引用聖句:使徒の働き5章1節-11節
この使徒の働き5章の内容は、大きく分けて二つのトピックスになるとおもうんですね。最初のほう、1節から11節までは、アナニヤとサッピラ夫婦の事件。そのあとはおもに大祭司の一派やサドカイ派の人々による、ペンテコステ以来続いてる使徒たちへの迫害についての記述であるということが分かります。 生まれたばかりのヨチヨチ歩きのような初代教会。迫害という嵐の中を船出している船みたいな教会でありますね。 今まで、教会なんてなかったわけですから、はたして教会とはどうあるべきか、使徒たちも分からないでしょう。そこに、ユダヤ人たちからの厳しい迫害が起こってくる。しかも、その教会の内部にも、まだ信仰のヨチヨチ歩きの兄弟姉妹たちがさまざまな事件を起こしてくるわけです。 どう歩んだらいいのかまだ分からないわけですから、無理もないんですね。そういう中で、この教会がひとつの福音の器として建っていかなきゃならない。考えてみると、大変だったでしょうね。 私たちには2,000年の歴史があるんですね。聖書を読めばだいたい分かるわけであります。こうしなきゃならない。教会というのはどういうものであるか、2,000年の蓄積ってあるわけですよね。 多くの兄弟姉妹が、文字通り命がけで歩んで来た、信仰の歩みの跡が残ってるわけです。 ところが、この初代教会っていうのはまったく初めて、こういう教会が誕生いたしました。これは考えてみると大変だったろう。その宣教役をしなきゃならない使徒たちは、本当にこれは、大変な労苦だったろうと思いますね。船の舵を取るようなもんですから。 そういう初代教会を揺るがした最初の大きな事件。これが、アナニヤとサッピラ夫妻の事件であったわけですね。 ことの起こりは、初代教会の共産主義と言われるものにありました。これはこの前にちょっとだけ見ましたけれども、私たちの学生時代まで、あるいは今から十数年前まで、ソビエト体制が、あのものすごい崩壊という、百年にいっぺん、有るか無いかのような体制崩壊をいたしましたね。 それまで二十世紀というのは、共産主義思想というイデオロギーと、自由主義思想というイデオロギーの二つに分断されて、世界は核を持ってお互いににらみ合っておりましたよね。 今の若い人々はちょっとピンと来ないかもしれませんね。もうボタン一つ押せば、お互いの陣営をたたくことができるという、それこそ何千、何万という核弾頭を作って、ソビエトとアメリカの両陣営がにらみ合っておりました。そういうこの時代。 それが戦後の、四、五十年だったわけですけども。だれもがこの社会主義思想、共産主義思想というものに、いつも翻弄されざるを得なかったですね。私たちの学生時代は非常にそういう意味で、大学なんかは、そのために荒れておりました。 この近代の共産主義的思想というのは、フランスから発生したんですよね。サン-シモンとかですね。十八世紀頃から十九世紀にかけてでしょうか。それが二十世紀になって、マルクス的なああいう、巨大なイデオロギーとなって、世界を分断しましたね。 今はすっかりそういうものは崩れ落ちてしまったもんですから、まったくわれわれは気にもかけなくてすむようになりましたけれども、ちょっと前まではそうじゃありませんでした。 こういう、その共産主義的な思想や社会主義的思想というものの、根っこを説明してる本を読むと、必ずこの初代教会の共産主義っていうことに触れてくるんですよね。 もちろん、その根本にある思想はまったく違うものでありましたけれども、歴史上、珍しく現われた共産主義的なあり方っていうのが、実は教会の中にあったんですね。 使徒の働き4:32-37
地所や家を売却し、その代金を使徒たちに献金して、困っている人々、生活に不自由な人々、そういうクリスチャンたちに分配をしていたわけであります。 ここには、主の再臨が近いという思いが非常に強く働いていたかもしれませんね。当時は今よりもはるかに、そういう緊張感をもっていたと言われております。ですから、土地とか家屋などの不動産は、手元に置かなくてもいい。早々に処分して、これをほかの兄弟姉妹たちに使ってもらおう。そういう、ある意味で早まった判断もあったでしょうね。 だからみんな、家だとか、土地というものも処分して、それを使ったわけでしょう。 しかしこのいわゆる共産主義なるものは、長くは続かなかったようであります。これが教会の中に、アナニヤ、サッピラ夫妻の事件のような、いわば偽善的行為の入り込む機会となったということが、こういうあり方が、短命に終わった一つの理由なのじゃないかという思いがいたしますね。 