苦しみの中の祈り賛美歌ヒストリー【後編】


高橋義夫兄

(大阪福音集会、2014/03/16)

引用聖句:詩篇90篇15節
15あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください。

詩篇91:15
15彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

昨日は、日々の歌の204番、198番、176番、132番の作詩の裏にある背景を通して、ひとつひとつの詩が、ひとつひとつの試練を通して書かれたことを学びました。

昨日、お話ししたように、わたしたちも、集会にたどりついた頃、家内の両親があいついで病気で召されて、家内の妹が重い鬱になって、つぎつぎと辛いことが起こりました。
信仰で乗り越えるどころか、私たちは夫婦ともども睡眠障害になって、ずっこけました。
でも、それにもかかわらず、今イエス様は、ご愛に溢れたお方ですと、告白できる者にされていることは、大きな奇蹟だなあと思います。

わたしは、イエス様に出会って、40数年が過ぎましたけど、イエス様に出会った頃、朝早い時間に、ラジオで福音放送があって、それを聞くのがクリスチャンの友達の間で流行りました。羽鳥明って方がよく話されていましたが、こんなお話しが印象に残っています。
夜明け前が一番暗いって、お話しでした。試練のトンネルで、いよいよどん底で、もう真っ暗って、思うときって、案外夜明け前で、トンネルの出口の近くに居るのかもしれないと思います。
そして、イエス様は、支えてトンネルを抜け出させてくださって主は慈しみ深いと叫べる者にしてくださる。

今日も、日々の歌の中でも親しみの多い4曲を通して、それらの作詩の背景を通して、またイエス様の慈しみに、少しでも迫ることがきたらと思います。


【日々の歌180番】:婚約者のあいつぐ死と絶望の母ジョセフ・スクラビン

日々の歌で、一番人気って言うか、一番ヒットはどれになるのでしょうか。180番は、結構慣れ親しんでいるのではと思います。今日は、180番を作詩したスクラビンさんのエピソードを最初に学びたいと思います。
この詩を書いたジョゼフ・スクラビンは、二度、大きな試練を体験しています。ジョゼフは、1819年に生まれました。なかなかのお坊ちゃまだったみたいで、裕福な家庭で、ダブリンのトリニティー・カレッジを卒業。幸せな結婚も予定されていました。
ところが結婚式の前の日に、婚約者が馬に乗っていて、小川を渡る時に、落馬して川の中に落ちて、溺れて召されてしまいます。

スクラビンさんはたいへん落ち込んでしまいます。環境を変えてみたらということで、25才の時に、カナダのオンタリオ湖の北岸のポート・ホープと言う町に学校の教師として移住されました。
わたしたちの集会とルーツがたいへん似ているのですけど、プレマス・ブレザレンの集会がそこにあって、その集会で、信仰も元気も取り戻していくことになります。
当時の教会が元気をなくして、お金持ちで余裕のある人のサロンみたいになっていっている中で、その集会は、貧しい人への奉仕と伝道に熱心だったそうです。

スクラビンものこぎりをかついで、汚れた作業服で、たきぎを買えない人達のために薪を切ってあげたりする奉仕をしたそうです。オンタリオのあたりって、冬は寒いのでしょうね。貧しい暖房のない人達のために、スクラビンは一生懸命に働くのです。
スクラビンは、41才になったとき、23才の集会の姉妹、イライザ・キャサリンと親しくなり、もう一度、婚約します。今度こそ、幸せな家庭をとスクラビンは祈ったと思います。
アイルランドでスクラビンのことを心配していたお母さんも大喜びです。けれども、結婚前にイライザは、結核かかってしまいます。1860年8月6日に、イライザは天に召されます。

天国での再会の希望と、イエス様への信仰でスクラビンは、なんとか支えられるのですが、アイルランドの彼のお母さんが二度になる息子の婚約者の死にすっかり意気消沈してしまいます。
この「いつくしみ深き」の詩は、スクラビンがアイルランドのお母さんを励ますために、書かれたと言われています。
もとの詩の大塚野百合さんの直訳を読んでみたいと思います。

What a friend we have in Jesus,
all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry
everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit,
O what needless pain we bear,
all because we do not carry
everything to God in prayer.

