二度の御再臨


重田兄

(吉祥寺学び会、2001/10/16)

引用聖句:ヘブル人への手紙9章28節
28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

おはようございます。先月のニューヨークとワシントンに対して行なわれた、恐るべきテロ攻撃にはじまった、ま、ブッシュ大統領が言う、いわゆる「新しい戦争」の情勢はま、連日テレビや新聞で報じられております。
ま、先日、あるテレビの司会者はですね、え〜、「今度の戦いの本当の相手は、いったい誰なんだろう?そしてまた、この戦いはこの先どうなる、だろう?議論をすればするほどわからなくなる。」と言っておりました。
で、え…おそらく多くの方々は、この司会者と同じように、混乱して、恐れと不安を感じておられるのではないかと思います。
けれども、イエスさまを信じる私たちは、「このことは、主のご再臨の近い証拠である。」ということを、信仰によって確信することができます。

で、そこで今日は聖書の今、読んでいただきました箇所から改めて、キリストの御再臨について、しかもそれは、一度ではない。二度ある。という、キリストの御再臨について、
「いったいどうして二度も御再臨になるのか」
「またそれは、いつなのか」
ということを、聖書のみことばに基づいてご一緒に考えてゆきたいと思います。


神の御子イエスさまが、最初にこの世においでになったのは、2,000年前でありました。
おいでになった目的は、今読んでいただきましたみことばの前半に、

ヘブル人への手紙9:28
28キリストも多くの人の罪を負うために一度ご自身をささげられました。

とありますように、すべての人間の罪を、身代わりによって、十字架におかかりになり、ご自分を神様に供え物としてささげて、私たち人間を罪から、贖いだしてくださるためでありました。

しかし、冒頭のみことばの後半に、「イエスさまがまた来られる。」とあります。では、今度は何の目的でおいでになるのでありましょうか?
また、おいでになるとすれば、その時期はいったいいつなのでありましょうか?
実は、このことはイエスさまを信じている者に限らず、すべての人間にとって、大変に大きなしかも、重要な問題なのであります。
イエスさまの御再臨については、聖書の多くの箇所に書かれているにもかかわらず、多くの教会は、信者にイエスさまの御再臨について、語っていません。…従いまして、教会に行っていても、多くの人たちは、御再臨の重要性を知りません。
また、集会の中にも「イエスさまの御再臨が、まだ信じられない」とおっしゃる方がまぁ、わずかですが、おられるのは大変悲しいことであります。
もし、御再臨が信じられないのであれば、イエスさまが、私たちの罪を贖ってくださるために、十字架の上で死なれたことも、そして私たちに永遠のいのちを与えてくださるために、三日目によみがえられたことも、信じられないことになります。

しかし、イエスさまの御再臨は、神様の私たちに対する、救いのご計画である十字架と復活のみわざを、締めくくるものとして、まことに重要なものなのであります。

ま、そこで今日は、私たちにとって大変に重要な、イエスさまの御再臨についてみことばに基づいてご一緒に考えたいと思います。

ま、先ほども申しましたけれども、イエスさまの御再臨は、二度あります。二回、あります。
そして、二度の御再臨はその目的も時期も異なっております。

まず、一度目の御再臨の目的は、イエスさまを信じて、神の子どもとされた人々を、朽ちないきよい体によみがえらせて、天の御国にひきあげるために迎えに来てくださることであります。
イエスさまは、十字架におかかりになる前に弟子たちに次のよううにおっしゃいました。
ヨハネの福音書14章1節から3節。191ページ。14章の1節から3節。

ヨハネの福音書14:1-3
1あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
3わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

