引用聖句:ルツ記1章1節-5節
今日は、ルツがどう生きたかと神の救いのご計画について、少し学んでみたいと思います。 今、御代田キャンプでは、熱いメッセージが連日語られて、非常にリッチです。 そこで今日は、この熱い東京では、神の遠大な救いのご計画の歴史の一こまを、ルツ記を通して学びながら、一服の清涼剤にしていただければと願っています。 満天の夜空の無数の星の一つであるような小さな私たちが、神の御業である広大な宇宙の中に組み込まれているように、私たちも遠大な神の救いのご計画の中に、組み込まれているんだと思う時、何とも言えない喜びが湧いてこないでしょうか。 私たちは、神の救いの計画の中に定められているのです。 エペソ人への手紙1:4
さて、ルツ記はというよりも、ルツは多くの人から愛されています。それはルツの一途な神に対する愛と、また姑との互いの愛が、読む者に何か暖かいものを感じさせるからではないでしょうか。 そしてそれはさらに、苦難の境遇の中でも勤勉で素直に、また誠実に生きる姿を見るからではないでしょうか。そして、彼女はしっかり者でした。 そしてルツは、常にその苦難の境遇の中から、買戻しの権利のある贖い主ボアズと出会い、すばらしい結婚へと導かれ、安息と神の栄光、救いの計画に入れられていったのです。 そしてこのルツ記には、先に触れました遠大な神の救いのご計画の遂行の歴史の一こまを見ることができるのです。一人の異邦の女ルツが、この神の救いの計画の一こまに組み込まれていく様子が記されています。今日はその歴史の一こまを見てみたいと思います。 そこで、最初に今日出て来る主人公であるルツとボアズとイエス様の関係を見ておきたいと思います。 それは、最初に読んだ人が戸惑いを覚える、永延と記された系図の書いてあるマタイの福音書1章の出だしであります。 マタイの福音書1:1-6
マタイの福音書1:16-17
このように、ルツとボアズとイエス様との系図が書かれております。ではここで、まずエリメレクの家族の苦難を見てみましょう。 ■モアブへの移住 家長のエリメレクは、真の神の民でありました。真の神に導かれて、エジプトから脱出したエジプトの民の子孫でした。しかし、彼は神の約束を忘れたのか、自覚がないのか解からないのですが、ユダの地に飢饉が起こるとすぐ妻のナオミと2人の息子を連れて、異邦の民の地であるモアブに移住したとあります。 神の約束による留まるべき所に留まらず、自分の判断で行動を起こしました。10年の苦難の日々、その後彼の家族は、モアブの地に20年留まるわけですが、それは悲しい年月でした。 まずナオミの夫エリメレクは死にました。次に異邦人であるモアブの女と結婚した二人の息子が、二人とも死にました。もともとモアブ人は、律法によりイスラエル人の領土から追い出されたのです。このあたりのことは、申命記23章に書いてありますのでお読みください。 つまり、行くべき所ではない所へ行くべきではなかったのです。しかし、今日学ぶルツ記は、不思議にもこの脱線したエリメレクをも、異邦人の救いのために神が用いたことが解かります。 さらに夫に死別した後、ナオミは息子たちに、異邦人であるモアブの女を嫁とすることを許したのでした。当時、イスラエル人にとっては、異邦人は犬同様でした。その異邦の民を嫁に迎えたのです。 そしてこのモアブの女と結婚した二人の息子は、共に死にました。ナオミはどんなに悲しく、また苦しく異教の地で心細かったでことでしょう。彼女自身がこう言っています。 ルツ記1:20
ナオミは「心良い」、マラは「苦しみ」の意味です。エリメレクの家族は、自分で蒔いた種を刈り取ったのです。ナオミはルツを連れてベツレヘムに帰ります。 この時期、故郷ベツレヘムの飢饉は去り、再び収穫が多くなったと伝え聞き、ナオミは、二人の嫁オルパとルツを連れて、故郷に帰ろうとしました。 次に、ルツに対する主の導きに目を留めてみたいと思います。 ■ルツの選択 ルツは、人生の岐路に立った時、神に近づく最善の道を選択しました。 ナオミはそのうち嫁たちに、それぞれ自分の家、母の家に帰ってまた結婚して、それぞれの夫の家で平安に暮らしなさいと言って、別れるように態度を変えたのでした。 ルツ記1:8-9
事実、当時の東方世界では、家庭を持っていない女は、保護と尊敬を得られないばかりでなく、全く危険と試練の内に生きなければならなかったのです。 一人のモアブの未亡人が、故郷を離れベツレヘムに行って、安息の地を求めようとしても、それはナオミが二人の嫁に説いたように、不可能なことでした。 ルツ記1:11-13
そして二人は声をあげて泣き、オルパは姑に別れの口づけをしましたが、ルツはナオミにすがりついて、どうしてもついて行くと言いました。 ルツ記1:14、16-17
