使徒の働き38


蘇畑兄

(調布学び会、2006/02/23)

引用聖句:使徒の働き22章6節-22節
6ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。
7私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。
8そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。
9私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
10私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。
11ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。
12すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、
13私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。
14彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。
15あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。
16さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
17こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、
18主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』
19そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。
20また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』
21すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」
22人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と言った。

こんな恵まれた兄弟姉妹が集められている所というのは、ぼくはおそらく日本の教会には無いだろうと実は内心自負しておるわけであります。
ですからそういう兄弟姉妹との交わりを通して私たちは信仰について、あるいは人生についても色んな面で大いに学ぶことができる。それを20年、30年、40年と共に歩むことができるということは、教会というのが何と恵まれた所なのだろうか。
聖書は教会のことを真理の土台、真理の柱だと呼んでいますけれども、そのことをいつも覚えるわけであります。

教会にあってイエス様を信ずる兄弟姉妹が本当に主の前に低くなって、砕かれて、同じ心をもって一致する。そこに与えられる神様の祝福というのが本当にどんなに豊かなものかということを私も三十何年間、身をもって経験してまいりました。
みことばを学ぶと同時に、この兄弟姉妹との信仰の交わりの中にいるということ。これが本当に欠かせない大切なことだと思っているわけです。

先回もこの使徒の働きの22章を共に見ましたけれども、今回もご一緒にまた見てみたいと思います。
この使徒の働きをご一緒に学んで、もう四年ぐらい時が経ちましたが、その間繰り返して同じことを私は申し上げてまいりました。先回も強調しましたように、このキリスト教信仰の最大の特徴は、それが歴史的、現実的な根拠に立つ信仰であるということであります。
すなわち、ナザレのイエスという人間、約2,000年前にユダヤの国に生まれ、およそ33歳のときに十字架で処刑された人物。

十字架の処刑と言ったら、ローマの市民権をもっているローマ人には適用されなかったというほどの非常に残虐極まりない死刑だったのであります。ローマ市民権をもっている人は十字架刑というのは行なわれなかったわけであります。とにかくそれぐらいこの十字架の刑というのは残忍だったのです。
その十字架の刑に処せられた人物、歴史的にこの世に実在した人物が、この天地万物を創造されたまことの神によって、この地上に遣わされた救い主であり、まことの神のひとり子であるということを信ずる信仰。これが私たちの信仰であります。
この歴史性、現実性と言いますか、事実この地上で起こったのだということ。その人としてこの地上を歩んだその方。その方を信ずる信仰、これを神の御子と信ずる信仰、これこそが他の諸々の宗教や信仰と違う決定的な点であるということ。このことを申し上げたわけであります。そこに私たちの信仰の全く例を見ない特徴があるのだということであります。

人類は長い間、神についての様々な観念を自ら作り上げて来ました。聖書が言っているように、人は生まれながらにして神という観念をもっているのであります。
どんなところに住む、どんな未開人であっても、教えられなくても、彼らは神という観念をもっております。そしてその神様を色んな形で自ら作り上げ、偶像にして来たわけであります。そうするよりほかに無かったからであります。自分から作り上げるよりほかに無かったのです。手がかりが無いのですから。しかし人は神様を崇めないわけにはいかないというわけで、様々な神々を考え出したのであります。

しかし時が満ちて、神様のご計画の時が来て、今や神がご自身の御子をこの世に遣わしてくださり、ご自身を明らかにされたのだ。
「この方を見てみよ。」、聖書はこのように私たちに言っているのであります。そして、「自ら確かめてみよ。聖書の証言は信じられるかどうか、よく目を開いて見てみよ。」こう言っているのが聖書であります。
新約聖書のテモテへの手紙第Iの2章。

テモテへの手紙第I、2:4-5
4神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
5神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

