イエス様をよくご存じない方、これから聖書を読む方々のための「イエス様のご生涯を辿る旅」、第一回は、「マリヤのお腹の中のイエス様」でした。 第二回目は、「イエス様のご誕生」です。 新約聖書、ルカの福音書2章の1節から7節を見ると、マリヤのお腹が大きくなった頃、大変な試練がやってきたことがわかります。 ルカの福音書2:1-7
当時、皇帝アウグストから、「住民登録をせよ」という命令が出ました。 ユダヤ地方、イスラエル地方はローマの属国でした。地中海沿岸はすべてローマの属国なので、ローマの皇帝アウグストが「住民登録をせよ」と言えば、絶対の命令です。 ナザレに住んでいたマリヤも、夫とともに戸籍があるベツレヘムに、登録に行かなければならなくなりました。 ベツレヘムは、都のエルサレムから南西5キロの所にあります。エルサレムの高台に登りますと、ベツレヘムが見えます。遠くの方に丘があって、その丘の斜面の中腹に家がかたまって建っているというごく普通の村です。 いっぽうマリヤが住んでいたナザレの村は、ベツレヘムの北、百キロ以上へだたったガリラヤ湖の近くですから、ベツレヘムに行くとなれば、けわしい山沿いの道を歩く以外に方法はありません。 その道を、産み月近いマリヤはヨセフと歩きました。きっとマリヤは、足を傷だらけにして歩き、4、5日はかかったことでしょう。 そしてやっと辿り着いたベツレヘムは、住民登録をする人々で溢れかえっていたのです。「宿屋には彼らが寝る場所がなかった」とあります。 もっとも、当時は宿屋らしい宿屋はほんの一軒か、ニ軒あるかないかの村だったでしょう。ですからそこは当然満員になっていました。そんな時、マリヤは出産を迎えたのです。 ルカの福音書2:6-7
「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」とあります。マリヤとヨセフはどこに泊まったのでしょうか。聖書には何も書かれていません。 でも、生まれたイエス様を「飼い葉おけに寝かせた」とありますから、家畜小屋ではないかと考えられています。でも、これは確証がありません。 私たち日本人は、つい馬小屋とか、厩というふうに連想してしまって、多分馬が5、6頭いて、桶があって、と考えがちですが、そんな感じではないようです。 日本人は農耕の民、イスラエル地方の人は牧畜の民です。ですから、家畜小屋と考えた方が事実に近いだろうと思われます。 当時のイスラエル地方の普通の家は、日干し煉瓦を積んだ家で、真ん中が広間になっていました。柱が立っていて、両側に部屋があり、玄関の横の部屋が家畜小屋になっていて、家畜用の出入り口が別についていたようです。 これが一般の住居でした。当時、家畜と人間がどのようにして暮らしていたのか。それを旧約聖書サムエル記第IIの12章から見てみましょう。 サムエル記第II、12:2-3
子羊は家族と一緒に暮らしていたのですね。つまり普通の家では、家畜は家族と同じ家に住んでいたようです。 では家畜とはどういう動物だったのでしょう。 私たちはまず、馬を思い浮かべますが、馬は高価な財産で、お金持ちの家なら考えられても一般の家はどうでしょうか。 当時ローマ軍が海岸に駐屯していて、そこでは大きな厩があって馬がいっぱい飼われていました。馬は戦うための非常に大切な道具だったのですね。 それから羊。当然いましたね。それも、何匹か、何十匹かが飼われていたと思われます。聖書にも多くの記述がありますから、当然どこの家でも飼われていたことでしょう。それから、ロバ、山羊ですね。これも聖書に出てきます。 ついでに、犬、猫。これもその辺にいたのではないでしょうか。 しかし、絶対いなかったのが豚です。豚はイスラエルの人にとって忌むべき動物です。悪霊に憑かれてガリラヤ湖になだれこんだのも豚でした。 また、飢えに苦しんだ放蕩息子が食べたいと思ったのは、豚の食べるいなご豆でした。これは私たちが考える以上に忌むべき食物だったようです。 