ほかにも、こうなってくると、自分から懸命に働こうとはしないで、教会の世話になって、無意な日々を送るというような怠け者のクリスチャンらも出現するようになったでしょう。 それで、「これはいかん!」ということになったんじゃないかと思いますね。 クリスチャンがすべて模範的で、主と人々に仕える兄弟姉妹と、あるいはまだ主を知らない人々に仕えるということを、自分の人生の目標としてはっきり意識して歩んでいるわけじゃなかったんですね。 私たちは、かつて自分自身のためにだけひたすら生きておりました。自己中心ですから、人のためにやってると思っているかも知れませんけれども、しかし今になってみると、すべては自己中心でありました。 しかし信仰に触れて、イエス様の救いにあずかって私たちの心は開かれて、この自己中心であるという、自分の本当の罪のあり方に気付いてまいりますね。 そして、その生き方とは根本的に違う生き方、主ご自身を中心にする、主と人々に仕えるということに、人生の目標を置いていく。そう生きなきゃいけないのだ。 そこにだけ、本当に人の生きるべき本当の道があるのだ。天国へと続く道はそこにあるんですね。そこに喜びの、あるいは生きがいの人生があるわけです。で、そこにまだ、本当の意味で、気が付かないクリスチャンたちもいたわけです。 だから、世話を受けるばっかりでですね、与えられるばっかりで、仕えるということを知らないんですね。相変わらずそのエゴ中心の、生活の中にとどまろうとする人々も出てくるんですね。 それが聖書のいたる所に出てくるから、パウロが、働かざる者は食うべからずと書いたわけですけれども、色んな弊害があったということでしょうね。そこで、短期間でこの、教会のあり方、共産主義的なあり方っていうのは、消えたようであります。 はたして社会制度というのは、どういうあり方がいいんだろうか。共産主義的な社会主義的なあり方がいいのだろうか。それとも自由主義的な、私たちの国が認めているように、財産権というものを非常に尊重して、今日の近代国家っていうのは私たちの住んでるような近代国家っていうのは、財産権というのと、自由権というものの保障という二つの土台を持ってるとよく言われるんですね。 財産権、私用財産というのは、これは神さまが人間に与えた基本的な権利なんです。そして、私たちの信条、信仰とか、職業選択とか、居住地の選択とか、そういう色んなものも、人は自由に保障されるべきである。 封建時代なんかと考えると大違いですよね。着るものから、髪の頭のチョンマゲから服の丈まで、百数十年前の日本なんかでは決められていたわけですから。今思うと考えられませんけれども。 そういうような時代から、この近代的な自由国家、人々が自らの財産っていうものを不当な侵害を受けないという保障を受けて、それによって、人々が自主的に自由に生きる、そういう国家というものを理想としてきたんですね。 また、家族っていうのは、ぼくはやっぱり、例えば本当にこの世に出て行けば、この世の世界生活で見れば、まったくこのペーペーで、低い地位にあって、うだつが上がらなくても、その家に帰れば、子どもたちが世界一の人であるかのように自分の親のことを思うわけであります。 心から信頼して、尊敬される。ですよね。そういうのが家族であって、そういうのが無数にあるわけであります。そうして、世の中が認めなくても、自分を本当に心から信頼し、まるで世界で一番立派な人間であるかのように、信頼してくれる子どもたちがいるって、これはやっぱりぼくは大きいだろうと思うんですよ。非常に大切なことだと思うんですね。 こうして子どもは、親を本当に愛し、信頼し、敬うってことを家庭で当然のことのように学ぶわけであります。家に帰るとそういう、家族が自分なりに見るということ。これはやっぱりすばらしいんじゃないでしょうか。 みんなが、そういうものを持たずに、社会のひとつの斤で輪切りにされれば、やっぱりこれは・・・困りますよね? 家族という、それぞれの単位があって、そこで、今言ったように、本当の意味での、能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるという、全きこういう共同生活。一体という生活が営まれているということ。 これはやっぱり、神さまの摂理にかなってるんじゃないのかという思いをするわけであります。 こういうわけで、今、バルナバという人の名前が出てきましたけれども、バルナバが、そういうことをしたというんで、アナニヤとサッピラが、今度は偽善的な行為をするというそういう繋がりになってるんですね。 このバルナバという人は、聖書の中によく出てまいります。