イエス様のご生涯を訪ねる旅の3回目で、「子ども時代のイエス様」です。 早速聖書を読んでみましょう。ルカの福音書2章22節からです。 ルカの福音書2:22
マリヤとヨセフは、幼子イエス様を主にささげるためにエルサレムに連れて行ったのです。 ここに記されているとおりに、当時はモーセの律法によって、家族のきよめの期間が決められていました。 ご参考までに、この期間は、レビ記の12章4節によると33日でした。 ルカの福音書2:23
ここに出てくる「主に聖別された者」という言葉は、大変重要な意味を持っています。 旧約聖書にはたびたびこのことが出てきますが、今日はその中から一ヶ所だけを見てみましょう。「最初に生まれる初子をすべて聖別せよ」というご命令です。 出エジプト記13:1-2
主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それはわたしのものである。」 つまり「聖別せよ」とは、ひと言で言えば「聖め別たれたものとせよ」ということであり、そうすることによって「わたし(主)のもの」となるということですね。 「聖別」とは、もっときびしいことを主が語っておられますが、今日はそれについて立ち入る時間がないので、ルカの福音書に戻りましょう。 ルカの福音書2:24
マリヤとヨセフは、主の前にいけにえをささげました。 これについては、レビ記にその定めが記されています。 レビ記1:14
余談ですが、私のマンションのベランダにも山鳩がやってきます。ゴロゴロ・ボーボーと鳴いて大変可愛らしいです。でも居つかれるとご近所のめいわくですから、心を鬼にしてシッシと追い払うんですけどね。山鳩ってほんとに可愛いです。 で、主の定めでは山鳩の一つがい、または家鳩のひな二羽と区別してありますけれど、なぜでしょうね。これにはちゃんとした理由があるんだと思いますよ。 イスラエルの人々の生活ではこのように定めた方がいい、という神の愛があると思うんでね。だけどその理由は私にはわかりません。皆様はちょっとお考えになってみたら面白いかと思います。 さて、以上の要点をまとめておきましょう。 一、赤ちゃんはイエスと呼ばれました。二、ヨセフとマリヤは赤ちゃんのきよめのしきたりをすべて果たしました。三、エルサレムに行って赤ちゃんを主にささげました。 先に進みましょう。当時はイエス様はまだ赤ちゃんでした。ですからイエス様が救い主であるなどということは誰ひとり気がつきませんでした。もちろんお母さんのマリヤも、何かこの子は変だなとは思ったでしょうけれども気がつかなかったでしょう。 さて、ここに二人の人、シメオンとアンナという人がいました。 ルカの福音書2:25-26
このシメオンは、主のキリスト、つまり救世主を見るまでは決して死なない、という聖霊のお告げを受けていました。 ですからイエス様を見たとたん、彼にはわかったんですね。 ルカの福音書2:27-29
この、「今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせて」とは、「もう安らかに死ねる」という意味です。 キリスト、つまり救世主を見ることができたからです。しかも、腕に抱いたんですね、この人は。 キリストを見たから安心して死ねるということです。 ルカの福音書2:30
このように、信仰の厚いシメオンという方は証しをしたのです。 さて、もうひとりの女預言者アンナはどうだったでしょうか。 ルカの福音書2:37-38
ここにおられる赤ちゃんこそ私たちの「救世主だよ。」と語ったのです。 以上の記述から、赤ちゃんのイエス様は、当時の定めに従って清められ、聖別され、神にもまた人々にも大いに祝福されたということがわかります。 さて実はこのとき、大事件が同時進行で起こっていました。 マタイの福音書にあるのですが、ヘロデ王が、二歳以下の赤ちゃんをみんな殺してしまえとおふれを出した事件です。 なぜこのようなことになったのでしょうか。 イエス様がお生まれになった時、東方の博士たちが星に導かれて礼拝のためにやって来たことを覚えておられますよね。 マタイの福音書2:1-2
ところが、その博士たちはヘロデ王にひそかに呼ばれて、星の出現の時間を聞かれました。何のために聞かれたのか。 ヘロデは、自分の子ではない新しいユダヤ人の王が生まれたと思ったのです。その子は自分の座を脅かすイスラエルの未来の王になるかも知れない。だから星占いでその赤ちゃんの居場所を突き止めて殺そうとしたのです。 しかし、博士たちはそれに従わなかったのです。 マタイの福音書2:12
よかったですね。主はイエス様を守られたのです。 うっかりヘロデのところへ行ったら大変なことになりますから、博士たちは別の道からサッと消えちゃったわけです。 マタイの福音書2:13
博士たち マタイの福音書2:13
