない。私たちはそこに、伝道するときの無力さと言いますか、呼びかけてもなかなか相手に通じない、深い淵のこちら側に立って、向こうにいる人に語りかけているかのような、ともすると無力さというのを感ずるわけなのです。 ただ上からの啓示によってだけ、この世の人は神様の語りかけに気付き、目が開かれていく、真理に属する者と変えられていく、霊の国に招き入れられていく。そういうものでしょう。 人間の知恵によってはどうすることもできない深い断絶と言いますか、そのことを私たちはいつも意識させられるものですから、そこに何かこう、たたずんで、立ち往生させられるような気がするわけです。その代表がギリシヤの哲学なわけです。 パウロはこの世の知恵を代表するギリシヤの首都であるアテネに来ているわけなのです。 先日も少し話したことがあるのですけれども、大雑把な余談でしかないので、正確にはお話できませんけれども、ここで問題になっているギリシヤ哲学史上の最大の人物は、誰もが名前を知っているあのソクラテスであります。 このソクラテスもイエス様とよく似た不法不当な裁判によって死刑判決を受けて死ぬのですけれども、その経緯を描写したのがプラトンの有名な「ソクラテスの弁明」という題名の本なのです。 パウロの弁明というのは何回か出てきて、私はこの「ソクラテスの弁明」という題名を思い出すのですけれども。ソクラテスが訴えられて裁判にかけられた理由は、表面上は彼が人々を惑わす危険指導の持ち主だからというものですが、本当は、日に日に高まっていく彼の名声に対してアテネの当時の知者たちがねたんで起こしたものであります。 彼らはソクラテスを死刑にしてやろうなどとは元々考えてはおらず、ただ裁判にかけて、少しへこましてやろう、懲らしめてやろうぐらいに思っていたらしいのですが、その裁判でのソクラテスの弁明があまりに堂々としていて、彼を訴えた人々はぐうの音も出ないような論理を展開していくものですから、それが返って反感を買って、思いもかけぬ死刑判決へと至るという、そういう経路をたどって行くのであります。 その裁判の審理中のソクラテスの弁明は、私なんかみたいな、あまり厳密な論理を追えない人間が読んでも、実に圧巻だと思うのですけれども、それよりも非常に興味深いのは、彼が死刑判決のあとで、自分に死刑判決を下した裁判官や、自分を訴えた人々に向かって語っている話の内容なのであります。 彼はその人々に向かってこういうような意味のことを言うのです。「自分はいつの頃からか自分の心に語りかけられる声を聞くようになった。その声はいつも聞こえるというわけではないけれども、何か自分がやましいこと、間違ったことを行なおうとするときに、はっきりと静止する声である。」 「その声にあえて逆うと、必ずひどい目に会うということがわかるようになってから、自分はその声に絶対的に従うように生きてきた。」と言うのです。 彼はその声をダイモニオンの声(ダイモニオン・ダイモーン(Daimonion,Daimon))というふうに言っているのですけれども、日本ではあの精霊流しの精霊と言いますか、そういうものの声というふうに訳していますが、ダイモニオンの声と彼は呼んでいるのです。 ところが、死刑判決が下された今、自分はその声の語るのを聞こうとしてずっといるのだけれども、何の語りかけも自分にはない。 今まで自分が誤った選択をしそうになるときにはいつも聞こえてきた声が聞こえないということは、この死刑判決は自分にとっては忌避すべきことではないものと思われる。 死刑に処されて死ぬことになる私が不幸で、生き残るあなたがたが幸いであるかどうか、これは実はわからないのだと、そういうことを彼は裁判官に向かって言うのです。 こうして彼は定めの日に朝から弟子たちとゆっくり霊魂の不滅ということについて語り合い、弟子たちが逃亡を勧めるにも関わらず、「悪法なりとも、法は法なり」というあの言葉を残して、日没に合わせて毒杯を仰いで死ぬのであります。 確かにこのソクラテスの死は歴史上、他に例のないような死、堂々たるこの世の義人の死だと言ってもいいと思います。 悲惨極まりないイエス様の死と対照して、ソクラテスは人間らしく死に、イエスは神の子らしく死んだというふうに、西洋人がそういうことを言ったそうでありますけれども。 ともに人々のねたみによっての死ではあっても、イエス様の死は人類の罪の贖いのための神によるのろいの死であり、単なる義人の立派な死などではないわけであって、それを対照して、この言葉は言われたのだろうと思いますが。 ともかく、このソクラテスの霊魂不滅の論証というのは、私にはよく理解できないのです。 「パイロン」という本の中で彼は詳細に、霊魂は不滅なのだということを論証しようとしているのであります。 