引用聖句:ピレモンへの手紙1章11節
私の義理の兄、すなわち妻の実の兄は、七年前に救われました。彼は死と直面して、救われたのであります。 もちろん彼が救われた背後には、家内を始め、家族の者やあるいは集会の兄弟姉妹たちの、イエス様へのとりなしの祈りがあったことは言うまでもありません。 彼はそのようにして7年前に救われましたけれども、救われる6年前、すなわち主の救いに預かる13年前に、彼は信じられないような悲しい出来事を経験しております。 それは長女を殺されるという事件でありました。それも自分の家で通り魔殺人として、娘を彼は殺されたのであります。 おそらく、彼はその人生において、あの長女を一番愛していたに違いない。なぜならば、自分の名前の一文字を長女に付けたんです。 殺された娘は彼の愛そのものであり、生きる喜びそのものでありました。その時彼は事業も成功しており、順風万版たる、言わば人生の頂点におりました。しかし、その絶頂において彼は娘を殺されたのであります。18歳の死でした。 なぜかこの事件の後、彼は離婚してしまったんです。家も妻に与え、彼はすべてを捨てて、たった一人になりました。 事業は順調に行っていましたから、彼はそこから得た金を湯水のように使ったようであります。一年に何億という金を彼は遊蕩に、放蕩に使ったと彼は告白しておりました。 後の彼の告白でありますけれども、彼は娘を殺された時から、人生のすべてを放棄したようであります。そして、彼の人生の、すなわち生きる目的は、あの娘を殺した犯人が、その時は捕らえられて刑務所に収容されていましたけれども、あの犯人が出てきたら必ず殺す、そのために彼は身軽になったようであります。 この修羅のような一途な怨念だけで、彼の心の中であのマグマのように蠢動する、この怨念だけで彼はそれからの人生を生きたようであります。 しかし、その彼もまたイエス様によって救われました。彼はかって味わったことのない集会の兄弟姉妹との交わりの生活や祈りと賛美の生活を知ったのであります。 ある夜のこと、二人の男が彼の家を訪ねて来ました。一人は、あの娘を殺害した犯人が収容されている刑務所の担当官でした。もう一人はその刑務所に所属する、教会というんですか、僧侶であったそうです。その教会師は次のように言ったそうです。 あなたの娘を殺した男はあと数年で刑期を終えて出てきます。彼は犯した罪の大きさに本当に悔い改めて、そして懺悔の祈りをすなわち、あなたに対する謝罪の祈りを毎日30分もあなたにしております。そして、出所したらあなたに対する保障のために一生懸命働くと言っております。彼の今の気持ちを伝えるのは私の役目です。 今のあなたの気持ちをぜひ彼に伝えたいので、どのような気持ちなのか、賠償はいったいどのくらい必要なのかお知らせくださいと、言ったそうです。 その時の兄弟の答えは次のようなものでした、 「私は彼を許します。私もイエスキリストに許されたからです。賠償金などは一切要りません。 私もイエス様によって無条件で、ただで救われたからです。ただ一つだけ彼に伝えてください。私に祈るのではなく、イエス様に祈ってください、」と、言ったそうです。 すべてを捨てて、あの男を殺すと怨念を燃やした男が、このように言えたそうです。さらに、もしイエス様のことを彼が知らないなら、私が刑務所に行って私の知っているイエス様をぜひ彼に紹介したい。その時の彼の正直な告白は次のようなものです。 なぜ、そんなことを言ったのか、自分の気持ちと正反対のことを言ってしまったのか、さっぱり分からない。もしかしたら、イエス様が言わせたに違いない、というのが彼の正直な告白でありました。 そして、その後彼はひと言、でも本当にあのことを言えた後で、助かったという思いでいっぱいだったとも告白しております。 結局彼は、それまで彼をがんじがらめにしていた過去から、解放されたのであります。自由へ解放されたのであります。主に許されたものとして、人を許すことが出来たのであります。 