なんと言うすばらしい友でしょうか。
主イエス様が私たちのすべての罪と悩み(うめき)を負ってくださるとは。
なんと言う特権でしょうか。すべてを神様に祈ることができるのは。
しかし、なんとしばしば私たちは平安を受け損ない、
無駄に心を痛めるのでしょうか。
すべてのことを神に告げる祈りをしないからです。

Have we trials and temptations?
Is there trouble any where?
We should never be discouraged;
take it to the Lord in prayer.
Can we find a friend so faithful
who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness;
take it to the Lord in prayer.

試練や、誘惑に出会っていますか?困難が
ありますか?失望してはいけません。主に祈りなさい。
こんなに真実な友があるでしょうか。私たちすべての悲しみ
を感じてくださる方が?主イエスは私たちの弱さを全部
主に祈りなさい。

Are we weak and heavy laden,
cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge;
take it to the Lord in prayer.
Do thy friends despise, forsake thee?
Take it to the Lord in prayer!
In his arms he'll take and shield thee;
thou wilt find a solace there.

重荷に弱り、心労に疲れていますか?尊い主は
私たちの逃れ場(refuge)です。主に祈りなさい。
友に軽蔑され捨てられていますか。主に祈りなさい。
主はそのみ腕にあなたを抱き、あなたを守ってくださいます。
そこにあなたは慰めを見出すでしょう。

ジョゼフ・スクラビンは小柄で小さな人でしたが、いつも平安と優しさに溢れていたと周りの人達は証言しています。
どうして、こんなことがと叫んでもと思う状況の中で、スクラビンは、イエス様に悲しみも痛みもすべてゆだねましょうと祈り作詩しました。
この詩は、20年以上そのままになるのですが、1886年にジョゼフが体調を崩して、サックヴィルと言う人の家で療養させてもらっている時、サックヴィルがこの詩の素晴らしさに気がついて、出版社に送りました。

今の曲は、この詩を読んだムーデイー伝道隊の音楽担当のアイラ・サンキーが曲をつけました。そして、ムーデイーの大伝道会で歌われるや、アメリカ中で、慕われる賛美歌となりました。
ジョゼフが自分が苦しみの中で書いた詩が、世界中で歌われるようになるのを知らず、この詩が出版された1886年に、療養していたサックヴィルの家の近くの用水路に祈るようにひざまずいて召されてました。
1904年にサンキーが出版した「福音唱歌集」にこの「いつくしみ深く」が掲載されました。サンキーはその賛美歌集にこのように書き添えています。

「ジョセフ・スクラビンは、彼の母を慰めるためにこれを書いた、ある特別な悲しみがあった時に。」
このある特別な悲しみとは、二度にわたって婚約者が結婚前に召されると言う悲しみだったと思います。

心を主イエスに注ぎ出す時、
主はいと優しく語らいたもう。
悩みと憂いに沈むその時、
主イエスは呼ばれる、みそば近くに。

試みにもだえ涙する夜、
痛む心をば主イエスの前に。
私の弱さも、涙のもとも、
優しい御手もて、抱きとめたもう。

重荷を負う者、疲れた者に、
「来なさい。」と主イエス、呼びかけたもう。
浮世に責められあざけられても、
主はいつも我と、共にいたもう。


【日々の歌173番】:チャールズ・ウェスレー貧しき人々への伝道

ジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレーて名前は、イギリスの18世紀のリバイバルで、ウェスレーの名前を、どこかで聞かれたことも多いと思います。この日々の歌173番の作詩は、弟の方の、チャールズ・ウェスレーによって、作詩されました。
この賛美歌は、不思議で英語のもとの詩の中で、チャールズは、イエス様に対して、愛するイエスよと「Lover」と呼びかけているのですが、最初、お兄ちゃんのジョン・ウェスレーが、Loverなんて言葉は、ちょっといかがわしい、礼拝にふさわしくないと言っちゃって、礼拝のプログラムに採用してもらえませんでした。
チャールズは、生きているうちは、この賛美歌が歌われるのを聞かなかったのですね。