しかしそれはともかく、ギリシヤ哲学史上の最大の人物が、内なる声に聞き従って生きることに自分の全存在をかけていたということ。その意味でソクラテスという人は、信仰の人と言いますか、ある意味で非常な、すごい信仰の人であったというのは驚きであります。 ソクラテスは人間の知恵に従って生きた人ではないのです。人間の知恵で考えるときに、彼はよく知られているように、自分は知らないということを知っている。自分は知らないということはよくわかる。その点で、自分は知っていると思っている世の知者たちよりも、確かに自分は賢いということを言ったと言われていますけれども、人間の知恵にではなくて、彼が内なる声に無条件に従う人だったというのは、これは私たちは心に留めておいてもいいのではないかと思います。 ソクラテスといったギリシヤ哲学の最高峰であり、人間の知恵を何よりも尊んだ人であるかのように思えるのですけれども、彼が生きた歩みは、この内なる声に従うということ。 ソクラテスが死んだのは、紀元前399年ということですから、このパウロが同じアテネの町のアレオパゴスに立って、このときはそれから450年ぐらいあとであるということになります。 この当時のギリシヤ哲学は、かつてのソクラテスのあの真摯な、真剣な倫理的姿勢を失って、単なる退廃的な至言に脱していたということも想像がつくのです。 使徒の働きの17章の21節で、この使徒の働きを書いた同じギリシヤ人のインテリだったルカはこう書いているのです。 使徒の働き17:21
彼らがこう至言をもてあそんで、何かこう新奇な学説とか珍しいことがらということにだけ興味を示す。そういう生き方をしているということをルカは痛烈に皮肉っているわけです。 人生の本当に目指すべき、全力を上げて追い求めるべき目的というものを見失ってしまって、単に耳新しいことを話したり、聞いたりする、ただ議論に現を抜かしているということ。 そういうギリシヤ人のありかたというものを、このことばは非常に強く示唆しています。 構図、形が珍しい骨董品を収集して、その由来や特徴をあげつらって、お互いに自分のうんちくを披歴し合って自慢し合うように、彼らは何の役にも立たない知恵をもてあそんで、時間を浪費しているに過ぎないのだということをここで言っているわけです。 せめてソクラテスが自分のいのちを懸けて、内なる声に従って、自分の全存在を懸けて生きると言いますか、そういう意味で倫理的な、道徳的な強烈な姿勢があったところにソクラテスという人の存在がやはり今も大きい意味をもっているわけでしょう。 そういう、人が自分の生き方を懸ける、そういうものと結び付かない単なる思弁に出していくときに、それが本当に退廃的なものになっていくわけです。 ですから何よりもまず大事なのは、自分の現実の生活をそこに懸けて生きるところのものをわれわれが持っているかどうか、それなわけです。 私たちの信仰というのはそういうもののわけでしょう。私たちはそこに自分の存在を懸けるところの目標があるのだということ。 私たちは多くのことを知らないけれど、細々とした知識においては乏しいけれど、しかしここに生きる目当てがあるのだということ。それを得て、それに向かって、日々真摯に生きることができるということ。 それが私たちのギリシヤ人の知恵とは違った強みであり、いつも私たちを新たにする、内から新たにする力であるわけであります。 ギリシヤ人たちが、本当に時間の浪費に過ぎない、単なる思弁に出しているということ。お互いに自分たちの知恵を出し合いながら、お互いに自慢し合っているということ。 ヨハネの福音書の5章。この世の知者、学者、いわゆる学会なんかに見られるような風景と言いますか、そういうものだろうと思うのです。ヨハネの福音書5章の43節の中でイエス様はこう言っています。 ヨハネの福音書5:43-44
互いの栄誉は受けても、お互いにほめ合って、すばらしい学説であるとか、色んなこと言いながらお互いに栄誉は受け合いながらも、唯一の神からの栄誉を受けようとはしない。神様の前に出てこようとはしない。 そういうあなたがたが、どうして信ずることが出来ようかとイエス様は当時のユダヤの律法学者たち、パリサイ人たちに対して言っているのです。 やはり当時のユダヤのこの知識階級もギリシヤのあの哲学者たちと同じだったのではないでしょうか。 真摯に、懸命に自分の生活を懸けて歩むという、そういうものではなくて、単なるお互いの栄誉を気にしながら自慢し合い、知識をもてあそんでいる、律法についての知識をもてあそんでいる。やっぱりどうも同じではないかと思います。 こういう、根っこを持たないがゆえに浮き上がってしまっている知識というもの。それであるがゆえにむなしいものです。それがこの世の知恵というものの特徴だと言えると思います。 