引用聖句:詩篇23篇1節-6節
ピリピ人への手紙3:20-21
今、読まれた詩篇の23篇は、今から3,000年前に当時の世界を治めた、イスラエルのダビデという王様が書かれた詩であります。 ここで主と書かれいるいる言葉は、イエス・キリストと置き換えてもよろしいでしょう。 「主は私の羊飼い、だから、私は乏しいことがない。」この聖句で始まる詩篇23編は、あの9月11日にニューヨークを襲った同時多発テロの事件の後に開いた記者会見で、ブッシュ大統領がこの全部を読んだみことばであります。 ブッシュ大統領はあの事件が起きた時、不安と恐怖に駆られたにに違いない。どうしていいか、さっぱり分からなかったに違いない。 彼は救われたクリしチャンとして、信じるものとして、このみことばを握って離さなかったのであります。ですから記者会見で、『私は恐れません、たとえ、死の陰の谷をを歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません』と、このみことばに拠り頼んだのであります。 イエス様を信じているものは、聖書全編を全く分からなくても、この詩篇23篇を握り締めれば(自分のものにすれば)、この地上の歩みは間違いなく元気なものになります。 何があったにしても、それをはるかに超えてこの地上の生活を健やかに元気に歩むことができます。 あの同時多発テロは、どうしてハイジャックされた飛行機が、あの世界貿易センターに激突するとという悲劇的な事件として起こったのでしょうか。あの貿易センタービルは、恐らく世界一の強国、アメリカの富と繁栄の象徴であるから襲撃されたのでしょうか。いまや世界で一人勝ちの、アメリカの金融市場のシンボルだから襲撃されたのでしょうか。 恐らく、それもあるでしょう。しかしそれは表面上のことです。あの世界貿易センターは、ロックフェラー財団の所有であります。 今から20年前、ロックフェラー財団(ロックフェラー一族)の富は、アメリカのGDP(国内総生産)の50%をはるかに超えていました。当時の日本のGDPを二倍以上凌いでいたと記録にあります。 そして、あの世界貿易センターを所有しているロックフェラー一族(ロックフェラー財団)はユダヤ人です。 結局、ロックフェラー一族にに対する攻撃というよりも、ユダヤ人に対するアラブ人の攻撃と言ってもいいでしょう。 ロックフェラーがいかにアメリカの経済を支配しているか、数値を挙げてみますと、アメリカの10大企業の内の6社、10大銀行の内の6行、18保険会社の6社、それから、世界を支配する5大穀物メジャーの内、3社をあのロックフェラーは支配下に持っております。 世界を股に架けた多国籍企業は今や、200社以上と言われています。 皆さん、よくご存知の石油のエプソン、テキサコ、スタンダードもロックフェラーのものです。フォードもGMもクライスラーもロックフェラー一族のものです。 コンピューターで言えば、IBM、GM、USチーフもそうです。アメリカの二大銀行、ファーストナショナルシティ銀行、チェースマンハッタン銀行、これもみんなロックフェラーのものです。 結局、ロックフェラー一族というユダヤ人によって、アメリカは支配されていると言ってもいいでしょう。さらにアメリカのマスメディアもまた、ユダヤ資本、すなわちユダヤ人の完全な支配下にあります。 余談になりますが、ちょっと象徴的な話があります。あのロックフェラー財閥の本拠地は、ニューヨークのロックフェラーセンターという、広大な敷地にその本舗を置いております。あそこの番地は666番地です。 意識してしたのか、偶然なのか分かりませんが、666番地とは、聖書によると限りなき神に近い力を持った悪魔の数字です。獣とか反キリストと、ヨハネの黙示録の中でヨハネが詠んだ数字です。 要するに、この世の支配者の象徴であります。あのアメリカ一のユダヤ財閥、ロックフェラーは666番地にその本拠地を置いてあるというのも、象徴的な事実であります。 どうして、アラブ人はあのアメリカの世界貿易センターを爆破したのでありましょうか。結局、それはアメリカがユダヤ国家である。その象徴である。だから、アラブはアメリカを襲ったのです。ユダヤを襲った、イスラエルを襲ったということであります。 