ウェスレーとチャールズは、イギリスでリバイバルを起こすのですけど、はじめて、路傍に立ってメッセージを始めた人たちとしても有名です。
教会がお金持ちの余裕のある人達の通う所になって、社会の底辺を支えて、産業革命の中、低賃金で工場で働かせて歩む人達と、教会が無縁になっている。だったら、こちらから、出て行ってメッセージをすれば良いと路傍伝道をはじめて、道端に立ってメッセージを始めたそうです。
昨日、紹介した盲目の女性、ファニー・クロスビーも、6,000曲とも9,000曲とも言われる作詩をしたと言われていますが、チャールズ・ウェスレーも、6,500曲の賛美歌に詩をつけたと言われています。

チャールズ・ウェスレーは、1707年に、牧師のお父さんの18番目の子として生まれます。お父さんのサムエルも、お母さんのスザンナも熱心なクリスチャンで牧師夫婦でした。
ひかれたレールの上を歩くように、チャールズは27才で宣教師になって、イギリスからアメリカに向かう船に乗りますが、チャールズの信仰に命のある喜びがなかったそうです。
その時、チャールズの手紙にこのように書かれているのが残っています。「アメリカに逃げてきたのですが、だめです。私は、持ち前の苦悩に耐えられないほど呻いています。ここに来たことを悔いていないのは、英国にいても、パラダイスにいたとしても、何も良いことがないと思うからです。どこに行っても、私は自分の地獄を持ち歩いているのです。」

そのとき、彼らの船に同船してたのが、あり方が、ちょっと集会のルーツに似ているのですけど、「モラビア兄弟団」と呼ばれる信仰の群れでした。彼らは、ウェスレーたちが持っていない生きた信仰の喜びを持っているように思えました。
1年間、チャールズは、兄とともにアメリカで伝道しますが、実りも少なくロンドンに帰ります。そのロンドンで、この「モラビア兄弟団」のリーダーのひとり、ツィンツェンドルフに出会い深い感動を覚えたそうです。
モラビア兄弟団のペーター・ペーラーは、うじうじして信仰の喜びのないチャールズに語ります。

「ただ、信じなさい。そうすれば、あなたは救われます。主イエスをただ、心から信じなさい。そうすれば、不可能はありません。この信仰は、それがもたらす救いと同様に、神の無償の賜物(free gift)なのです。求めれば見いだせます。あなた自身の義を脱ぎ捨てて、裸になりなさい。そして、裸のまま行きなさい。」
その後、モラビア兄弟団の兄弟の家で、チャールズは、ガラテヤ人への手紙2章を読んで、目が開かれます。

ガラテヤ人への手紙2:20
20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

兄のジョン・ウェスレーも三日後に、モラビア兄弟団の集会で神様のfree gift、値無しに与えられる恵みを知り救われます。
自分の善行や罪にうじうじして恐れる神様であったのが、その日から二人に愛の神様になったと語ります。こうして、ウェスレー兄弟を中心にイギリスに大きなリバイバルが起こります。
兄のジョンは回心の直後、三ヶ月、モラビア兄弟団の本拠地ドイツへ旅します。そこで、メッセージされていたのは、

「あなたがたが、もし、義とされるために、もっと謙遜にへりくだりもっと罪を悲しみ、もっと罪の重荷を感じなければならないと思っているなら間違いです。
なぜなら、もしそうなら、あなたの謙遜、悲嘆、罪を感じて苦しんでいることが、あなたが義とされることの条件になってしまうからです。
わたしたちは、ただキリストの十字架により、値無しに義とされるのです。」