この使徒の働きの中によく出てきますね。パウロの手紙の中にも出てきますかね。そういう意味でちょっとだけこの人について、見てみたいと思いますけども。 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフと書いてありますね。本名はヨセフであります。ところが、使徒たちが、このヨセフのことをバルナバと呼ぶようになったというんですね。 「慰めの子」という意味だっていうんですね。三浦綾子さんがどっかに書いておられたと思いますけども、「慰めの子」、なんとすばらしいあだ名をつけていただいたことかと思うんですね。 使徒たちは親愛の情を込めて、彼の存在に対する感謝を込めて、おそらくバルナバと呼んだと思いますね。「慰めの子」、彼がいてくれるために、兄弟姉妹たちは慰めを受ける。そういう愛の人だったってことでしょう。 教会内に起こるさまざまな破れ、誤解や行き違いという、人間の集団の中に付きまとうそういう色んなものに、バルナバはいつも、いわばそれを繕う、破れを繕う、温かな人物であったということでしょうね。 和解と一致への力となる存在だったと言えると思いますね。 バルナバのような人というのはやっぱり、家族や職場などにも、多かれ少なかれ、そういう人はいるもんですね。その人がいるために人々が、とげとげしい、そういう関係から守られてる。そういう存在ですね。 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからですと、イエス様は仰いましたけども、私たちが置かれてるその場その場において、そこにその人がいるっていうことが、なんと周囲を和らげてくれる。そういう存在。それが、ぼくは平和をつくる者っていうひとつの意味だろうと思うんですね。 デモに参加して、イラク戦争反対、叫ぶのが平和をつくる者だとは思わないんですね。そうでなくて、そういう人の存在が、周りに和解をもたらすんですね。そういう人。そういう意味で、このバルナバっていう人の存在は大きかったんじゃないかと思いますね。 ついでに見てみましょうか。バルナバ。みなさん、あんまりこのバルナバについてご存知ないかもしれませんからね。 使徒の働き9:26-28
ここに出てきますね。サウロ。あのパウロですよ。迫害者パウロ、サウロが、ダマスコの城外で劇的な回心をいたします。そして彼は数日して、もうダマスコで、「イエスは神の子である。」と宣べ伝え始めたのであります。 こうして、彼は、自分がクリスチャンになった!迫害者からクリスチャンになった。それで、エルサレムの使徒たちの、ペテロ始め、ヤコブたちも自分を受け入れてくれると思って、エルサレムに行ったんですけども、受け入れてもらえなかったんですね。 当然、警戒したわけであります。 そういうサウロを、使徒たちとの間に連れて行って彼を結び付けたのが、バルナバだったんですね。だから、こういう働きをして、のちになってバルナバという名前になったんでしょうね。 おそらくこの5章の時点では、おそらくバルナバっていう名前は、まだついてなかったんじゃなかろうかと思いますね。 彼の長い働きを通して、みんながバルナバと呼ぶようになった。「慰めの子」と呼ぶようになった。その名前を、ルカはこの5章でもう先取りして使ってるんだろうと思うんですね。 教会が始まってすぐに、そういうふうに彼の存在が教会の中で知られていくようになったんじゃなくて、彼のこういうようなひとつひとつの歩みを通して、彼はバルナバという、呼ばれたんでしょうね。 使徒の働き11:19-26
エルサレムにあるボウ教会ですよね。そこに使徒たちの中心的な人々はおりました。ところがこのエルサレムよりも、異邦人全土の中心になっていてのはアンテオケなんです。今のトルコ領に入るのかな。あの根っこにありますね。アンテオケ。 ここはいわゆる異邦人伝道の拠点と言われるんですけども、初めて異邦人たちに、ギリシヤ人たちに福音が伝えられたのは、アンテオケだったんですね。それまではユダヤ人だけにしか、福音は伝えていけないもんだと思っていた。 ところがギリシヤ人たちが信ずるようになった。それで、エルサレムの教会はびっくりしたんでしょう。驚いて、自分たちが考えもしていなかったような、異邦人への救いが起こされてるということに驚いて、バルナバをアンテオケに派遣したんですね。 そしてこのバルナバが、もう一回自分の郷里であるタルソに引っ込んでいたパウロを、もういっぺん引っ張り出すんですよね。 サウロは一時、この使徒たちと一緒に伝道に携わっていたんですけども、エルサレムで携わっていたんですね。ところが、どういう事情か知らないけども、自分の郷里のタルソに引っ込んでしまった。このタルソも、今のトルコですよね。タルソの生まれですから。 なにをパウロはそこでしていたのか知りませんけども、これからの伝道の用意をしていたのか、なんか知りませんね。そこで、ただ腐っていたんじゃないでしょうか。それを、バルナバはタルソまで行って、もう一回サウロ、のちのパウロを引き出して、アンテオケの教会に連れて行きます。そして、今度はパウロと一緒に、バルナバとか、チームを組んで、世界伝道へ出発して行くんですよね。 使徒の働き13:1