実際にこの歴史の上に登場してくださったナザレのイエスというこの方こそが、神と私たちとの間の仲介者である。このキリストを通して私たちはまことの生ける神に本当に出会う者となるのである。私は神様を本当に知る者となったと人は言うことができるようになってくるのです。
イエス・キリストを通して人は生ける神との出会いを経験することができる。これが、聖書が繰り返し言っていることであります。
ペテロの手紙第Iの1章。もっと後ろのほうにペテロが書いた手紙が二つ残されていますけれども、最初のがペテロの手紙第Iであります。

ペテロの手紙第I、1:18-21
18ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
19傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
20キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。
21あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。あなたがたがまことの神を信じ、神を知るようになったのは、キリストによるのです。神はこのキリストを死者の中からよみがえらせたからです。
こう、使徒の筆頭であるペテロは私たちに伝えているわけであります。キリスト、イエス・キリストを通して私たちは見えない神ご自身と出会うのだということなのです。
ですから私たちはこのイエス・キリストなる人物、この方に注目しなければならないわけであります。使徒の働きの17章にちょっと戻ってみまして、以前ちょっとご一緒に学んだところですけれども、パウロが初めてギリシヤのアテネに入ったときの出来事がそこに記されております。

使徒の働き17:21-32
21アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。
22そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。
23私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
24この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
25また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
26神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
27これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
28私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
29そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。
30神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
31なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
32死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言った。

ギリシアの首都アテネで、パウロが当時のギリシアの哲学者たちですね、そこの前のほうに出ていますが、エピクロスとかストア派と呼ばれるこの世の知者たちに呼び出されて、アレオパゴスという場所に連れて行かれて、そこで語った言葉がここに記されているわけであります。
神というのは、この天地を造られた唯一の方なのだ。だから宮などに住んでいらっしゃるのではないのだ。何か不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要などはないのだ。こういうことを彼は言っているわけです。
非常に明解ではないでしょうか。わかりやすい説明ではないでしょうか。そのように私たちは神の子孫ですから、神様によって造られた者ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀の石などの像と同じものと考えてはいけません。こういうふうに彼は理路整然と言っているわけであります。

日本の仏教なんかは仏像を非常に大事にしますが、ユダヤ人たちから見ると、仏教は偶像崇拝であります。ああいうような像を作って、その前にひれ伏すということはあってはならないことであります。
私たちは身の回りにいっぱい、神社、仏閣、いっぱいありますけれども、このことはよく覚えておくべきだと思います。神はああいうところにおられる方ではないのだということであります。
むしろ逆に、神様はこの世界宇宙、至るところに実は臨在なさるお方である。宇宙の果てに行ってもそこにもなお神はおられるお方であるというのが聖書の教えていることであります。

日本人はかつてのギリシア人によく似ていると言われます。ギリシア人は人類最高の知的民族であります。あのソクラテス、プラトン、アリストテレス、人類の最高の知者たちと言いますか、人としての知恵を明らかにした代表的な民族です。
しかしここに出てくるように、多神教の国なのであります。多くの神々を彼らは拝んでおりました。ですから神々の存在を無視はしないとしても、神棚にちょうど祭り上げるようにして、自分の実人生とは何の関わりももたせずに、自分の生き方は自分の考えにしたがって勝手に生きるという、そういうことのようであります。この21節のことばです。

使徒の働き17:21
21アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。

これは非常に、ギリシア人に対する、この使徒の働きを書いたルカの痛烈な皮肉と言ってもいいと思います。
結局、ギリシアの当時のインテリたちは高尚な趣味の世界に遊ぶかのように、何か耳新しいことを聞いたり、話したりすることだけで、日がな一日過ごしていたというのであります。
ギリシア人にとっては、人生とは一種の遊びの世界に近いものだったかもしれません。趣味人が高尚な趣味をお互いにひけらかすかのように骨董品をいじったり、色んなそういう趣味を楽しみとして生きると言いますか、この21節のことばは何かそれに通ずるものがあるのではないかと思います。