1740年にこの日々の歌173番はチャールズに作詩されました。
直訳すると、

私は落ち込み、気を失い、倒れそうです。
あなたの愛の御手を伸べてください。
あなたのみ力をうけるとき瀕死なのですが
生きることができるのです。

となります。自分のうちに救いの原因が何もない。ただ、イエス様からのフリーギフト。無償の贈り物として、救いが与えられることを語っています。

愛する主イエス、あなたの胸に、
抱きとめたまえ、小さな私。
力尽き果て、忘れ去られて。
ただ主イエスだけ、私の友は。

愛する主イエス、あなたの腕で、
守らせたまえ、弱いこの身を。
望み消え失せ、光は見えず。
ただ主が語る、みことば頼り。

愛する主イエス、翼の陰に、
守られ憩うその安けさよ。
試練の時も、喜ぶ時も、
主イエスのもとに、私は休む。

愛する主イエス、いのちの泉。
恵みは満ちて、この身にあふる。
語る御声に、耳をすませば、
心の中に、いのちあふれる。


【日々の歌168番】:妻と子が、出産の悲劇を越えてゴスペルの父トーマス・A・ドーシー

日々の歌168番は、ゴスペル父として有名なトーマス・A・ドーシーの作詩で、もとの英語の詩は、Precious Lordとして有名です。
「傷に痛み疲れ果て倒れあえぐ我を」は、ドーシーの妻、ネティーを襲った試練について語っています。
1932年、ドーシーとネティーは共にイエス様に出会いシカゴ・ピルグリム・バプテスト教会の熱心な信徒でした。ネティーは、お腹の子の臨月を迎えていました。

ドーシーには、セントルイスのリバイバル集会で、賛美を歌うようにオファーが来ていました。最初の子の出産だから、今回はパスしても、イエス様が許してくださると言うドーシーに、ネティーは、主のご用だから行って欲しいと強く勧めます。
セントルイスのリバイバル集会で二日目のステージに立っていたドーシーに、電報が届きます。ネティーは、出産した。しかし、ネティーは、産後、息絶えた。
ドーシーは、気も動転で、セントルイスからシカゴへ、友人の車で戻ります。冷たくなったままのネティーにすがりついて泣くドーシーに、さらなる試練が襲います。命がけでネティーが産んだベビーも、まもなく召されたのです。

Precious Lord Recording of Great Gospel Songs of Thomas A Dorseyって、古い古いレコードに、ドーシーの肉声の証しが曲の間に録音されているそうです。
ドーシーは、その時のことを語ります。

「妻の死の知らせは、私の心を凍り付かせ、息の根を止めたので私は、イエス様に出会う前の、ブルースの世界に戻ってしまおうかとさえ思いました。
イエス様を信じて、イエス様のための奉仕に日々労する私たち夫婦になせ、愛の神様なら、祝福のかわりに、このような厳しい試練を下さるのだろう・・・。」

ドーシーは、自分のイエス様との出会いを振り返ります。
ドーシーは22歳の時、ピルグリム・バプテストの伝道会で、ある賛美を聞いて、イエス様に出会います。
それは、日々の歌169番の、「行く手に望みも消えて」のエクセルが作詩した「アイドゥ、ドントユー?(私はそうだ、君もだろう?」って賛美歌でした。

私は偉大な救い主を知っている。
私はそうだ、きみは違うか?
私は主の愛に生きる
私はそうだ。君は違うか?
私は、主の恩寵を願う。
私は主のまえに祈る
私は主を愛したたえる
私はそうだ。君は違うか?

と言う賛美でした。小さい時、巡回伝道者の両親とともに信仰の中で育てられたドーシーは、やがてイエス様を忘れ、この世のブルースの世界で、有名になっていました。
この賛美を聞いたとき、むなしいブルースの世界ではなくて、イエス様のために歌いたいと、ブルースからゴスペルへドーシーは回心しました。
けれども、試練の中で悪魔は、イエス様を信じても何も良いことがないじゃないかとドーシーにささやきます。

その中で、ピアノでジョージ・アレンの古い賛美を弾きながら作詩したのが、日々の歌168番です。
もとの英語の詩の直訳はこのようになります。

荒波にもまれて海にただよう船のように
人生の嵐が吹きまくって私に猛威をふるうとき
私はいぶかるのです。
私が何をしたからといってこのような苦難がおそうのかと
そのとき、私は自分の魂に言います。勇気を出せ。
主は道を開いてくださると。

Like a ship that's toss'd and driven,
Battered by an angry sea
When the storms of life are raging,
And their fury falls on me,

I wonder what I have done,
That makes this race so hard to run.
Then I say to my soul, take courage
The Lord will make a way somehow.