この満たしと安らぎがあったから、彼は心から助かった、と言ったのではないかと思われます。 もう、私は彼を許します。保障など一切入りませんと、答えた彼に対して、僧侶である教会師はしばらく絶句した後で、「私も長い間この仕事をしておりますけれども、あなたみたいな人に出会ったのは初めてです。必ず彼に伝えます。」、と約束した後で、「あなたの信じるイエスキリストとは、すごい方ですね。」と、ひと言呟いたそうです。 神戸に住んでいる兄弟と姉妹は、夫婦ですけど、3年前に長男を失いました。 彼が死んだ朝、姉妹から電話があって、もちろん長男の死の知らせでしたが、その後ですぐに彼女は、彼の葬儀を集会でやってもいいのでしょうか、という相談でした。 彼は21歳の若い父でしたけれども、小学校の高学年から非行に走り、彼の非行と不良は姉妹の悩み、苦しみそのものでした。 その時、姉妹は夫のアルコール中毒も、抱えていたから、彼女は夫と息子のこの問題を通して主に救われたのであります。 アルコール中毒の兄弟も救われて、夫婦で長男の救いのために祈るようになりました。そして、彼もイエス様を信じたのであります。 しかし、彼はなかなか昔の生活から抜け出すことが出来ませんでした。集会にたまに来ても、むしろ暴走族のリーダーの生活にまた帰って行ったのであります。 彼は結婚し、子どもも出来ましたけれども、それでも不良生活は改まりませんでした。 そういうことがあったから、何一つ、救われた兄弟としての証しがなかったから、姉妹は「彼の葬儀を集会でしてもよろしいでしょうか。」と、いう相談があったと思います。そして、彼の死は自殺でした。 私は集会の兄弟姉妹にお願いして、集会で聖書に則って葬儀をするべきと答えました。 その時私はグァムの集会の当番で、葬儀に参列出来ませんでしたけれども、その兄弟の葬儀に実に300人以上の人が集まったそうです。 僅か、21歳で非行と不良に明け暮れた若い青年の葬儀に、300人以上の人が参列したということは考えられません。そのうちの100人以上は暴走族の少年や若者だったそうです。 次から次とオートバイを駆って集まって来るあの若者たちに、警察はパトカーを何台も出動させてようであります。 あの兄弟の前夜式から翌日の葬儀まで、100人以上集まった若者たちは一睡もしなかったそうです。彼らの儀式のようなものであるんですね。棺の回りに彼らは座って、で、一睡もしなかったそうです。そして、葬儀の間中、まったくおとなしく従順であったようです。聖書のメッセージに聞き入り、兄弟姉妹の賛美と祈りに聞き入ったそうです。 彼はもちろん死んで天に召されましたから、ひと言も語ることは出来ません、彼はただ自らの肉体を土の中に投げ出しただけです。 しかし、前夜式から昇天式にかける葬儀は、聖書のみことばが語られ、賛美が歌われ、祈りが捧げられ、すなわち主イエスキリストの福音が述べ伝えられた時と場になったのであります。 あの葬儀に参列した二人の兄弟たちは、一睡もしないあの暴走族の若者に、夜を徹してイエスキリストを述べ伝えることが出来たそうです。 二人は後で、泣きながらイエス様のことを紹介したのは生まれて初めてですと、言っておりました。そして、二人はあの夜を徹して、イエス様をあのどうしようもない暴走族の若者たちに話した夜のことは、二人にとって忘れられない夜であり、幸せな時でしたとも言っておりました。 どうして、あの二人が用いられたのかというと、後から分かることですけど、二人もかつて暴走族どころではない、愚連隊の頭だったんですね。 一人の兄弟は番長という言葉があると思うんですけど、不良の親分。別の兄弟も番長で、二人は町を二分して、日本刀と匕首で亘りあった。何と、これが後年不思議な主の導きによって同じ兄弟として交わるようになったんです。 この二人があの兄弟の葬儀に備えられたのであります。大先輩として、あの暴走族の若者たちに主を述べ伝えたのであります。 この一事をもってしても、兄弟の21歳の昇天式は、主のご臨在によって祝福されたと我々は確信することが出来ました。 