何をするにしても結局は遊びだというのがギリシア的な、知識至上主義的な人生観の行きつく果てなのではないだろうかというような気がするのです。
知識を増す者は悲しみを増すとソロモンはうたっていますけれども、それはこのギリシア的な知識至上主義への警告でもあるわけであります。
知識を弄んでみたり、ひけらかしてみたり、そういうことが結局は悲しみを増す。虚しさを深めていくというところ。そこにこのギリシア的、世界に対する聖書の痛烈な挑戦が生まれて来るわけであります。

聖書は、神を恐れることが知識の始め、聖なる方を知ることが悟りであるというふうに教えています。恐れるべき方を心から恐れるということを教えること、これこそが知識の始めなのだということであります。
このように、このギリシアという多神教的で、それゆえに相対主義的な、人間中心的文化を代表する世界に対してパウロは、神は唯一であり、キリストこそ唯一の救い主であるという揺るがない、絶対的なものの存在を示していくわけであります。
パウロのこの話を聞いたギリシアの哲学者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言って、ある者はあざ笑い、相手にもしなかったとここで述べられているわけであります。

ご存知のように過ぎ去った20世紀の後半は、資本主義か共産主義かのイデオロギー対立の時代でした。私たちが学生の頃、40年ちょっと前後前は大学の校内は革マル派や中核派の学生たちのヘルメットと、タオルで顔を隠した生徒たちのゲバボウで荒れ狂っていました。
私たちは彼らのああいう破壊的な行動を見ながら、自分には揺るぎない立ちどころがなくていつもビクビクしておりました。彼らは確信をもって、ああいう行動をしてくるわけであります。
自分にとってはそれをはっきりと否定するだけの立場もないし、しかし彼らが言っていることが正しいとはとても思えないしという、そういう学生時代を過ごしました。

それがひとつのきっかけとなって、私自身はこの聖書というものに関心をもつようになったわけですけれども、そういうイデオロギー対立、すなわちこの地上の理想的な社会制度をめぐる思想上の対立がイデオロギーの対立であります。
ところが、1990年のころにあのゴルバチョフが突然出現してくれて、この対立が終わりました。やれやれ、これで一安心と、本当に私なんかも安堵いたしました。アメリカとソビエトが核をお互いに狙いを定めて、一触即発というような状況が続いておりましたから、これでこの対立が終わったと思って、本当に安心をしたのですが、しかしそれも束の間で、それよりもっとすごい対立が噴き出してまいりました。
この二十一世紀はまさに剥き出しの宗教対立の世紀になりそうで、世界中の人々は戦々恐々としております。

それぞれが絶対と信ずる宗教観の対立ほどに危険極まりないものはありません。現代のアメリカ対アフガンやイラクの戦争のことを、イスラム原理主義とキリスト教原理主義の間の戦いだと非難し、揶揄する知識人たちも少なくありません。それは絶対と絶対との戦いだという意味であります。
このような果てしない宗教がらみの戦争を見ると、日本の知識人たちはすぐに、古来から絶対的宗教をもたないのが日本人の賢さであると得意げに言い立てる傾向があります。
司馬遼太郎とか梅原猛とか塩野七生さんとか、ああいう名立たる作家たちがほとんど口を揃えてそのようなことを述べ立てております。

司馬遼太郎などは、絶対的な一神教を信じるとは、自分には理解できないと書いております。しかし、この司馬さんのおっしゃることのほうが、私たちには理解できないのではないでしょうか。
相対的な多神教のほうが、常識的には理解不可能ではないでしょうか。神々が多数存在するとは、論理矛盾ではないでしょうか。理性を持つ人間が、そのような神々を本気で信じることができるのでしょうか。
本気で、自分のすべてをかけてみていいと思って信じようとしないから、一神教的な信仰が理解できないなどと言ったのではないでしょうか。信仰と言うものに対する真剣さが足りないと、この人たちの考え方を聞くときに思うのです。

