引用聖句:使徒の働き1章8節-15節
使徒の働き2:1-2
使徒の働き8:1-4
司会の兄弟の癌をいち早く発見して、そしてこのように癒してくれたのは、集会の兄弟で、司会の兄弟の二番目のお嬢さんのお婿さんです。 お嬢さんとその兄弟が結婚するとき、私も関わったんですけど、お父さん(司会の兄弟)がアルコール中毒者でありました。 そして娘に待望のお婿さんが与えられ、その兄弟は医者で、専門はアルコール性の肝炎なんです。彼は今でも日本アルコール学会の会員です。ですからA・Aによくアルコール中毒の患者を送り込んで来る医者でもありました。そして肝臓の専門医でもあります。 兄弟がお勤めの病院には、グアム集会の責任を取っていた兄弟が、今入院しているんですね。まだ35歳の若い兄弟です。肝臓に癌が発見されたんですね。 6月25日に手術をしました。若干の肝臓の摘出がありますから、三日以内に肝不全が起きるとあぶない、それから一週間以内に肝機能の不全が起きるとまた、あぶない。山が二つあるということです。 手術そのものは成功しましたけれども、まだ一山も二山もある。それがうまく乗り越えられれば、何年か持つでしょうという兄弟です。そういう報告をここへ来る前に受けました。 グアム集会は本当に祝福された集会なんです。あのグアムで働く日本の、特に30代で働く人々がたくさんいて、兄弟はそういう人々に福音を伝えたんですね。 私も当番で2回ほど行きましたけど、もう始まってからあっという間に4組、5組、夫婦単位でグアムで働く日本人の兄弟姉妹が救われて、あの群れに加わったんですね。 どうしてそのような、主のご栄光を現わす兄弟が、35歳の若さで癌になるのか、そういう呟きもあるでしょう。子どもが4人いるんです。上の子がまだ小学校前かな。それから、双子の男の子がいて、一番下の子は去年の9月に生まれたばかりです。 一つだけいえることは、先週日曜日、病院にお見舞いに行って来たんですけど、そのような状況に置かれても、兄弟は非常に喜んでいる。非常に輝いている。 一つだけいえることは、「地の果てまでわたしの証人になるため」ということだけは分かります。今後、あの病もまた、あの家族も、主がどのようにかえりみて導いてくださるのか、ある意味では大いに期待したいと思っております。 今、司会の兄弟が読まれた使徒の働きを読むと、イエス様は十字架にかかって死んだ後、三日後に復活なさいました。そして復活の、甦りの肉体をもって40日間、愛する者たちにご自身を現わされました。 それから、イエス様は天に昇られたのです。そして、イエス様はこの地上を歩まれた時に、約束されたように昇天から10日後にすなわち五旬節の日に、天から聖霊を下されました。 あの時、一つの集会が出来たんです。多分、福音書を書いたマルコの母、マリアの家で始まったと思われます。 使徒の働きは120名の兄弟たちがいた、と書いてあります。ですから、イエス様が復活の甦りの肉体をもって40日間、愛する弟子たちにご自身を現わされた後、天に昇られたその日に最初の集会が出来たと分かります。 それから10日後にあの集会に聖霊が下されました。聖霊降臨ですね。 そして、集会だけでなく、そこに集う兄弟姉妹一人一人に聖霊は下ったと、使徒の働きは2章に記しております。あの最初の集会は非常に祝福されたんです。ですからすぐに迫害が起きました。その最初の殉教者がステパノであります。 使徒の働きの8章で読んでいただいたところなんですね。ステパノの殉教の死の場面を聖書は次のように記録しております。 使徒の働き7:54-60