一昨日、神戸の兄姉と電話で話したんですけれども、彼が召された後、あの暴走族の仲間は家に来るようになったそうです。 それも普通は命日に来るんですけれども、あの暴走族のの若者に限って、彼の誕生日に花束を持って来るそうです。 今年も、何人もの不良少年たちが花束を持って、兄姉の家にやって来たそうであります。死んだ日、命日じゃなくて誕生日に来るなんて本当に不思議ですと兄姉はおっしゃっておりました。 電話では本当に兄姉は元気でした。どうして元気になったかというと、あの葬儀を通してもう、なぜ、どうしてとイエス様に呟くことを止めたからです。 21歳で、なぜ愛する一人息子は天に召されなくてはならないか、どうして救われた後、他の兄弟姉妹たちのように、主の前に正しく歩めないのか、どうしてこのことを私たち夫婦は、集会の兄弟姉妹の前に恥じ入るばかりに隠し逃げていたのか、結局そういうことを、もう問わなくていい。 あの前夜式から、翌日の昇天式にかけた葬儀で、長男は間違いなく天に召されている、永遠の命を今生きている。そして、私たちはまもなく主が来られるから、(21歳でこの地上の生活は短かったけれども)主からいただいた永遠の命を長男とともに生きることが出来る、という確信があるから二人は前にも増して元気になりました。 葬儀の証しの中で、両親である二人は徹底した悔い改めを証ししております。結局、これが出来たから二人は元気になることが出来ました。 パウロは聖書に収録されている彼の手紙の中で、次のように書いております。もう一度ピレモンへの手紙の9節からお読みいたします。 ピレモンへの手紙1:9-12
ピレモンへの手紙1:18-19
たった25節からなるこの手紙は、獄中書簡と呼ばれております。刑務所の中で書かれた手紙だからです。獄中書簡と呼ばれる一方、このピレモンへの手紙は、愛の手紙、愛の記録とも呼ばれています。 なぜなら、この手紙にはオネシモと呼ばれる一人の男に対する、パウロの主イエスキリストにある愛が満ち溢れているからであります。 19節で、パウロはこの手紙は私の自筆ですと記します。パウロは多くの手紙を、新約聖書の中に13通書きましたけれどもほとんど代筆だったそうです。パウロは目が不自由で、一説によると悪性のそこひを患っていて、晩年はもう盲目に近い状態だったと言われております。 ですから自分で手紙を書くことが出来なかった。代筆させ、署名だけは自分で書いたと言われています。 しかし、このピレモンへの手紙だけは自らの手で書きました。不自由な視力にもかかわらず、必死の思いで、大きな字で書いたようであります。この手紙が短いのはそのせいです。 だから、パウロはわざわざ、この手紙は私の自筆ですと記して、その一節にオネシモへの限りない愛の深さを、私たちに知らせております。 さらに12節には、彼は私の心そのものですと、パウロはオネシモについて書く時、パウロのオネシモへの愛が満ち溢れてくるのを、私たちは知ることが出来ます。 パウロが、彼は私の心そのものですと、愛を込めて断言したオネシモという男は、いったいどのような男だったのでしょうか。彼は奴隷でした。オネシモは主人ピレモンの家から逃亡した奴隷でした。主人ピレモンの家から金品を盗んで、ローマに逃げた逃亡奴隷だったのであります。 2,000年前の当時の社会において、逃亡した奴隷が捕らえられた時は決まって死刑であったようです。それも主人の物を盗んで逃亡したオネシモは、極刑である十字架刑に処せられる運命にありました。捕らえられローマの獄中でパウロに会った時のオネシモは、正に死を目前にした絶望的なみじめな孤独な奴隷だったのであります。 聖書は人間に対する救いの真実を、次のように宣言しております。 イザヤ書45:22
箴言24:11
