引用聖句:ルカの福音書1章37節
今日こちらへ来る途中、生垣のところを鶯が飛んでおりました。 鶯は真ん丸い目をして、鶯色をしておりますが、この時期まだ「ホーホケキョ」とは鳴けません。でも、春はもうそこまでやってきております。 まず、新年に相応しいみことばを聖書から引いて見ましょう。 詩篇51:10
さて、私は今年の4月で75歳になります。75歳は厚生労働省の基準によりますと、後期高齢者でございます。後期印象派とか、後期浪漫派とかならカッコ良かったと思いますけど・・・。 私は救われてから今年でちょうど30年、もう歳でございまして難しい話はとてもできませんので、イエス様に去年の暮れに「またメッセージの当番が近づきましたけど、聖書のどこを話したらいいのですか。」とお聞きしましたら、「初心に帰ってもっと単純なことをやりなさい。イエス様の生涯を辿ってみたらどうですか。」と教えてくださったのです。 それで今回から皆さまと一緒にイエス様の生涯を辿る旅に出ようと思います。 日曜日のこの時間というのは本来、福音伝道集会でございますから、つまり、まだイエス様をよくご存知でない方々に、イエス様をお伝えする時間でございますから、このイエス様のご生涯を辿る旅が、聖書に親しんでくださるきっかけになれば大変幸せでございます。 ほんの10日余り前はクリスマスでございまして、世界中でルカの福音書が読まれました。 ルカの福音書2:11
申し上げるまでもなく、イエス様を信じ、愛する人はこれを聞くだけで胸がいっぱいになるところでございます。 同じことばがイザヤ書では、 イザヤ書9:6
と、書かれております。ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。For unto us a Child is born. お気付きの通り、これはヘンデルのメサイア、12曲目でございます。メサイアのメンバーの皆さんも、ここを歌うときは楽しそうでございまして、ここのフォー アントゥ アスのアントゥというところがとても心に響きます。 「私たちのために」という気持ちを大きく強めます。深い思い、「こんな私たちのために」とか、「取るに足りないこんな酷い、罪深い私のために、尊いひとり子のイエス様が地上にきてくださった。」と思いに至るアントゥで、ほんとうに胸が熱くなります。 「感謝。」と言ってしまうと、何だか平たくなってしまいますけれども、もっと強い、口では言えない何か大きなものが「For unto us a Child is born.」の中に集約されております。 ご承知の通り、イエス様は神のひとり子であられます。その神のひとり子がなぜ、地上に来られたか。 簡単に言えば、私たちの罪の身代わりに十字架について犠牲となり、罪を赦し救い出すため、まことのいのちを与えるため、それについて聖書はこう言っております。 ペテロの手紙第I、2:24
ヨハネの手紙第I、4:9-10
これが2,000年前に、イエス様が地上に来られた目的であり、意味だと聖書は示しております。 新約聖書はこの神のひとり子、イエス様が地上にきてくださったところから始まっております。イエス様が地上に来てくださったご生誕の日を、私たちはついクリスマスだと考えてないでしょうか。 あまりにもクリスマス、クリスマスと言いますからイエス様が来てくださったのはクリスマスだと思われがちですが、マリアのお腹の中に来てくださったのがそもそもの始まりです。それが受胎告知であります。では、その箇所を聖書から見てみましょう。 ルカの福音書1:26
これは後でわかります。 ルカの福音書1:26-31
ルカの福音書1:34-38
これが新約聖書の始まりであり、イエス様がこの地上へ来てくださったそもそもの始まりの状況であります。イエス様のご生涯を辿って行くには、やはりここから見ていかなければならないと思います。 ところで去年、レオナアルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」という絵が日本にやってまいりました。図柄は憶えている方がおられるかと思いますが、天使長ミカエルが、左の方でひざまずいて、指を一本立てて、厳かに受胎を告げております。 マリヤはびっくりして右の方で固まっております。こういう状態であったかも知れません。 しかし、もっとナイーブな状況であったかも知れません。例えば、家事をしていた乙女マリヤの心の中に上からか、背後からか、天使の声が静かに染み通ってきたということも考えられます。 この中にも絵をお描きいただく方がいらっしゃると思います。もしその時の状態を描くとすれば、「マリヤの後姿を描いてみませんか。」とお勧めしたいです。 