引用聖句:サムエル記第I、3章9節
今日は。愛するドイツのみなさまにお目にかかれて幸せです。私は、第一回のドイツの集会に来て、今回が二度目です。 このホールには、大きく、Rede Herr Ich höreと、こう書いてます。今日はこのことについて聖書から少し引用してみたいと思います。 主の御声を聞くために言えることは何でしょうか。まず一番大事なものは、イエス様を愛していること。燃える思いを持っていること。主ご自身が、聖書で次のように語っています。わたしは主のことです。 詩篇91:14-15
彼がわたしを愛しているから、と書いてありますように、これは私たちみなが、主からいただいているイエス様への愛です。イエス様を愛していれば、いつもイエス様のことを考えます。どうしたら喜んでいただけるか。このことが実は、栄光ではとても大事なことです。 そして主の御声を、もっともっと聞くために、そのためにはどうしても聞きたいという、止むに止まれぬ熱意に燃えることです。 この、どうしても聞きたいという熱意は、自分の努力ではできません。しかし主を愛していれば、燃えるような思いをもっていれば、自然に生まれてくるものであります。ダビデは言っています。あなたの御心を行なうことを教えてください。あなたこそ、私の神であらせられます。 そしてこのように、愛と熱意と集中があれば、主の御声は自然に聞こえてきます。主が語られる方法には色々な方法があります。そのうち四つの方法について、ご一緒に考えてみましょう。 第一は、主が直接私たちに語られるということです。 これはアブラハムがそうであったように、モーセ、ヨブ、サウルがそうであったように、直接主が呼びかけ語られる場合です。パウロ、パウロ、なぜわたしを迫害するのかという声を聞いたと、使徒の働きにあります。 それがどういうことかということは、うまく口では説明できないが、その一つは心の中に大きな主の力が入ってきて、その強い意志の力が支配するということではないでしょうか。 こう、ガンッと来るきと、それから小さなささやきで来るときとがあるように思います。それはとっても喜ばしいことであり、ある場合はとっても辛いことであります。 私は最近、主がたくさんのことを直接語ってくださるという非常に珍しい体験をいたしました。これについては、別の機会に証しさせていただきたいと思います。(ベック兄:今日は秘密です。)それだけでも、もう30分くらいかかるんです。 主の御声を聞くためには、その第二番目、主は聖書、みことばで語られます。それも部分で語られ、全体で語られます。 聖書こそは、主が語られる最大の大切な方法です。三つに分けて考えたいのですが。 いつも聖書を読んでいること。それを通して主が語られる。 次に、問題があるときに聖書を読むと、それを通して主は語られます。 次に、すでにもう読んで、頭に残っている聖書。その全体、部分から、そしてその次には、兄弟姉妹との交わりを通して入ってくるみことばを語っておられます。ですから、主ご自身は、次のように言っておられます。 ヨハネの福音書7:38
また、 ローマ人への手紙10:8
第三番目に、主による語りかけの方法は、聖霊によってであります。イエス様ご自身が次のように仰っておられます。 ヨハネの福音書14:26
もっと、分かりやすく書いてあります。 コリント人への手紙第I、2:16
私たちは聖霊をいただいてるのですから、つまりキリストの心があるのですから、その心に従えば良いわけです。イエス様の語りかけに素直に従えば良いのです。 主による語りかけの第四番目は、祈りのお答えとして語られます。 ヨハネの福音書16:24
祈らなければ主の御声を本当に聞くことはできません。そしてこのお約束にあるとおりに、祈りは必ずきかれ、そして主のお答えを受けるとができます。 私たちは、祈りに対する主のお答えによって、個人的に主の語られることを知り、体験することであります。イエス様は、 マタイの福音書19:26
ここまで、主の語られる色々な方法をご一緒に見てまいりました。四つあったと思うんですね。 主は直接語られる。それから聖書によって、聖霊によって語られる。祈りに答えられる。 ここで、ちょっと注意しておかなければいけないことがあるのではないでしょうか。私たちは、主が語られたいを聞くのではなく、自分が聞きたいことを聞こうとすることをおかしがちです。一つは勝手主義。自分に都合のいいことだけしか聞かない。都合の悪いことは、聞こえない振りをする。これは、私のことです・・・ もう一つは、空耳というやつです。主が仰っておられないことを聞いた気持ちになってしまう。こういった間違いがどっから来るかと考えてみますと、自分の思いを優先していることから来る。それで後から、合ったみことばを探す。本当にこういうことがありますよね。 当然、気が付いたらどうすればいいか。「イエス様、ごめんなさい。」と言えばいい。主は、それに気が付いて悔い改めると、必ず修正してくださいます。一年、二年、この主の修正を素直に受け入れることが大切ではないでしょうか。つまりここでも、主の御声に聞き入る態度が必要です。 最後にまとめておきましょう。 主からいただいた愛によって、私たちは主の御声を聞きたいという熱意と集中を、主から頂きます。 そして主は、あなたに直接語られる。聖書のみことばを通して語りかけます。御霊を通して、祈りを通して語られます。それに対する私たちの取るべき態度は、どういったものでしょうか。 それがそこに記されてあるみことばです。主よ。お語りください。しもべは聞いております。 |