あなたがたはまだ、相続の安住地にはいっていない


重田兄

(吉祥寺学び会、2007/01/16)

引用聖句:申命記11章31節
31あなたがたは、ヨルダンを渡り、あなたがたの神、主があなたがたに与えようとしておられる地にはいって、それを所有しようとしている。あなたがたがそこを所有し、そこに住みつくとき、

申命記12:8-9
8あなたがたは、私たちがきょう、ここでしているようにしてはならない。おのおのが自分の正しいと見ることを何でもしている。
9あなたがたがまだ、あなたの神、主のあなたに与えようとしておられる相続の安住地に行っていないからである。

今、兄弟に読んでいただきましたみことばの中から今日は、主が約束された安住地にまだはいっていない、私たち信者の信仰の歩みについて、当時のイスラエルの民と比較しながらごいっしょに考えたいと思います。
天地万物の造り主にして支配者なる生ける神様は、アブラハムを選んで、アブラハムに多くの子孫を与え、全人類の祝福の基とするという契約を結ばれました。そしてその中に、乳と蜜の流れる豊かなカナンの地を与えるという約束も含まれておりました。
これについてダビデは次のようにイスラエルの民に言っております。

歴代誌第I、16:15-18
15覚えよ。主の契約をとこしえに。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。
16その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。
17主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。
18そのとき主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」

しかし、実際にイスラエルの民がカナンの地に永住するようになるのは、アブラハムの孫のヤコブと家族が、大飢饉を逃れて移り住んだエジプトで、その地で一族の数がおびただしく増えて、それを脅威としたエジプトから長い年月、奴隷として働かされ、苦しんでいたのをあわれまれた神様が、彼らを、イスラエルの民をその苦役から解放させるためにモーセを召し、モーセに命じて、エジプトから脱出させられることによって起こったのであります。
エジプトを脱出してからカナンの地境にあるヨルダン川の岸に達するまで、これは簡単な旅ではありませんでした。実に40年間に及ぶ荒野の旅をしなければなりませんでした。
その間に神様はシナイ山でモーセを通して十戒を授けられ、この戒めを守り行なうなら、カナンの地で長く幸せに生きることができるという契約を、改めてイスラエルの民と結ばれたのであります。

しかしどうしてイスラエルの民は40年もの間、荒野の旅を続けなければならなかったのでありましょうか。
それは神様が、彼らが選ばれた神の民として契約をどれだけ守るか、どれだけご自分の命令に従順に従うかを試みられたからでありました。
旅の間モーセは、度々イスラエルの民に訓戒し、警告をしております。そのひとつをお読みしますと、申命記8章の1節から5節になります。

申命記8:1
1私が、きょう、あなたに命じるすべての命令

これは主が与えられた戒めです、

申命記8:1-5
1をあなたがたは守り行なわなければならない。そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、主があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる。
2あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
3それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
4この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
5あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

彼らは初めのうちこそ、長いこと苦しんでいた自分たちをエジプトから脱出させ、紅海の海を開いて渡らせるというようなすばらしい奇蹟によって救い出してくださった、その神様の恵みを感謝しておりました。
しかし、主の訓練によって荒野をさまよい、飢えさまよい、飢え渇きに苦しんだときに、彼らは神様の恵みを忘れ、こんなことならエジプトにいたほうがマシだったというように神様をうらみ、そしてまた契約を破って金の子牛を作って拝むという、神様がもっとも嫌われる偶像礼拝の罪を犯すなどの背信を重ね、モーセの度々の警告にも耳を傾けなかったのであります。
このため神様は彼らを怒られ、憤られ、その結果、エジプトを脱出してきた20歳以上の男子、この数が民数記において60万人に余る大変な数なのですけれども、その人たちはヨルダン川を渡る前に死んでしまいます。

こうして主の厳しい訓練を受けながら、ようやくヨルダン川の岸辺に到着した残りのイスラエルの民に対して、モーセは冒頭のような訓戒を行なったのであります。
申命記の、もう一度、11章31節から32節。そして12章8節から12節をお読みいたします。まず11章31節から32節。

申命記11:31-32
31あなたがたは、ヨルダンを渡り、あなたがたの神、主があなたがたに与えようとしておられる地にはいって、それを所有しようとしている。あなたがたがそこを所有し、そこに住みつくとき、
32私がきょう、あなたがたの前に与えるすべてのおきてと定めを守り行なわなければならない。

