福音はダイナマイト


高橋義夫兄

(和歌山・橋本家庭集会、2013/05/11)

みなさん身近にいわゆるクリスチャンの人は割といるでしょうか。いないでしょうか。
平均的には、クリスチャンの人口は1%で、その1%のうち6割はいい加減なクリスチャンとみられるので、正味0.4%。1000人いて4人いるかで、少数派ですから、今日はたいへん貴重な体験をされてるかもと思います。
前は、イエス様ってどんな人ってことで学びましたが、イエス様を信じてるって人って、どんな人か見てみることを通して、福音が力を持つものであることを見てみたいと思いました。

ローマ人への手紙1:16
16私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

福音こそ「神の力」であると書かれています。この「力」と訳されているのは、ギリシャ語の「ドュナミス」という言葉です。あの爆発するダイナマイトは、このドュナミスからダイナマイトと名づけられたそうです。ですから、福音はダイナマイトと言えると思います。
スウェーデンの化学者ノーベルさんは、火薬の実験をしていました。そして、ある物とある物を化合しましたら大爆発を起こし、実験室がめちゃめちゃになってしまいました。
ノーベルさんは、真っ青になって実験室から飛び出し、「えらいものを発見してしまった。これが平和のために使われるならいいけれど、もし人を破壊するために用いられたら世界は破滅するだろう」と思いました。そして、彼は、この非常に破壊力のある火薬に、16節にある「力」=「ドュナミス」というギリシャ語をとって「ダイナマイト」と名付けたそうです。

福音が力をもって多くの人の人生を変えたことを通して、福音は本物であることを見てみたいと思います。どんな人がどうしたかと言うお話しが主で、むつかしい話しはありませんので、安心して聞いてください。
みなさんは、戦争体験世代でしょうか。うちの母は大正14年、1925年生まれ。ちょうど20歳で、終戦を迎えています。堺大空襲を体験しています。1945年の7月10日。
ラジオ放送が、7月9日の夜に、和歌山方面を爆撃したB29編隊が去って行ったので、空襲警報解除と放送してしまった。で、防空壕から出てみんな今夜は大丈夫と眠りについたら、堺に向けて、B29の編隊が約百数十機、堺上空に来たのが、午前1時半。うちの母は、大浜にいたんですけど、大浜から宿院が、一夜で全部焼け野原になったそうです。
母は、海へ逃げろと言われて、焼夷弾の降る中、焼けた死体を飛び越えて、ひたすら逃げたと言っています。2万家屋が焼けて、一夜で2,000人が堺で焼け死んだそうです。8月15日が終戦ですから、あともうちょっとで終戦だったのに。

戦時中のクリスチャンは何をしてたかと言うと、多くのキリスト教会は、政府に癒着して教えも福音も曲げて、妥協してしまったんですけど、ちゃんと信じ通した人達も居た。天皇は現人神で、神様だと言われても、わたしにはイエス様だけが神様ですと言い通した人が居たからすごいなあと思います。
非国民にされて戦時迫害を生き残った牧師って、車田秋次牧師が有名なんですけど、わたし、まだ車田さんが生きてらっしゃった時に、東京に出張したとき、上野のホーリネス教会に会いに行ったことがあります。
さぞかし、面構えのすごい根性ありそうな人だろうなあと想像したんですけど、本当に、小さいひょろひょろとしたおじいちゃんでした。とっても優しかったです。日曜日だったんですけど、今日はよく来たねと、礼拝前に一緒に祈ってくださいました。

車田秋次さんたち134名ほどの牧師が捕まってその中で、戦中、実刑判決を受ける。非国民的な教えを宣布する者とされ、独房に入れられた。獄死した人もいる。それでもわたしはイエス様を信じると命をかけられた。
上野で車田秋次さんに会ったとき、メッセージされたのが、ヨハネの福音書15章でした。

ヨハネの福音書15:4-5
4わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」、イエス様を信じ結びついた人が、こんなに命をかけられているのを見ると、わたしたちは、そこになにがしら真実があるのではと思います。