死んだ。聖書は信じる者の死を眠りにつくというんですね。ステパノが最初の殉教の死を遂げた場面です。 ここで記録されているように、サウロと呼ばれる青年がステパノ殺害の先頭に立っていたのが分かります。彼は陣頭指揮をとっていました。そしてこのサウロをいう若者はステパノを殺した後も、信じる者たちを、すなわち救われたキリスト者たちを教会から迫害し、家々に追い詰め、そして信じる者であると分かればみな、男女の差別なく捕らえて、牢獄に繋いだのであります。 そして、この苛烈を極めた迫害にあって、信じる者たちは、救われた兄弟姉妹たちはユダヤ、サマリヤの諸地方に散らされたと聖書は記しております。 どうしてこのような悲劇が起こったのでしょうか。ひとつの理由は福音のせいです。彼らは喜んでイエスキリストを宣べ伝えたゆえに、このような迫害にあいました。 聖書は明確に書いてはおりませんが、もうひとつの大きな理由は彼らが幸せだったからです。人間の幸せというのは聖書によれば、万物の創造者なる神の祝福だけです。 初代教会の兄弟たちは主なる神に大いに祝福されたから幸せでした。だから、迫害されたのであります。 あのマルコの母、マリアの家の二階で始まった最初の集会に集った、兄弟姉妹たち、すなわち救われた信じる者たちは大いに祝福されました。 しかし初代教会の大部分の兄弟姉妹、すなわち9割ぐらいは奴隷でした。貧しい階層の兄弟姉妹たちだったんです。でも奴隷という身分でありながら、束縛と貧困に喘ぎながら、十分に幸せでした。 どうしてかというと、主なる神に祝福されたからです。そして彼らは誰よりも富を持っていました。朽ちない富を持っていたんです。すなわち、罪の赦し、それから神との平和、そして永遠の命を持っていたんです。 「罪の赦し」というのは主なる神がひとりの人間をすべて受け入れてくれることです。かつて何があったとしても、主が許して受け入れてくれることです。 ですから、結果としてこの世のあらゆる束縛から解放される、という富です。その結果としての、神様との正しい関係、すなわち、神様との平和を持つことが出来ます。そしてイエス様はご自身が復活という奇蹟を成すことによって、「永遠の命」を明らかにしてくださいました。 だから初代教会の兄弟姉妹たちは、自分たちの人生がこの世だけに限定されたものではない。むしろ死んでから始まる。「イエス・キリストの復活」と、「永遠の命はその証拠である」としっかりと持っていたから彼らは幸せでした。朽ちない大きな三つの宝を持っていたからであります。 コリント人への手紙第IIの中に、当時の兄弟姉妹についての記録があります。迫害され、殺されたあの兄弟姉妹に対して、この手紙は次のように書きました。 コリント人への手紙第II、6:9-10
回りの人は、あの初代教会の大部分が奴隷であった兄弟姉妹たちに対して、こういう紹介をしたんですね。 *悲しんでいるようでも、いや、いつも喜んでいる。 *貧しいようでも多くのものを持っている。 *何も持っていないようでも、すべてのものを持っています、 という紹介であります。 また、ペテロは同じ初代教会の兄弟姉妹に対して、イエスキリストに出会って救われた人々の告白を代表して、次のように語りました。 ペテロの手紙第I、1:3
彼らは朽ちない富のほかに生ける望みを持っていた、ということであります。だから彼らは幸せでした。彼らの生ける望みの一つの象徴的なものは、彼らの毎日の挨拶でしょう。 初代教会の兄弟姉妹の毎日の挨拶とは、昼でも夜でも「マラナタ!」(主よ。来てください。) イエス様が約束してくださったあの再臨への生ける希望です。主は来られるから、今、目の前でどのような苦しみが、試練があったとしても、私たちには生ける望みがある。 余談になりますけれども、あのサウロだけでなく、上はローマ皇帝ネロが、徹底的にあの初代教会の兄弟姉妹たちを弾圧したんですね。 捕まると何人かの兄弟たちは闘牛場に送られました。獣と闘うためというより獣の餌にするためです。しかし、獣の餌になる直前まで、彼らは天を見上げ、生ける望みを証ししたんです。 「今、まもなく私はこの獅子に喰われる。命は絶たれる。しかし、イエス様からいただいた甦りの命がある。永遠の命がある。 悲劇的な死を遂げたとしてもそれはイエス様とすぐに一緒になれる。 これから天国で、イエス様からいただいた永遠の命を生きることが出来る。」 という証しを皆がしたから、結局、ローマ皇帝はネロから始まって代々、もうあの兄弟姉妹たちに対してお手上げになったんです。 それから三百数年後にローマ帝国は、あの初代教会の兄弟姉妹たちの信仰をキリスト教として、国の国教にしたんですね。そうやって管理する以外、彼らを支配することが出来なかったのです。 彼らはいつも喜んでいました。そして多くの人々に喜びを与えることが出来ました。すなわち、福音を伝えることが出来ました。死すらも彼らにとっては、恐怖になり得ませんでした。だから、迫害されたんです。上はローマ皇帝ネロから、下はパリサイ派のエリートであるサウロという青年まで、彼らは迫害を受けました。 聖書に初代教会の兄弟姉妹たちの幸せな日常生活の記録があります。 使徒の働き2:44-45