アメリカの国防の三つの柱が、一つは国防総省ペンタゴンですね。これも襲われました。もう一つはFBI、アメリカ連邦捜査官と呼ばれています。もう一つは、CIA(アメリカ中央情報局)です。 CIAの年間予算は恐らく、五千億から一兆円使っているみたいですけど、CIAが最も中核をなすものが、通信傍受システムです。世界中の情報を全部集めることができます。 この通信傍受システムの名前がエシュロンといいます。エシュロンという名前は、旧約聖書の中に度々出てくる名前です。エルサレムの別名です。 万物の創造主なる神は、あの旧約聖書の中で、ご自身の愛したユダヤ人、イスラエル人の住む都エルサレムを呼ぶ時に、エシュロンと呼ぶんですね。とろけるような愛の表現です。 エルサレムちゃーんと、親が可愛くて可愛くてしょうがない自分の自分の子供を呼ぶ時のような呼び方です。 しかしアメリカのCIAは、あの通信傍受システムにエシュロンと名付けました。アメリカがいかにユダヤ人に支配されているかということの、一つのシンボリックな事実であります。 世界一の超大国アメリカは、ユダヤ国家だから、アラブは攻撃したんです。NHKの顔として有名なニュースキャスターで、国際ジャーナリストの磯村尚徳さんは著書の中でアメリカはユダヤの植民地ではないかとまで書いております。 ある人が、今回の事件はパレスチナ紛争のグローバル化だと言ったことがあります。パレスチナ人とユダヤ人の、あのイスラエル周辺における長年続いている紛争が、アメリカに舞台を移して国際化したという言い方でしょう。 結局、今回の事件はアラブ民族(アラブ国家)と、ユダヤ民族(イスラエル)との戦いの構図が世界を世界を舞台にして始まったいうことが出来ます。 あのハイジャックの黒幕と言われる、ウサマ・ビンラディンは次のように言っていますね。「我々は、ユダヤ人とユダヤ人に味方するものには、必ず勝利する。どんな犠牲を払っても勝つ!それはイスラム(アラブ民族)のすべての原点である。」と、何度も何度も繰り返しています。 なぜ、アラブ民族はユダヤ民族と敵対し続け、争いを繰り返すのでしょうか。 今のイスラエルというのは、僅か四国ぐらいのところです。あそこに長年(千何百年)パレスチナ人が住んでしました。しかし、第二次大戦が終わった後に、ユダヤ人はパレスチナ人を追い出して、あそこに今のイスラエル国家を建ててしまったんです。 あそこにいるアラブ人はそんなに数は多くないんです。アラブがイスラムという一つの歴史や、一つの宗教で一つになって、兄弟愛を示すならば、あそこでユダヤ人に苛められている同胞を、例えば、サウジアラビヤは自分の国に引き取ればいいんです。 あのパキスタンだって、アフガニスタンの難民を200万人、引き取っています。 しかし、国連が入ろうが、アメリカが仲裁しようが、あのパレスチナ紛争は未だに解決しましん。どうしてかというと、結局あのイスラエル、今のユダヤ国家は、万物の創造主なる神がユダヤ人に与えた土地だからです。 歴史の転変の中で、しばrくの間、パレスチナ人が住みましたけれども、あれは神様がユダヤ人にあげた土地だからなんです。常識では考えらない紛争が、どうして続くんでしょうか。 聖書はその答えを出しております。アラブとユダヤはなぜ敵対し続けのか。世界の叡智が関与しても、どうして争いが止まないのか。 創世記16:1-2
創世記16:11-12
創世記17:17、19
ここで語られているのは、アブラム(後のアブラハム)とその妻サライに子どもが生まれたということです。 アブラハムとその妻サラは神さまによって、必ず男の子を授かるという約束をいただきました。 しかし、70を過ぎても、80を過ぎても、二人には子どもができませんでした。結局。彼らは神さまの約束を疑ったんです。そして、とうとう待ちきれなくなった妻のサラ(サライ)は、女奴隷に子どもを産んでいいよと、進言したんですね。 そして、夫のアブラムは妻の助言を聞き入れて、女奴隷のハガルに子どもを産みました。それがイシュマエルであります。そのイシュマエルが、今のアラブ人の祖先となりました。 コーランを書いたモハメッド(起原00年頃に生まれた)は、「私はイシュマエルの子孫です。」