申命記12:8
8あなたがたは、私たちがきょう、

きょう、というのは、この今の時点です。ヨルダン川を渡る時点です、

申命記12:8
8ここでしているようにしてはならない。

それまで彼らは勝手な場所で礼拝していたようですが、そういうことをしてはならない。

申命記12:8-12
8おのおのが自分の正しいと見ることを何でもしている。
9あなたがたがまだ、あなたの神、主のあなたに与えようとしておられる相続の安住地に行っていないからである。
10あなたがたは、ヨルダンを渡り、あなたがたの神、主があなたがたに受け継がせようとしておられる地に住み、主があなたがたの回りの敵をことごとく取り除いてあなたがたを休ませ、あなたがたが安らかに住むようになるなら、
11あなたがたの神、主が、御名を住まわせるために選ぶ場所へ、私があなたがたに命じるすべての物を持って行かなければならない。あなたがたの全焼のいけにえとそのほかのいけにえ、十分の一と、あなたがたの奉納物、それにあなたがたが主に誓う最良の誓願のささげ物とである。
12あなたがたは、息子、娘、男奴隷、女奴隷とともに、あなたがたの神、主の前で喜び楽しみなさい。

モーセはイスラエルの民が約束の地にはいるにあたって、改めてシナイ山で与えられた十戒による契約を守らなければならないというように、このように民に説き明かしをしなければなりませんでした。
それは今まさに、ヨルダン川を渡って、カナンにはいろうとする人々のほとんどが、主にそむきの罪を犯したために、先ほど申しました大変たくさんのイスラエルの民が、イスラエルの人たちが旅の途中で死ななければならなかったのです。

今モーセがヨルダン川を目の前にしてイスラエルの民にメッセージを与えたわけですけれど、そういう、与えた相手の者たちは、イスラエル人は第一世の子どもたちなのです。二世なのです。第二世代の者たちに対してモーセは訓戒をこのように与えたのです。
ですから、この若い世代の人たちはエジプト脱出の経験も知らない。そしてまた、シナイ山での十戒を与えられた、その経験も知らない人たちであります。
ですから神様はイスラエルの民がカナンの地に安住するために必要な心構えを、ここで改めてモーセを通して啓示されたのであります。

しかし主は大変厳しいお方であります。モーセ自身はカナンの地にはいることを主が許されなかったのです。ピスガの峰の頂からはるかに、このカナンの地を望みながら死にました。
なぜモーセはカナンの地にはいることができなかったのでありましょうか。それは、荒野で水が無くて、民からしつこくせがまれて、彼らが飢え渇きに苦しんで、そのことをあわれまれた神様がモーセに命じて、岩を杖で打って水を出させた、そのときに、彼は岩を二度打ってしまったのです。一度で良かったのです。
このとき神様はモーセに次のように仰せになりました。

民数記20:12
12主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」

モーセが、今申しましたように、岩を一度でなくて二度打った。二度も打ったということは、ご自分を信頼しないからだというのがその理由でありました。
そして主はモーセに代わって、モーセの後継者として若いヨシュアを選ばれました。こうしてヨシュアはイスラエルの民を率いてヨルダン川を渡り、約束の安住地カナンにはいったのであります。
ヨシュア記の21章の43節から45節になります。

ヨシュア記21:43-45
43こうして主は、イスラエルの先祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられたので、彼らはそれを占領して、そこに住んだ。
44主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。
45主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。

とあるとおりであります。しかし、先ほども申しましたように、旅の途中で主のおきてにそむいた多くのイスラエルの人々は、約束の地にはいることができませんでした。これはイスラエルの民だけに言えることではありません。
ガラテヤ人への手紙3章29節になります。

ガラテヤ人への手紙3:29
29もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

とありますように、イエス様を救い主として信じる信仰によってアブラハムの子孫とされた私たち信者にも当てはまることであります。
イスラエル人だけではなく、私たちイエス様を信じた者にも当てはまる。私たちもイエス様を信じる信仰によってアブラハムの子孫とされているからであります。
ヘブル人への手紙に次のように記されてあります。3章の16節から19節と4章の6節から11節をお読みします。

ヘブル人への手紙3:16
16聞いていながら、

これは何を?主の御声です。主の御声を聞いていながら、

ヘブル人への手紙3:16-19
16御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。
17神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではありませんか。
18また、わたしの安息にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。
19それゆえ、彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。