このニゲルというのは黒人だったようです。ニゲル。ニグロのことだそうですね。 使徒の働き13:1
これはパウロのことですよ。 使徒の働き13:1-4
云々と書いてますね。こうして、バルナバとサウロが、第一回の伝道旅行、三回の大伝道旅行、パウロはして来ますけども、第一回目にバルナバと一緒に遣わされて行くんですね。 使徒の働き15:36-40
これが第二回目の出発ですけども、このときに、マルコのことでもめたんですね。マルコの福音書を書いたマルコですよ。バルナバの従兄弟だと書いてますね。 第一回の伝道旅行のときにマルコが、どういうわけか知らないけど、辛くなったんでしょうかね。サッサと帰っちゃったんですよ。バルナバが連れて、パウロと一緒に出かけたのに、途中で帰っちゃったもんですから、パウロは、そのマルコは、これはダメだと、非常に厳しい評価をくだしたわけです。 のちに、一番最後の手紙でしたかね、テモテへの手紙第IIの中でパウロは、「マルコもいっしょに連れて行きなさい。彼は役に立つから。」と書いていますよ。だから、そらもう、随分時間も経っていますね。もちろん若いマルコには、とてもその伝道の厳しさなんかには最初からついていけなかったんでしょうね。それは当然であります。 こういうようないきさつがあるということが分かりますね。このバルナバっていう人の、なんて言うかな、当時の教会における重要性と言いますか、それがよく分かると思いますけども。 新約聖書の中に、だれが書いたか分からない手紙っていうのはヘブル人への手紙だけですよね。あとはみんな名前がついて分かっているわけですから。 ある、ヘブル人への手紙の研究書なんかによると、バルナバではないだろうかと言われているそうです。あれだけユダヤの習慣に精通してるのですから、ユダヤ人でなきゃいけない。どうもパウロの、いつもの文書とは違うんじゃないかっていうんでですね、ヘブル人への手紙の記者はバルナバではないかというようなことが、昔から言われてるそうですけども、あるいはそうかもしれませんね。 あれだけのことを書いてるわけですから。それは相当の信仰の人じゃなければ書けませんでしょうし、この新約聖書に出てくる人からそういう人を挙げていくと、バルナバなのじゃないかとそういうような見方もあるそうであります。 そこで元の、使徒の働き5章にもう一回返りますと、アナニヤとサッピラのこの夫婦であります。こういう愚かな行為によって、聖書にその夫婦の名前が記録されて、何千年にもわたって読まれるっていうのは本当に、気の毒としか言いようがありませんけれども、その初代教会で、兄弟たちが次から次に地所や家屋を売って、献金をし始める。 多くの尊敬を受けてるバルナバもそうしたというふうに聞いてくると、なにか自分たちもこれはしないと具合悪いんじゃないか。どうも、そういうふうに思ったんでしょうね。人情として分からないこともない。 多くの人々が集う集団では、どういう集団でも、周囲の目が気になって、自分の本心ではない、いささか引っかかるなっていうようなことも、流されるようにして行なうということが起こってきますね。 それはただひとりひとりの思い込みで、なんの根拠も無いんだけれども、だんだんそういう流れが大きくなってくる。もう止められないっていうふうな、状況になるのであります。 なにか知らんけど、そういう雰囲気のように思ってくるんですね。そういう空気なんですね。だれもはっきりとしたこと分かんないんだけど、どうもそういう空気じゃないかっていうふうに、感じになってくる。 あんまり気は進まないけれど、少しどうもおかしいんじゃないかと思うけれど、仕方がない、こういうようなことですね。人間集団のもつ不思議な力学とでもいうべきもの。そこにある力が働いてくるんですよ。集団心理ってものがね。 こうしてだれもかれもが、がんじがらめになってしまう。目に見えない自分たちの思惑で縛られてしまって、身動きが取れない。