引用聖句:使徒の働き21章17節-30節
ご存知のように、私は経済学なるものを小さな大学で教えております。32年ぐらい、そういう仕事をやっていますけれども、ですから、本を読むというのが生活の大半になるわけで。 ところが、その経済学なんかの本を読んでいてもちっとも面白くないのです。そのうち、これは何を言っているのだと思ってイライラして来て、いつもフラストレーションが溜まるという、何とも困った生活をしております。 しかし一週間に一度だけ、大体水曜日の仕事を終えて帰って来て、それこそ斎戒沐浴(さいかいもくよく)する思いで聖書と向き合う。聖書の学びの準備をし始めるわけです。 私にとっては一番この水曜日の晩というのが、ある意味で自分の全神経を集中してみことばと対峙する日ですから、そちらを中心にぼくの一週間を覚えているような気がしますけれども、またこの日が来たなという感じですが、しかし聖書のみことばを真剣に学ぶということが、自分のたましいを満たしていくというのをいつも感ずるわけであります。 よくベック兄が昔仰ったように、エレミヤが、「私はあなたのみことばを見いだしてそれを食べました。それは私にとって大きな喜びとなった。」というエレミヤのことばを引用なさっていましたけれども、みことばは確かに私たちのたましいの豊かな糧になる。 ほかの知識を習得するのとは違って、聖書は私たちのたましいを豊かに潤して、満たしてくれる。ですからこの準備が一応の目処がついたりして休むころになると、本当にありがたい。 こういう学びの用意をしなくてはならないということが自分にとってどんなに大きな恵みなのかということをいつも感謝するわけであります。 できれば楽をしたいものですから、逃れたいといつも思っているのですけれども、しかし逃れられずして、こういう学びの準備をさせられる毎に、これが自分にとって何という大きな主のあわれみなのだろうというふうな思いがするのです。 そういうわけで今日は使徒の働きの21章をちょっとごいっしょにまた見てみたいと思います。 前回の学びで、パウロとその一行が第三次伝道旅行を終えて、エルサレムへと急いでいるところを見てまいりました。 何に急かされているのかは聖書はよく記していませんけれども、パウロは五旬節までにはエルサレムに到着していたいと帰路を急いでおりました。なぜなのかは書いていないのであります。 そのために船がアジヤ州の第二の都市であるミレト。これはエペソに続く当時のアジヤ州の第二の都市だったと言われておりますがそこに到着をしたときに船の積み下ろしのために大体2、3日間一ヵ所に停泊するようでありますけれども、その期間を利用して真北のほうに60キロくらい離れているエペソに使いを送って長老たちを呼び寄せ、あの心を打つパウロの今生の別れのことばと言いますか、彼の遺言を語ったということを私たちは20章で見たわけであります。 もう二度と私の顔をあなたがたは見ることはないことを私は知っている。自分自身に気を付けよ。私はあなたがたを主のみことばにゆだねると彼は言って、決別の辞を語りました。 彼が語り終えたときにみなは声をあげて泣いたと20章の37節に書いてあります。こうしてこの一行は、パウロとルカを含めると少なくとも9人になります。 数えてみますと。もっと多かったかもしれません。「私たち」ということばでルカとパウロ以外にさらにだれを含んでいるのかわからないものですから、それ以外に7人の名前が記されていますので、少なくとも9人以上になるのですが、この一行はそのミレトを出帆して、コスという場所、それはクニドという港が聖書辞典には出ておりますけれども、そこからあのロドス島を経由してパタラに到着し、そこからフェニキヤ行きの船に乗り換えたと。 21章の1節からちょっと見てください。われわれが今どこにいるのかちょっと確認しておきましょう。 使徒の働き21:1-3
