引用聖句:詩篇44篇1節-3節
今日は、詩篇44篇全体から、この主の教えを学んでみたいと思います。 初めにもう一度、詩篇44篇を今度は1節から11節までと、17節、18節、そして23節から最後の26節までちょっと長いのですけれど拝読させていただきます。 詩篇44:1-11
とんで17節、18節。 詩篇44:17-18
そして23節から、 詩篇44:23-26
今読んでお分かりのように、この44篇は一言で言いますと、ユダヤ人共同体の嘆き、イスラエル人の国家的な嘆きの詩です。「異邦人によって大きな苦しみの中にいるわが民を助けてください。」、という主への祈りと言い換えてもいいと思います。 詩篇の大部分が個人的な祈り、個人の嘆きなどを詠っているのに対して、このように民族的なわざわいについて祈っている詩はかなり少ないと思います。 44篇全体で作者が訴えているのは、表面的には10節、11節の、 詩篇44:10-11
このような訴えに代表されます民族の苦難であります。 それから23節以下の、 詩篇44:23
26節の、 詩篇44:26
という訴えに代表される、助けを叫び求める祈りです。 そしてそのような訴えの根拠として17節、18節、先ほど拝読しましたけれども、自分たちの潔白さを述べております。 しかし、この詩の本質的な個所、作者が最も心に刻みたいという思いを込めて書いたフレーズは、1節から8節ではないかと思わされました。 この1節から8節までの個所には、44篇の主題である嘆きのことばは一言も出てきません。嘆きよりも、かつて主が成してくださった奇しいみわざ、主への賛美、信頼を語っています。 1節、2節では、先祖から聞いた主の恵み、それはアブラハムやモーセ、ヨシュアなどの時代に一番よく見られるものですけれども、主がイスラエル民族に成してくださったみわざ、その代表例として、譲りの地を与えてくださったことを述べています。 3節では、2節の内容と重ねて、イスラエル民族が新しい土地、カナンの地もそうですけれども、それを得たのは自分たちが戦ったためではない。主の手が成してくださったからです、と主の御力と主への感謝を記しています。 また、主は自分たちの先祖を愛してくださっているという感謝の気持ちも語っています。そして4節以降は、主に対する服従と信頼と賛美です。4節の、 詩篇44:4
とは逆の言い方をしますと、「私たちこそあなたのしもべです。」と主に自分たちをゆだねています。 そして4節と5節で、「王である主のしもべ、私たちイスラエルの民に勝利を命じてください。そうすれば絶対に勝利しますと主に対する信頼を告白しています。」 6節も主を信頼し、自分を明け渡す態度を表明しています。そして7節で、 詩篇44:7
と再び過去のみわざを語り、8節で主を賛美しています。 このあと、9節以降から一転して、本題に入って民族全体が苦しめられている現状を訴えて、助けを叫び求めることになるわけですけれども。 私たちの心に響くのは、その本来の嘆きよりも、1節から8節までの詩に示されたユダヤの民の確固とした信仰心。それから、苦難のどん底にあっても主の道からそれなかったと17節、18節で述べている信仰の歩みではないかと思います。 詩篇の作者がこの44篇を書いたとき、民族は非常に苦しめられていました。民全体が、言わば国家的な災難に見舞われていた。異邦の民によって苦しめられていたということですから、もしかするとバビロン捕囚のときであったかもしれません。 しかしどのような状況にあっても、彼らは決して自分たちの歴史、かつて主がイスラエル民族を助けてくださった歴史を忘れませんでした。 主が成してくださった数々のみわざを忘れず、主への信頼を失いませんでした。そして主に拠り頼む気持ちをますます堅固なものにしていった。その信仰がこの詩から読み取れるように思います。詩篇103篇2節のよく知られたみことばですけれども、 詩篇103:2
という詩がありますけれども、詩篇44篇の作者であるコラの子たちもダビデと同じように、主のみわざを何一つ忘れないようにしようと自分自身に言い聞かせ、他の人々にも呼びかけたかった。そのためにこの詩を作ったのではないかと思います。 ここで、44篇の作者であるコラの子たちについて少し見てみたいと思います。コラの子の先祖はかつてモーセの時代、荒野をさまよっていたときに、モーセとアロンに逆らって、神の怒りを買って地面に飲み込まれたことが民数記に記されています。 しかし、コラ族の一部は生き残って、その子孫がその後主のもとに立ち返って、そのコラの子たちの一部は、神殿の歌を司る音楽家に任命されました。コラの子たちの音楽家としての働きは、歴代誌第II、20章の19節に次のように書かれています。 歴代誌第II、20:19