こういう危険というのは、どのような集団にもあるものであります。 しかし神の教会、真理の柱、また土台と呼ばれているキリストの教会においては、決してそうであってはならないんですね。 教会というのは、がんじがらめになる所ではなくて、本当の自由を得させる所でなければなりません。そこにおける行動原理はただ一つであります。それは愛と尊敬をもって互いに仕え合うということなんです。 そのところに、常に立っていることですね。それ以外のところに立っちゃいけない。聖書が教えているように、愛と尊敬をもってお互いに仕え合う、それが教会なんですよ。ただこれだけが大切なんですね。 それ以外のことは正しい結果をもたらさないのであります。それは時が明らかにするからなんです。 そういうところにいつも立ち返ったから、この教会っていうのが2,000年来続いてきたんですよね。そうでなければ、内部で自己中毒を起こしてくるんですね。ある集団というのが。 歴史上の集団はだいたいそうですよ。内部で中毒を起こしてる。そして自己崩壊していくんですね。そら、過激派なんか見てもそうですけども、みんなそうですね。 教会は常に、その聖書に立ち返ったわけですよね。私たちが立たなければならないもののは、聖書が示しているということ。 だから教会は、教会のいのちをいつも保ち得たわけでしょう。そこがこの世の単なる団体と根本的に違うところである。そこを私たちがいつもしっかり見据えておかないといけないという気がしますね。 ペテロの手紙第II、1:5-10
信仰には徳を、徳には知識をと、どうもいっぱいあって、これはとてもできないってな感じがしますけど。要するに、愛と尊敬をもって、互いに仕え合う。そのことを見失ってはいけない。 そうすれば、つまずくことはないのだからと言っていると理解していいんじゃないでしょうかね。アナニヤとサッピラ夫妻は、地所を売って、その代金のすべてであるかのように偽って、一部を差し出したんですね。 はっきり言えばいいんですよ。「一部ですけれども。」と言えばいいんですけれども、まるで、全部であるかのようにそうした。しなかったことをしたかのようにする。したことをしないかのようにするってのはいけないんですね。それは偽り、偽善だったわけです。 教会の兄弟姉妹からの称賛を得たかったんだろうか。使徒たちから一目置かれ、教会の重要人物になりたかったんだろうか。そのあと二人は、平然としていたようであります。 別に特に悪いことなどはしていない。いや、むしろ少しは良いことをしたんだというふうに思っていたのかも知れませんね。 夫婦で共謀してやったわけですけれども、彼らには罪の意識は無かったんじゃないかなというふうに思いますね。この妻のサッピラが、「はい。その値段です。」と言って、答えて、まったく躊躇しないかのような感じがしますので、別に大したことじゃないと思ってたんじゃないでしょうかね。 すべてを知っていらっしゃる主を欺いて、聖霊に逆らって、よこしまな動機をもって、自分たちがそういうことをあえてしたのだという、ことに気が付いておれば、やはり心に恐れの念があったろうと思うんですよね。 しかし、どうも、そうじゃないような気がいたしますね。ビクビクしていたような気もこっからはしないのであります。 すなわち、彼ら二人はまったく肉の心と思いをもったまま、この交わりに加わっていたのであります。 しかしぼくは、二人がノンクリスチャンだったとは思いませんよ。二人はイエス様を信じていたんです。神のものとなっていたに違いないんですね。 そうでなければ、もし彼らが不信者であれば、このようなことで主のさばきにあうようなことはないだろと思うんですよね。この程度の偽善であればこの世の中では、日常茶飯事であります。 彼ら二人がペテロの言葉でたちどころで倒れて、息絶えたのは、彼らが主を信ずる人々だったから。すでに主のものとされた聖徒でありながら、彼らが罪を犯して、平然としていたというところですね。そこから、いわばそのために教会から取り除かれなければならなかったということなんじゃないかと思うんですね。 アナニヤとサッピラの夫婦は、主の教会の前進にとっての障害、福音のあかしの妨げとなったということではないかと思うんですね。 純粋な信仰の交わりの中に、アナニヤとサッピラ夫婦によって、肉的なものが入り込んで来る危険性ってのが、生じたってことじゃないでしょうかね。 コリント人への手紙第I、5:6-8