知恵というものに、その重みをつけるものはさっき言ったように、例えばソクラテスと言えば彼が理解を超えた内なる声なわけです。これは彼はその声がどこから来ていて、どこにも基づくのかわからないけれども、ある絶対的な権威をもって自分に迫ってくるわけであります。 そういうものに結び付いているから、そこにソクラテスの生き方、彼が問うているところの問題とか、そういうものがやっぱり重みをもってくるわけです。 そういうものからかけ離れてしまうときに、人間の知恵や知識というものは本当に軽くなってしまうのです。そういう意味での知恵の虚しさというものをわれわれに示しているのは、やっぱり伝道者の書だろうと思います。 伝道者の書の1章。ソロモンは神様から離れたところの世界、「日の下に」ということばを盛んに彼は使っていますけれども、「日の下で」神様と切り離された、天の高みと切り離された日の下、人間だけの世界というものを見て、その空虚さ、虚しさというものをずっと彼は語っているわけであります。 伝道者の書1:8
この世の知恵というのはそういうものです。いくら聞いても満ち足りることのない。これでよしというものはないわけであります。 伝道者の書1:15
現実は一歩として、ほんのわずかでも人間の知恵や解釈によっては動かない。曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。人間の知恵は空転するだけであります。 伝道者の書1:16-18
伝道者の書2:13-16
伝道者の書12:12
役に立たないという意味です。 伝道者の書12:13-14
ここに立って初めて私たちは人生のある厳粛さというものに触れてきます。神様の存在から切り離された者は本当に軽々しくて、虚しくて、根底がないから浮いていてというものになるわけであります。 箴言1:7
主を恐れることは知恵の初め。悪を離れることは悟りである、ですか。そういうことばが確かどこかにありましたね。それもっともすぐれた知恵であると聖書は言っているわけであります。 エレミヤ書8:9
アレオパゴスの真ん中に立たされたパウロは、知恵を誇りながら深い霊的倒錯に陥り、しかもそれに気付かない異邦人の代表とも言うべきギリシヤ人への深い同情と、人間をこのような状態に貶めているサタンへの激しい憤りの思いを持って、先ほど読んでいただいたことを語っているわけであります。 ギリシヤ人にもユダヤ人にもとか、ユダヤ人にもギリシヤ人にもという表現がパウロの手紙には繰り返し出てきます。 ユダヤ人とそのほかの異邦人を代表するのがギリシヤ人なのです。ギリシヤ人は異邦人を代表する人々であります。 ローマ人への手紙の1章。このローマ人への手紙はアテネの近くのコリントから書かれた手紙だと言われておりますけれども、彼はギリシヤの町々をつぶさに見て、それを背景にしながらそのローマ人への手紙を書いているわけです。 ローマ人への手紙1:21-25
彼らがまことの神を知ろうとしないから、人間は被造物を通して、もし知ろうとするなら神の存在を知ることができるにも関わらず、それを知ろうとしないがゆえに、彼らは霊的な倒錯の中に陥ってしまっているのだというのです。 自分を知者だと誇りながら、愚かな者になり、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちの前にひれ伏してしまっている。その結果神は、彼らを心の欲望のままに汚れに引き渡され、彼らは道徳的な深い退廃の中に逡巡している。当時のコリントというのはその代表的な町だったわけです。 パウロはギリシヤ人たちの知恵のすべての誤りは、ただまことの創造主なる神についての無知の一点に帰着するということ。そのことを強調しているわけであります。 出発点が間違っているからすべてが間違いになるのだと。最初のボタンが掛け違っているから、一切が無益なものとなっているのだと。 正しい知恵と知識の出発点は、神がこの天地万物を創造されたということ。この全知全能の神が存在なさり、今もすべてを御手の内に支配しておられ、またわれわれ人間ひとりひとりを愛し、絶えず恵み守り、導いておられるという事実なのだと。 だから偶像崇拝の迷妄から目を覚まさなければならないのだと。彼は先ほどの使徒の働き17章でそのことを言っているわけです。 使徒の働き17:22-29
パウロが強調しているのは、まことの唯一なる創造主なる神がいらっしゃるのだということです。 この一点を誤ったらすべてが誤りになるのだ。だから偶像崇拝をやめて、まことの神について正しく知らなければいけないのだと言っているわけであります。 自分がこのような神の存在について語るのは、単なるユダヤ人の言い伝えに基づいた根拠のないことではない。単なるユダヤ的思想やユダヤ的世界観を語っているのではないと彼はそのあとで言っているわけです。 それには確たる証拠がある。それは、神がご自分のひとり子をこの世に遣わされ、この方を死者の中から復活させることによって明らかにされたことなのだと彼はそのあとで言っているわけです。 使徒の働き17:30-31