そこには告知を受けた驚きとか、理不尽なことを受け入れる畏れとか、その重さ、主への従順、母性の優しさ、そして胎内のイエス様の霊的な光が乙女の後姿に輝いていたに違いありません。 さて、この告知は季節で言えばいつ頃のことだったのでしょう。 クリスマスが12月25日ですから、十月十日(とつきとおか)と申しますね。ですから、受胎告知は2月頃と思いますが、その辺は私は良くわかりません。姉妹方のほうが詳しいと思いますのでご存知の方、教えていただきたいと思います。いずれにせよ、その頃、2月か、3月かと思います。 マリヤがいたガリラヤのナザレという村はガリラヤ湖から二つか、三っつ丘を越えたところにあります。2月か、3月と言いますと、ガリラヤ地方は正に春爛漫です。あらゆる花が一斉に咲き出すすばらしい季節でございます。それは、ほんとうにきれいです。そんな中で、マリヤはこの御使いの告知を聞いたのです。そして、すばらしい春の訪れとともに、イエス様はマリヤのお腹の中で育って行かれました。 ここで、イエス様をご存知でない方からよく聞くことは、「処女受胎なんて、科学的にそんなことが起こり得るはずがない。」ということです。 実は、私もイエス様を受け入れる前に、ここで考え込んでしまいました。けれども、先ほど読んでくださったルカの福音書1章37節にありましたように、神にとって不可能なことは一つもありません。 ある有名なクリスチャンの方がこう言われています。「処女受胎なんてあり得ない。」と頭から否定する方に、次の質問をしたいです。 「では最初の一人の人間が、この世にどうして存在できたのか。」 「彼はいったいどこから来たのか。」 「最初の一人の生物的、科学的な組み立てはどうなっていたのか。」 「その組み立てを行なったのは誰だったのか。」 それを組み立てたお方を聖書では、「神様」、「主」と言います。天地万物、森羅万象、すべての創造主であります。神に不可能なことは一つもありません。 現代では人間は、神さまが造られた驚くべき組み立ての御業のほんの一部分を覗いて、その秘密を真似ようとしております。例えばクローンとか、遺伝子組み換えとか、最近では京都大学で万能細胞というものが編み出されたようです。 私は素人なので詳しくは知りませんけど、細胞が傷を負ったり、無くなったりした状態のときに、そこに植え込むと、人間の体の細胞とそっくりに増殖していくというようなことではないかと思っています。 兎に角、人間はそういうものを作り出してしまいました。ちっぽけな人間にもそういうことができるのでしたら、創造主なる神様がマリヤになさったことなど、ほんとに簡単なことに違いないと思います。 そしてこのことが、聖書に書かれている通りに受け取って、信じることが信仰の第一歩が始まります。 私事で恐縮ですが、当時はクローンとか、万能細胞とかはなかったのですが、「待てよ、それはあり得るかも知れないな。」と思ったときにこのバリヤーは飛び越えられました。そうしますと聖書をそのまま素直に信仰することができます。 ここでもし立ち止まっている方がいらっしゃいましたら、ほんとに「神様に不可能はない。」ということを覚えていただければ幸いかと思います。 さてルカの福音書はマリヤの受胎に続いて次のような素敵なことが書いてあります。お腹の中のイエス様と、お腹の中のバプテスマのヨハネの記述でございます。 それは、ルカの福音書1章39節から50節に書かれております。 そこへ行きます前に、その前後の経緯をざっと見てみましょう。詳しくは夜にでもゆくりお読みください。 エリザベツは祭祀ザカリヤの妻でした。子どもがありませんでした。 マリヤの受胎告知の六か月前にザカリヤに主の御使いが現われて、「あなたの妻エルザベツは男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。」と言いました。この子どもこそ、後にヨルダン川でバプテスマを授けた「バプテスマのヨハネ」と呼ばれた人であります。 このことは、マタイの福音書3章の3節に明らかに書かれております。 一方、聖霊によってみごもったマリヤ、さすがに心が揺れ動いたことでしょう。ですからこのエルザベツのところへ参りました。 ルカの福音書1:40
と、書いてあります。 マリヤは身重の身で、花がいっぱい咲いていたであろう丘を越えて歩いて行きました。 結構距離があるんですね。隣りの家を覗くというわけではないです。100キロ近くあると思います。 ルカの福音書1:41-44
そして、その後に有名な一節が書かれております。 ルカの福音書1:45
それからマリヤは46節以降で主を讃えて言います。 ルカの福音書1:46-47
ほんとうに素敵なところでございます。では、56節まで飛びます。 ルカの福音書1:56