肉的な、よこしまな、そういう主の目の前に良しとされないような、そういうものをもったまま、信仰の交わりの中に入って行き、信仰の交わりをしようと、信仰の歩みをしようとしてはいけないんですね。 ほんのわずかなパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのかと、パウロは言ってますね。過越の小羊であるキリストが、すでにほふられたから、私たちのために十字架に架かってくださったから、私たちは悔い改めて、今までの罪を人生と決別して、新しい人生を歩もうと踏み出してるわけです。 だったら、どうして元の、肉なるものをもういっぺん持ち込んでくるのか。それは教会全体を台無しにしてしまうんですね。それが、聖書の言ってるところのことですね。 主の御霊の支配がなければ、教会はただのこの世の集団と同じであって、教会としての役に立たないのであります。逆につまずきになりますね。 「なんだ、教会がこうか。」、人々が、生きていらっしゃるまことの主なる神と出会う場、教会というのは、人は本当に真理を知って、救いを見いだす場ですね。 (テープ、一時中断) コリント人への手紙第I、14:24-25
もしみなが預言をするなら、聖霊によって人がみことばを語るなら、あるいは教会の中に御霊の支配があるなら、そこにはいって来る人は光を感ずるでしょう。自分の心が照らされることを感ずるでしょう。 そして、ここに神はおられると言って、主をひれ伏すだろう、拝むであろうとパウロは言ってますね。 ですから教会というのは、いつもそのように正しく保たれなきゃいけないわけですね。御霊の支配がそこになけりゃいけないんですね。 それが、クリスチャンたちの責任なわけであります。 アナニヤとサッピラとは、自分たちが受けていた救いの恵みの大きさと、また自分たちが主から託されてる責任の大きさについて、十分わきまえていなかったようですね。 本当に信仰の幼子だったでしょう。パウロが言っているように、肉に属するクリスチャンだったんでしょうね。だれもが最初はそうなんでしょうけども、手痛い経験を通して初めて、クリスチャンたちは学んで行くんですよね。クリスチャンとしての自分の責任ってものに気が付いてくるんですね。 主のわざに関わるってことの、その大切さって言いますか、それが非常に厳しいものだっていうことに気付いてくるわけでしょう。 純粋なナルドの香油に不純物を入れれば、すべてが台無しになってしまう。そういうことと思いますね。だから、主は二人を取り除かれた。そうだと思います。 この出来事によって、教会に主への恐れが満ちたのであります。非常な恐れが生じたと書いていますね。 それはこの福音の価値がどんなに大きなものであるか。また、その管理責任がいかに重いかを気付かされたということじゃないでしょうかね。今まで漫然としていたクリスチャンたちが、このアナニヤとサッピラの事件によって驚いた。主を恐れた。 福音っていうものの聖なるものであることに、彼らは恐れを感じたんですね。そして教会っていうものの神聖さっていうことに、彼らは気付かされざるを得なかったんでしょうね。 コリント人への手紙第II、2:14-17
戦争のときに、凱旋する行列に、花を撒くときのことを言ってるんだと言われていますね。そこには捕虜もいるんですね。凱旋する兵士もいますけれども、捕虜たちも捕われて来るわけです。そこに、花を撒く。歓迎するわけでしょうね。そのかぐわしいかおりが捕虜にとっては、死に至るかおりであります。 凱旋の戦士たちにとっては、それは勝利のかおりですよね。そういうようなことを言いながらパウロは、私たちのみことばを宣べ伝えるのも、それと同じなのだと言ってるんですね。 受け入れる人は、永遠のいのちへ入る者であります。しかし拒む人は滅びへと向かって行きますね。ですから、神のことばに混ぜ物をして売ってはいけないのだと言っていますね。このような務めにふさわしい者はいったいだれでしょうと、パウロが言っていますよね。その重大性と言いますかね。 いつかも、お話したことがありますけれども、学生時代のことですね。まだ二十三、四くらいの頃に、まだ信仰に入ってしばらくの頃、旧約聖書を読んで、出エジプト記を読んで、あの四十年間、荒野でもう散々な苦労に苦労を重ねたモーセが、ただ一回、主の前で御心にかなわなかったんですね。 彼が、民の不平、不満に、ついに苛立って、なぜ私たちをこんな荒野に連れて来たのだ。水も無い所で、私たちを飢え渇きで死なせようとするのかってな、そういう不平、不満で、モーセが責めたてられるときに、彼は自制心を失って、主が、この岩に命じなさい、そうすれば水が出ると仰った、その岩をモーセは杖で叩いたと書いてますね。 「どうして私がお前たちのために水を出さなければならないのか。」