1941年12月8日、日曜日の朝に日本の戦闘機350機が編隊を組んでアメリカのハワイの真珠湾を攻撃しました。歴史に生々しい真珠湾攻撃です。 この時、一番機に乗り込んで爆撃の指揮を取ったのが時の海軍大佐・キャプテン淵田満雄でした。 39歳の若き海軍大佐・キャプテン淵田は真珠湾攻撃をしたすぐその後にあの有名な電文を打ちますね。「トラトラトラ(我、奇襲に成功せり)」 指令部にいた山下奉文大将、南雲中将に宛てた有名な電文です。「我、奇襲に成功せり(トラトラトラ)」、そして、この真珠湾攻撃によって日米開戦の火蓋が切られました。 アメリカはこのことを引き金にして大戦に参戦したのであります。あの時、アメリカ合衆国の大統領ルーズベルトは何と言ったかというと「リメンバー・パールハーバー!」と言いました。このリメンバー・パールハーバーということばが一つのあい言葉となって、国論を一つにまとめて戦いに参戦したのであります。 この真珠湾攻撃から始まった第二次世界大戦は3年9ヶ月に及び、そして日本、ドイツ・イタリヤという3国の惨めな敗戦によって終止符を打たれました。 リメンバー・パールハーバー(あの真珠湾を決して忘れない)ということばに込められたものは悲しみと憎悪であります。静かで平和な生活を、何の予告もなしに破壊した日本軍による真珠湾攻撃を決して忘れないという憎しみによって、アメリカは一丸となって日本に勝利しました。 この真珠湾攻撃によって、一瞬にして2000名のアメリカ人が殺害されたと言われております。今でもあの撃沈された戦艦アリゾナには、この時死んだ死体がそのまま放置してあるそうです。理由はリメンバー・パールハーバーです。 燃料庫から漏れ出したオイルは今も流れ続けております。「黒い涙」と呼ばれているそうです。今でも珠湾に浮上し続けていると言われています。 あの2001年9月11日のアラブゲリラによる同時多発テロが起こったときに、アメリカのメディアは一斉に「リメンバー・パールハーバー」と報道しました。 あの時、真珠湾を奇襲攻撃して成功させた海軍大佐・淵田満雄はその時英雄でした。しかし、敗戦後、彼は一転して戦犯として犯罪人として償還されたのであります。 戦後の日本を統括したマッカーサー元帥率いるGHQに、すなわち、連合軍の総司令部に彼は何度も呼び出されました。しかし、なぜか彼は罪を免れるんですね。しかし、淵田満雄は東条英機らA級戦犯と同じように名もないB級、C級の戦犯を何の根拠もなしに処刑したあの極東裁判に憤りと不信を募らせます。 そして、激怒した淵田満雄は修羅のように憎しみの塊となって、あの裁判の結果、あるいはアメリカの不当で不正な捌きを告発する作業に没頭して行きます。 このような日々の中で彼はある日、アメリカの捕虜収容所から帰還した一人の日本兵から驚くべき事実を知らされます。アメリカのユタ州にある捕虜収容所に入れられていたこの日本人捕虜は、そこで働いていたアメリカ人の少女マーガレット・コベルについて淵田満雄に語りました。 彼女は非常に親切で献身的に、かっての敵国であった日本人の捕虜たちの世話をしてくれたということです。 彼女の両親は宣教師でした。そしてあの大戦が始まり、フィリピンで伝導していた彼女の両親はスパイ容疑で日本軍に逮捕され、有無を言わさず処刑されたそうです。 処刑されるときの様子はアメリカにいた娘のコベルに伝えられました。処刑される時にコベルの両親は、聖書を開いて祈りを持って死に向かったと伝えられたのであります。 マーガレット・コベルは無残な無実の死に際しても、聖書を開いてなお祈り得たあの両親の信仰に支えられて、敵国日本の捕虜に対して献身的な世話と奉仕に従事していたのです。 この事実を知ったとき、憎しみの塊だったかつての海軍大佐・淵田満雄は雷に打たれたような衝撃を受けました。 時を同じくして、彼は渋谷の駅頭で一枚のトラクトを手渡されます。このトラクトを渡したのはジェイコブ・デェシーザーというアメリカ人でした。 この時デェシーザーは宣教師として日本で伝導していました。 戦争中、彼はあの有名なドゥーリトル爆撃隊の兵士として、日本の爆撃に従事していたそうです。しかし、デェシーザーはなぜか日本爆撃の後に中国に不時着しました。そこで中国にまだいた日本軍に捕らえられて、彼は捕虜収容所に入れられたそうです。 このとき日本軍の捕虜収容所に入れられていたアメリカ人の捕虜は7名いたそう7です。そのうちの3名は処刑され、二人は餓死し、デェシーザーを含めた3人が命辛々解放されたそうです。 そのデェシーザーがどうして自分を悲惨な目に会わせた敵国日本でイエス・キリストを宣べ伝えているのか、一枚のトラクトを通してこの事実を知ったとき、キャプテン淵田はあのマーガレット・コベルのときと同じように震えが止まらなかったと回想しております。 マーガレット・コベルの証しを聞き、デェシーザーの伝道の姿を見たときから淵田満雄は聖書に没頭して行きます。 そして彼は一つのみことばよって救われました。それは彼が個人的にイエス様を体験するみことばでした。 ルカの福音書23:34