このエリザベツの家があった場所というのは、イスラエルには大変珍しく深い谷間の尾根にありました。 今は古い教会が建っていまして、礼拝堂は残響が4秒以上ございます。すごく響きます。どんなに下手なコーラスでもすごく上手に聞こえます。 私が行ったときはアメリカから来た方々が「アメージング・グレース」を歌っていました。すごく良かったんです。感動的でした。 さてこの二人、エリザベツとマリヤがいっしょにいた三か月、マリヤはイエス様を、エリザベツはヨハネを宿していました。 そして、イエス様とバプテスマのヨハネはこのとき、すでにお腹の中同士で出会っていました。そしてたぶん赤ちゃん同士で話しあっていたんじゃないでしょうか。お腹の赤ちゃんって結構いろんなことを感じたり、知ったりしているのじゃないでしょうか。 バプテスマのヨハネはエリザベツのお腹の中で、マリヤの声を聞いて踊った、とあります。これってすごいですね。 姉妹方にお聞きしますと、確かにあるそうですね。「賛美したり、ピアノを弾いたりしたら赤ちゃんが踊るんだよね。」と声をお聞きすることがあります。ということは、外界で何が起こっているか、赤ちゃんは薄々はわかっているんじゃないかと思います。 ですから、お母さん方、赤ちゃんにいっぱい語りかけて、いっぱい歌ってあげてください。お腹の中で賛美を聞いたら、生まれたときから賛美を聞く心が植えつけられるんじゃないでしょうか。 いずれにせよ、イエス様とバプテスマのヨハネはこうして出会っていました。まことに不思議な主の備えであります。そして、聖書はこの二人の感動的な再会の場面を記録しております。 ヨハネの福音書1:29
成人して大人になったヨハネは、悔い改めとバプテスマを説くようになっていました。 そのヨハネは自分のところに歩いて来られるイエス様を見てすぐに「あ、イエス様だ。」とわかったのです。感動的な再会の場面です。そして、イエス様は「今はそうさせてもらいたい。」とおっしゃり、ヨハネから洗礼を受けられました。 この部分は、皆さまとイエス様の生涯を辿る旅で、もう一度、訪れることになるでしょう。 余談になりますが、ヨルダン川って神田川といくらも変わらない小さな川なんですね。幅が小さく、砂漠の中で一条の緑の筋がベルトのようにできています。国境で国境紛争が盛んなところでとても近づけません。 現地の観光局の人と私は小さな車で出かけました。写真を撮るから「あっちへ行ってくれ。」と言ったら「それは絶対駄目。」と言って、それどころか血相が変わっているんですね。アクセルを踏み込んで、ビューッと行っちゃいました。 本で読みますと魚がいっぱいいると書いてありますけど、実はそれは大分前の話であって、今は上流で水を全部取っちゃいますから死海は半分ぐらいになっているんです。ヨルダン川ってガリラヤ湖と死海を結ぶ川ですからね。上流で水を取っちゃうものだから下流が干上がって来てしまいます。 ガリラヤ湖に行きましてもほんの出口の流れのところしか見せてくれません。あとはよくわかりません。ですからこの場所がどこにあったかということは実はよくわからないそうです。 さて、今日ご一緒に聖書を読んでまいりましたところが、イエス様が地上に来られた一番初めのところです。大切なところなので、もう一度、その意味をはっきりさせておきましょう。 問い、イエス様はなぜ2,000年前にこの地上に来られたのか。 答え、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかってくださり、私たちの罪を赦し、救い出し、まことのいのちを与えてくださるために。 さらに言うならば、蘇り、天に昇り、神の右に座し、今も温かい愛の目を私たちに注いでくださっている。そしてまた、やがて来られる。そのために、イエス様は神のひとり子であられるのに、ご自分から尊いいのちを投げ出してくださったと聖書には書かれています。 二箇所を読んで終わりにしましょう。まず、ペテロの手紙第Iの手紙からお読みします。 ペテロの手紙第I、2:24-25
これがイエス様がこの地上に来てくださった訳です。もう一箇所は、ヨハネの福音書からお読みします。 ヨハネの福音書3:16-17
考えてみますと、マリヤとエリザベツが一緒に暮らした三か月というのは、イエス様とヨハネの生涯の内でたったひと時、穏やかで平安だったときではなかったでしょうか。 たくさんの種類の花がいっぱい咲いていましたでしょうし、イエス様とマリヤ、そしてヨハネとエリザベツ。みな、それぞれに満たされて、平安で喜びに満ちていました。 この後、イエス様はどうなり、ヨハネはどうなるのか。ほんとに苦難の道を歩かれるわけですね。この時だけが、ほんとに幸せな3ヶ月でした。 人間に取りまして、「よき知らせ」「救いの福音の訪れ」と言うのは2,000年前、主なる神によって、このようにして始まりました。 では、続きの旅は三ヵ月後にまた、お目にかかりましょう。 ありがとうございました。 |