とか言って、彼は自分の杖でその石を叩いたんですね。モーセは自制心を失い、怒りをあらわにした。そのことが、のちに主によって咎められ、「あなたは人々の前でわたしの栄光を現わさなかった。だからあなたは、カナンの地に入ることはできない。」と言って、モーセはこのことのために、四十年かかって、到達しようとしたカナンの地に入れなかったんですね。 モーセは何回もそのことについて、主にお詫びしていました。 しかし主は、もうこのことについて二度と言ってはならないと言われたと書いてあります。モーセは、カナンの地を臨みみましたけども、入れませんでしたね。ヨシュアが入って行きました。大変なことですよ、これはね。 ぼくはその記事を読んだときに、なんていうことだろうと思って、あるときベックさんにちょっと聞いたことがありました。 「たったこれだけのことで、カナンの地に入ってはならないと神さまは仰る。これは大変なことなんですね。」って言ったらですね、ベックさんは、なんと言われたかと言うとですね、「現代のクリスチャンには、もっと大きな試練が与えられている。」と仰ったんですね。 まったく腰を抜かしそうなことであります。モーセに主はあれだけ責任を追及された。しかし、今の私たちクリスチャンにはもっと厳しい責任が課せられてるのだ。 イエス・キリストの十字架の死というものを、私たちはすでに知っているから、その救いってものをすでに知っているから、私たちの責任はもっと大きいっていうことだと思いますね。 そのことを思うと、とても責任にふさわしい歩みをしているのでは決していないと、言わざるを得ないでしょうね。 こう思うときに、このような務めにふさわしい者はいったいだれでしょうという、パウロのこの言葉がやっぱり、彼の言ってる意味が分かるような気がするのであります。 だれがこの福音のあかしにいったいふさわしいだろうか。とてもじゃないけれども、手に負えない、背負えない課題なんではないだろうか。 なぜならそれは、福音がそれだけにすばらしいってことですよね。それほどに、この救いの福音っていうのは、重大なものがあるっていうことですよね。 この主への恐れの念が、その教会に満ちたということによって、福音のあかしの力が一層聖められていくことが、5章のもう一回、使徒の働き5章のあとの12節から出てきますね。 使徒の働き5:12-13
やっぱり、主を知らない人々も、その教会の信徒たちの様子を見て尊敬していたんですよね。 使徒の働き5:14-16
こういうふうに、このアナニヤとサッピラの事件は、兄弟姉妹たちに目覚めさせ、福音のあかしの力を増し加えていったのであります。そういう意味では、わざわいは益に転じたと言えるかもしれませんね。 私たちも同じようにさばかれたら、それこそ、ここに一人も残ってないかもしんないですね。この初代教会ぐらいの厳しさでさばかれていたら、いったいどうでしょうか。 それほどに、初代教会時代の状況は厳しかった。福音は、あくまでも純粋に守られなきゃなんなかった。ひとりひとりの信仰は本当に吟味されなきゃならなかった。そういう状況だったと言えるかもしれませんね。なぜならば、それほど厳しい中に初代教会は出発しているからであります。 私たちは、主の教会が神の宮であり、聖なる神殿であり、そこにはキリストの福音という類いない宝物が保管され、管理されているのだということを、十分わきまえなきゃいけないということであります。 そうすれば教会で、私たちの言葉で言えば、集会でいかに振る舞うべきかということについても、私たちはわきまえるようになるんじゃないでしょうかね。それはやっぱり主の栄光を汚してはならないところだからです。 コリント人への手紙第I、3:16-17
教会は、私たち個人もそうですけども、主の教会は聖なる宮であります。だからその神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされますと書いてます。 テモテへの手紙第I、3:14-15
パウロは、この手紙を多くの兄弟姉妹たちに、教会にいかに心すべきか、教会はどういうところなのか、そのことを教えるために書いてるのだと言っていますね。 最後に、 ペテロの手紙第I、4:12-19
さばきが神の家から始まる時が来ているからです。神の家とは、もちろん教会であります。教会は聖められなければならないんですね。 このような自覚を私たちが持つということが、私たちの信仰の歩みを聖め、整え、実りのある者とするのではないかと思うんですね。 それは私たちにとって、本当に大きな利益だと思うのであります。そこまでで終わりましょう。 |