それから、愛する人を失っても、信じ通す人に出会ったこともあります。1951年に中国で宣教師の国外追放令が出されて、地下教会として家の教会という教会が無数にできて、信じる人がどんどん増える。
後に三自愛教会って政府寄りの教会もできるのですけど、その家の教会で迫害を受けたママ・クワングさん、パパ・クワングさんが大阪に来られて中国教会報告会をされたのに行きました。中国語で話されて通訳がついて。
子供達を残したままご両親が逮捕された時は、子供達が餓死してしまうのではないかと祈ったそうなんですね。村人が差し入れたのか、神様の奇蹟が、獄中にいる間、子供達は餓死せずに支えられた。それから、彼女たちを迫害した側から、イエス様を信じるようになった人が起こされた。

ママ・クワングは、迫害で、目の前で暴行を受けて自分の子供を亡くしましたって話してくれました。それでも、キリストを愛することで誰にも負けたくないと語りました。

マタイの福音書13:46
46すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。

ピリピ人への手紙3:7
7しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

真理って、不思議だなあと思うのは、キリスト教会の歴史って、迫害され、弾圧されるほど信徒が増える。オープンドアーズが推定、40万人の隠れ信徒が北朝鮮に居る。中国でも迫害されるほど、どんどん信じる人が増えていくってどういうことかなあと思います。
雲南省の山奥で、数年前、家の教会の隠れた大きな集会があった時、チャーターしたバスの運転手の居眠り運転で、死傷者のでるバス事故が起こった。家の教会がどうしたかと言うと、まずその未信者の運転手の所に、わたしたちはあなたを赦しますということとイエス様を伝えに行ったと言うのを聞きました。
本当に、ぎりぎりの所で、イエス様のご愛が働いているんだなあと思いました。

もう20年以上も前ですけど、オープンドアーズの中国宣教・報告会に出席して聞いたことも忘れられません。ある宣教師の先生は、食事も与えられないまま捕らわれてしまった。獄中で、自分は、ここで捕らわれ餓死するのを覚悟したら、ある日ねずみが来てえさを落としていった。
宣教師の先生は、たまたま、ねずみが来てえさを落としていったのかと、ねずみの落とした餌を食べて空腹をしのいだ。そしたら、次の日もねずみが餌を落としていった。それはこの世的には偶然が重なったかもしれないんですけど、三回目にねずみがえさを落としていった時に、かって預言者エリヤをからすが持ってくる食料で養ったように、ねずみを持って、神様が自分を養おうとしているとわかった。
わたしそのオープンドアーズの報告会で、ああ、神様は生きて働かれていると思ってとってもうれしくなったのを思い出します。貧乏な兄姉は、あんまりねずみを粗雑に扱わない方が良いかもしれません。米びつにお米がなくなったとき、神様がねずみさんを用いて、養ってくださることがあるかもしれません。

列王記第I、17:4-6
4そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
5それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。
6幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。

聖書は、昔あったことが書いてあるのではなくて、今も現実に、イエス様が働いて神様は生きてらっしゃるのを覚えました。
ぎりぎりの所で、みことば真実であることが明らかになる。
こんなにも、人を動かせ立たせる福音の力ってなんどうろうなあと思うと、それはやっぱり、そこに真実があるからではないだろうかと私たちは考えざるを得ません。

福音とは、何かと言うことを、現わしている聖書の有名な箇所。

ヨハネの福音書3:16
16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

わたしたちの集会のリーダーのベック兄が、新しい方々に話しをされるとき、結構、予定時間より長引くのですけど、最後によくおっしゃるんです。今の話し、全部忘れても別にいいよ。でも、神様がいらっしゃって、その神様があなたを愛していることだけは忘れないでね。
今お話ししたように、たくさんの方が福音のために命をかけて活動したのは、その福音が本物で、その福音に本当の愛があったからではないかと思います。
2,000年前にゴルゴダの丘に十字架が立って、その十字架にイエス・キリストがかけられたことは誰も否定できません。聖書はその十字架が、イエス様のご愛ゆえに、わたしたちが背負うべき罪の罰をみんなイエス様が背負ってくださった。そこに、イエス様のご愛があると語ります。