この2節はマルクスとレーニンが、あの共産主義国家体制を作った時の基本となった箇所です。コミニズムの原型であるといわれております。 使徒の働き2:46-47
毎日、心を一つにして宮に集まるという日常とは、初代教会の兄弟姉妹は、毎日心一つに祈ったということです。日々、祈りの生活でした。 家でパンを裂くという日々は、毎日主イエスを礼拝した、という礼拝者の生活です。喜びと真心をもって食事を共にする、ということは、兄弟姉妹が毎日交わりをもっていたということです。 ヨハネは、「私たちの交わりとは、御父及び御子イエスキリストとの交わりです。」と手紙の中に書いております。 すなわち、初代教会の兄弟姉妹はどうして毎日心を一つにして交わることが出来たかというと、それは父なる神とイエス様との交わりであったからであります。だから、喜びと真心をもって、毎日交わったとここに書かれています。 神を賛美し、というのは主イエス様への日々新たなる愛の告白です。ですから彼らは幸せでした。だから、回りの人々は彼らに好意を持ったんです。そして好意を持つだけでなく、あのような人々になりたいという思いで、日々多くの人々が主イエスの救いに預かりました。主イエスも毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。 初代教会の、あの日常生活を送っている兄弟姉妹たちに対する、回りの人々の感想とは、「何と彼らは互いに愛し合っていることか。」このひと言だったそうです。だから多くの人々が彼らの生活を見て救われた、と聖書は記録しております。 イエス様は、かつて救われた兄弟姉妹たちに対して、「もし、あなたがたの間に愛があるのならば、人々はそれを見て、あなたがたをわたしの弟子と思うでしょう。」と言われました。結局、イエス様のみことばの証し人であったのです。 回りの人々は彼らを見て、「何てあの人たちは互いに愛し合っているのだろう。」と。ひと言で言うならば、彼らの日常生活とはイエス様に愛された者として「私は日々、主を愛する。」という生活でした。だから、主なる神は彼らを祝福しないわけにはいかなかったのであります。 使徒の働きの中には、一日で3,000人の人々が救われたと記されております。そのように祝福された初代教会の最初の殉教者はステパノでありました。 そしてあのステパノは、自分を殺害する殺戮者たちのために膝まづいて祈った、と聖書は記しております。 この祈りの内容とは、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」というものでした。このことは人間の常識をはるかに超えております。自分を殺す者のために、このような祈りを祈れる人はどういう人か。それは主なる神の祝福に誰よりも預かった人だけです。 結局、もっとも幸せなクルスチャンが、このような祈りをすることが出来る。お金があるからではない。大きな家に住んでいるからではない。社会的な地位や名誉があるからじゃない。私は誰よりも朽ちない富を持っている、という確信です。ステパノはこれを持っていたから結局、誰よりも幸せでした。 だから、じぶんを殺す者のために、「主よ。あの人を許してください。」と今際の際に、このような祈りを祈り得たのであります。 聖書はステパノについて、精霊に満ちた人、信仰と恵みと力とに満ちた人と紹介しております。そして、ステパノとの名前の意味は「富」です。もう一つの意味は王冠、義の冠のことですね。 ステパノはあの幸せな初代教会の兄弟姉妹たちの、最初の殉教者となったのです。どうしてかというと、誰よりも福音を宣べ伝えたからです。そして誰よりも彼は幸せであったからです。 どうして初代教会の救われた信じる者たちは、クリスチャンたちはステパノに代表される、このような過酷な迫害を受けねばならなかったのでしょうか。 もう一つの理由はイエス様がそう言ったからです。イエス様は間違いなく初代教会の兄弟姉妹たちが迫害される、と預言しました。 マタイの福音書23:34