さて、次に可能性の薄いのがラクダです。ラクダは東方への交易には必要な動物ですが、普通の家庭では飼ってなかったのではないでしょうか。 さて、話を戻します。マリヤとヨセフが泊まる宿屋がなかったときに、当然助けを求めたのはこのような家畜小屋のある普通の家だったのではないでしょうか。 家の中は人々でいっぱいでしたから、二人は入り口近くの家畜部屋の近くで眠り、そしてマリヤは家畜小屋か、家の片隅でお産をしたのかも知れません。 マリヤの身になって考えたら、このようなところでお産を迎えるというのは、心細くて、不安で、耐え難いことだったでしょう。ヨセフがついていましたが、お産の時は男なんてうろうろするばかりで、まったく役に立たないのは今も昔も変わりありません。 周囲にお産を助ける経験者はいたでしょうか。助けの手を差し伸べてくれる人々はいたのでしょうか。産湯のお湯はあったのでしょうか。赤ちゃんを包む布はあったのでしょうか。 おそらく、これらの心労はマリヤ一人にかかってきたことでしょう。 マリヤはひとりでその試練に耐えました。そして、生まれたばかりのイエス様を飼葉おけの中に寝かせたのです。 さて、「飼葉おけに寝かせた」とありますが、飼葉おけがあるのは当然家畜小屋です。そこには羊がいて、よく子羊が生まれます。ですから聖書は、「飼葉おけの中にイエス様を寝かせた」という記述によって、イエス様が、「世の罪を取り除く神の子羊である」ことを象徴的、間接的に伝えているように思えます。 飼葉おけの中に眠るイエス様。ついでにこの飼葉おけは、日本の飼葉おけのような桶ではありません。籠でもない。 ヨーロッパのクリスマスの飾り物は、多くの場合籠になっています。中にふんわりとお布団を敷いて赤ちゃんを寝かせています。ところが、現地で使われている飼葉おけというのは、日干し煉瓦でできていて、相当重たいものだったようです。 以上のように、ご出産のくわしい様子は、聖書には何も書き残されていません。ただ、「布に包んで飼い葉おけに寝かせた」と淡々と記されているだけです。いずれにしても大変過酷な環境だったことは間違いありません。 ご婦人の皆さまはこんな状況に耐えられますでしょうか。神のひとり子のイエス様ですから、恵まれた快適なところにお生まれになってもかまわなかったのに、なぜ、このような貧しいところにお生まれになったのか。 これにはちゃんと理由があるのです。 ヘブル人への手紙2:18
つまりイエス様は、最も貧しい、最もひどい状態でお生まれになって、それを身体中で体験されたから、私たちのほんとうの苦しみをわかり、助けることがおできになるのです。 これが、貧しい環境の中でイエス様がお生まれになったことの本当の意味なのですね。 イエス様は神のひとり子です。これからイエス様の後をずっと訪ねていきますが、イエス様のなさること、語られること、折々、節々、まぎれもない神の性質が現われてくることがよくわかります。 さて先に進みます。ルカの福音書2章8節から見ていきましょう。 まず、このあたりに書かれていることをざっとお話しますと、この土地に羊飼いがいて、羊の番をしていました。すると、主の使いが来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは恐れました。 ルカの福音書2:10
そして御使いが語ったのが、聖書のなかでも特別な数行、そこだけ温かい光が輝いているような数行です。 ルカの福音書2:11-12
「あなたがたのしるし」というのは、つまり、神の子羊ということですね。 ルカの福音書2:13-14
天地が輝きわたる圧倒的な大コーラス。メサイヤでは17曲目、「Glory to God」がこれです。 尚、ここでいう「地の上に平和」とはテレビや新聞が言う平和とは少し意味が違います。この平和は、神である主の御心と意志に従ってみなが一つになり、神と人々との関係が正しく結ばれている状態、穏やかに平和に暮らしている状態を指しています。 単なる反戦平和主義ではありません。次にいきましょう。 ルカの福音書2:15-17