家にはひとりの父親でなければ、やっかいなことになります。国には、ひとりの王でなければやっかいなことになります。一人ではなくて、二人も三人も家に父親が居たら、子供達の心は分裂を起こします。おそらく収拾がつかないはずです。
神は至高なる存在でなければなりません。絶対的存在でなければ神であり得ません。だから、神はおひとりでなければならないというのが道理に適っていることであります。
神々というのは存在しない。それは、人間が、自分たちの世界を逆に神々の世界に反映させたことにほかなりません。

聖書は、この天地を創造された神は唯一の神である。至高なる存在であり、絶対的な存在であり、はじめもなく終わりもなく存在されるお方であり、すべてのことをご存知の神である。ありとあらゆる所に、存在なさるお方である。
人間が、どんなにしてもこの神の元から逃げおおせることはできない。聖書は、そういうふうに私たちに告げています。これは、しかし本当に有り難いことであります。
人間は、神の御手から隠れることはできずに、逃げおおせることはできない。すなわち神は常に私たちのそばにおられる。聖書の宣言であります。絶対的な神の存在なくして、人生の根本問題は解決不可能であるということをどうして、この有名な評論家や作家たちは気が付かないのでしょうか。その事の方が私には不思議であります。

余談ばかり申しておりますが、私の学生時代のゼミの先生は、非常に、キリスト者として知れ渡っておりました。ドイツでの留学経験を通して深い信仰に触れておられ、ドイツの有名なカール・バルトやブルンナーや世界的な神学者とも深い交流を持っておられたすぐれた方でした。
ある時、学生達への講演で、大隈重信公のことを話されたことがあります。爆弾テロで片足を失った後の晩年、大隈さんは、自分の家に庭にバラ園などを作り、よく外国のお客さんたちを、迎えて歓待をして、バラを差し上げたりして喜ばれていたそうでありますけど、特に欧米のお客さんが来られた時に、いつも持ち出すお話しがあったそうです。
それは、われわれ日本人が様々な宗教を寛容に受け入れて宗教問題で争うなどということはしないのに比べて、あなたがたの国では愛なる唯一の神を信じると言いながら、宗教対立が絶えないとはいったいどういうことであろうか。これが大隈重信さんのいつも持ち出す質問だったそうであります。

これに対しては、たいていの欧米人が面目ないと恐縮するのが常だったそうですが、ある時、二十歳過ぎの二人のアメリカ人の婦人宣教師を迎えたときに、大隈重信さんが、このとっておきの質問を持ち出したそうであります。
ところが、その若い婦人宣教師たちはこう言ったというのです。
「自分たちの先祖たちが神の御名によって互いに敵視し、血を流し争ったことは非常に残念なことであり、決して犯してはならない過ちであると思っている。しかしながら閣下が言われるように、自分たちの信じる信仰の故に、ために命をかけることが愚かなことだとは思えません。むしろ、そのような信仰を持ち得ないことこそ悲しむべきことではないでしょうか。」

大隈重信は、この婦人宣教師たちの思いもかけない答えに戸惑い窮して、「いやあ、そんなことはないので、あるんである。」と、「ないんで、あるんである。」は口癖だったそうです。そのような返事をしたそうです。
彼女たちを見送ったあとに、秘書に向かって、「きょうは、この大隈ほんとうにまいったあと思った。あんな小娘たちがいるのだから、アメリカも馬鹿にできないね。」と言ったというのであります。
先生は、私たち学生に向かってこうおっしゃったのです。自分は、大風呂敷と言われた大隈さんがあまり好きではなかった。しかし、この話しを先生から聞いたときに、大隈さんの態度に深い感銘を覚えた。諸君は、真実なるもの、真理なるものを前にして心からまいったと言えるか。この態度こそが、真の学問の精神なのだ。