と書いています。 パタラというこの港に来たら、そこにフェニキヤ行きの船があったのでそこに彼らは乗り換えたということであります。 フェニキヤとは、われわれのよく知っている、あのガリラヤ地方、イエス様がお育ちになったナザレの町はガリラヤにありました。あのガリラヤ湖の辺りです。その北のほうに位置する地中海沿いの細長い地域で、シドンとツロがその代表的な町です。 紀元前のかなり昔からこの三千メートル級のレバノン山脈で、無尽蔵に産出される木材、レバノンの琥珀という言い方が旧約聖書の中によく出てきます。レバノン杉というのが。それによって船を作り、それでもって地中海から大西洋にかけて、さらにはインド洋にまでセイロンにまで乗り出して攻撃を行なったと言われております。ですから、フェニキヤの商人というのは当時有名だったわけです。 今日使われているアルファベットの文字は、このフェニキヤ文字から出ているそうでありますが、商売で広く使われるせいで徐々にヨーロッパ全域に浸透していって、ついにはあの読みづらいギリシヤ文字を駆逐していったのでしょう。こうして現代、世界で最も用いられることばは、このフェニキヤのアルファベットに、A,B,Cになっているわけであります。 こうしてあの第一次伝道旅行のとき、最初にパウロとバルナバが上陸したあのキプロスという島がありましたね。このキプロス島を左に見ながらシリヤに向けて彼らは航海を続け、ツロに上陸したとあります。 大体ミレト方面辺りから測ってみると、大体500キロぐらいの距離があるようであります。こうしてこのツロに上陸するわけでありますけれども、シリヤに向けて航海を続け、と書いてありました。 シリヤという地名もよく出てきます。シリヤというのは、あのアッシリヤのシリヤだそうであります。あの古代のアッシリヤ帝国。これをアレキサンダー大王が破ります。 こうしてアッシリヤ帝国は滅びていくわけでありますけれども、このアッシリヤの下のほうのシリヤ。これが実はシリヤという、今日も残っているあの地名になっているようであります。当時のローマ帝国の半島としてのシリヤ州であります。 州都がわれわれに馴染みのあのアンテオケです。異邦人伝道の拠点となった、パウロが中心になってバルナバを始め、そこからヨーロッパに向けて伝道が行なわれる拠点となったのはアンテオケでした。 エルサレムが母教会なのですけれども、いつの間にかアンテオケが世界伝道の拠点となっていくわけですが、このアンテオケがシリヤ州の州都であり、フェニキヤとかユダヤもこの州に含まれているわけであります。シリヤ州の一部なのです。 聖書辞典によりますと、西暦70年にユダヤは独立の州に昇格したそうですので、この今書かれている記事の時期より大体十数年後にユダヤという地域はひとつのユダヤ州として、シリヤ州から分離することになったということであります。 パウロの一行は、ツロには7日間滞在したとここで記されております。4節を見てください。 使徒の働き21:4
このツロとかシドンというのは、すぐ近くにある町々ですけれども、イエス様もここを一度だけ通っていらっしゃるのです。あのギリシヤの女でしたっけ。自分の娘が病気で伏しています。「どうか私のあの娘をいやしてください。」と必死に懇願するその婦人に対してイエス様が、「わたしは自分の小犬に先に餌をあげなければいけないのだ。」というふうに仰った。 そしたらその婦人が、「確かにそうではあるけれども、小犬でもですか、机の下のパンくずをいただきます。」と言ったと言って、イエス様がこの婦人の信仰に心を打たれたと書いています。「あなたの信仰は立派だ。」と仰った。「行きなさい。娘はもう治っている。」とイエス様は仰った。それで帰ったら、娘は元気になっていた。いやされていたという記事が出ています。 イエス様もですから生涯に一度だけ、このツロやシドンの辺りを通っておられる。このツロについてはちょっと余談になりますけれども、旧約聖書のエゼキエル書の中に有名な預言がツロに対して成されていて興味深いから、ちょっとだけ見てみましょうか。 預言者エゼキエルを通して語られた主のみことばが、このツロについて26章、27章、28章に亘って克明に記されています。ちょっと飛び飛びに見てみましょうか。まず、エゼキエル書27章の1節、ツロがどのような町だったかがわかります。 エゼキエル書27:1-10
いかに幅広い取り引きがこのツロを中心に行なわれたかがこのあとにずっと記されております。そこに書いてありましたようにツロというのは、港の入口の岩礁の上に建てられた町であったために、軍船が近づくことができず、そのために難攻不落の要塞のようであったと言われております。 陸地に作られた町ではなかったのです。陸地から離れている港の入口の岩礁地帯にツロの町は建てられておりました。 そこから広範囲な世界、地中海を、大西洋を越える貿易によって富み栄えていたわけであります。ですから、ツロよ。『私は全く美しい。』とおまえは言ったと神様のことばがあるわけです。私は滅びることはない。この栄華が失われることはない。こういうふうにこのツロは自分のことを誇っているというわけであります。 エゼキエル書26:1