と、はっきり書いております。 また、10年前に湾岸戦争を起こした、イラクのフセインは、「私はモハメッドの子孫です。」、と言っています。 結局聖書は、アラブ国家を支配しているアラブ人たちの祖先は、アブラハムが女奴隷ハガルに産んだ、イシュマエルから出ているとということです。 しかし、それから十数年経って、アブラハムが百歳になり、サライが90歳になった時、子どもを与えた。神さまは約束通りサライに男の子を産ませました。それがイサクです。 そのイサクが、今のユダヤ人の祖先となりました。アブラハム、イサク、ヤコブと続くユダヤ人たちの祖先となったのであります。 アラブ人とユダヤ人は同じ父親、アブラハムから生まれた兄弟であります。 しかし、聖書は16章、12節の最後に、「彼は(アラブ人の祖先であるイシュマエルは)、すべとの兄弟に、イサクの祖先である、ユダヤ人に対して敵対して住もう。この戦いは永遠に続く。」と、父なる神はここで、はっきりと記しております。 結局、アラブ人とユダヤ人の戦いは、今から4,000年前に、父なる神によってすでに定められていた事実であります。 このアラブ人とユダヤ人たちの戦いの先に、聖書は恐ろしい最後の戦いがあると、はっきり言っているんですね。 それは第三次世界大戦とも呼ばれ、あるいは終末戦争とも呼ばれ、聖書はハルマゲドンの戦いと呼びます。このアラブ人とユダヤ人の世界を巻き込んだ戦争が発端となって、ハルマゲドンの戦いに進むと聖書は言っているんですね。 ハルマゲドンという場所はイスラエルの側にあるメインドという所にあります。そこで、最終戦争が勃発する。 そして、私たち聖書を信じる者は、今回のあのニューヨークの、あの悲惨な事件はある意味で終末戦争の発端である、プロローグであると感じることができます。 あれは正に悲劇的な事件です。イエス様を知らない人々にとっては、この先どうなってしまうんだろうという、絶望的な事件であるかも知れない。 しかし、聖書を信じ、主のご計画を知っている私たちにとっては、一つの希望です。なぜならば、あの終末戦争に人類が進んで行く時に初めて、主イエスキリストの再臨があると、聖書は約束しているからなんですね。 あの11日のテロの翌日、一人の姉妹から電話がありました。 まだ若い姉妹ですけど、彼女はイエス様を信じる前、この世の人生に若くして絶望して、飛び降り自殺をしたんですね。命は助かったんですけど、下半身が全くダメになってしまった、ずっと車椅子の生活です。しかし、彼女はあの事件を見た時に、すぐに電話をかけたんですね。 「元気になる!」どうしてかというと、主は近い、イエス様の再臨は、間違いなく近づいていると彼女は分かったからなんです。 もう、彼女は自分のことを考えることを止めました。一週間の間に方々の老人ホームやそういう施設を訪ね、主を賛美させてくださいと言ったんですね。彼女はバイオリンが非常に上手なんです。 二箇所の老人ホームに受け入れらて、主を賛美しました。曲は「キリストにはかえられません」、全曲電話の向こうで演奏してくれました。 悲劇的な事件ですけど、信じる者にとっては希望の始まりと言ってもいいでしょう。主が再び来られる、主の再臨が近いからであります。 聖書とは神の予表、すなわち、神に救いの計画表です。そして、聖書に書いてある神の救いのご計画は一つ一つ実現されました。 例えば、神のひとり子であるイエス様の初臨、すなわちイエス様がこの地上にお生まれになったという降誕の預言は旧約聖書に300回以上出てきます。 そして、今から二千年前に預言どおりにイスラエルのベツレヘムでお生まれになりました。イザヤはイエス様の降誕を細かく預言したんですね。 例えば、イザヤはイエス様は悪者と共ともに、その死が設けられると預言しましたけれども、預言通りにイエス様は二人の犯罪者と共に十字架に架けられて死にました。 また、イザヤは彼の墓、イエス様の墓は富むものと共に葬られると書きましたけれども、イエス様の墓はその預言通り、ハリマタのヨセフという金持ちの墓に葬られたんであります。 そして、イエス様はあの十字架に死なれた後、3日後に主なる神の約束通り、また、何度も何度も約束したように死を克服して、復活されました。みんな、これらは旧約聖書に預言され、約束された事実の成就であります。 そして、聖書に預言され、未だに実現されていない最後に残された主なる神の救いの計画の一つが、イエス様の再臨であります。 再臨とは、あの十字架で私たち一人一人のために死なれ、3日後に復活され、そして、甦りの肉体をもって40日間、その愛するものたちに現れ、そして昇天されたイエス様が再びこの地上にやって来るという約束であります。 マタイの福音書24:32-33