そういうふうに、大勢の何百人の学生に先生は語りかけられたのであります。「まいったと言えるか。」、これは、私には忘れがたい言葉となりました。
当時、ノンクリスチャンだった私としては、その婦人宣教師の言葉に深い感銘を受けたという大隈さんの気持ちはよく理解できませんでしたけれども、真実なるものの前に、立って、まいったと言えるか、兜を脱げるか、心を深く刺されたときに、その通りだと言って、頭を下げることができるか。
真実なるものの前には行きがかりを捨てて、利害損得を捨てていつでも頭を垂れることを忘れてはならない。それが、人を信じ、人との出会いに導くものだと語りかけられたのであります。

大学とは様々な功利的な知識を身につける所ではないのだ。そういう先生の私たちの魂への訴えかけは、大きな示唆となりました。
ついに3日前の新聞の社会面だったと思いますが、大阪大学の、現役学生が、ホストクラブで大金を稼いで、大学にも高級外車を乗り付けて行く。その学生が、恐喝の疑いで逮捕されている写真が出ておりました。
高校時代から、大学に入ったら、ホストクラブに入って大金をかせぐと、豪語していたそうであります。その記事が出ておりました。大学という所は真実なるものの前にまいったと言う精神を学ぶところだ。僕はこの記事を見ながらあらためてその事を思うわけであります。

なにか様々な知識を身につける所が大学と思いがちでありますけど、そうではないのであります。本当に、そういうふうな考え方を持ってる多くの学生がいるわけですけど、先生が私たちに訴えかけたことを教えてあげる人がいたらなあという思いがするわけです。
おおよそ真なるもの、真実なる者の前に兜を脱いで、頭を下げて、その通りですと言う態度を忘れてはならない。聖書に向き合うときにも、私たちがそうでなければならない。それが真理と向き合う者、真理を求める者の態度でなければならないわけであります。

使徒の働き22章。前回も学びましたが、ナザレのイエスこそ約束のメシア、キリストである。パウロにそのことを体験させたものこそ、確信させたものこそ、イエス様の復活を知ったこのダマスコ途上の、体験であります。
イエス様の復活の事実こそが、パウロの信仰にとってアルファでありオメガでありました。パウロの人生の問題は、この事実を知ったゆえに、すべて完全に解決されていくのであります。
なぜなら永遠の命が自分に提供されていること、それを自分が受け取ることができると言うこと。いやすべての人が受けることができるということがはっきりとわかったからであります。

このことを知ることによって、パウロはもはや人生における問題は根本的に消えてなくなりました。パウロは、このダマスコ途上の経験以来、三十何年、ヨーロッパまで渡り歩いてたいへんな人生を送っていますよね。
あとで、いろんな所から彼の人生を見てみたいと思いますが、ともかく迫害に続く、迫害。パウロのような凄まじい人生を送った人はいませんでした。しかし、パウロは、もはや自分自身には何の問題もないということをよく知っておりました。
彼は、ひとのために悩んだんですよ。彼はこの福音を伝え受け入れようとしない人々のために、本当に苦しみましたけど、あるいは自分をねらい定めて終生自分を迫害してくる同胞のユダヤ人たちのために悩みましたけれども、パウロは自分自身についてはもはや悩みを持っていませんでした。

彼は、もうなんの問題もない人でした。永遠の命、キリストにある不滅なるもの。それが彼に提供されたからであります。これ以上になんの望むものがあるでしょうかとパウロは確信していました。
これに比べれば、この世の富も誉れも取るに足りない。糞土のようなものだと彼は言っています。ちりあくたと訳されていますが、もともとは糞(くそ)という意味です。
パウロは表現を容赦なく使う人であります。ちりあくたと訳されていますが、そのようなものだということです。天の栄光に比べれば、この地上の栄光はとるに足りない。これがパウロの揺るぎない確信でありました。