と書いてあります。そして7節。 エゼキエル書26:7-9
徹底的な破滅が来る。破壊が行なわれるという預言がここにあるわけでありますけれども、このツロの町はそういう要塞なものですから、色んな当時出て来たこの支配者が軍勢を差し向けるのですけれども、攻め落とされなかったようであります。ですからネブカデネザルもこれを攻め落としていないのであります。 この第1節に出て来る、11年というのは紀元前の586年と書かれていますが、この当時の大王はネブカデネザルもこのツロの町を落とせなかった。ところがそれから二百数十年経って、あの天才的な戦略家アレキサンダーがこの紀元前の332年、七ヶ月に亘る突貫工事によって海を埋め立てて、このツロを徹底的に破壊し尽くすのです。 まさかその間の海を埋め立てるなどということは考えてもなかったようでありますけれども、アレキサンダーはこれを七ヶ月でやり通しております。 エゼキエル書28:1-10
とにかく、あらん限りの宝石の名前がそこに記されておりますけれども、赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド、云々と書いています。 それらの一切のものが灰塵に帰する。こういうツロへの預言であります。ツロは海の中の網を引く場所となる。26章の5節にそう書いていますけれども。ツロは跡形も無くなり、海の中の網を引く場所となる。 このパウロの時代のツロはこういうわけで、ただの網を引く場所にも変じていたのであります。ツロというのは、そういう町なのです。主の旧約の預言がそのまま成就している町としてよく知られているところであります。使徒の働きの21章の4節にもう一回返りましょうか。 使徒の働き21:4
パウロの一行はツロの町で弟子たちを見つけ出したのであります。とにかくパウロはどこの町へ行ってもまず兄弟姉妹を見つけ出すことを先にしているのです。一人では何もやらなかったようであります。 パウロの宣教の仕方、伝道の仕方は常にいっしょに、兄弟姉妹たちとともに彼らの祈りに支えられ助けられながらいっしょにやったということであります。 私たちのこのキリスト集会でも私たちは昔からそういうふうに教えられたのであります。ともにやらなければいけない。 パウロのような人ですから、「自分一人でやるよ。」というように言いそうですけれど、彼はそういうことをしなかったのです。彼はどこの町へ行ってもまず兄弟姉妹たちを見つけ出したということは、この使徒の働きを見ていくと繰り返し出てきました。 当時のクリスチャン同士の間には肉親の間における以上の強い信頼関係があったのであります。霊が肉にまさるように、霊の兄弟姉妹は肉の兄弟姉妹以上に信頼ができる。安心して彼らの世話になることができるということだったのでしょう。 互いの間に本当の信仰の一致と愛があるならば、クリスチャン同士の関係はそういうものなのでしょう。 いわゆる初代教会のクリスチャンたちというのは、本当にもういつ主が来られるか。そういうことを待ち望みながら一日一日を信仰に、いわば自分の存在を懸けて生活していたわけでしょう。 この世の不要なものはできるだけ手離して、主の前に信仰の道を歩むということに全力を傾けていたのでしょう。だから彼らの中にある一致、愛というのは、その絆は非常に強かったのではないかと思います。 パウロは信仰の兄弟姉妹たちを心底愛していたようであります。だから初めて会う兄弟姉妹のところでも安心して彼はそこに世話になって交わりを持ったのでしょう。彼の主に対する、また主にある兄弟姉妹たちに対する愛は本当に命懸けだったのだと思います。 テサロニケ人への手紙第I、2:8
これは単なることばではないと思うのです。神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思った。彼はテサロニケの兄弟姉妹にそう書いているのであります。 パウロの兄弟姉妹に対する愛はこのようなものだったのでしょう。彼はしかし手紙に書いているように、多くのにせ兄弟たちによって裏切られ、手痛い目に会った人でした。 パウロは他の信者たちから激しい批判、非難を浴びせられた人でした。私たちはそういう手紙を読むと、つい腰が引けてしまうでしょう。クリスチャン同士の交わりと言ってもちょっと安心できないのではないか。ちょっと油断できないのではないか。どのようなことになるかわからないのではないか。というふうに思います。非常に臆病であります。 パウロは手痛い目にも多く会ったようでありますけれども、彼はコリント人への手紙第IIをちょっと見てみましょうか。 コリント人への手紙第II、11:23
