引用聖句:ピレモンへの手紙1章15節-18節
地の果てに住む者は、預言者イザヤによれば不安と恐怖に怯える者であります。その意味する所は不満足と無関心です。 満ち足りることを全く知らない心と、他者への関心を全く失った愛のない人間を、聖書は地の果ての者と言い、自己中心の固まりです。 そのような人間を、地の果てに住む者と聖書は言うのであります。 モーセは今から3,600年前、イザヤは今から2,700年前に生きた信仰の先輩でありますが、彼らの言う地の果てに住む者とは、なんと現代人を表しているのではないでしょうか。今の時代とそこに生きる我々は、モーセやイザヤの預言どおりの存在なのではないでしょうか。 そして聖書によると、地の果てとは神から遠く離れた世界であり、神を必要としない人生であり、聖書が罪と呼ぶ世界であります。 また聖書によれば、地の果ての者とは、神なしで生きている人間の孤独と断絶を象徴しています。イエス様はかつて、そのような人を指して、失われた人と呼びました。 聖書は、そのような人々を罪人と呼びます。まさに、地の果ての者として、失われた人としてオネシモはパウロと出会いました。 しかし、このことは偶然ではないと聖書は言います。神の救いの計画から言えば必然でした。 孤独と絶望に打ち震える逃亡者、憐れむべき死刑囚、惨めな奴隷、オネシモ。この失われた魂の前に主なる神は、イエス様は、パウロを備えたのであります。偶然ではなく、主なる神の必然としてであります。なぜでしょうか? 聖書は、オネシモを救うためだと言います。なぜならば、神は救う方であり、「主は救う」と名付けられたイエス様によって、先に救われたパウロが、まずオネシモを救う神の必然として、先にローマの獄中に閉じ込められたのであります。 パウロは、歩く福音と言われた人です。偉大な聖書学者であり、おそらく今に至るまで世界一の伝道者と言ってもいいのではないかと思われます。 イエス・キリストの使徒として、福音を全世界に宣べ伝える使命を与えられた主の用いられる器でした。 しかし歩く福音パウロは、その晩年において牢獄に繋がれました。パウロの人生において刑務所生活は7年にわたっております。 パウロは、その晩年にローマの刑務所に閉じ込められました。これは、どういうことなのでしょうか。 私たち人間の思いでは、主の用いられる器の使徒パ迂路は、自由に世界を飛び回って、一人でも多くの人々に福音を伝えるのが神の目的だと思われます。しかし、パウロは、その自由を奪われて、牢獄に幽閉されました。 このことについて、ベック兄に聞いたことがあります。ベック兄の答えは、もしかすると、パウロが刑務所に入れられたのは、たった一人の人のため、あの奴隷オネシモを救うためだったかもしれないねと言われました。 もしそうであるなら、私たちはここに神の愛を、イエス様の愛をはっきりと見ることができます。 なぜならば、ひとりの失われた人が救われることは、父なる神にとっては、全世界を手に入れるよりも尊いからであると、イエス様はおっしゃるからであります。 パウロは、ローマ皇帝ネロによって捕らえられたのではないと言います。彼は神によって牢獄に閉じ込められたのだとはっきりとここで断言しています。 ですから、このピレモンへの手紙の第一行目に書かれています。 ピレモンへの手紙1:1
「キリスト・イエスの囚人であるパウロ」と彼は高らかに誇らしく書いたのであります。 救いとはなんでしょうか。一言で言うなら、神の恵みのことです。それでは、神の恵みとはどこから来るのでしょうか。神の恵みは、人を憐れむ神の心からもたらされます。 主なる神が、「かわいそう。」と思われた人は、すぐに主なる神の救いの計画の中に入れられます。 いつも、主なる神の側から一方的にもたらされます。人が苦しみうめくとき、人が悲しみに泣くとき、病いや不幸が人を捕えて離さない時、絶望と孤独に人が打ちひしがれる時、その人を見て、主なる神の心から憐れみが溢れ出ます。 慈しみがこぼれてくるのであります。 そしてその時、神はその人を捜し求め、尋ね出されるのだと聖書は言います。 申命記32:10-12
「彼」とは、失われた人のことです。主を必要とする人々です。 ご自分のひとみのようにと言うのは、主なる神にとって、最も大切なものと言う意味であります。 エゼキエル34:11-12、15-16