そして、イエス様のご愛を知った人は、大きな愛を知り、この地上でたくさんの悲しみにあっても、なおも自分自身も、他者にも希望を持ち続けることができる。
さっきのオープンドアーズのねずみに養われる話しも、そこを求めたらちょっと危ない系の話しかもと思って、誤解を生むかもですが、最近、感動した中国のハンナさんのお話しを最後に紹介したいと思います。
30年もの長きにわたり、信仰の故に青海省の労働改造所に捕らえられた婦人伝道者のハンナ姉は、ほとんどその証しを世界に伝えることなく召されたので、まぼろしのハンナ姉と言われるそうです。

もともと体が弱いハンナさんは、労働改造所の食事にも耐えられなくなって、全く食べれなくなって、脈も触れられなくなって、死体置き場に放り出されたそうなんです。役人たちは思想改造に応じないハンナさんを目の敵にしてきたので、心臓が黒いか見てやるから解剖しろと同じ収容者の女医さんに解剖を命じたそうです。
ところがその女医さんはカトリックですが、イエス様を信じていました。ハンナさんを解剖しようとして、まだ心停止していないことに気がつきます。「かまわないかた解剖しろっ」て役人に命をかけて女医さんは、ハンナさんを守ったそうです。
ハンナさんが30年の労働改造所から解放されて故郷に戻った時に、ある日ひとりの男が訪ねて来て、「わたしは、青海省の労働改造所で、あなた達をいじめた役人です。実は、わたしはあの後、イエス様に出会ってイエス様を信じ救われました。イエス様は、わたしの罪を赦してくださいましたが、ハンナさんだけには、ごめんなさいを言いたかったので来ました。」ってやって来たそうです。

青海省って、イスラムが多いそうなんですけど、ハンナさんを通して、家の教会が成長しているそうです。年老いたハンナさんは、わたしたちなんかゆっくりしたらと思うのに、今度は安徽省の農村へたびたび訪問したそうです。
ハンナさんの体の弱さを思って、いつも駅まで送り迎えの奉仕の兄弟姉妹がいたそうです。ある日、ハンナさんは祈っていて、打合せもなくて安徽省の方へ出かけたそうです。駅までなんとかたどりついたハンナさんは、体力の限界で電車を降りると倒れてしまったそうです。
ハンナさんが目を上げると小さな食堂があって、白湯と糊状のとうもろこしのお粥を飲むことができて、その村の家の教会へたどりついたそうです。村人たちは、ちょうど教会で問題があってハンナさんの助けを必要としていて大喜びで迎えたそうです。

「ハンナ先生、今日は、ありがとうございます。ほんとうに、助かりました。でも、どうやってそのお体で一人で、ここまで来ることがでおきになったのですか?」と尋ねたそうです。
ハンナさんが、「感謝なことに駅前の小さな食堂があったから、そこでとうもろこしのお粥を頂いて、力を得ました。帰りにお礼を言おうと思います。」っておっしゃったら、村人がびっくりしたんですね。
「ハンナ先生、何十年もあの駅を使っていますが、そんな食堂見たことがありません。」帰り道、ハンナさんを送って、みんなが来たら、確かに駅前には食堂どころか店一軒ない。ハンナさんはそれで、イエス様がハンナさんを助けられたことを知った。

ちょっと危ない系の話しに近いかもしれないんですけど、わたしは、この話しを聞いて単純に、ああ、イエス様は今も生きて私たちの周りで働いていてくださると感動しました。安徽省の田舎でだけ起こることではなくて、イエス様は、日常茶飯事で、私たちの周りで毎日、今日も、働いていてくださる。
わたしたちはこの世の固定観念と、この世の常識に囲まれて生きているうちに、たくさんのものが見えなくなっていますが、心が開かれたらたくさんのものが見えてくると思います。
福音は、古い文字ではなくて、どの時代にもいつも力をもっていたってことが、今日のお話しでほんの少しでもわかって頂けたらうれしいなあと思います。




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