慕い仰ぐ、我が主イエスよ。
支えたまえ我を。
傷に痛み、疲れ果てて
倒れあえぐ我を。

嵐猛り、闇は深く、
ゆく手光見えず。
この手を取り、連れ出したまえ、
道に迷う我を。

叫び祈る声を聞かれ、
答えられる主イエス。
いつも共に、私のそばで、
支えたもう主イエス。


【日々の歌119番】:ファニー・クロスビー信仰の確信

最後に昨日の復習をかねて、もう一度、盲目の女性ファニークロスビー作詩の賛美歌ですが、日々の歌119番もファニーの作詩です。
この詩を作ったとき、ファニーは、53才だったそうです。
作詩した週の日曜日に、ファニーは日曜礼拝で、ヘブル人の手紙10章22節からのメッセージを聞きました。

ヘブル人の手紙10:22
22そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

この「全き信仰を持って」は、ファニーの持っていた英語の聖書でwith a true heart in full assurance of faith、信仰の確信に満たされてとなっています。
ファニーは、この「assurance」、確信をテーマに書いたそうです。もとの詩は、「祝福された確信よ、イエスは私のものです。」になっています。
日々の歌では、1節

十字架の血潮で罪とがを洗われ
滅び行くこの身を救われた喜び

たえず主をあかしし
いつも主をたたえる
救われた恵みを
伝えゆく幸せ

となっています。本当に、こんなふうにいつも救いの確信に溢れて歩むことができたら、なんと幸いなことでしょうか。

十字架の血潮で、罪咎を洗われ、
滅びゆくこの身を、救われた喜び。

*絶えず主をあかしし、
いつも主をたたえる。
救われた恵みを、
伝えゆくしあわせ。

主を信じ受け入れ、神の子とせられて、
新たなるいのちに、移された喜び。
(*おりかえし)

今は主に従い、すべて主にゆだねて、
御心の成るまま、歩み行く安けさ。
(*おりかえし)


今回の、昨日、今日のメッセージは、下調べに随分時間がかかったのですけど、自分でも楽しく学ばせて頂きました。こんな分厚い本5冊分です。
なかなか日本語の文献がないので、英語で検索して、私は英語ができないので、それをWEB翻訳して。スクラビンの婚約者がなんで召されたのだろうとか、ひとつひとつたどって調べました。でも、それは、とても楽しい作業でした。
日頃歌ってる歌詞の作詩の背景にこんな試練があったんだ。それにもかかわらず、はっきりと、主は慈しみ深いと語ってる。こうやって見てくると、ひとつひとつ、みな苦しみ悩みを通らなければ、書けなかった賛美歌に思います。この作詞者たちが通った苦しみや痛みの中で、イエス様との出会いがあったと思います。

昨日、紹介した日々の歌132番、「小さな私の名を呼び」のもとの英語の詩の直訳をもう一度読んで終わりたいと思います。

安らかに主イエスのみ腕にいだかれて、安らかにやさしいみ胸
によりそって、主の愛の影におおわれて、私の心は憩います。
ああ、あれは天使の歌声です。栄えに満ちた野山を越えて、
碧玉の海をこえて私の耳に響くのは

Safe in the arms of Jesus, safe on His gentle breast,
There by His loveo 'er shaded, sweetly my soul shall rest.
Hark! 'tis the voice of angels, borne in a song to me.
Over the fields of glory, over the jasper sea.

安らかに主イエスのみ腕にいだかれるとき、やつれるほどの
労苦を忘れ、世の誘惑から守られ、罪も私をそこないません。
悲嘆によって砕けた心も癒やされ、疑い恐れからときはなたれ
ます。試練に涙することも少しはあるでしょうが、それもしば
しのことです。

Safe in the arms of Jesus, safe on His gentle breast
There by His love o'er shaded, sweetly my soul shall rest.

Safe in the arms of Jesus, safe from corroding care,
Safe from the world's temptations, sin cannot harm me there.
Free from the blight of sorrow, free from my doubts and fears;
Only a few more trials, only a few more tears!

主イエスは、わたしの尊い避け所、主イエスは私のために死な
れました。千歳のいわおによりすがり、とこしえに主を信頼し
ます。この地上で、忍耐をもって待ちわびます。闇夜の明ける
まで、朝がふたたび訪れて、黄金の岸が輝く日まで。

Jesus, my heart's dear Refuge, Jesus has died for me;
Firm on the Rock of Ages, ever my trust shall be.
Here let me wait with patience, wait till the night is over;
Wait till I see the morning break on the golden shore.

ありがとうございました。




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