ま、イエスさまはここで、「わたしは、あなたがたの永遠の住まいを天の御国に準備するために、いったん父なる神のみもとに行くけれども、準備ができたらまた来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」とおっしゃっています。
これこそが、一回目の御再臨の目的であります。
この時は、イエスさまは地上までは降りては来られません。ま、天から降りて来られますけれども、空中で聖徒たち、すなわちイエスさまが十字架の上で流された血によって、罪あがなわれた人々をお迎えくださるのであります。
ですから、これを「空中再臨」と申します。
ま、この御再臨の時にイエスさまを信じた人々はどのようにして天に引き上げられるのでありましょうか?
聖書には次のように記されています。テサロニケ人への手紙第Iの4章13節から17節。366ページです。4章の13節から17節。

テサロニケ人への手紙第I、4:13
13眠った人々のことについては、

これは、死んだ人々のことでありますが

テサロニケ人への手紙第I、4:13-17
13兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
14私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
15私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

イエスさまを信じた者が死にますと、霊はその瞬間に天の御国にあげられてイエスさまのみもとで憩うことができますけども、体は骨となってお墓に入れられます。けれども、いつまでも霊が裸の状態のままなのではありません。
イエスさまは、ご自分の聖徒たちを迎えにおいでになる時には、天の御国にすでに召されていた聖徒たちの霊を連れて来られ、まず墓に眠っている彼らの骨となった体をイエスさまの復活の御体に似た朽ちないきよい体によみがえらせて、その体と霊を一つにして、一体にして、霊肉ともに完全なものとしてくださり、それからその時にまだ生き残っている、イエスさまを信じた人々の体をも、同様に朽ちないきよい体に変えられ、完全なものとしてくださいます。
ま、こうしてイエスさまを信じたすべての人々は、永遠に朽ちないきよい霊と体に変えられて、イエスさまとともに天の御国に引き上げられるのであります。

しかし、なぜ私たちの体がきよい朽ちない体に変えられなければならないのでありましょうか。
ま、その理由をパウロはコリントの教会の信者にあてた手紙で明らかにしております。
コリント人への手紙第Iの15章50節から57節。コリント人への手紙第I、15章の50節から57節。313ページです。お読みします。

コリント人への手紙第I、15:50-57
50兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
51聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
52終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
53朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
54しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
55「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
56死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

ま、一回目の御再臨が起きる前に、イエスさまを信じれば、その瞬間にその方の霊はきよいものに生まれ変わります。けれどもまだ、体は不完全なんですね。
そのために神様やイエスさまのみこころに反して、どうしても自分勝手な行動をとってしまうんです。
ま、それはすべてのキリスト者が体験するところであります。
しかし、神様の住まわれるきよい永遠の御国で生きるためには、私たちは霊だけではなく、体もきよく、また朽ちないものでなければなりません。

神様は、そのためにイエスさまを信じる私たちにも復活のイエスさまと同じ、朽ちないきよいよみがえりの体を与えると、約束してくださっているのであります。
ま、この神様のお約束に基づいて、イエスさまは、罪を犯しやすい地上の血肉をもった私たちの体を、御再臨の時に、きよい朽ちない体によみがえらせてくださるのであります。
そしてその時には、先に天に召され、その体が墓に葬られた私たちの…、私たちの愛する………、兄弟姉妹が、まず、朽ちないきよい体によみがえり、続いて私たちも、朽ちない体が与えられて再会できるのですから、イエスさまを信じた者は、誰でもその日が一日も早く来るのを待ち望むのは、当然のことであります。

では、その日がいつ来るのでありましょうか。
イエスさまは、「その日は、父なる神様だけがご存じである」とおっしゃっています。
けれども、イエスさまは、その日が近くなるとどんな前兆があるのかを、弟子たちに教えてくださいました。
マタイの福音書24章の5節から8節。マタイの24章5節から8節。

マタイの福音書24:5-8
5わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
6また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
8しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そしてまた、御再臨の近い前兆をいちじくの木のたとえによって、私たちに示唆されました。
え〜。マルコの福音書13章。28節から29節。87ページ。マルコの福音書13章28節から29節。

マルコの福音書13:28-29
28いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
29そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子