「立って、○○しなさい」という言葉は、聖書の中に何度も出てきます。主が「ぐずぐずするな。ただちに……」と命令される時です。 背筋をピンとさせられるようで、とってもいい言葉です。 ヨセフとマリヤも、夢の中で、「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。」と命じられました。ヨセフとマリヤはただちに「立って」夜のうちに身を隠しました。エジプトに逃げたのです。 その後どうなったかをかいつまんでお話しますと、ヘロデ王は、博士たちが自分の命令に従わず逃げて自分の国へ帰ってしまったと知って非常に立腹しました。 そして、ベツレヘムやその近辺の2歳以下の男の子をすべて殺させてしまったのです。恐ろしいことです。 さて、イエス様のご一家が逃げたエジプトは、イスラエルの南隣りの国です。エルサレムから夕日の方向に山を下って行きますと、美しい地中海に出ます。そこの南はもうエジプト領で、ヘロデの威令は及びません。 ご参考までに、現在紛争の絶えないガザ地区というのは、このイスラエルとエジプトの中間にあります。アラブ系の住民が押し込められて、いろいろと問題になっています。そのイスラエル地区の向こう側がエジプトです。 エジプトと言うと私たちはどうしてもピラミッドとか、アレクサンドリアとかだと思ってしまいますが、実はそこまで逃げたわけではなくて、ちょっと国境を越えて身を隠したのではないでしょうか。 でも、これには確証がありません。聖書にはエジプトのどこかは書かれていないのですね。ヨセフとマリヤが身を隠したあと、この恐ろしい暴君のヘロデが突然死んでしまいます。 マタイの福音書2:19-21
このようにして、イエス様のご一家は無事にイスラエルの地に入り、故郷のナザレに戻ることができました。 さて、ヘロデは死にました。だけどこの後、聖書にはサロメにそそのかされてヘロデがバプテスマのヨハネの首を刎ねたとあります。じゃ、そのヘロデって誰だろう。「おかしいじゃないか」と思って、少し調べました。 そうしたら、ヘロデっていっぱいいることがわかりました。 男の子を殺させたヘロデはヘロデ大王、英語で言えばヘロデ・ザ・グレイトで、紀元前37年から紀元前4年まで王でした。 そして、後にヨハネの首を刎ねるのはヘロデ・アンテパスで、ヘロデ大王の子どもです。紀元前4年から紀元後39年まで王でした。ですから「ヘロデ」というのは王家の名前なんですね。 たしかにこの2人は性格が全く違います。父親のヘロデは暴君型で実行派。子のヘロデは妻と娘に気をつかう優柔不断な優男。なお、その後、王位はヘロデ・アグリッパに継がれ、さらに2世と続きます。 本論に戻りましょう。ヨセフとマリヤ、イエス様が帰りつかれた故郷のナザレとは、どのような村だったのでしょうか。ナザレはイスラエルの多くの村と同じで、丘の中腹にあります。山の下の方は雨が降ると泥水がどっと流れてくるんですね。 でも夏は砂漠のように渇いています。非常に居住条件が悪いのです。エルサレムにしても、どこにしても、町や村は通常大体山の上にあります。それがちょっと不思議なところですね。 ですから、「聖なる都、新しいエルサレムが……神のみもとを出て、天から下って来る」という言葉のイメージがよくわかります。 さて、ナザレは中程度の丘の斜面に広がった村落でした。美しい森、丘の上に土煉瓦の家。無花果の木やぶどう畑もあり、牧場には羊もいたでしょう。 現在はどうなっているかと言いますと、ハイウェイが通っていて、カトリックの大教会やユダヤ教の礼拝堂などがあり、その前にはお土産屋さんがわんさと並び、ヨーロッパやアメリカ、日本などから多くの人々が訪れ、あまりイエス様に関係なく、一種の観光地となっています。 しかし、町中の喧騒を離れると、今も変わらず木々や花が美しい所です。 ではイエス様は、このナザレでどのような子ども時代を過ごされたのでしょうか。 イエス様の子ども時代が聖書に記されているのはほんの僅かです。先ほど読んだルカの福音書とマタイの福音書、そしてこれから読むところと、これだけしかありません。 では早速、ルカの福音書の2章40節から見ていきましょう。 ルカの福音書2:40
イエス様は ルカの福音書2:40
イエス様はすくすく育って、強くなって、知恵があふれる子どもになっていった。そして、その上に神の恵みがあったのです。 やがて小さな事件が起こります。41節から読みましょう。 ルカの福音書2:41-43
両親が気がついたら、イエス様がどこかへ消えてしまっていた、ということですね。 12歳ぐらいの男の子は、しょっちゅうどこかへ消えてしまうものですね。 で、両親は一日経って気がついて心配になり、捜しながらエルサレムに引き返したんですね。 ルカの福音書2:46-47
