新しい年を迎えて、イエス様が、私たち信じる者を迎えに来て下さる時が、さらに近くなったことを、ご一緒に心からお祝いしたいと思います。 21世紀最初の年であった昨年に起こった、激動の世界情勢を目の当たりにして、信じる私たちは、主のおいで下さる日が目の前に迫っていることを実感として、味わったのであります。 今年は、さらにどんな思いがけないことが起こるのか、わかりませんけども、何事が起ころうとも全き信頼をおいて歩んでまいりたいと思います。 さて年の初めにあたり、今日は、終わりの日がいよいよ間近に迫っている今のとき、イエス様を信じる私たちのうえに生じる、様々な患難の意味と、どのようにして対処したらよいかということにつきまして、みことばを通してご一緒に考えてみたいと思います。 ペテロは、その第Iの手紙の中で次のように言っております。「罪を犯したために、懲らしめを受け、それを忍耐したとしても、なにも名誉なことではないけれども、イエス様に忠実に従っているために迫害されて、苦しみを受け、それを耐え忍ぶならば、その忍耐は主が喜ばれることである。あなたがたが召されたのは、実にそのためである。」 どうしてイエス様は、ご自分に従う者の忍耐を喜ばれるのでありましょうか。それはヤコブの手紙の第1章に、次のようにあるからであります。 ヤコブの手紙1:2-4
このように、試練を耐え忍ぶことによって、私たちの信仰が、神の子どもとして御国の相続者としてふさわしく成長するからであります。 けれども、私たちが主から来る信仰の試練を忍耐し、その忍耐を完全に働かせることによって信仰が成長するためには、どうしても「原動力」が必要なのであります。 では、その原動力とはいったい何でありましょうか。 忍耐を生む原動力の一つは、「イエス様に対する絶対的な信頼」であります。 たとえどんな患難にあっても、イエス様の前にへりくだって、イエス様に完全に信頼して忍耐するならば、イエス様は必ず患難に打ち勝つ力を与えてくださるという、主に対するゆるぎない信頼であります。 ダビデは、大きな患難にあったときにも次のように主を信頼しました。 「私のたましいは、ただだまって神を待ち望む。私の望みは、神から来るからだ。神こそわが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。」 私たちが患難にあったときに、ダビデのように心騒がすことなく、イエス様の御前にへりくだり、静まってイエス様に心から信頼して祈るときに、イエス様は必ず、その祈りに答えて試練を耐え忍ぶ力を与えてくださいます。 イザヤ書30:15
とある通りであります。 忍耐を生む原動力の二つ目は、「忍耐する信者に対する主の報い、ご褒美、の約束」であります。イエス様は、ルカの福音書21章で、 ルカの福音書21:19
と、忍耐する者に永遠のいのちのご褒美を約束しておられます。 またヤコブも、信仰の試練を耐え忍ぶ信者の受ける報酬について、その手紙の第1章で次のように言っております。 ヤコブの手紙1:12
このように、信仰の試練を耐え忍んで主に従い続けた者には、イエス様のご再臨のときに、ご褒美として朽ちないいのちの冠をいただくのであります。何というすばらしいご褒美ではありませんか。 忍耐を生む原動力の三つ目は「御霊なるイエス様が、いつも私たちとともにいて、祈ってくださる。という確信」であります。 ローマ人への手紙の8章に、 ローマ人への手紙8:26
と、ある通りであります。 忍耐を生む最大の原動力は、「イエス様のご再臨の希望」であります。 私たちキリスト者は、主のご再臨のときには自分の体が、よみがえりの主と同じ朽ちない聖い体に変えられるという、確かな希望を与えられております。 信じる者が、どんなに体のよみがえりを待望しているかを、パウロはローマ人への手紙の8章で、次のように言い表わしております。 ローマ人への手紙8:23-25
主が、信じる者を、これから起ころうとしている大患難の前に、天に携え上げてくださる空中再臨は、主の確かなお約束であるがゆえに、私たちキリスト者は、ご再臨を、忍耐と希望をもって熱心に待ち望むことができます。 ヘブル人への手紙10章では、神様によって義とされたキリスト者が、永遠の朽ちない体を与えられるという、約束のこのご再臨のときは、遅くなることはないから、信仰の試練を恐れずに希望をもって耐え忍ぼうと、次のように励ましております。 ヘブル人への手紙10:36-39
またヤコブは、ご再臨を待ち望むキリスト者を、農作物の実りを忍耐して待ち望む農夫にたとえて、主のご再臨はもうすぐだから、心を強くして、そのときまで耐え忍びなさいと、その手紙の5章に書いております。 ヤコブの手紙5:7-8
このようにして、イエス様は多くのみことばによって、私たちを力づけてくださるだけではなく、ともすれば信仰によって歩む足取りが、弱くなりがちな私たちに、ご再臨が本当に近いという前兆を、今世界中で起こっております様々な現象によって、信じる私たちの目に見えるかたちではっきり示してくださり、だから、希望をもって忍耐するようにと、力を与えてくださっているのであります。 信仰における忍耐は、これまでご一緒に考えてきましたように、ただ単に自力で忍耐するというような、確信のない、望みのない、また終わりの見えない空しい忍耐ではありません。 主ご自身が、忍耐する力を私たちに与えてくださり、また主がともにいて、支え、励ましていてくださいますから、その主に信頼して忍耐すれば、必ず勝利することができる、という確信と、希望に満ちた忍耐であります。 終わりの日、ご再臨の日が、間近い今のときに、私たちは主の御心に改めて心から感謝し、主のご愛に応え、主が約束されたご再臨の日を待ち望みつつ、与えられた信仰の試練を、喜んで忍耐することができる者に、成長させていただけますように、新しい年のはじめにあたって、ご一緒に御霊の満たしとお導きを、心から祈りたい、と思うしだいであります。 |