このみことばは、十字架に架かったイエス様が、ご自身を十字架に架けた目の前の大勢の人々だけではなく、全人類の罪を赦すために祈られた祈りであります。 淵田はこの祈りを通して、イエス様が自分の罪のために死んでくださったこと、さらにイエス様の流された血潮ゆえに、昨日までの悲しみも憎悪も惨めさもすべてが解放され、自由であることを体験しました。 これこそ淵田がイエス・キリストの十字架の死と蘇りを個人的に体験したのであります。 この十字架のイエス様の祈りによって、淵田は主イエス様の救いに与りました。そしてイエス様のこの十字架上の祈りこそ、あのマーガレット・コベルの両親が処刑を前にして聖書を開いた箇所であり、死を前にして祈り得た祈りであり、この祈りに支えられて娘コベルの献身的な奉仕があったとわかったのであります。 そしてこのイエス様の十字架上の祈りこそ、あのドゥーリトル爆撃隊の爆撃士だった ジェイコブ・ディシーザーをもってして敵国日本でイエス様を宣べ伝えることができる力になったとわかったのであります。 真珠湾攻撃から10年の後、48歳でイエス様に救われたキャプテン淵田は、その後10年間アメリカ全土で伝導しました。もちろんハワイにも行ってイエス様を宣べ伝えました。 彼の証しとは「私は主なる神、イエス様によって自分の罪を知りました。しかし、イエス様は私のその罪を、十字架の死をもって赦してくださいました。このイエス様の赦しを体験したことですべての不条理から、自分自身の力ではどうすることも出来ない悲しみから、憎しみから、惨めさから私は解放されました」。 彼のメッセージの中心はこれであったようであります。 淵田満雄兄弟は今から30年前に73歳で天に召されました。そして彼がその晩年に書き記した自叙伝が未完のまま残されております。 彼の自筆による原稿用紙2000枚に及ぶ自叙伝であります。彼はその本のタイトルに、「夏は近い」と書きました。そして著者名の上に「再臨信仰者淵田満雄」と書いたのであります。 イエス様の再臨をひたすら願う信仰者として、救われたキリスト者として、「夏は近い」と題した、まだ未完でありますけれども膨大な自叙伝を残したのであります。 「夏は近い」という題名は聖書に語られたイエス様のことばから取られております。 マルコの福音書13:26-29
「人の子が雲に乗って来る」と、ここでイエス様はご自身の再臨について約束されております。 そして主の再臨については、イエス様は父なる神だけが知っていると何度も言われたように、その時を明示されていません。 しかし、主の再臨の一つの兆候として、ここでイエス様ははっきりと言われております。 いちじくの木の枝が柔らかになって葉が出てくる時であります。意味はイスラエルの国家が再建された時です。 いちじくの木とはイスラエル国家の象徴です。枝が柔らかくなって葉が出てくるとイエス様は言われましたけど、それは「イスラエル国家が再び国を再建する」ということです。 神の選びの民と呼ばれるユダヤ人は、このイエス様が言われた時から2000年に亘って国を失い、追われ、流浪の民として世界中に散らされました。私たちは歴史の事実としてそれを知っています。しかし、ユダヤ人たちが再びあの失われた国に帰って来てイスラエル国家を再建する。そして、その後にイエス様は来られるとここではっきりと約束されております。 そのようにこれらの起こることを見たら、主が戸口まで近づいていると知りなさい。夏は近いのです。すなわち、イスラエル国家の再建が果たされたならば、主の再臨も間近いという約束であります。 紀元70年にティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムは陥落しました。約100万のユダヤ人がその時虐殺されました。そしてイスラエルは国家を失い、イスラエル国家は地上から消滅したのであります。 その後、2000年に亘るユダヤ人の放浪の歴史は、そのまま迫害と虐殺の歴史でありました。その最たるものはまだ記憶に生々しいあのヒットラーによるホロコーストです。 600万人と言われるユダヤ人が殺されました。第二次世界大戦の時であります。しかし、驚くべきことに聖書はこの主なる神ご自身の愛の対象、選びの民であるユダヤ人の迫害と虐殺の歴史をすでに予言しております。 申命記28:64-67