音楽家であって詩篇の作者でもある者と言いますと、ほかにアサフがいますけれども、コラの子たちやアサフは、神殿礼拝に際して、詩篇の詩を音楽で歌い上げ、礼拝のための心を整えさせる働きをしたのだと思います。 その音楽家であるコラの子たちが、あるいはアサフが、詩篇の作者であるとしますと、彼らは今日で言う、シンガーソングライター、つまり、自分で詩を書き、曲を作り、演奏もするという存在だったということになります。 それから、44篇の最初のところに、「コラの子たちのマスキール」とありますが、この「マスキール」ということばは、聖書では詩篇の32篇に初めて出てきます。「ダビデのマスキール」と32篇に書いてありますけれども。 そのマスキールの説明は、このくらいの聖書には全然出てこないのですけれども、もう一回り大きい聖書を見ますと、注があって、そこには、「マスキールとは意味不明」とあって、付け加えるように、「教訓詩という説もある。」というふうに書かれています。 要するに、教えの詩ということです。しかし何ともすっきりしない説明ですので、ドイツ語の聖書で詩篇の32篇のところを開いてみましたら、「ダビデのマスキール」と書いてあって、注の欄に、「教え、または、技巧を凝らして作った詩」という説明がありました。 そして念のために、別のドイツ語の聖書を見てみましたら、32篇のところに、「ダビデのマスキール」ということばが抜けていて、「ダビデのUnterweisung」と書いてあったのです。つまり、ダビデの、もう、「マスキール」という言葉の代わりに、「教え」という言葉が出ていました。 詩篇の32篇は、ダビデの告白の詩です。姦淫の罪を犯したダビデが、それを黙っていたときは一日中うめいていたけれども、罪を告白して主の赦しをいただいたということが書かれていますけれども。 ですからこの詩は、見方によっては告白の大切さ、悔い改めの大切さをイスラエルの民に詩を通して教えているという、そういう教えの詩でもあるというふうに解釈しますと、「ダビデのマスキール」ということばが納得できます。 同じように、この詩篇の44篇も表題に書かれた「コラの子たちのマスキール」を、コラの子たちの教えと受け取って良いのではないかと思います。つまり先ほど言ったことですけれども、最初の1節から8節までの個所が、その教えだと思います。 全体としては嘆きや訴えがあるのですけれども、過去の主のみわざを決して忘れないようにしなさい。主に信頼しなさい。主は必ず助けてくださるという確信を捨ててはならない。 自分たちが苦しめられている今こそ、過去の主のみわざを思い出し、主への信頼をしっかり握りしめていなさいとイスラエルの民衆に呼びかけると同時に、自分自身にも言い聞かせたい、教えたいという、その願いがこの詩には込められているのではないかと思わされます。 またその根底には、イスラエルの民にとって、最後で最良の希望が神の主権にあるということの確信があったのではないでしょうか。 先ほどは詩篇103篇2節の、 詩篇103:2
というみことばを拝読しましたが、詩篇105篇にも同じ内容のことが書かれています。 詩篇105:1-2
詩篇105:5
「主のみわざを忘れるな。主のみわざを子々孫々に語り継げよ。」という教えは、「主から離れることのないように心しなさい。主から目を離さないようにしなさい。主の教えを忘れないようにしなさい。そのことをのちの世代にずっと伝えなさい。」ということでもあります。 そしてそのことは、モーセがイスラエルの民に向かって強調したことでもありました。申命記32章には、そのモーセの教えが歌のことばとして書き記されています。 非常に長い詩ですので読むことは省きますけれども、その教え、32章の歌についてモーセが語ったことを、31章19節と21節で見てみたいと思います。 申命記31:19
申命記31:21
そして主のみわざが32章にあるわけですけれども、そのようにモーセが、多くのわざわい、苦難が降りかかるときに、この歌が証しをする、自分たちの子孫にそれが忘れられることがないからであるという、代々この教えを伝えなさい、ということが書いてあります。 そして実際にイスラエルの民はこの教えを忘れることがなかったことを、イスラエルの歴史は示しています。この教えとは、モーセの歌であり、詩篇103篇のダビデのことばであり、詩篇44篇のコラの子たちの教え、マスキールであります。 イスラエル民族はバビロン捕囚を始め、多くの苦難に遭いましたが、自分たちが選びの民であるという誇りとともに、主に対する信頼、いつの日か必ず主は私たちを助けてくださるという確信を失いませんでした。 その後のイスラエルの歴史をざっと辿ってみますと、イエス様がこの世に来られた時代を経て、西暦132年から135年にかけて、ローマ軍によって徹底的に鎮圧されたときには、多数のユダヤ人が追放されました。以来イスラエル民族は2,000年間、放浪の民であり続けました。 