いちじくの木とはユダヤ人の国のシンボルです。イスラエル国家そのものであります。枝が柔らかくなって、葉が出ると言う表現はイスラエル国家の再建を意味します。 そして、イスラエル国家が再建されたら人の子が、すなわちイエス様ご自身がが戸口まで近づいている、私の再臨は近い、私は間もなくあなたがたのところにやってくるという約束であります。 ユダヤ人たちの、歴史を見れば分かります。今から2,000年前、紀元70年に時のローマ皇帝によって、ユダヤ国家は完全に滅ぼされました。イエス様はエルサレムに入ったときに、「エルサレム、ああ、エルサレム」と泣いたんです。結局これは、ユダヤ国家の滅亡を預言した悲しみでした。 そして、イエス様が泣かれた通りに、紀元70年にユダヤは時のローマ皇帝によって滅ぼされたんですね。 あの時、ユダヤ人たちは主にエジプトに奴隷として売られたんです。しかし、彼らは非常に人口が増えまして、奴隷としての価値が全くなくなってしまいました。 それから、彼らは世界中に散って行きました。 ヨーロッパに散って行ったユダヤ人たちは、多くのところで、ゲットーというところに閉じ込められ、豚のような生活をしていました。2,000千年に亘る国家なき民と、流浪の民として、ユダヤ人たちは放浪を重ねました。 ヒットラーはホロコーストという大虐殺をユダヤ人に仕掛けましたね。七百万人のユダヤ人が殺されたと言われています。 しかし、その放浪の果てに1948年5月4日、第二次世界大戦が終了した直後に、ユダヤ人たちはあの場所、神さまが約束した土地に国家を再建したんです。現代の奇跡を言われています。 ある人たちは「いや、あれはルーズベルトのお陰だよ。」と言っています。連合軍を勝利に導いたのは、アメリカの大統領ルーズベルトでした。かれはユダヤ人であります。 いろんなファクターで現代の奇跡と言われている、イスラエルの再建はなりました。しかし、聖書は私の愛するユダヤ人を、あそこに住まわせるとはっきり約束している訳です。 イエス様ご自身が、旧約の預言者共々に、また再び私が来る前に、ユダヤ人たちは乳と蜜の流れる大地、あのイスラエルに帰って来て国を再建すると、約束していることだから、ユダヤ人たちはあそこに国を建てることができたのであります。 イスラエルが再建されると、主の再臨が近いと聖書ははっきり約束しております。その時の条件について、イエス様ご自身が次のように例えておられます。 マタイの福音書24:39-40、42
イエス様はここで、主の再臨の時、どのようなことが起こるかについて、不思議な例えをさておられますね。---ひとりは取られ、ひとりは残される。--- イエス様の再臨は二つあって、最初の再臨は空中再臨と言われています。イエス様が空中まで降りて来られる、空中携挙とも言われています。 英語では「ラプチャー」(Rapture)、すばやく摘み上げるの意味です。 あるいは、英語では「トランスレーション」(Translation)、これは生きたままの昇天を意味します。 ハロリンゼイはラストトゥリップ(Last Trip)、最後の旅行とも呼びました。 結局、空中再臨、空中掲挙の時には、地上に生きているイエス様を信じるものたちは、一瞬の内に空中に摘み上げられる、生きたまま昇天するということです。 それは地上における最後の旅行、天国への最初の旅行です。 ひとりは取られるとイエス様はおっしゃいましたけれども、これは信じるクリスチャンのことです。主の空中掲挙時に信じるものたちは、一瞬の内に天に引き上げられます。 ひとりは残されとは、イエス様を信じないものたちは、この地上に残されるということです。 どうして、イエス様は最初の空中再臨、携挙の時にされるんでしょうか。