主なる神の心を満たしているのは恐らく、この思いだけだと言っても過言ではないでしょう。人間に対する神の愛はこの一点に集中しております。 ですから、このオネシモという奴隷は、正に地の果てに住む者として、捕らえられて殺されようとする者として、虐殺されようとする貧困者としてパウロの前に立たされたのであります。ローマであの牢獄の中でであります。 地の果てとは、あのイスラエルの指導者モーセによれば、荒野のことです。獣の吠える荒地のことです。 そこは荒涼とした世界であり、地の果ての意味することは精神的には荒廃と不毛の世界です。恐らく、虚無と無目的の支配する世界でしょう。 地の果ての者とは預言者イザヤによれば、不安と恐怖に怯えるものであり、結果として不満足と無関心に支配されるものです。 結局、地の果ての者とは、イザヤによれば満ち足りることを知らない心と、他者への関心を失った愛のない人間のことです。自己中心そのもののことであります。 モーセは今から3,600年前、イザヤは2,700年前にいた信仰の人ですけれども、彼らの言う地の果て、地の果ての者とはというのは何と現代と現代人を的確に表していないでしょうか。今の時代とそこに生きる我々は、預言通りの存在ではないでしょうか。 そして聖書によれば、地の果てとは神から遠く離れた世界であり、神を必要としない人生であり、ま、聖書が罪と呼ぶ世界です。 地の果ての者とは神なしで生きる孤独と断絶を意味します。ですからイエス様は失われた人と呼びました。そして聖書はそのような人々を罪人と呼ぶのでありあます。 正に地の果ての者として、失われた人として、オネシモはパウロと出会いました。だが、このことは神の救いの計画からすれば、神の必然でした。 孤独と絶望に震える逃亡者、哀れむべき死刑囚、孤独な奴隷オネシモ、この失われた魂の前に主なる神はイエス様を通してパウロを備えたのでした。それは偶然ではなく、神の必然としてであります。 パウロは歩く福音と言われた人です。彼は偉大な聖書学者あり、今に至るまで、恐らく世界一の伝道者であります。イエスキリストの使徒として、福音を全世界に述べ伝える使命を与えられた主なる神の用いられる器でした。 しかし、歩く福音パウロはその晩年において牢獄に繋がれたのであります。7年間にわたってローマの刑務所に閉じ込められました。 これはどういうことなのでしょうか。私たちの思いでは、使徒パウロは自由に世界を飛び回って、一人でも多くの人をイエス様のもとに連れて来るのが神の御心だと考えます。しかし、パウロはその自由を奪われ、牢獄に幽閉されたのでありました。 このことについてベック兄は次のように学ばれております。 もしかすると、パウロが刑務所に入れられたのは、たった一人の人のため、すなわち、あの奴隷オネシモを救うためにだけだと、ベック兄は学ばれたことがあります。 もしそうであるならば、私たちはここにあの神の愛、神の救いをはっきりと見ることが出来ます。 なぜならば一人の人が救われることは、主なる神にとっては全世界の財産を手に入れるよりも尊いからであります。そのことをイエス様はこう表現しているんですね。 ルカの福音書15:3-7
パウロはローマの刑務所に自分が入れられたのは、時のローマ皇帝ネロによってではない、私が今ここにいるのはイエスキリストによってである、と、はっきり言っております。 ピレモンへの手紙の第一行目にイエスキリストの囚人であるパウロと書いてあるからであります。 救いとは何でしょうか。主なる神の恵みのことです。 それでは神の恵みとはどこから来るのでしょうか。神の恵みとは、人間を哀れむ神の心からもたらされます。それはいつも主なる神の側から一方的にもたらされるものです。 人が苦しみに呻く時、人が悲しみに泣く時、病や不幸が人を捕らえて放さない時、その人を見て、心から哀れみが溢れ出るのであります。そしてその時、主なる神はその人を捜し訪ね出されます。 申命記32:10-12
聖書におけるご自分のひとみという表現は、主なる神が「もっとも大切にして」という意味があるそうです。 エぜキエル書34:11、16
聖書はただ主だけでこれを導く。わたしは自分でと、主なる神の一方的な哀れみの心、救いの御手のことを記しております。 パウロはもし、人間の救いが主なる神の恵みによるものではなく、人の行いによってなるのであれば、これはもう救いではない。 ローマ人への手紙9:15-16