「イエス様が宮で……」とありますが、この宮について皆さん、どういうイメージを持っていらっしゃいますか。これは、ひと言で言えば神殿、聖所のことです。 エルサレムの中心の高台にあり、ソロモンが建て、ネブカデネザルによって征服され、そして紀元前47年頃、ヘロデ大王が修復しました。ヘロデ大王は決して信仰の人ではなかったのですが、修復によって自分の力を誇示したかったのです。 当時、「宮」とはそういう所で、祭祀や教師、律法学者たちがはいましたイエス様はその真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられたのです。聞いていた人々はみな、イエス様の知恵とお答えに驚いたとあります。 ルカの福音書2:48-49
とイエス様は「どうして捜すのか。ここはわたしの父の家ではないか。」言われたのです。 ルカの福音書2:50
マリヤがイエス様を責めたことは、母親としての気持ちを考えればよくわかりますね。ここにいらっしゃる母親の方々も毎日のようにやっておられることではないでしょうか。 「何よ遅くなって、心配していたのよ。」「どこ、行っていたのよ。」とかね。 ところがイエス様の返事は「ごめんなさい」ではなかった。「わたしはいつも父の家にいることを知らなかったのか。」だったのです。イエス様がはここでもう父である神のひとり子として発言しておられるわけで、両親にはそれが理解ができなかったのです。 ルカの福音書2:51-52
でも、イエス様はマリヤとヨセフに仕えるために、ナザレに下って行かれ、そこで両親に仕えられました。 母親のマリヤにすれば、腑に落ちないことの連続ですね。受胎告知から始まって、旅、出産、エジプトへの逃亡。帰ってきてせっかく子どもを捜し当てたら、「わたしは父の家にいる」と言われてしまう。気苦労の連続ですね。 でも彼女はこれらのことをみな心に留めておいたのです。 このように、イエス様を育てていく苦労と悩みは、それはもう大変なことの連続ですね、そして最後は十字架でしょう。さらにわが子の遺体を十字架から降ろして墓に葬るでしょう。このようなことの連続でした。 しかも、これらのことをマリヤはみな、心に留めて黙って耐えていました。 聖書には、マリヤの感情に立ち入った言葉はひと言も書かれていません。それだけに、その苦しみ、悩みがより大きく感じられるのではないでしょうか。 さて、聖書に書かれているイエス様の子ども時代の記録は、以上がすべてです。 あとは4福音書ともバプテスマのヨハネの記録に入ってしまいます。 ではイエス様の子ども時代でもっとも重要なことは何でしょうか。それは先ほど読んだルカの福音書46、47節に、すべてが集約されています。 ルカの福音書2:46-47
ここを読んで、私たちは早合点してしまうかもしれません。「イエス様は神殿の教師について律法を勉強されていたんだ。」と。 そして、「聞いている人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いた。」んだから、「よほど出来のいい生徒だったんだな。」と思い込んでしまうかもしれませんが、そうではありません。 イエス様は、よくご存知でした。聖書は万物の創造主である父なる神の言葉ですから、当然そのひとり子のイエス様はすべてを心得ておられました。 そして、聖書が示しているのは、「イエス様が真中で、中心になって、話を聞いたり質問しておられる」状況なんですね。つまり、イエス様は、神殿で、また町や村々で多くの人と交わっておられたのです。 そして「彼らの考え方、生き方が、父なる神の考えておられるみこころ、人々への愛のみこころと、大きく食い違っている」ことを、実際に、身にしみて知られたのですね。 なんとかわいそうな人々。生きにくいこの世。苦しみ、悩み、悲しみがいっぱいです。神様のほんとうの愛も、心配りも、惠みも人間はまったく気がついていない。何にも知らない。教える人もいない。律法学者も教えてくれない。 その人間たちの哀れさ、醜さ、わがまま、高ぶり、いさかい、そのすべてを、イエス様は目で、耳で、肌で感じ取られました。 どうすればこの人々を救うことができるのか。イエス様の少年時代は、父なる神がわが子に与えられた「現実を体験する時間」だったのですね。 そしてやがて、青年になったイエス様の口から、驚くべき神のことばが溢れ出てきますね。思いつくままにいくつかをあげましょう。 マタイの福音書11:28
マタイの福音書6:34
ピリピ人への手紙4:6
マタイの福音書5:3
ルカの福音書10:27
これらの呼びかけは、苦しみ悩む人々の心をほんとうに知り尽くし、共に痛みを共有したイエス様でなければ語ることができない言葉です。 そしてイエス様のご生涯は、まっすぐに究極のみわざ、「十字架」へとつながっていきます。 私たちは、イエス様のご生涯を通して、「主のご意志」がどのように形をとり、成就していくかを、目を開き、畏れをもって見ていきましょう。 さて次回は、青年になられたイエス様と洗礼者ヨハネの感動的な再会です。 |