預言者、知者、律法学者とはイエスキリストの福音を喜んで宣べ伝える兄弟姉妹と読み替えてもよいでしょう。イエス様ははっきりと、彼らがこのような仕打ちを受けると預言されました。 使徒の働き1:8
結局、迫害を受けるけれども、地の果てまで追いやられるけれども、そこでなお、あなたはわたしの証人になる。イエス様が言われたから彼らは迫害をされたのです。 しかし、あのサウロの行動に象徴される、激しい憎悪と殺意に晒され、迫害と困難に追われながら、その逃亡の先々でなお、イエス様の証人となる、福音を宣べ伝えるあの希望と力は、どこからもたらされるのでしょうか。この質問に聖書は次のように答えております。 使徒の働き5:29
これが答えですね。 使徒の働き5:30-33
使徒の働き5:41-42
と、あります。結局、試練と迫害の中にあってこそ、信じる者たちは「人に従うより神に従うべきです。」これが答えでした。 そして御名のために、すなわちイエス様のために、救われた兄弟姉妹となったクリスチャンとしての立場のために、はずかしめられるに値する者とされたことを喜ぶ。これこそ希望である、と聖書は言っています。 そして毎日、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。この福音の証人であり続けることこそ、信じる者の力であります。ですから試練と迫害こそが福音の推進力である、と聖書は告げているのであります。 最初に話した、兄弟の35歳という若さによる肝臓癌の末期の発病というのも、結局ある種の迫害です。ある種の試練です。しかしそのことを通して、彼は本当に喜ぶ、本当に光り輝く、それこそ福音の推進力ではないでしょうか。 北朝鮮ではすでに300万人の兄弟姉妹たちが殺されたといわれております。しかし、今はそれをはるかに超えて地下に潜んでいる兄弟姉妹たちの数は多いともいわれております。どうして300万人の救われたキリスト者が殺されたかといいますと、彼らは金日成を拝まなかったからですね。最高権力者である、独裁者である金日成は、「私を拝め。この国では私が神である。」と言ったんです。 しかし、兄弟姉妹たちは「違う。神はイエスキリストだけである。」と。結局、偶像を拝まなかった。人に従うことをしなかった。彼らは神に従ったから殺されました。しかし、殺しても殺しても、次から次と救われる兄弟姉妹たちは増え続けていると報告されています。 中国の毛沢東も同じことをやったんですね。彼はまず、クリスチャンである蒋介石を追放しました。そして、あの広大な中国全土を支配しました。彼は自分の思想を実現するために、あの広大な中国全土に道を網羅したんです。それから言語を統一しました。自分の思想が隅々まで簡潔に行き渡るためです。 しかし、あの網羅された道を通して、統一された簡潔な言葉を通して、福音は中国全土に広まったんです。 蒋介石が台湾に追放された後で、ベック兄が一番尊敬している兄弟である、おそらくベック兄の福音伝道、宣教の模範となったウォッチマン・ニーという兄弟も殺されたんです。しかし、あのような兄弟たちの働きを通して、今、中国には5,000万人の兄弟姉妹がいるそうです。5,000万人ですよ。 そして、ベック兄に言わせると、世界で一番光り輝いているクリスチャンとは、中国のまだ迫害に合っている5,000万人の兄弟姉妹たちである。あの初代教会の兄弟姉妹たちと同じ信仰だからです。なぜ、彼らは迫害されたのでしょうか。試練と困難があるからです。そしてそれにも関わらず、彼らは幸せであったからであります。 ステパノに対して聖書は、「精霊に満たされた人」と表現をしておりますけれども、あの議会でステパノはつるし上げられて、敵意と殺意に晒されたときに、聖書は「ステパノの顔は御使いの顔のように見えた。」と書いてあります。 結局、天使のように光り輝いていた。先ほど紹介した北朝鮮も中国も極東であります。 