主なる神は、人を救うことにおいて、人間の側の行いについては何一つ要求しません。期待もしません。そこには理性も知性も入り込む余地がありません。 人間の側の崇高な愛情すら、主なる神は拒否します。ただ、神のあわれみによってのみ、恵みによってのみ人は救われるのだと聖書全体は断言しているんですね。 エペソ人への手紙2:1、3-5
救いは神の恵みである。その証しとして、イエス様はヨハネの黙示録の中で、「乾く者は来なさい命の水の欲しい者はそれをただで受けなさい。」と、おっしゃっております。 試練の中にある年老いた伝道者パウロと、絶望に打ちひしがれた一人に逃亡奴隷、すなわちオネシモが、ローマの牢屋で出会ったことは、神の恵みそのものでした。神の救いの必然であり、主なる神の救いの計画そのものでした。 二人の出会いはその結果として、オネシモの救いとして実を結んだからであります。オネシモはパウロを通してイエスきりストの救いにあずかったからであります。 ですから、あのピレモンへの手紙の10節で、パウロは獄中で生んだわが子オネシモと、はっきり書いております。オネシモはパウロを通して主に導かれ、福音を聞いて救われました。すなわち、生まれ変わったのであります。 新生したオネシモは、パウロのうちに満ち満ちる精霊を通して、主イエスに出会い、イエス様の命を個人的に体験したのでありあます。 イエス様に出会い、イエス様を個人的に体験した者は、その救いの結果として、信仰の実として神の子とされます。 だから、パウロは新生したオネシモ、救われてキリスト者となったオネシモをわが子、神の子と呼ぶことが出来たのであります。 ガラテヤ人への手紙4:6-7
すなわち、神の子どもです。天国を受け継ぐものです。神の王国を相続する者ですという意味でしょう。 ヘブル人への手紙2:11-12
聖とする方、すなわちイエス様、聖とされる者、すなわち私たち信じる者たち、キリスト者はイエス様の贖いによって、十字架の死によって罪を清められ、神の義とされたのだけだはなく、神の子どもとされたので、主なる神の、万物の創造主なる神のひとり子である御子イエスキリストは私たちを兄弟と呼んでくださる、ということです。 ですから、パウロもまた、ピレモンへの手紙16節の中でオネシモのことをもはや奴隷としてではなく、愛する兄弟としてですと、書くことが出来ました。 パウロを通して、イエスキリストの愛と救いを体験したオネシモは結果としてどのような者にされたのでしょうか。答えは今日のテーマである、ピレモンへの手紙の11節にあります。 ピレモンへの手紙1:11
あの主人ピレモンに反逆し、金品を奪って、盗んで逃亡したオネシモは犯罪者であり、結果として死刑囚でした。 しかし、彼はイエス様に救われた結果として、新しく生まれ変り、神の子とされ、イエスキリストの兄弟とされ、そして、役に立つ者とされたとここで書かれております。考えられない神の取り扱いであります。 神の子とされた、救われた信じる者たちキリスト者にとって、役に立つ者とはどのような人を指すのでしょうか。 聖書はたくさん記しておりますけれども、その内の一つのヒントはイエス様ご自身が語られたみことばにあると思われます。 マタイの福音書5:9
と、イエス様ご自身の言葉として記されております。 平和こそ人間の幸せの根源、根拠であり救われて神の子とされた者の使命とは、聖書によると、イエス様によると、平和をつくることであるとはっきり記されております。 平和をつくるとはたった一つのことです。具体的には平和の君と呼ばれるイエス様を紹介することです。 聖書がいう、役に立つ者の一つの特徴とはこのようなことであります。さらに驚くべきことには、救われて神の子とされた信じる者たちに次のような約束もしております。 コリント人への手紙第I、6:19-20
ヨハネの黙示録1:6