すなわちイエスさま

マルコの福音書13:29
29が戸口まで近づいていると知りなさい。

はじめに申しましたように、私たちは、アメリカの同時多発テロにはじまり、世界中を混乱に陥れている昨今の情勢から、イエスさまのたとえの通り、御再臨の日がますます迫っているということを、痛感することができます。

また、パウロは主の御再臨について、テサロニケ人への手紙第II、2章1節から6節で、次のように言っております。えぇ、369ページになります。テサロニケ人への手紙第IIの2章の1節から6節。

テサロニケ人への手紙第II、2:1-6
1さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。
2霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。
3だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。
4彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
5私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
6あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

「主の日」と申しますのは、イエスさまが神様に背く人々をさばくために御再臨される日であります。
この「主の日」は、不法の人あるいは滅びの子と呼ばれる、キリストに逆らい、自分を神として、人々に礼拝させるような政治的権力者が現われた後に、来ます。
けれども、今はそのような者が現われるのを引き止める力が働いているから、まだ主の日は来ない、とパウロは言っているのであります。
いったいなぜ引き止められているのでありましょうか。
それは、神の怒りの日、主の裁きの日、が来る前に、イエスさまはご自分を信じた人々、一人でも多くの人々をよみがえらせ、天に引き上げてくださるためなのであります。
ま、この理由について、パウロは次のように言っております。コロサイ人への手紙の1章21節から22節。358ページ。1章の21節22節。

コロサイ人への手紙1:21-22
21あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、
22今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。

自分の罪を心から悔い改め、砕かれて、イエスさまのみもとに救いを求めた者はイエスさまが、十字架の上で死んでくださった尊いいのちのあがないによって、ここに書かれておりますように、きよく、傷なく、非難されることのない者として神様から義と認められ、そして神様の御前に立つことができます。
このように救われた私たちは、イエスさまによって、神様との和解が成立しておりますから、神様の怒りを受けることなく、主の裁きの日の前にイエスさまが迎えに来てくださって、天に引き上げられるのであります。

では、2度目の御再臨の目的はいったいなんでありましょうか?

それは、神様に逆らい、神様の救いの御手であるイエスさまを、拒んだ者に対する神様の裁きのためであり、その時期は、先ほど申しましたように信じる者を天に引き上げられた後、今度は、地上にイエスさまがおいでになるのであります。
ま、従いまして、この御再臨を「地上再臨」と言います。ま、地上再臨については聖書は次のように記しております。
テサロニケ人への手紙第IIの1章の7節から9節。369ページです。テサロニケ人への手紙第IIの1章の7節から9節。

テサロニケ人への手紙第II、1:7-9
7そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
8そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
9そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。

終わりの日には、サタンに操られて自分を神と称して、人々を惑わし、ま、強大な力によって、世界を手に治めた指導者、反キリストが、イエスさまに逆らう者たちを率いて、天から下って来られたイエスさまに率いられた天の軍勢と戦って、そしてイエスさまに滅ぼされます。
ま、その時の状況をヨハネはヨハネの黙示録の中で次のように記しております。え〜、ヨハネの黙示録の19章11節から14節。457ページ。19章11節から14節。

ヨハネの黙示録19:11-14
11また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。
12その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。
13その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
14天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

え〜、そしてヨハネの黙示録の19章の19節から21節。19章の19節から21節。

ヨハネの黙示録19:19-21
19また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。
20すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
21残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。

…いうように、記されております。
ここにあります「獣」というのは、世界を支配し、人々に自分を神として礼拝させる、反キリストをさします。
ま、このようにイエスさまは神様に逆らう者を裁くために、地上に御再臨なさるのであります。
今日お読みしませんけれども、ヨハネの黙示録20章にはですね、詳しく、「その時、サタンも捕らえられて、千年の間地下に繋がれ、それから、千年の間、地上はイエスさまとイエスさまによってよみがえらされた信者たちが支配する平和な日々が続く、とあります。けれども、千年の後になって千年の後に、サタンは、再び地下の牢から解き放されて、そして、イエスさまと信者たちに最後の戦いを彼らは挑みますけれども、敗れて火と硫黄との池に投げ込まれて、永遠の苦しみを受ける。」、そのようにもう記されております。
そしてまた、イエスさまの救いの御手を最後まで拒んだ人々は、この時に生きている者も、またそれまでに死んだ者も、すべて、イエスさまの前で裁かれて、サタンや、反キリストや、にせ預言者と同様に火と硫黄の池に投げ込まれて、永遠に苦しむということも記されております。