イエス様もかつて、私が来たのは失われた人を探して救うために来たのですとおっしゃいました。イエス様の約束の預言が、申命記とエゼキエル書に書かれているのであります。 パウロは、主なる神、ご自身による救い、この一方的な主なる神の憐れみ、恵みについて、ローマ人への手紙の中で次のように書きました。 ローマ人への手紙9:15-16
神は、人を救うことにおいて、人間の側の行いについては何一つ要求しません。 善行、修行、そのようなものは一切要求されませんし、期待もされません。理性や知性も拒否されます。人間の側の愛情すら拒まれます。 ただ、神の憐れみによって、恵みによって人は救われるのだと聖書は言うのであります。 エペソ人への手紙2:1、3-5
ただ恵みによるのです。試練の中にある年老いた一人の伝道者パウロと、絶望に打ちひしがれた一人の奴隷オネシモがローマの刑務所の中で出会ったことは、神の恵みそのものでありました。 パウロとオネシモの出会いは、その結果として、オネシモの救いとして結実しました。 オネシモはパウロを通して、イエス・キリストの救いに預かりました。だから、ピレモンへのの手紙10節にあります。 ピレモンへの手紙1:10
「獄中で生んだわが子オネシモ」とパウロは書いたのです。オネシモはパウロを通して福音を聞いて救われました。オネシモは、パウロの内に満ちあふれる聖霊を通して、主イエス・キリストに出会い、その永遠の命を個人的に体験したのであります。 イエス様に救われ、イエス様の救いを個人的に体験した者は、その救いの結果として、神の子とされます。ですから、パウロは、オネシモについて、わが子と呼び、すなわち神の子とされた者として、オネシモを兄弟とも呼んだのであります。 ガラテヤ人への手紙4:6-7
ヘブル人への手紙2:11-12
聖とする方すなわちイエス様、聖とされる者すなわち救われた信じる者たちは、イエス・キリストの贖い、十字架の死によって、神の子供とされたので、イエス様は、そのような者たちを兄弟と呼ぶのだと聖書は書きます。 だからピレモンへの手紙、16節で次のように書きました。 ピレモンへの手紙1:16
パウロを通してイエス様の救いを、すなわち主なるイエス様の愛と赦しを体験した奴隷オネシモは、結果としてどのような者に変えられたのでしょうか。 答えは、ピレモンへの手紙1章11節に書かれています。 ピレモンへの手紙1:11
主人ピレモンに反逆し逃亡したオネシモは犯罪者であり、この世の敗北者であり、結果死刑囚でした。しかし彼は、主イエスに救われた者として新生した神の子とされ、イエス・キリストの兄弟とされました。 それだけではなく、ここで、役に立つ者とされたと手紙は書きます。 役に立つ者にされると言う意味は、主イエスに用いられる器とされることを言います。考えられない神の祝福であります。 聖書は、イエス様の救いに預かった者はみな、役に立つ者であると言うのであります。 礼拝で、日々の歌170番を歌いました。あの原題は、Amazing Grace(アメージング・グレース)と言う賛美歌であります。アメージング・グレース。驚くべき神の恩寵と言う意味です。 恩寵とは、神の恵みと慈しみと言う意味です。一般的には、驚くばかりの神の恵みと呼ばれております。 あの賛美歌は、今から250年前に、イギリスの牧師だったジョン・ニュートンによって作詞され、アメリカの古い歌と一緒になって歌われるようになりました。 あのジョン・ニュートンとは、救われる前は、考えられないほどひどい男でした。彼は奴隷商人だったのです。奴隷船の船長でもありました。若い頃の彼は、屈強な海の男であり、荒くれ者でした。 アレキサンダー大王とジュリアス・シーザーが彼の理想の人だったそうです。やがて、あの海の男は奴隷商人となり、自ら奴隷船を買って、西アフリカまで行って、奴隷達を買い付けました。 それから大西洋をはるばる渡って、買い付けた奴隷をアメリカで売り飛ばしたのであります。 一回の航海で、だいたい200人から300人の奴隷を、西アフリカからアメリカに運んだと言われています。 船底には、立錐の余地もなく奴隷が積み込まれたと彼は、後に語っています。金儲けのためには、何も恥じることがないこの卑劣な男を、父なる神は、救い出します。 