それにも関わらず、イスラエルの民は自分たちの信仰、伝統、民族の言葉をしっかりと保ち続けました。 そして19世紀末には、いわゆるシオニズム、シオン、エルサレムの地にユダヤ人のホームグラウンドを建設しようという運動が起こって、1882年から1914年にかけて六万人のユダヤ人がパレスチナに移住しました。 それから第一次世界大戦後に、パレスチナがトルコの支配から解放されて、30年間イギリスによる委任統治を経て、1947年に国連で重要な決定がなされます。 パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割して、エルサレムを国際管理にするという決議が国連で行なわれる。 そして1948年にイスラエルの建国宣言になるわけですけれども、2,000年もの間、国土を持たない民が自分たちの信仰、文化、言語を失わなかったということは、本当に驚きです。 この間ユダヤ人は、1899年にマダガスカルを避難の土地として提供されたことがありましたけれども、彼らはそれを拒んでいます。 自分たちは約束の地を与えられている。いつの日か先祖の土地に帰還することが約束されている。そういう確信のもとに、その避難の土地の提供を断っています。 今年2月に、米国のオクラホマ喜びの集いが開かれたときに、ロサンゼルスから日系4世の方が参加しましたけれども、彼はほとんど日本語が喋れませんでした。 わずか100年足らずの移民生活で、言葉が伝承されなくなっている事実を見るとき、2,000年間も自分たちの言葉や信仰を維持し、継承してきたイスラエルの民の歩みは、奇蹟そのものです。 イスラエルの人々は新約聖書を受け入れない、イエス様の救いを認めない、救い主として認めないという点では、みことばに逆らっている、聖書を自分勝手に解釈して誤った道を歩んでいるように思われます。 そのことは残念であり、また、お気の毒だとも思いますけれども、自分たちの信仰を、どんな状況、どんな苦難な事態にあっても、守り通したということに限って言えば、その点だけは大変すごいことで、見習うべきことではないかと思わされます。 そのユダヤ人の信仰の強さというものは、そのままユダヤ人の愛国心につながっているようにも思います。 かつて私、34年前になりますけれども、まだ新聞記者だったとき、1972年の6月に次のような経験をしたことがあります。 その時私はスウェーデンのストックホルムで開かれた国連の人間環境会議の取材を終えたところでしたけれども、東京の本社から、イスラエルのテルアビブへ行って取材しろ、という指示を受けました。 イスラエルに向かう機内では、たぶん里帰りする、アメリカとか世界に住んでいるユダヤ人が一時的に自分の故郷に里帰りするのだと思うのですが、周り中が全部ユダヤ人なのですが、テルアビブ空港に着陸する直前に、期せずして一斉にイスラエル国家の大合唱が始まったのです。 何と言うか・・もう、自分たちのホームグラウンドに降り立つ喜びと感激で自然発生的に国家の斉唱が沸き上がった、それで、まだ私はその頃はもう、聖書のことも何も知らなかったのですけれども、祖国に対する熱烈な思いが伝わって来て、こんな民族があるのだなぁと驚いたことがあります。 もう2,000年間も国土を失うという、ユダヤ人のような大きな苦難は、そうはそうそうありませんけれども、私たちもこの世にあって、さまざまな困難に出会います。そしてそのとき、苦難の中で主を見失うことも起こりがちです。しかしそんな時こそ、詩篇44篇に見られるような確固とした信仰を保ちたい。 主のよくしてくださったことを一つも忘れることなく、主への信頼を失わず、主の時を待ち望んで歩んで行きたいものです。 主イエス様は全地をあまねくご覧になり、全てをご存知のお方です。私たちが苦難に会う時は、その苦難を知っておられ、最善の時に救いの御手を差し伸べてくださいます。 その助けのみわざは、聖書の色々な個所に書かれていますが、読むことは省きますけれども、例えば歴代誌第II、20章9節。ネヘミヤ記9章27節などで確証されています。 ダビデも自分の体験に基づいて、 詩篇86:7
と祈りました。詩篇86篇7節のみことばです。 このような信仰があるならば、苦難は神からのプレゼントとして受け取ることができます。 そのような試練を与えられた人に、苦しんでいる人にベックさんは、「愛されてるね。」と言われますけれども、同じ理由からだと思います。このように、試練を前向きに受け取ることができるような、確固とした信仰を持ちたいと思います。 今日は詩篇の44篇から、「苦難の時にこそ主に対する信頼を保つ」、主のよくしてくださったことを何一つ忘れずに、主を待ち望むことの大切さを学ばせていただきました。 以上で終わります。どうもありがとうございました。 |