神様のことについてもまったく知らないギリシヤ人の中で、イエス・キリストの復活について語らなければならなかったパウロというのは、どんな思いだったでしょうか。 こんなことを語ったら、返ってくるのは嘲笑にすぎないということを彼は知っていたでしょう。彼らの知恵に向かって、この世の知恵で議論したかったのではないでしょうか。パウロですから。 しかし彼は嘲笑を受けるに間違いないキリストの復活について、ここで本当に愚かになるようにして語るわけであります。 「私は神の福音を恥とはしない。」と、あの有名なローマ人への手紙1章の16、17節辺りで彼は書いています。「私は福音を恥としない。」と。 これはおかしな表現ではないかというようなことをよく言いますけれど、私は福音を誇りとするというのはわかるけれども、なぜ私は福音を恥とはしないなんてパウロは書いたのだろうとわれわれは考えがちですけれども、このアレオパゴスでのパウロの心情を察するとどうですか。 「私は福音を恥としない。」、人間的に考えれば、そういうことを言うというのは本当に彼としては勇気がいることなのです。 いきなり、「神がお立てになったひとりの人をこの世に遣わして、十字架に架からせ、しかも三日目によみがえったのだ。」と彼はいきなり言わなければいけないのであります。 ですから彼が、「私は福音を恥とはしない。」という表現の中には、そういう思いが込められているということ。福音を語るということについては本当にそういう、ともするとそれを曖昧にしてしまいたいような、そういう肉の誘惑というのがいつもそこに襲ってくるということをパウロはよく知っていたのでしょう。 しかし彼は語らなければなりませんでした。イエスの死とよみがえり。これを語らなければ福音ではないのですから。 しかし案の定、パウロの証言、メッセージは嘲笑をもってこたえられました。 使徒の働き17:32
話にならないということでしょうね。その表現を積極的にした人々はあざ笑ったのであります。ほかの消極的な反応を示した人たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と、背を向けて言ったのであります。 しかしまったく虚しい結果に終わったわけではありません。ギリシヤの知恵、人間の知恵に限界を感じ、それ以上のものでなければ救われないということを痛感していた人々もいたからであります。そこに名前が挙がっております。 使徒の働き17:34
というのです。単なる人間の知恵、それではどうにもならない。そういうことを痛感している人が世の中には居るわけなのです。 そういう人々に、このイエス様の福音、復活の救いというのが受けいれられる、とらえられるわけであります。 コリント人への手紙第Iの1章。これはパウロが、意識的にギリシヤ人の知恵というものと福音の力というものを対照して語っている手紙です。 コリント人への手紙第I、1:18-25
ここでもパウロは皮肉を込めています。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」 神は愚かであることはないのです。神は弱いはずはないのであります。しかし彼はこういう表現をしています。神は一見愚かなことばを通して、ご自分の真理を啓示なさっているのです。 イエス・キリストという、十字架に架かられるという弱さの窮みのように見えるそれを通して、神は私たちに救いを提供しておられるのだと言っているのであります。 コリント人への手紙第I、2:1-7
パウロは、私たちの信仰が人間の知恵にささえられるものであってはならないとして、知恵をもって福音を伝えなかったと書いてあります。 私たちの信仰もそうなのです。人間の知恵、人間の力にささえられる信仰は崩れていくものであります。そうではなくて、御霊と御力の現われでなければならない。 神の力にささえられるものでなければならないということであります。 コリント人への手紙第I、1:30
神の知恵は、キリスト・イエスご自身である。これこそが本当の意味の知恵である。人間を救い得る真理が何であるかを私たちに示し得るところの知恵はキリストの中にある。こういうふうにパウロは言っているわけであります。 私たちもはっきりこのことを区別して、いつもまことの知恵、神の知恵と根拠のない人間の知恵、それをいつでも判別して正しい信仰の道を歩んで行きたいものだと思っております。 そこまでで終わりましょう。 |