自分のことを自慢話するのだから、ちょっとおかしいのではないかと思われるかもしれないけれども、という意味でしょう。 コリント人への手紙第II、11:23-29
愚かになって私も言いますと彼は開き直ってこれらのことを書いております。にせ兄弟の難に会い、と書いています。パウロは終生こういうつぶてを投げられるようにして主のことばを伝えながら走りぬいた人であります。 どうも主の福音を伝える人はこの宿命から逃れられないのかもしれません。毀誉褒貶と言いますか、一番ひどい悪口を言われるのは、その主の福音を伝える人々かもしれません。しかしそういうのにもめげずして彼は主にある兄弟姉妹を本当に愛したのであります。 ですから彼はいくら裏切られることがあっても、それにめげずして兄弟姉妹との信頼の絆を保とうとし、兄弟たちを捜し当ててはそこでともに交わりを持ち、ある場合にはお世話になり、伝道を続けたわけであります。 私たち日本人のクリスチャンというのはどうでしょうか。そういうところは、真摯の交わりは水の如しなんて言って、あんまり深入りしないと言いますか、実に淡白にというのが日本的な人と人との交わりを現わすことなのものですから、私たちは距離を置きます。引くでしょう。そこの違いがやっぱりあるのではないでしょうか。 何でもないときには確かにそうであってもいいけれども、いざとなるときに私たちは真剣にやっぱり兄弟姉妹のためにやれるかどうか。それはやっぱり私たちの信仰が問われるのでしょう。 信仰生活、あるいは教会生活で傷ついてしまって、もう教会なるものに属することはもうごめんだというような人はいっぱいいらっしゃいます。 色んなところ訪ねても。本当に心を開こうとしない。集会には来られるけれども、みことばは聴かれるけれども、同じ信仰の交わりの中に入ろうとはしない。教会生活や信仰生活でつまずいていらっしゃるのでしょう。 しかし主が私たちを贖ってくださった。そのことを本当に人が思うならば、私たちは人につまずいたとか、何とかというところで理由にしてはいけないのです。 そういうのとお構いなしに私たちが主によって召し出されたその使命と言いますか、主からの愛をいただいた者として常にそういうのを乗り越えて人を愛する。人に仕える。心を開いて、こだわりを捨てて交わりの中に入っていかなくてはいけません。そうでなかったら私たちの信仰は実を結ばないものに終わってしまいます。 クリスチャンはぺしゃんこになって、いつまでもそこでグズグズ言ってしゃがみこんではいけません。常に新しく立ち上がらないと。 どう歩むのが本当なのかということを私たちは聖書を通して、御霊を通して教えられているのではないか。主の祝福を受け継ぐべき者として、できるだけ多くの人々にその祝福を伝えなければいけない。そういう意味で前進あるのみです。 前に向かって進まなければいけないわけであります。 使徒の働き21章のそのあとサーっとお読みします。5節からお読みします。 使徒の働き21:5-14
ツロからトレマイという港があります。そこで一泊をして、そしてカイザリヤの港に到着をします。 カイザリヤ。ローマの皇帝カイザルの名前を取っている町です。ローマの兵隊が駐屯する町。それがカイザリヤです。エルサレムまではほんの短い距離にある港町であります。 そこに船はいわば最終的な到着点としました。ターミナルとしてそこに到着をし、パウロたちの一行はそこで降りて、伝道者ピリポの家に滞在をしたと書いています。 ピリポというのはわれわれがかつてその最初のところで、使徒の働きの最初のところで見たあの7人の執事たちのうちのひとりです。 最初の殉教者となった、あの記事がありましたね。あの中にひとりいた、ステパノたちと一緒にいた7人の執事たちの中のひとり、これがピリポであります。 その家に彼らは滞在をしたと書いてあります。そこには預言する4人の未婚の娘たちがいたと書いてありますけれども、アガボという預言者が下って来て、パウロにあなたはこのような目に会うから行ってはいけないと諫め、止めようとしたと書いてあります。 アガボについては以前のところで出ています。大飢饉が来ると預言したあのアガボであります。こうしてそこに、ピリポの家に滞在して数日ののち、彼らはカイザリヤを出発して、ついにエルサレムに到着をいたします。 こうしてこのアンテオケから始まったパウロの第三次伝道旅行がここで終わるわけです。 使徒の働き21:15-17