それはその後に、悲惨な戦いが待っているからであります。 今回のテロ事件が、ハルマゲドンの戦いへと続く、最終戦争へのプロローグであると話しましたけれども、その最終戦争、ハルマゲドンの戦いが始まる前に私たちは天に引き上げられます。地上における、悲惨なものすごい戦いを信じるものたちは経験しないで済むのです。なぜならば、我々は天にいるからなんですね。 そして、イエス様の空中再臨から七年間に亘って、この地上では大変な、悲劇的な戦いが繰り広げられると聖書ははっきり、約束しておりますね。 疫病と、戦争による流血に満ちた七年間の悲惨な、ハルマゲドンの戦いについて、ヨハネはヨハネの黙示録の中ではっきり書いております。 おびただしい数の人が殺され、流れる血は馬の轡に届くほどだ、と。馬に乗った人の轡ぐらいに、この全地が血で満ちるとの意味です。 オッペンハイマ博士は、死人を葬るためには、生きている人があまりにも少なすぎると、あの戦いについて語りました。 アインシュタインはハルマゲドンの戦いについてはよく分からないけれども、もし起きるとすれば、その戦いの最後は、原始時代のような戦いになるだろうと言っております。 徹底的な戦いの末にもう武器がないのです。最後は石を投げ合うような戦いになるだろうとアインシュタインは言っております。 今回のテロ事件は、そのハルマゲドンの戦いに続く、忌まわしいこの地上の悲劇の始まりであり、しかし、信じるものにとっては希望の始まりです。 その前に空中まで主が降りて来られるからです。 テサロニケ人への手紙第I、4:15-17
主が空中まで降りて来られる、空中再臨の時には、すでに召されている兄弟姉妹たちも、甦りの栄光の肉体を持って共に降りて来ます。 その時、地上に残っている私たちも、一遍に天に引き上げられ、そして、空中ですでに召された兄弟姉妹と、イエス様と共に再開します。 そして、それはいつまでも主と共にいることの始まりでらる、すなわち、天国の始まりであると、パウロははっきりと記しているんですね。 テサロニケ人への手紙第I、4:18
結局、この時代において、人間が生きる唯一の希望は、イエス様の空中再臨である。神の救いというのは、神の愛そのものです。 神の愛そのものである、空中再臨の約束に希望をおいて、私たちが生きていけば、元気になります。 どうして、イエス様は最初の空中軽挙から、7年間という長きに亘って、聖書がハルマゲドンの戦いという悲惨な戦争を、この地上で起こされるのでしょうか。 それは、今もってイエスキリストを信じず、十字架に架けて殺してしまったユダヤ人の救いのためです。ユダヤ人たちは、このハルマゲドンの戦いという悲惨な戦争を通して、イエス様を信じるようになるのであります。 どうして7年間のハルマゲドンの戦いが起こるのか、それが第一の理由です。もう一つは今、私たちが祈っている、家族や友人、知人の救いがここで成就するためです。結局、考えられない悲惨を通して、私たちが祈っている人々はユダヤ人と共に救われるのであります。 エゼキエル書38:1-8
終わりの日に、すなわち主が再び来られる日に、このゴグという大集団が神さまによって、一つの国に侵入します。イスラエルが再び国家を再建した後だとエゼキエルは言っております。 2節のメシュクという土地はモスクワであると、聖書を学ぶ人々で確信されております。トバルとは今のウクライナ地方です。 ですから、メシュクとトバルの大首長マゴグの地のゴグとは、かっての大国、ソ連であると多くの兄弟たちは考えました。 このソ連に主なる神が(面白い表現ですね。)、あなたのあごに鉤をかけ、無理やり神さまが大軍団で再建なった、イスラエルの地に攻め上ると言っているんですね。 ソビエトが分解した後、私たちはソビエトの多くの国々がアラブ人だったことが分かります。カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、ウクライナ、チェチェン、みなアラブ国家です。大きな連邦に囲まれていた、多くの国々がアラブ国家でした。 ここに語られているペルシャとはイラクのことです。クシュというのはエチオピアです。プテは今のリビアです。 あのアラブ国家が、大同団結して再建なったユダヤ国家(イスラエル)に攻め上る。