ある航海の時、1748年3月21日、暴風雨が来て、船は難破寸前になります。恐怖と絶望と死の予感の中で、ジョン・ニュートンは、父なる神に立ち返ることができました。 そして、悔い改めてイエス様の救いに預かった彼は、福音を伝える者として、イエス・キリストを宣べ伝える者に変えられました。彼は牧師となったのであります。 彼の作詞したアメージング・グレースは次のように賛美します。それは、彼の救いの証しでもあります。聖歌が原題に近いので、聖歌の229番の歌詞からとります。 驚くばかりの恵みなりき この身の汚れをひれるわれに 恵みは、我が身の恐れを消し まかする心を起こさせたり 危険をも罠をも避けたるは 恵みの御業と言うほかなし 御国につく朝、いよいよ高く み神の恵みを讃えまつらん 彼は、父なる神を賛美する者へと帰られました。このジョン・ニュートンの作詞したアメージング・グレースは、彼がアメリカに売り飛ばした黒人奴隷の子孫たちによって歌い継がれていきました。 あの奴隷の子孫たちは、アメリカで迫害の中にあったからです。家畜以下の存在でありました。あの奴隷の子孫たちは、苦しいとき、悲しいとき、悩むとき、泣くとき、いつもこのアメージング・グレースを歌いました。 そして代々受け継がれていったこの歌は、福音そのものとして、あの黒人奴隷たちの子孫たちを主なる神の救いへと導いたのであります。アメリカにおける聖歌伝道の画期的な聖歌であります。 ジョン・ニュートンは、この事実を知ることなく天に召されましたけど、彼は、まさに役に立つ者と変えられたのであります。驚くばかりの恵みと言わざるを得ません。 逃亡者であり、犯罪者であり、死刑囚であったオネシモは、役に立つ者として自由へと解放されました。 パウロが書いた自分の主人ピレモンに宛てて書いた短い1通の手紙を持って、コロサイにあるピレモンの家へ帰るのであります。 そして、ピレモンへの手紙の1章18−19節。 ピレモンへの手紙1:18-19
ここに明記されたこと。この一文、このパウロの約束こそ、オネシモにとって希望の旅立ちを与えるものでした。 なぜならば、このパウロの約束の事実を通してオネシモは、イエス・キリストが、自分自身の罪の故に十字架にかかって死んでくださり、神の赦しと愛の真実を、彼に与えてくれたことがよくわかったからであります。 人が自分の力では決して清算できない罪の負債を、すべて肩代わりして負ってくださり、十字架上で死ぬことによって、すべて支払ってくださり、罪の束縛から滅びから自由へと解き放してくださったイエス様の新しい命を、オネシモは、生きるようになりました。 コロサイ人への手紙2:13-14
ガラテヤ人への手紙2:20
これらの御言葉を、オネシモは自分のものにすることができました。そして、これらの御言葉をしっかり握りしめて、オネシモはピレモンの家へと帰って行きました。 ピレモンへの手紙が書かれたあの時代は、すなわち初代教会の時代の信者の8割から、9割は奴隷だったそうです。 その時代にあっては、奴隷の子はそのまま奴隷にされました。さらに親が借金をしたまま死ぬと、その子供もまた奴隷として売られたそうであります。不幸が不幸を生む時代でした。 しかし、多くの奴隷を持つ主人が救われると、その主人の回心を通して、奴隷たちも救いの導かれることが多くあったと言われています。 オネシモがパウロの手紙を携えて帰るピレモンの家は、この時代において、家の教会として解放された福音を伝える場所でした。オネシモは、そこにピレモンの手紙をもって帰って行くのであります。 全く役に立たなかった者が、役に立つ者としてであります。ちなみに、オネシモの名前の意味は、ギリシャ語で役に立つ者と言う意味だそうであります。 この手紙でパウロは、オネシモのことを、彼は私の心そのものですと、書いています。そして、このパウロの思いこそが、あのダマスコへの途上で、パウロを救い出しイエス様の心を満たしている思いそのものであります。 イエス様は、今日もまた、私たち一人一人の名前を呼んで、一人一人に対して、私の心そのものですと、父なる神にとりなしの祈りをしていてくださいます。 このたった25節からなる短いピレモンへの手紙は、今の時代、私たち一人一人に、届けられた手紙であります。 |