まさに2000年に亘る流浪の民、ユダヤ人の歴史についてモーセは今から3500年も前にこのように預言したのであります。 ホセヤも同じようなことを言っております。 ホセヤ書9:17
イエス様もまた言われました。 マタイの福音書23:37-38
主なる神によって選び出され、神の救いと愛の内に守られていたユダヤ人たちは神への従順を忘れた結果、すなわち主なる神に聞き従わなかったゆえに国を失い、世界中に散らされ、迫害と虐殺の長い時を生きなければならないと聖書ははっきりと預言しているのであります。 しかし、1948年の5月14日、第二次世界大戦が終結してまもなくユダヤ人たちは国を再建しました。 あのパレスチナの地に、かつて追われたと同じ乳と蜜の流れる大地シオンに、ユダヤ人たちはイスラエル国家を再建したのであります。この事実もまたイエス様がいちじくの木のたとえで言われただけでなく、 聖書の中に数多く、特に旧約聖書にはたくさん預言されております。 例えば、エゼキエルは「わたしはあなたがたを諸国の民の中から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。 イザヤは主は国々のために旗を上げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされたものたちを地の四隅から再び集められる。 この流浪の民、国家なきユダヤ人たちの国の再建を、現代人たちは奇跡と呼びますけれども、聖書は「主なる神の予言の成就である」と言います。神の救いの計画の一環であり、神の必然であると聖書ははっきりと言っているのであります。 イスラエルは今から58年前に聖書の約束どおりに国家を再建しました。 ですからイエス様が言われたように今は正に「夏は近い」主の再臨が近い時代であります。 イエス様はご自身が再び来られる時代のその兆候に対して、次のように予言されております。 マタイの福音書24:3-12
ここに主の再臨の予兆がイエス様によって語られています。 イエス様が再び来られるときを、人々は終末と呼びますけれども、正に終末の予告がここに書かれております。 ひと言で言うとさまざまなことがありますけれども、現代が終末であるという象徴はイエス様が言われたように多くの人の愛が冷たくなる、ということ実に集約されるのでないでしょうか。 イエス様が語られたように、今の時代は終わりの時代です。たとえば地球規模の環境破壊、温暖化に因る異常現象、経済効率優先と弱肉強食の論理の支配、戦争の多発とその不安、教育の荒廃と格差の蔓延など、社会的現象はこの地上、終わりの時代の現代を被っております。 しかし、その最たるものは、そのような中にあっていきる現代人の心は、愛は冷たくなっている。これがイエス様が言われた終わりの時代の特徴です。 人々の愛が冷たくなるということはどういうことかと言うと、人々は徹底した自己中心の生き方をします。そして他者に対してまったく無関心になって行きます。 国単位で、民族単位で、個人単位でこのことが今、世界に蔓延している。だから終わりの時代だと主は言われるのであります。現代は聖書が預言する終末の時代です。だから「イエス様の再臨が近い。正に主は近い。」のであります。 聖書が預言するイエス様の再臨とはどういうものでしょうか。 テサロニケ人への手紙第I、4:15
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。主は再臨されます。 それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 ここで語られているように、イエス様の再臨は初め空中再臨と言う形で、イエス様が空中まで降りて来られます。 英語でトランスレーション=生きたままの昇天、あるいはラプチュア=摘み上げられるというような意味です。 まず、イエス様が空中まで降りてこられた時に、すでに死んだキリスト者たちもみな蘇り、そして、そのとき地上に生きているクリスチャンたちも栄光の体に蘇させられていっぺんに天に引き上げられて、主とともに一堂に会するということです。そして「永遠の命をとこしえに生きる。」ということです。 この空中再臨については花婿イエス様との婚姻のときとも聖書は呼び、信じるものにとっては天国の始まりです。イエス様からいただいたよみがえりの命、永遠の命を生きる天国の始まりと言ってもいいでしょう。 