これがハルマゲドンの第二ステップです。 今や、あの同時多発テロから、第二ステップに移ろうと世界はしております。 ブッシュは救われた兄弟ですけれども、大統領としてやっていることは全然違います。あの地位と名誉は、主なる神によって、大いに利用されています。 すなわち、この終末に向けて、もう、第二ステップが切って落とされたと言ってもいいのではないでしょうか。 そして、私たちは空中掲挙後の7年間天にいる間、地上ではハルマゲドンの戦いがあり、この戦いの最後に、世界を支配しようとしたユダヤ人たちは、悔い改めてイエスキリストの救いに与ることができます。 ゼカリヤ書13:8-9
ここにユダヤ人を始め、私たちの祈りに覚えられた多くの末信者たちの救いが、はっきりと約束されております。 そして、イエス様はこの七年間の悲惨な戦争の後で、公に再臨されます。公の再臨と呼ばれるものですね。 使徒の働き1:9-11
主は、公の再臨の時は、間違いなくあのオリーブ山に立たれます。その時、私たちも一緒にこの地上に降りてくると聖書ははっきり約束しております。 それから、この地上では神の支配があり、千年王国が建てられ、神の平和は千年に亘って、この地上そ支配します。それから、この地上は無くなると聖書は言っているんですね。 千年王国の後に、新天、新地が創造され、そこに私たちはすべて移され、そしてイエス様からいただいた永遠の命をとこしえに生きると、聖書ははっきり言っております。まことの神の国です。 聖書の約束している奥義とは、今や、唯一残されている再臨の成就であります。そして、再臨とは悲惨な戦争を経験します。 けれども、少なくとも今、信じている者たちはそれを経験することなく、天国の始まりを経験します。だから、私たちには今の時代においても希望があると言えます。 旧約聖書には、イエスキリストの初臨、すなわちイエス様のご降誕についての預言は300以上あります。しかし、イエス様があの十字架にかかって死なれ、三日後に復活され、40日後に昇天され、また再び、この地上にやってくるという再臨の預言は実に500以上、倍近くが旧約聖書に預言されております。 イエス様の初臨のみわざが、すべて聖書の預言通りに成就したことをみるまでもなく、イエス様がまた再び、この地上に来られる再臨もまた、まもなく起こる事実であります。 そして、このことを確信するゆえに、私たちは希望をもってこの地上の寄留の生活を、旅人の生活を生きることができるのであります。 今の時代は、私たちが生きているこの時代は聖書を通して預言者が語り、また、イエス様ご自身が預言された再臨の兆候に満ちております。 その最初の兆候が、あのニューヨークの同時多発テロであると言ってもいいでしょう。 ブッシュは一生懸命働いておりますが、結果として世界を巻き込んだ戦争に間違いなく進展しております。 マタイの福音書24:3
イエス様は天に帰る直前に、私の天国の父の家には住まいがたくさんあります。それが準備できたらまた、地上に降りてきてあなたがたを迎えにきますと、はっきり約束されました。 私たちの住む住まいが、もうすでに天国に備えられたかどうか、これは、救われた人の一定の数を意味するそうです。主がまだ来られないとしうことは、今しばらく救われた人の数もどうしても主にとって必要なのでしょう。 私たちは、主の再臨の予兆に満ちている今の時代を生きているわけですから、もう一つの主の再臨の条件である、まだイエス様を知らない人たちの救いについて、真剣に祈り、真剣に取り組まなければならないのです。 あの、人類の最初の人アダムから、信仰の人アブラハムまで2,000年、アブラハムからイエスキリストの誕生までが2,000年、そして、イエス様からすでに2,000年が過ぎようとしております。 この節目に着目して、私たちの愛するベック兄は、イエス様が今日来ても何ら不思議はない、明日きても驚くに値しない。と、はっきりおっしゃっております。最後に、 マタイの福音書26:64
天の雲とはすでに召されて天にいる兄弟姉妹たちと一緒に、私が戸口まで来るのを、再臨することを、あなたがたはまもなく見ると、イエス様ははっきり約束しておられます。 以上 |