偶像礼拝の背景から嫁いできたルツは、多分イスラエル人の夫との生活を通して、唯一の真の神であるヤアウェイという方を知ったのです。そして、この神と共に生涯歩み続ける決心を密かにしていたと想像できます。 この決心は、並々ならぬものでした。異邦の地での生活、夫のない生活、姑に仕える生活、どれを取っても不安があったことでしょう。しかし、彼女はこれらのすべてに勝利させてくださる神に信頼を置きました。 神は、その信仰に応えてくださったのです。ルツの御心にそった生活、ルツは姑ナオミを忠実にまた深く愛しました。ルツは謙遜でした。ボアズの畑で、落穂を集める時、律法に定められた未亡人や在留異国人に対する権利を主張することなく、ただひたすら他の貧しい人たちと共に麦を刈り取る人の後について、落穂を集めたのでした。 ルツ記2:7
またルツは、男性関係においても貞節でした。 ルツ記3:10
■ボアズとの出会い ベツレヘムに帰ったルツは、畑で落穂を広い集めるために出かけて行きましたが、そのところを聖書はこう言っています。 ルツ記2:3
「はからずも」とありますが、これはルツの計画や計算が働いたのではなく、ここに深い神の摂理の御手が働いていたのです。 ルツは、買戻しの権利があるボアズと出会うのでした。 ルツ記2:20
次に、ボアズとルツの結婚について見てみたいと思います。 ルツは神に近づき、神はルツに近づき、低くしてボアズとの結婚へ導いてくださいました。その間のボアズのルツに対する態度は、非常に思いやりがあり、また愛に満ちていました。そしてボアズはルツを買い戻して妻としました。 ルツ記3:9-15
さて、この結婚は買い戻しの権利者、すなわち贖い主の結婚です。 この結婚は単なる出会いによる結婚の意味があるのではなく、買い戻しの権利者であるボアズが、苦難の中にあるナオミとルツを含めて、エレメレクの畑を代価を払って買い戻したところにあります。そしてルツをめとったのです。 それにより、ルツはナオミもボアズも安息を得たのです。ルツとボアズは、大きな祝福を受けて結婚しました。 ルツ記4:11-17
当然ボアズも自分のものとなるべき畑と人が帰ってきたのですから、その喜びはひとしおのものであったと想像できます。 これは神の救いの計画につながる高貴な結婚でした。この結婚は、大きな祝福を受け、事実ルツは、救い主イエス・キリストの家系につながるように導かれたのです。 実に高貴で高尚な結婚と言えるのではないでしょうか。 ルツ記4:18-22
もちろんダビデは、イエス様につながる先祖です。このようにして、ルツの生涯を見てきますと、神の救いの計画は、神の道は人の道とは違う方法で成される。それはまた無意味であるような中に、また実に日常的な平凡な人の営みの中で、粛々と進められたことが解かります。 神は、無に等しい異邦人であるモアブの一人の女を使って、神の偉大な救いの計画を進められました。無意味と思われる10年の後、ナオミは真の信仰者となる嫁ルツという、神を信じるすばらしい宝を持ち帰ったのです。人の計画によらず、神ご自身の導きで、神の救いの計画は進みました。 神の御心にそった、平凡な毎日の生活の中で計画は進みました。そして、贖いを通して結婚へと導かれました。このようにして、神はルツを用いて救い主キリストの系図を作り、救いの道を準備していかれました。 さらにこのルツ記は、士師記とサムエル記の間にあって、ちょうどイスラエルに王がなく、めいめい勝手に自分の目に正しいと見える事を行なった時代で、やがてサムエルの時、イスラエルが王を求めた前でした。すなわち、民が王を求めだした時代の出来事です。 神はこの時期に、ルツをご自分の救いの計画の中に用いたのでした。ルツは何と幸いな女であったでしょう。 最後にこの二人、ルツとボアズは何を象徴しているか学んで閉じたいと思います。 聖書は、すべてイエス・キリストを指し示しています。このルツ記のボアズは、イエス様を象徴しています。彼は地主で、また大金持ちでした。彼はルツに気を配り、イエス様があわれんでくださったのと同じでした。 またルツは、私たち異邦人を象徴しています。したがって、このルツ記は、神が異邦人を神の民に召されるのを先触れと知ったんだとも言えましょう。 最初に言いましたように、モアブ人は律法により、イスラエル人の領域から追いやられたのです。しかし、恵みにより受け入れた状況が記されています。神は、イスラエル人だけではなく、私たち日本人を含めたすべての民族の救いを計画されていることが預言されております。 ルツ記は、私たち異邦の罪人がいかに貧しく、いかに神と疎遠であろうと、キリストにある神のいのちを得ることによって、ルツとボアズが結ばれて夫婦になったように、主と一体になるということを現しています。 ルツは、ボアズと結ばれた後に得た安息と祝福は、私たちがイエス様を信じ、一体となった後に得る安息と祝福と同じです。人は、イエス様の足もとに来て初めて安息と祝福を得ることができます。 最後にこのことを3章1節から9節まで読んで終わります。 ルツ記3:1-9
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