と書いてあります。エルサレムではキプロス人マナソンという、これは異邦人のクリスチャンの家に宿泊いたします。このときのパウロの一行は、カイザリヤからの兄弟たちが加わっていますから、十数人になっていたのでしょう。 このパウロの一行には異邦人たちが含まれていたので、異邦人であるマナソンの家のほうがいいであろうという配慮が成されたのであろうということが、この大きな聖書の解説には載っております。 こういうふうにして彼らはエルサレムに帰還するわけですけれども、ここから新しい騒動が、騒動の始まり。パウロのローマ送りとなる事件が勃発するわけです。それが先ほど傳さんが読んでくださった18節以降になります。ちょっとお読みいたします。 使徒の働き21:18
イエス様の実の弟。あのヤコブ。長老ヤコブと呼ばれた人です。ヤコブがどうも、このエルサレム教会の一番の柱石になっていたようであります。柱になっていたようです。 ペテロはもうここには居なかったのでしょうか。こうしてヤコブを中心に長老たちが集まって、そこでパウロは自分の異邦人の間での働き一つ一つを報告をしたということであります。 使徒の働き21:19-22
このエルサレム教会の長老たちは、パウロが来る前から頭を悩ましていたようであります。どうもパウロに対するこの誤解が根強いものとしてエルサレム教会の中に残っている。どうしたらこれを解決できるだろうかと思っていたのでしょう。 ですからパウロのことばを聞いて神をほめたたえ、すぐに彼らはこの問題を持ち出しているわけであります。 パウロの信仰について、彼が語っている福音について、もちろんヤコブを始め、兄弟たちは、長老たちはよく知っていましたし、それを正しいものとして認めておりました。 しかしこのユダヤ人の律法についての考え方においてなお、これをそのまま受け入れることのできない、パウロの言っていることを受け入れることのできないユダヤ人クリスチャンたちが幾万となくエルサレムにいたわけであります。 ですから彼らのその誤解を取り除くために、こうしてもらえないかということを頼んでいるのです。 使徒の働き21:23-24
これまでも繰り返し学んだように、クリスチャンはイエス様を信ずる信仰によって聖霊をいただき、この聖霊によって肉による律法遵守よりもはるかに高い水準の律法遵守が可能になるように、霊的な力、内なる力を与えられているのだというのがパウロの繰り返し説いていることです。 肉の力によって、モーセの律法を守るということによって人は救われるのではない。それは全く神様の前には受け入れられるレベルのものではない。そう言っているわけであります。 人が救われるのは信仰によるのだ。イエス様を信ずる信仰によって、人は聖霊をもって聖められ、この聖霊の力によってユダヤ人があれだけ固守しているところの律法遵守よりもはるかに高い次元の律法の遵守ができるのだ。そう言っているわけであります。 肉による律法遵守とは今日の法律がそうであるように、単に外面的な・・・ (テープ A面 → B面) ・・・イエス様ほどに完全な律法、究極の倫理起案を指し示した人はほかにだれもいないでしょう。 「あなたがたは昔の人々に、人を殺してはならないと言われたのを聞いていますというのは、」、そのように仰って、「しかしわたしは言います、」とイエス様は仰っています。「心の中で馬鹿者!と人に向かって言う者は、それでゲヘナに落ちるのだ。」 憎しみを抱くこと。そのことがすでに殺人の罪なのだ。 「あなたがたは姦淫をしてはならないと言われていることを聞いています。しかしわたしは言います。」とイエス様は仰っています。「心の中で邪な情欲を抱くなら、それは姦淫なのだ。」とイエス様は仰いました。 「あなたの目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てよ。あなたの腕が、罪を犯させるなら、それを切り離せ。」と仰いました。 あの山上の垂訓に語られている批判ほど完全なものは、この世にありません。あの山上の垂訓の中にイエス・キリストの神性、神たる本質が十分に明らかにされていると私は思っています。というのは、あのことばは人間には語れないからであります。 思いつくこともないかもしれませんが、思いついたとしても、人間にすぎないならば、自分の良心に恥じて語れないからであります。 イエス様が山上の垂訓で語っているあの倫理起案というのは、私たちの頭の毛一筋見落とすことのない神の御前に立っても責められることのないような、一点の曇りもない心をもつ人だけが言いうることでしょう。 