この二つの聖句を見ても、救われた信じる者たちは、神の子とされたキリスト者は例外なく、一人一人精霊の宮であり、祭司であると聖書は言っているんですね。精霊の宮とはキリストにあるからだなる教会であります。 私たち一人一人は、救われた兄弟姉妹は皆、主なる神に、イエス様に属する教会そのものであるということです。そしてそればかりではなく、信じる者たちは皆、祭司である、すなわち、伝道者である、イエス様を福音を述べ伝える者であるとここではっきり書かれております。 こういうみことばに触れると、私たちは本当に怖じ惑うし、恐れれるし、恥じ入るばかりですけど、聖書ははっきり、信じた兄弟姉妹は、救われた兄弟姉妹は皆精霊の宮であり、祭司ですと言っているんですね。 しかし、あの救われたばかりの兄弟が、生涯をかけて殺そうと思ったあの犯人に対して「私は彼を許します。」と言い得た時、彼は間違いなく主の福音を述べ伝える者となりました。 救われた後も、古い世界から抜け出せないで、証しが何一つ出来なくて苦しんだあげく、自ら命を絶った兄弟の主は、彼は21年という若い人生を、投げ出すことによってあの昇天式、それから前夜式を通してイエス様の臨在と栄光を述べ伝えることが出来たのではないでしょうか。 ひと言も語らずに、主の福音を述べ伝えたと私たちは知っております。第一500人もの暴走族を一堂に介する人は、なかなかいません。彼が21歳の若さであのような昇天をしたから、あのような葬儀が出来たと言えるのではないでしょうか。 「神のなさることは時にかなって美しい」というみことばが、この二つの証しを通して私たちは、圧倒的なリアリティーをもって迫って来るのを覚えます。 信仰とは、人が何かをすることではない、哀れんでくださる神が、どのように恵んでくださるか、ただそれだけだということを私たちは知ることが出来ます。 あのピレモンの手紙の18節19節にパウロはオネシモについて次のように書きました。 ピレモンの手紙1:18-19
ここに明記されたパウロの約束こそ、オネシモにとって希望への旅立ちでありました。 なぜならば、この原始的な約束の事実を通して、あの惨めな死刑囚であった逃亡奴隷オネシモは、イエス様が自分自身の罪ゆえに十字架にかかって死んでくださったあの神の愛を救いの真実を経験することが出来たからであります。 人が、自分の力では決して清算し得ない罪の負債を、すべて肩代わりして、イエス様は負ってくださり、十字架上で死ぬことによって、それを支払ってくださり、結果として罪の束縛から、滅びから自由へと解放してくださったという救いの真実を、すなわちイエス様の新しい命を、オネシモは生き始めることが出来たからであります。 ピレモンへの手紙の書かれた時代、すなわちオネシモが救われた、あの初代教会の時代のキリスト者、信じる者たちの8割から9割は奴隷だったそうです。 あの時代、奴隷の子はそのまま奴隷とされました。更に親が借金をして死んでしまった場合、その子たちは売り物とされ、結果として奴隷とされました。しかし、そのような多くの奴隷を持つ主人が一人救われるとその結果として、その主人に属する奴隷も皆救われたようです。 オネシモは、このパウロが書いた、自分の主人ピレモンへ宛てた手紙を携えて、あのコロサイにある主人の家に帰って行くのでありあます。かつてはまったく役に立たない者、あの逃亡奴隷がパウロを通してイエス様に救われた結果、役に立つ者として帰っていくのであります。 ちなみに、オネシモという名前は、ギリシャ語で「有益な」、「役に立つ者」という意味だそうであります。 この手紙でパウロはオネシモのことを、「彼は私の心そのものです。」と書きました。どうしてかと言うと、パウロを救い出したイエス様の心を満たしている思いも、ここに集約されるからでありあます。 イエスキリストは今日もまた、私たちひとりひとりに名前を呼んで、一人一人に対してパウロがピレモンに言ったように、イエス様は父なる神に、「彼はわたしの心そのものです。」「彼女はわたしの心そのものです。」と、とりなしたいてくださるからであります。 このことを思うと、私たちはほんとうにうれしくなります。 |