もちろんパウロがイエス・キリストの救いについて、その高さ、深さ、広さについて、十分理解するまでは、まだまだ時間がかかったでしょう。それらは一挙に明らかにされたのではありませんでした。
神様は賢い知恵深いお方ですから、一挙にすべてのものを私たちに示すことはなさいませんね。私たちの成長に応じて、理解力に応じてであります。
そして、その時々に主は私たちに明らかになさいます。賢い親は子供に、その子供のレベルに応じたことを教えていくわけでしょう。神は完全なるお方ですから、私たちひとりひとりの成長に応じて、教えられます。

(テープ A面 → B面)

使徒の働き20:25-27
25皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。
26ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。
27私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。

神のご計画の全体を余すところなく知らせておいたと言っています。
イエス・キリストを通して神様が人類に提供されている救いと言うのが、何を意味するのか。神様の救いのご計画の全体はどう言うものなのか。パウロは、あなたがたに私は余すところなく知らせたと言っています。
彼の、普通の人の何倍にもあたるような凝縮された人生を通して、パウロは神様の救いの奥義について、啓示されていった。それが、彼の書き残した13の書簡の中に記されているわけです。しかし、それは、彼の信仰生涯の全体を通して示されていったことであります。

ダマスコ途上でイエス様と出会った彼の証しで述べている瞬間、主との出会いの瞬間に理解したことは、クリスチャンたちの証言が真実であり、彼らのほうこそが正しい。
自分は恐るべき過ちを犯していたのであり、あの十字架でむごい死をとげたイエスこそ間違いなく神の御子キリストであるということ。この事実であります。
彼は、この事実にただ茫然自失したのであります。おそらく言葉は出なかったでしょう。

パウロのこのダマスコで主に出会った驚きは人間の言葉では表現できないでしょう。信じられないこと、想像もできないことでありました。
神の救いの約束がこのような形で与えられるものであるとは、パウロはもちろんのこと、誰一人として想像できなかったことでした。
神が、そのひとり子を人の子として使わし、十字架の死によって人類の罪を贖い三日目に復活させることによって救いを与えるなどとは、心に思う浮かぶことさえなかったのであります。

当時のユダヤ人の抱いてたメシア観とは、せいぜいのところ、ローマの圧政からユダヤ人を解放してくれるというくらいの、そういうようなメシア観だったのです。
自分たちをあのローマの頸木から解放してくれる偉大な指導者、そういうダビデの再来のようなもの、そういうものをユダヤ人はメシアだと思っていたのであります。
要するに彼らの考えていた救いとは、この世的な自由、この世的な解放にすぎませんでした。まさか死を滅ぼして、死の恐怖から人間を解放なさるということ、神の命、永遠の命の光栄に浴することが救いなどとは、思いもよならないことだったのであります。

コリント人への手紙第I、2:9
9まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

コリント人への手紙第I、2:14
14生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

この世の人にとってみれば、聖書が私たちに伝えている救いは愚かなことのようにしか見えない。理解することはできない。それは当然だと言っているのです。
はじめて、聖書をまじめに読んでごらんになってみてください。そこに、出てくることを初めから理解できる人なんて、一人もいないのです。
あのクリスチャンたちは本当にこのことを信じているのだろうか。全く異次元の人間を見るような気がすると思いますね。聖書は、全く、この世の知恵では書かれていません。

この世の知恵で書かれているなら、人間の知恵でわかるんですよ。同じ人間が書くのですから。しかし、聖書は読まれたが、これは全く理解できない。
福音書を懸命に読んでみて下さい。全く、理解できませんね。これは、とてもじゃないけれども、私には信じられないと思うはずですよ。あきれるはずですよ。

テモテへの手紙第II、1:9-10
9神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、
10それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。

このテモテへの手紙の第IIは、パウロが殉教の死をとげるすぐ前に書かれた最後の手紙と言われています。遺言状だと言われています。
最後のところに、世を去るべき時が来たと書いております。

テモテへの手紙第II、4:6-8
6私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
7私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
8今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