藤井武という、あの優れたクリスチャンの方が書き残していますけれども、例えばダビデにしろ、パウロにしろ、彼らは本当に真実な人です。彼らは本当に正直であろうとして、神様を恐れて神様の前に立とうとしている人でしょう。 ですから彼らは神様の前に真実に立とうとすればするほど、彼らは自分の罪を告白せざるを得ないのであります。 ダビデの詩篇なんか見てください。彼の罪の告白と言いますか、神様の前に顔を上げられない、自分の本当にこのみじめな姿というものを彼は、神様の前に立つたびに言い表わさなければおれないのです。 パウロにしてもそうでしょう。彼らが真実な人間であったがゆえに、自らの罪を彼らは主の前に立つたびに、自覚せざるを得ませんでした。 ところが、福音書に出てくるイエス様の言行の中には一点の、そういう意味でのです、自分の罪に対する言及というのはないのです。 あれだけ曇り無きこの心から出て来ることばを語りながら、ご自分に対して一点のその咎めと言いますか、やましさというものを感じておられないのであります。 これは偽善なのではないのであります。偽善的であればそれはわかるはずであります。弟子たちが見、彼らが記録するのですから。 しかしイエス・キリストの中にはそれが無いわけです。藤井武先生はそのことを触れていますけれども、まったくそうだと思います。 人間は真実であろうとすれば、直ちに自らの罪、咎というものを認めざるを得ないのです。自らの罪、咎に対する鮮明な自覚というものが無いということは、それは真実さが欠けているということであります。 しかしイエス様は真実そのものでありながら、あのことばを語りながら、ご自身に対してはほんの僅かの暗さも感じていない。そこにキリストの神性というのが明らかに啓示されているのではないか、というのは、私は全くそのとおりだと思います。 イエス様が神の御子であられるということ。内に神性を宿していらっしゃるお方であるということ。一点の曇りも無いということ。これは、聖書は私たちはやっぱり客観的に見ていくときに、そう認めざるを得ないのではないかと思うのです。 ヨハネの手紙第Iの1章です。みなさんがよくご存知のように、ヨハネはヨハネの手紙第Iの1章の5節でこう書いています。 ヨハネの手紙第I、1:5
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。 ヤコブの手紙1:17
古い訳では、回転の影すらないと訳されていますが。父には回転の影すらない。物が動くときにそこに影が伴うでしょう。少しでも。光の当て具合が少し違うから。回転の影が伴うでしょう。父には回転の影すらないと言っています。 ですからパウロが目指しているもの。クリスチャンが目指しているのは単にこの安息日を守るとか、食事の前に手を洗うとか、そういう外面的な、あるいは割礼を子どもに受けさせるとか、そういう次元ではないのであります。 イエス様が私たちの前に指し示してくださった天国の律法。行ないにおいてはもちろんだけれども、もっと大切な自分の霊的な状態において守られるということ。心における罪から守られるということ。聖霊はそれを助けてくださるから。そのように歩むということ。それがパウロが伝えていることなのでしょう。 テモテへの手紙第I、1:8-11
律法は正しい人のためにあるのではない、と彼はまるで一蹴している感じです。 私たちが目指すのは、ユダヤ人たちがあれだけ執拗にこだわっている、あの律法遵守の次元ではないのだ。私たちはイエス様が示されたあの天国の律法を目指して生きる者だからと彼はこう言っているわけです。 ローマ人への手紙8:1-4
同じく、 ローマ人への手紙3:28-30
これがパウロが繰り返し語っていたことだったのです。伝えていたことでした。しかしユダヤ人たちは頑としてそれを理解しようとはしませんでした。 私たちは、イエス・キリストを信ずる信仰によって律法を完成するのだ。御霊の力によって初めて人は律法を確立することができるのだと言っているわけです。 パウロはエルサレム教会の長老たちの勧めに従って、自分が律法を大切にする者であることを示そうと彼らの勧めを受け入れました。 あの21章にもう一回返ってください。ヤコブたちが非常に心配していたことでしたから、彼はそれについて素直にそうしましょうと受け入れました。そのためにナジル人の誓願を立て、それを実行に移します。 ナジル人については、民数記の6章に出ています。