ヘブル人への手紙4章の6節以降をお読みします。

ヘブル人への手紙4:6-8
6こういうわけで、その安息にはいる人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえにはいれなかったのですから、
7神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。
8もしヨシュアが彼らに

イスラエルの民に

ヘブル人への手紙4:8-9
8安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。
9したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。

ヘブル人への手紙4:11
11ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。

ヨシュアはイスラエルの民を率いて約束の地にはいりました。しかしそれは地上における安息地であります。神様から与えられる霊的な、天的な安息地、安住地ではありませんでした。
では、天的な安住地とはいったいどこでありましょうか。言うまでもなくそれは、主なる神様と御子イエス様が住まわれる天の御国であります。
そこがどんなにすばらしいところかを幻によって啓示されたヨハネが証ししておりますので、ヨハネの黙示録からその一部をお読みしたいと思います。

ヨハネの黙示録22:1
1御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊

すなわちイエス様

ヨハネの黙示録22:1-5
1との御座から出て、
2都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
3もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
4神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
5もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

アブラハムも故郷を出て約束の相続地に移り住みました。けれども彼は、そこでは旅人のように天幕生活をして暮らしたとあります。
まことの安住の地は地上にあるのではなくて、天の都こそが安住の地であるということを彼は知っていたからであります。
ヘブル人への手紙の11章8節から10節をお読みいたします。

ヘブル人への手紙11:8-9
8信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
9信仰によって、彼

アブラハム

ヘブル人への手紙11:9-10
9は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
10彼は、堅い基礎の上に建てられた都

すなわち、天の都のエルサレム

ヘブル人への手紙11:10
10を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

私たち信者もアブラハムのように、イエス様によって与えられる天における霊的なまことの安息地を待ち望み、自分の思いを第一にして、主をないがしろにしたために絶ち滅ぼされ、安息の地にはいれなかったイスラエルの民のように、主に対して不従順にならぬように、日々心がけなければなりません。
信者であっても、それが形だけの信仰にとどまっていることにも気が付かないで、相変わらず自分の思いを第一として生活していても、それを何ら良心の痛みとも苦痛とも感じない。
そのような名ばかりの信者は約束の安住地、すなわち、天の御国にはいれないということをイエス様は例えをもって警告をしてくださっております。

ルカの福音書13:25-28
25家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください。』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない。』と答えるでしょう。
26すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』
27だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行なう者たち。みな出て行きなさい。』
28神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちがはいっているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。

こうイエス様は警告をしておられます。
またパウロはコリントの教会の信者に対して、荒野で滅ぼされたイスラエルの民のようにならないようにと、次のように諭しております。
コリント人への手紙第Iの10章1節から6節と10節、11節をお読みします。

コリント人への手紙第I、10:1
1兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、

雲の下にいたということは、雲が彼らを導いたということですが、

コリント人への手紙第I、10:1
1みな海を通って

この海はもちろん紅海です。葦の海。紅海を渡って

コリント人への手紙第I、10:1-3
1行きました。
2そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、
3みな同じ御霊の食べ物

これはマナのことです。

コリント人への手紙第I、10:3-6
3を食べ、
4みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
5にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
6これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように

むさぼったというのは、彼らが荒野でマナよりもエジプトの食べ物を食べたいと言ったことです。

コリント人への手紙第I、10:6
6私たちが悪をむさぼることのないためです。

コリント人への手紙第I、10:10
10また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならって

何をつぶやいたか。主に対して不平不満を言ったのです。つぶやいたのにならって

コリント人への手紙第I、10:10
10つぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。

滅ぼす者というのは言うまでもなく主なる神様であります。

コリント人への手紙第I、10:11
11これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。

終わりの日が間近い今の時に、私たちはこのイスラエルの民のようにならないために、十字架による、尊い十字架による贖いの恵みに、ただ甘えることなく、安住の地、相続の安住地である天の御国にはいれるように、今しばらくの残されたこの地上の日々を心から主を恐れ、主を愛し、主の選びにいれていただいたことを心から感謝しながら、主のみこころを第一として歩むことができますように、御霊の導きを真剣に祈る必要があると思う次第であります。
最後にもう一度、ヘブル人への手紙の4章9節、11節をお読みして終わります。

ヘブル人への手紙4:9、11
9安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。
11ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。

どうもありがとうございました。




戻る