終わりの時代に、どうしてイエス様は空中再臨されて、わたし達をみんな天に引き上げてしまうのでしょうか。すなわち空中再臨のイエス様の目的とは何なのでしょうか。 一つは信じる者たちがすべて天に引き上げられた空中再臨のあとで、この地上に大変な時代がやってくるからであります。 大艱難の時代といわれる悲惨を極めた悲劇が、この地上を7年間に亘って被うと聖書は言っております。壊滅的な天変地異が多発して、また疫病が蔓延してハルマゲドンへと導かれる多くの戦争が多発します。 この7年間に亘る悲惨な状況こそ、正に聖書のいう終末であります。そして、この7年間に亘る艱難の時から私たち信じる者たちを購うためにイエス様は私たちをまず天に引き上げてくれます。 主のこれが空中再臨の目的の一つであります。 ヨハネの黙示録4:1
「ここに上れ。」というイエス様のひと言によって空中再臨は成就します。 そしてこの後必ず起こることとは、7年に亘るかつて地上の人類が経験したことのない悲劇、すなわち大艱難の悲惨であります。この後ヨハネは、ヨハネの黙示録の6章以降で7つの封印の話、また、7つのラッパのたとえ、また、7つの鉢をぶちまけるという窮めて比喩的なそれも暗喩的な表現で、この地上を被う大艱難の時代の悲惨と悲劇について具体的に記しております。聖書を開いてみましょうか。 ヨハネの黙示録6:7-8
ヨハネの黙示録8:7-11
ヨハネの黙示録16:2-3
ヨハネは、ヨハネの黙示録6章以降でこの大艱難の7年について多く書き記しております。別の箇所で人類の三分の一を殺すために、2億の軍隊が編成されたともとヨハネの黙示録の中に書かれております。 当時全世界の人口は一億もなかったそうです。しかし、聖書はそのような時代にあって、二億の軍隊がエルサレムを攻めてくると書いたのであります。 そして一瞬にして世界の人口の三分の一が死ぬと、当時のあの貧弱な武器ではとても考えられない殺戮の事実も預言しております。 しかし、中国はもう十数年前に2億の軍隊を組織しました。現代の核兵器を持ってすれば世界の人口の3分の一を一瞬にして殺戮することは可能であります。 ヨハネは窮めて比喩的なたとえで、このような恐ろしい事実を書いておりますけれども、言っている中身は事実であります。必ず起こることであります。 この時代にあって、人々はあまりの苦しさゆえに死を願います。すなわち、人々は自殺しようとしますけれども、主なる神はそれをも許さない、とはっきりヨハネの黙示録には書かれております。 全地を死んだ人の血が被い、その血は洪水のようになり、そして馬に乗った人の馬のくつわほどに届くほどになった、ともヨハネは書いております。 主の空中再臨の目的の一つは、今述べたような大艱難の地上の悲惨から信じる者たちを先に救い出すためであり、そして信じるものにとってそれはそのまま天国の初めであります。そして、その時、地上に残された未信者にとっては主なる神の苛烈なご臨在の証しであります。 携挙の後の地上は今言ったように反キリスト、にせ預言者と呼ばれる人々が一つの大勢力を結集して、主なる神に敵対し続けます。 すなわち、悪が地上を被います。それに対して、この大艱難の7年においては主なる神は徹底して彼らと戦います。すなわち、「悪魔」と「主なる神」との戦いが7年間に亘って繰り返されます。 主なる神は悪魔に最終的な勝利をするために、その攻撃の手を緩めません。そして、その悲劇は苛烈を窮め徹底しているとヨハネの黙示録は記しております それから空中再臨のもう一つの目的とは、主なる神に救われ、愛され、主なる神御自身の瞳とまで言われて守られたユダヤ人たちの救いであります。 彼らはイエス様を十字架に架けて殺しました。徹底して主なる神の言うことを聞かないうなじの強い民となりました。2000年に亘る迫害と虐殺の歴史を通してもまだ主なる神を、イエス様を信じようとしません。 結局、主はこの大艱難の7年を通して、選民であるユダヤ人を救うと聖書ははっきりと記しております。 ヨハネの黙示録7:3
ユダヤ人たち ヨハネの黙示録7:3-4
そして、この艱難の時代にイエス様の救いに与ったユダヤ人たちは、この時代にあって主を証しし続けます。すなわち、福音を宣べ伝えます。 その結果について多くのユダヤ人だけではなく、多くの異邦人もまた、この悲惨な時代を通して救われたと聖書は記しております。 ヨハネの黙示録7:9
艱難の時を通して、選びの民ユダヤ人たちは主の救いの計画通り、約束通り救われます。 主なる神の救いの成就は、主なる神の必然であり、計画の一環であります。 ヨエル書、ゼカリヤ書には、次のように表現されております。 ヨエル書2:32
ゼカリヤ書13:8