彼はこの最後のテモテに書き残した手紙において、キリストは死を滅ぼし福音によって、命と不滅を明らかに示されて、これこそが、真の希望なのだ、これこそが、神様が私たちに備えておられる救いそのものなのだ。そう言っているわけであります。

ヘブル人への手紙2:14-15
14そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
15一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

人間とは死の恐怖につながれ奴隷となっている。これが人間というものに対する規定であります。なんだかんだと言っても、死というものをつきつけられたら、もう人間はどうにもならない。
その人間のどうにもならない問題を打ち破られた方、それがイエス・キリスト。これこそ唯一無二の救いなのだ。そう聖書は言っているのであります。
クリスチャン信仰で一番大事なのはこの事実であります。どうぞ、ぜひ覚えて頂きたいのであります。

立派な教えではないのであります。前回も申し上げましたように、すばらしい愛の教え、それは素晴らしくても、クリスチャン信仰の中心、核心ではないのであります。
イエス様がこの地上に来てくださり、十字架につかれ、ご自分の死によって悪魔という死を持つものを討ち滅ぼされた。十字架にかかられることによって、悪魔の頭を踏み砕いてくださった。
それによって、私たちを死の恐怖から解放してくださった。永遠の命を明らかにしてくださった。私たちもまた、イエス・キリストの永遠の命に預かる者になる。いや、すでにこの地上にあって、キリストの命を持つ者となる。そう言ってるわけであります。

このキリストの復活という圧倒的な事実の前に、パウロのそれまでの人生観や世界観、あるいはユダヤ教的な宗教観も徹底的に打ち砕かれていくのであります。
彼は、自分の想像をはるかに越える新しい世界の前に立たされるのであります。彼は、この時、今まで持っていた自信と自負心を完全に粉砕されるのであります。
こうしてパウロはこれまでの自分のすべてを捨て去って、全く新しい出発をする以外になかったのであります。イエス・キリストと出会った後の人生はそれ以前の人生と同じものであることは、できないのであります。先ほどの、

使徒の働き22:10-16
10私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。
11ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。
12すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、
13私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。
14彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。
15あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。
16さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』

「主よわたしは、どうしたら良いのでしょうか?」、このパウロの言葉は非常に重大であります。パウロは、今までのように自己決定、自己支配の人生を歩むことをここで徹底的に放棄するのであります。
イエス様を知らない時、私たちの人生は自己決定、自己支配の人生です。自分の人生の生活の主人は自分であります。自分の人生を支配しているのは、自分であります。これがパウロのそれまでの生き方でありました。
しかし、このダマスコの出会いを通して、パウロは徹底的に自己決定、自己支配の生き方をひっくり返されていくのであります。「主よわたしはどうしたら良いのでありましょうか?」

実は、クリスチャン信仰というのは、この立場に立つものであります。今まで私たちは自分はどう思うか、自分はどういうふうに感じるか。これが、自分の行動の出発点であり基準でした。
しかし、イエス様を信じ知るようになる時に、自分が何を考え、どういうふうに感じるかということをいったん置きます。それによって、支配されないように気をつけます。そうではなくて、わたしは、どうしたら良いでしょう。あなたの御心はなんでしょうか。どうか、教えてください。
こういうパウロの根本的な転換がこの短い「どうしたら良いのでしょうか?」という言葉の中に示されているのであります。

信仰の従順。信仰というものが従順であるか。アウグスチヌスは第一に従順、第二に従順、第三に従順。謙遜であれと書いておりますけど、パウロの新しい人生がここから始まっていくのですね。
イエス様が神の御子でありながら、父なる神に完全な従順さを示されたように、イエス様を信じる者は、キリストへの従順を、その中を歩んでいくわけであります。
それこそが、真理の中を歩むということにほかならないと聖書は繰り返し教えているのですね。

もう時間になりました、22章の重要な点は、これくらいではないだろうかと思います。時間になりましたので、終わりましょう。




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