今、兄弟がWカップ・サッカーの話をしましたけどね、結局ああいう報道は世界を駆け巡りますけど、今インドネシアでおそらく、多くの兄弟姉妹たちが殺害されているでしょう。このことはインドネシアで働くたち伝道者たちによって報告されているんです。しかし、世界のマスメディアは一切取り上げようとしない。おそらく、何万人という単位で殺されているでしょう。 結局、地の果てまで私の証人になるためである、とイエス様ははっきり言いました。そしてイエス様の預言通り、中国でも、北朝鮮でも、インドネシアでも、この日本でも、結局、福音は今に至るまで光り輝いて、宣べ伝えられているということであります。 「人に従うより神に従うべきです。」これこそ初代教会の兄弟姉妹たちの生きる喜び、生きる力でありました。これこそがあの兄弟姉妹が光り輝く秘訣でありました。 あのステパノを殺害し、初代教会の救われた兄弟姉妹たちを徹底的に弾圧した、あのパリサイ派のリーダーである青年サウロ、後に彼は回心してパウロと呼ばれましたけれども、彼は救われる前の自分のことを次のように紹介しております。 ピリピ人への手紙3:4-6
正直な告白ですね。 彼は由緒正しい名門の家に生まれました。彼はローマの市民権を持っていました。すなわち、特権階級に属していたんです。そして、ユダヤ教の中でも、厳しい律法を守るパリサイ派のエースであり、優れた律法学者、聖書学者でした。 結果として彼は、ここで自ら告白しているように、信仰者でありながら、神に従うより、人に従う者となってしまった。すなわち、神の力に頼るよりも、人間の力、自分の力に頼る者となってしまった、という告白です。 このような信仰は非常に危険です。自分こそ神の前に正しいとの結果、傲慢に支配されます。他者を見下し、神の救いの本質である悔い改めから程遠い存在となります。結果として、彼は真の神に救われたキリスト者たちを迫害する者となってしましました。 神の前に正しいと自認する者が、聖書の真理を追究する者が、神にに敵対する者となってしまったという悲劇であります。しかし、イエス様はこのご自身への敵意の塊りであった、あの青年サウロの頑なな心に直接語りかけます。 使徒の働き9:1-8
イエス様が直接ご自身を啓示して、この後、サウロが主の救いに与る場面であります。この箇所を読むと、あの迫害者サウロは、イエス様の啓示によって救われたとわかります。主が働かれれば、人はどのような人でも救われます。 しかし、使徒の働きをよく読むと、サウロが主イエスの啓示によって救われる前提として、あのサウロの迫害によって、殉教の死を遂げた、あのステパノの信仰の態度があったことは間違いない事実であります。 前にも話したことがあると思いますけれども、石打ちの刑というのは非常に残酷な処刑です。大きな穴を掘って、その底に殺すべき人を置いて、この穴の回りに大勢の人が立つんですね。 そして石を投げつけるんですけれども、こんな石じゃないんですね。ひとりひとりが投げる石はこ〜んな大きな石です。 「ダビデ」というよく出来た映画の中に画かれていましたけれども、次から次と巨大な石を投げ込むんですね。あっという間に死にます。 残酷な石打ちの刑を指揮したサウロに対して、そのような死を前にして、ステパノは主イエスに対して、「この罪を彼に負わせないでください。」と祈ったんです。おそらく、殺害者サウロの脳裏に、生涯焼き付いて離れなかった、ステパノの祈りではないかと思うんです。 結局、大事なことは、この主イエスによって救われたステパノの、この信仰の態度、祈りがあったからこそ主イエスはあの頑なな青年サウロに、ご自身を現わすことが出来た。 もちろん、人の救いは主のものです。しかし、救われるためにこのステパノの祈りがあったからこそ、サウロの心は粉々に砕け散った。だから主はそのようなサウロにご自身を啓示することが出来た、と聖書は伝えているようであります。 後年、救われたサウロはパウロという名前に変えました。ローマ名でパウロという名前の意味は、「小さい」というんです。「大きくなろう。大きくなろう。」自分の力で必死に頑張ったあの青年サウロは結局、ステパノの祈りによって、主イエスの啓示によって救われ、パウロ、「小さい者」という名前に変えられたのであります。 