ユダヤ人 ゼカリヤ書13:8-9
空中再臨の後の大艱難の7年はユダヤ人たちの救いのためであります。どうしてユダヤ人を救うか、と言うと、永遠の昔に主は約束されたからであります。 そして、この大艱難の7年の終わりに主は再び再臨されます。今度は空中ではなく、ご自身が自らその御足をこの地上に着けられます。 使徒の働き1:11-12
主の公の再臨とは、イエス様が主の主として、王の王として、この大艱難の7年に、荒れ果てた地上に神の国を創るために来られます。そして、このイエス様が地上に創られる神の国の中心を成すものは、あの大艱難の7年の間に救われたユダヤ人たちであります。 千年王国というこの王国の中心は間違いなくユダヤ人たちであります。 そのために主は空中再臨の後の大艱難を通してユダヤ人たちをも救い出した。これもまた目的の一つであります。 ヨハネの黙示録14:1
オリーブ山の上に主は立たれました。 ヨハネの黙示録14:1
と、聖書は記しております。公に再臨されたイエス様は千年王国を地上に建て上げられるためにシオンの山、オリーブ山に立たれました。 そのとき十四万四千人のユダヤ人たちもともにいたのであります。あの大艱難の時代にあって、イエス様の福音によって救われた十四万四千人のユダヤ人たちは、千年王国の初穂となりました。 そしてその千年王国については主は次のように書いております。 ヨハネの黙示録20:4
地上に神の国、千年王国が建て上げられ、それを統治、支配する十四万四千人のユダヤ人たちと、あの艱難の時代に殉教の死を遂げた信じる者たちもみな復活して、統治に加わると聖書ははっきりと約束しております。 イエス様の空中再臨とは、信じる者たちにとっての正に天国の始まりであり、そのとき「残りの者」と呼ばれる神の選びの民、ユダヤ人にとっては艱難の7年を通して、イエス・キリストの救いに与り、そして主なる神の計画通り、この地上に主とともに千年王国を建て上げる始まりであります この千年王国の後に天と地は滅び去り、新しい天と地が創造されると聖書ははっきりと断言しているのであります。 旧約聖書にはイエス様の初臨、すなわち、降誕についての預言は300以上書かれていますけれども、主が「再び来られる」という約束は実に500以上書記されていると言われます。 そして、聖書が神の救いの計画表ならば、今の時代は正に主なる神の救いの計画の最終段階であります。エピローグに入っていると言ってもいいでしょう。 なぜならば主の再臨が近いからです。 淵田満雄兄弟は未完の自叙伝に「夏は近い」と題しました。「イエス様の再臨は近い。」という意味です。そして自らの著者名の上に「再臨信仰者」と書きました。 今の時代にあって主の再臨を祈り、待ち望むものは私たちを含めて、多くの信じる者たちの希望の生活であります。 そしてペテロは次のように言いました。 ペテロの手紙第II、3:8-9
再臨が間近に迫った今の時代にあって、私たちは主にその再臨を願いますけれども同時にそのような時代だからこそ、一人でも多くの人が早く救われる必要があると、ペテロはここで手紙に書いております。 私たち、救われた信仰者ひとり一人に何を成すべきかを強く問いかけた手紙がイエス様から届いている。これが今の時代の特徴でしょう。 私たちのまだ救われてない家族、友人、知人、また身近な愛する人々の救いについて、私たちはどのようにしているか、ということを厳しく問われる時代でもあります。 一人でも滅びずと主は再臨の前に願っておられます。 どうして主は再臨の前にこのような手紙を私たちに突きつけるかと言うと、千年王国が終わり、新天、新地に移される前に、すべての未信者、主を信じない者は主の前に立たされます。 死んだ未信者は復活させられて、主の前に立たされます。そしてこの最後の審判を通して、イエス様を信じない者たちはみな、永遠の滅び、今はまだできていないその時できるであろう地獄の火の池に投げ込まれるからであります。 救世軍のブース将軍は、若き伝道者たちに向かってこう言いました、「もし、ほんとうにイエス様を宣べ伝えたいならば、一度あの地獄の光景をみてくるとよい。」 そのように恐ろしい最後の審判がイエス様を頑なに拒否する人々の上には待っている、と聖書ははっきりと約束しているのであります。 最後にヨハネの黙示録の22章、聖書の最後のページから何箇所かお読みして終わりましょう。 ヨハネの黙示録22:7
ヨハネの黙示録22:12
ヨハネの黙示録22:16-17
ヨハネの黙示録22:20
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