ま、以上に述べましたように、イエスさまの一度目の御再臨は、ご自分を信じた者を、神様の怒りの日、「主の日」が来る前によみがえらせて、天に引き上げるために迎えに来てくださるものであります。
そして2度目は、イエスさまを信じる者が天に引き上げられた後、サタンや、反キリストや、神様にそむき続けた者を裁いて、滅ぼすために地上までおりて来られるものなのであります。

確かに、イエスさまの御再臨は自分の頭で理解するゆうことは、不可能であります。しかし、これについて、ペテロは初代教会の信者に宛てた手紙の中で次のように言っております。
ペテロの手紙第II、3章の3節から9節。424ページ。ペテロの手紙第II、3章の3節から9節。

ペテロの手紙第II、3:3-9
3まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
4次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
5こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
6当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
7しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
8しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

ま、現在、世界で起こっている大変な情勢は、前に申しましたように、まさにこれは、御再臨がいよいよ迫っている前兆であるということを、私たちキリスト者は、みことばによって、また、信じる者の中に住んでくださるイエスさまの御霊によって、確信できるのは、本当に幸せであります。
ま、この情勢は、今後ますます悪化するでありましょうが、私たちは、次のヨハネの黙示録のみことばによって喜び勇んで主を待ち望む備えができるのは、なんという感謝なことでありましょうか。
そのみことばをお読みいたします。ヨハネの黙示録22章6節、7節、10節、14節。まず6節から7節。460ページですが、

ヨハネの黙示録22:6
6御使いはまた私

ヨハネ

ヨハネの黙示録22:6
6に、「これらのことばは、

今までヨハネの黙示録にずっと述べられていた言葉は

ヨハネの黙示録22:6-7
6信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。
7「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」

10節から。

ヨハネの黙示録22:10-11
10また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。
11不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者

すなわち、主に忠実に従う者

ヨハネの黙示録22:11
11はいよいよ正しいことを行ない、

ここで正しい正しいと言っておりますけれども、これはいわゆる私たちが考える「正しい」というのではなくて、ほんとに主に従いたい、心から願って、そして主を見上げて歩む者、でありますが

ヨハネの黙示録22:11-14
11聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」
12「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
13わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
14自分の着物を洗って、

これは、イエスさまの十字架の上で流された尊い血潮で罪を洗いきよめる、という意味であります。

ヨハネの黙示録22:14
14いのちの木の実を食べる

これは、もちろん永遠のいのちの木の実を食べる

ヨハネの黙示録22:14
14権利を与えられ、門を通って

天国の門を通って

ヨハネの黙示録22:14
14都にはいれるようになる者は、幸いである。

ほんとに、私たちはこのみことばによって、喜び勇んで主を待ち望む備えをすることができます。
ま、そしてこのように大きな主のお恵みを受けた、私たちキリスト者は、御再臨を待ち望む者の心得として、ここに記されております

ヨハネの黙示録22:11
11正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。

と言われた主の仰せに忠実に従って、ますます心を引き締め、身を慎み、そして主が一人でも滅びることなく悔い改めることを望まれて、愛と忍耐を持って、裁きの日を延ばしておられる今のうちにですね、私たちのうちに住まわれる御霊から力をいただいて、一人でも多くの方々にイエスさまを真剣にあかししていかなければならない、ゆうことを心から切に願う次第であります。

どうも、ありがとうございました。




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