聖別された者という意味のようであります。自分を主にささげる。そのための誓約の、ここで見ると7日間です。その間髪の毛をそってはならないし、切ってもいけない。ぶどう酒を飲んでもいけないし、ぶどうを食べてもいけない。そういう幾つかの規定が旧約聖書の中に記されています。 あの祭司たちが・・・神殿にはいるときには酔っ払っていてはダメでしたね。酒に酔ってはならない。それは健全な理性を保っていなければならない。そういう規定がありましたけれども。主の前に出るときに、酔っ払い半分で出るわけにはいかない。それはやってはいけないと書いてあります。 ぶどう酒を飲んではいけない。カナン人。当時のそこにいたカナン人たちの風習だったからだというふうに聖書は言っていますが、とにかく幾つかのこう、ぶどうの実から取ったものは一切口に入れてはならないと書いてあります。 そしてその誓願が終わったあとに、自分の髪の毛をそって、それを火にくべるのです。ささげ物といっしょに火にくべるということをやる。それがナジル人の誓願だったのです。それで頭をそる費用を出すように、パウロに長老たちは言ったと書いてあります。パウロはユダヤ人につまずきとならないために、彼はこだわらずにそれを受け入れるわけです。 コリント人への手紙第I、9:19-22
パウロは律法を持つユダヤ人にはユダヤ人のようになり、律法を持たない異邦人に対しては異邦人のようになったと言っています。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためだと言っています。 ガラテヤ人への手紙5:1-6
ガラテヤ人への手紙6:14-15
パウロは、真に大切なものは何であるかを知ったからこそ、どうでもよいものに対しては自由になったのであります。こうして真の自由を得るようになったからこそ彼は、どうでもよいものに対しては柔軟に妥協し、譲歩することができるようになったのであります。 彼は決して無原則な人ではありませんでした。無くてはならないただ一つのものをはっきり彼は知ったからこそ、それ以外のものやそれ以外のことに対して彼はこだわらなかったのであります。 必要ならばそうしますよ。必要ならばそれを受け入れますよ。彼はそういう態度を取ることができたのです。 以前も言いましたように、蝶番というのは一点だけをきちっと押えるから、自由に動くのであります。 私たちにとってのその一点とは、私たちがイエス様を信じているということ。イエス・キリストが私たちのうちに御霊をとおして住んでおられるということであります。これが全てなのであります。あのことはどうでもいいことなのです。 これをパウロは、あなたがたに自由を得させるために、主はあなたがたを救われたのだと言っているのです。二度と奴隷のくびきを負ってはならないと彼は言っているわけであります。 エルサレムの神殿の庭は、内庭、うちにわと外庭、そとにわに分けられておりました。ユダヤ人以外の人間がこの内庭、内側の庭にはいることは厳禁であり、それを犯すと死刑に定められるということが厳格に定められていたそうであります。 ですからその内庭にはいる入口にはギリシヤ語とラテン語によってその警告が記されていたと聖書のこのコンコーダンスには記されております。 パウロが異邦人を連れ込んで、その内庭にナジル人の誓願を果たすために入ったと誤解したユダヤ人たちが大騒ぎになって、彼を宮の外に引きずり出して、その内庭と外庭の間の門を、宮の門を閉じたとさっき30節で読んでいただきました。 ユダヤ人の厳格な人種差別と言いますか、それがそこに現われています。彼らは異邦人が神の祝福にあずかることはあり得ないものと信じて疑わなかったのです。異邦人が救われるなどということはあり得ないと彼らは堅く信じておりました。 この鉄よりも堅い隔ての壁を取り除いたのがイエス・キリストの福音なのだとパウロは声を大にして叫んでいるわけです。 あと一、二ヶ所読んで終わりましょうか。 エペソ人への手紙2:14-19
コロサイ人への手紙3:9-11
こうしてパウロは、彼が以前から予感していたように、この事件をきっかけとして捕えられ、裁判にかけられ、さらに彼はローマ皇帝ネロに上告するためローマに護送され、そして殉教の死へと向かっていくわけです。 それがこの21章のこの騒動。この神殿におけるこのナジル人の誓約の実行によって引き起こされた問題。騒ぎであります。 今日はそこまでの30節まで一応ごいっしょに見てみました。そこまでで終わりましょう。 |