ですから、パウロは次にように言いました。これはおそらくパウロが生涯かけて、福音伝道の中心に据えたのではないかと思うんですね。 もちろん、主の十字架と、復活と、再臨の約束は福音の中心です。しかし、その前後にパウロは必ず言ったと思います。「迫害する者を祝福しなさい祝福すべきであって、呪ってはいけません。」 正しく、ステパノのあの証しを通して、死を前にした、今際の際の祈りを通してパウロはその後の信仰者としての、おそらく自分の福音伝道の中心にこれを据えたに違いない。「迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって呪ってはいけません。」 私も、司会の兄弟と同じように、アルコールの末期症状の中で、何年にも渡って家内や子どもを迫害した者です。会社は首になる。経済的には逼迫する。社会生活は断絶される。友人関係はまったくなくなる。そして家の中では結局、暴れまわって家内や子どもを傷つける。暴力を振るう。 しかし、そのような地獄を通して、家内と娘が救われたんです。 それから3年間、家内と娘はこの迫害者の目を逃れては、集会の礼拝に来たそうです。その度に、当時は20年以上前の話ですから、ベックさんは毎週日曜日に集会にいて、家内を見つけると、抱きしめ、手を握って何と言ったかといいますと、「頑張れ。」とは言わないんです。 私の名前は茂夫といいまして、姉妹は待子というんですけども、「待子、茂夫をお願いします。」と。「お願いします。」と頭を下げるんですって。結局、迫害者のために、「お願いします。」ということです。 家内と娘は救われて、そしてベックさんのそのような態度とは、祈りです。「彼を赦してください。」という祈りです。主に対する祈りです。 結局、これが聞かれたから、家内と娘は私の前で謝ったんです。迫害者の前にですよ。これはパウロの言った、「迫害者を祝福しなさい。」という態度です。だから、結果として私は主の救いに与ることが出来た。 主の、イエス様の人を救う方法とは、この世の常識からかけ離れています。しかし、幸せな兄弟姉妹たちは、この人知を遥かに超えたステパノのような信仰の態度を取ることが出来ます。だかれ、サウロは後のパウロは救われたんです。 ステパノが青年サウロ、後のパウロの迫害にあって殺されたときの、あの今際の際の祈りとは、イエス様の十字架の祈りとまったく同じです。 ルカの福音書23:34
ルカの福音書23:46
試練と迫害にあうとき、理不尽な攻撃に晒されるとき、予期せぬ悲しい悲劇的なことに出会うとき、そのような攻撃の只中に晒された時こそ、あのイエス様の十字架の祈りがどうしても必要です。あのステパノの今際の際の祈りが、私たちにはどうしても必要です。 どうしてかというと、そのような祈りを祈れたときに、私たちは自由になるからです。私たちは解放されるからなんです。 そして、そのような祈りだけが迫害する者、私たち兄弟姉妹たちを、困難に追い詰める状況を通して、イエス様の証人となることが出来るからであります。 あのステパノを通して、イエス様の救いに与った青年サウロ、後のパウロは、イエス様の預言通り、地の果てまでの証人となりました。 初め、真の神の救いとは神の選びの民であったユダヤ人のためだけにありました。イエス様ははっきりそのことを言っています。しかし、神の選びの民から、異邦人に向かって福音がむけられたときに、サウロという青年、後のパウロはどうしても、証人として必要だったんです。 今に至るまで、聖書を通してパウロは世界一の伝道者でありましょう。あの凶器の迫害者サウロは、世界一の伝道者になった。全世界に地の果てまでに、異邦人伝道の主によって用いられる兄弟となりました。 そして、この偉大な主を宣べつたえるパウロを回心に導いたのはあのステパノの祈りであった、ということを聖書を通して私たちが知るときに、私たちは大いに勇気づけられます。 最後に二箇所読んで終わりましょう。 ローマ人への手紙12:14-15
これはパウロの歓呼の雄たけびと呼ばれているみことばですね。 ローマ人への手紙8:35-39
どうもありがとうございました。 |