以上が、ルカの福音書に記されたイエス様ご誕生の記録です。 さて、聖書にはもう一箇所、イエス様のご誕生について書かれているところがあります。マタイの福音書の1章です。 初めて聖書を手にした方は、マタイの冒頭第1ページ、1章17節までの系図に戸惑われると思います。聞いたことのない名前の羅列ですからね。 この系図はアブラハムから始まって、最後はマリヤの夫ヨセフにつながっています。つまり神のひとり子イエス様がお生まれになったのは「由緒正しい家」だったという記録なんですね。 イエス様ご自身は神のひとり子であり、天地万物の創造者、万能の主のお子様です。主直系のひとり子です。 さて、本題に戻って、イエス様のご誕生の記録をマタイの福音書1章20節から見ましょう。 マタイの福音書1:20
マリヤを去らせようかどうしようか マタイの福音書1:20-23
イザヤ書7章14節参照 マタイの福音書1:24-25
イエス様のご誕生を告げる預言のいま一つは、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。」とあるイザヤ書9章6節です。すでに約800年前に、イエス様のご誕生は主なる神によって予告されていたのです。 ここで大事なことは、「神は私たちとともにおられる」ということが、すでにイエス様のお名前の中に、はっきりと示されていることですね。私たちが貧しくて惨めなときにこそ、イエス様は一緒にいてくださるのです。 そして、マタイの福音書2章では、東方の三博士がやって来ます。それはヘロデ王の時代でした。当時のユダヤ地方の王ですね。ローマからピラトが総督として派遣されていて、自治を任されているユダヤ人の王がヘロデです。 マタイの福音書2:1-2
イエス様を礼拝するためにやってきた三博士とはどういう博士だったのか。考えられるのは暦法、天文学の博士。法律博士。もう一人は医学博士というところでしょうか。 また、「東の方でその方の星を見たので」とありますがその星とはどんな星でしょうか。集会の宇宙科学者の清水洋一さんに聞いてみたことがあります。 「大彗星、大流星の記録はない。ただその頃、惑星が日没の西の空に集まって壮観だったことがある。あるいはそれではないか」というのがお答えでした。 確かに当時の空は非常にクリアだったでしょう。もし西の空の地平線近くに宵の明星が輝いていたら、それを見た人はおそらくそこに高貴な方が誕生したと思ったでしょうね。 イエス様ご自身がヨハネの黙示録で、「わたしは輝く明けの明星だ。」と言っておられます。明けの明星と宵の明星は同じ星です。主のご生誕を告げるにふさわしい星だったのではないでしょうか。 以上が、聖書に書かれているイエス様のご誕生の状況です。 さて最後に、最も大切なことをまとめておきましょう。 イエス様がこの地上に、人の姿をとって来てくださったのはなぜでしょうか。 答えは聖書にあります。 ヨハネの福音書3:16-17
ピリピ人への手紙2:6-11
ここに、イエス様がこの地上に人の姿をとって来てくださった理由のすべてが語り尽くされています。 さて、マリヤは大変な試練の中で、イエス様を産んで育てました。みどりごイエス様は人の姿をとられてこの地上に来られました。ですから、人間の赤ちゃんがするようなことはすべておやりになったことでしょう。 微笑むことも、笑うことも、お乳を飲むことも、むずかることも。マリヤは、おそらくむずかるイエス様を抱いて、身体を揺すって子守唄を歌ったことでしょう。これは聖書に書かれていませんけど、容易に想像できることです。 マリヤの子守唄ってどんな歌だったでしょうか。マリヤの声はどんな声だったでしょうか。そして、どのような思いを込めて、マリヤは子守唄を歌ったでしょうか。 今日は、みどりごイエス様をあやしているマリヤの子守唄に思いを馳せながら、終わりにしたいと思います。 三ヵ月後にまた、お目にかかりましょう。 |