望みの神様


高橋義夫兄

(牧野正俊兄前夜式、2009/12/24)

親しかった方が天に召されるたびに、天国は身近になっていきます。
今日、こうして兄弟の前夜式ということで、親しかった方々、ご友人、兄弟姉妹が、ひとつに集められましたから感謝です。
兄弟は病院を何度か変わられたのですけど、春にも、夏にも、秋にも、お見舞いに行かせて頂きました。兄弟は、お孫さんのこともあってか、うちの息子をたいへんかわいがってくださいました。

10月のその頃、ちょっと体調くずれはじめられて、最後、息子と兄弟と私と三人でお祈りしました。
「お祈りしましょうね。」って言ったら、聞き取れなかったようなので、ジェスチャーでお祈りお祈りとしたら、兄弟が、かわいくベッドの上で、胸の上で手をあわせてくだいました。そのお姿がとってもかわいく思いました。
兄弟とは、ほんとうに長いおつきあいなんですけど、兄弟が本当にイエス様に愛されて、イエス様を大好きなんだなーと感じたのは、入院されてから特に感じました。

いつも、病院であんまり長くいたりしたら疲れるかなと遠慮して帰ろうとしたら、「ほらいっちょやってくださいよ。」とおっしゃるんですね。
私も集会でときどきメッセージしたり、日曜日には立ってお祈りしたりしてるので、「賛美をして、聖書を読んで、お祈りする。」のが「いっちょやってくださいよ。」なんですね。
せっかくお見舞い来たんだから、聖書読んでください。賛美してください。お祈りしてください。ほんとうに、イエス様が好きなんだと感じました。

病院へ行く道で、リサイクル屋さんとかアンティークのお店。それから白いあんこの鯛焼き屋さんもあって、楽しい道で、あの坂を上ったら、兄弟が、いつもにこにこ迎えてくれるような気がします。
息子がその鯛焼きに目をつけていまして、「冬休みになったらまたおじいちゃんお見舞い行こうよ。」って言ってたんですけど、イエス様が、「もう、地上の苦しみは終ったよ。わたしの所においで。」って、招いてくださったんだなと感じました。
私にとっては、あの秋の日に息子と二人で坂を上って、兄弟と三人でお祈りした日のことは、大切な思い出の宝です。

ほんとうに、思い出話をしていると、それだけで何時間もなんですけど、兄弟の大好きだったイエス様についてご紹介しないと、兄弟に叱られると思います。
聖書にこんなに力強い箇所があります。

コリント人への手紙第I、15:54
54しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

兄弟も慕われ、私達の集会の重荷を担ってくださっているベック兄がよくおっしゃいます。
今日は、前夜式、明日は葬儀。それから記念会納骨式、家庭集会。わたしたちは、いろんな名前のついた集会を開催します。でも、すべての集会は、表向き名前が違うだけで中身は同じだよ。それは、喜びの集いである。
別れの悲しみや、時には突然の死や、痛みを伴う死もありますが、それにもかかわらず葬儀でさえも、喜びの集いであるとおっしゃいます。その理由は、私達の主イエス様の神様が、望みの神であるからです。

ローマ人への手紙15:13
13どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

毎日みなさんが、日々労苦されていますように、現代の特徴は、絶望です。望みがないということです。もう、おしまい。
病気になっちゃった。もうおしまい。仕事がうまくいかない、もうおしまい。でも、兄弟の病床がいろいろあっても平安であったように、ほんとうの神様は、どんな時にも望みを下さる神様です。
この世には、目には見せませんが、天国の希望があり、望みがあり、救いの道がある。そのことの、4つのたしかな証拠があります。その4つの証拠をご紹介して、メッセージに変えさせて頂けたらなと思いました。

わたしたちの神様は、望みの神様です。その証拠のひとつは聖書です。ひとつは、神様が聖書を残されたことです。
私は、学校で使う教科書に関係するお仕事をさせて頂いていますが、平成23年、24年の教科書改訂に向かってたいへんです。短くて4年、長くて6年で、文部省検定教科書は改訂しないとどうもうまくない。
でも、新約聖書2,000年、旧約聖書はもっともっと改訂の必要もなく、神様の真理を私達に伝えています。その聖書が、望みの神がいらっしゃると伝えています。

ヨハネの福音書3:16
16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

兄弟は、お見舞いに行くと、「みことばを読んでください。」といつもおっしゃいました。
みことばは生きて働いて、力があることをわたしたちも教えて頂きました。

ふたつめは、みことばを信じ歩んできた者の証しが、望みの神の真実を伝えています。そのことは、「悩みながら、苦しみながらも、喜ぶことができる。」と言う言葉で表現されます。
私達も親しかった名古屋のある召された兄弟は、この世的には召されるにはまだ早かったのですけど、余命が少ないのを知っていても、その病室は平安に満ちていました。
それで、お見舞いに来た人と別れる時のご挨拶が、「つぎは、天国で会いましょうね。」だったんです。多くの兄弟姉妹が、平安でいられるはずのない状況で、平安に望みを持ち続けた証しは、望みの神が本当にいらっしゃる大きな大きな証しであり証拠です。

ある姉妹が、違う階になって入院されたときは、姉妹のところにいくと、「あ、どうしてました。」と聞かれて、兄弟のところにいくと「どうしてましたか。」
で、元気な時は、姉妹は、ちょっと社会的なマイノリティーって言うか少数派の立場に立たされた障害について、ワンテーマがあって、そのことで、話し出すと止まらなくなるので、「いやー姉妹元気に話してましたよっ」って言うと、「そうですか」と安心されました。
病気のことで、少し平常心を失われることもあったと聞いていますが、私達が会う病床の兄弟はいつも平安でした。みことばを信じる者の平安な姿が、望みの神を証ししています。

そして、三つ目の証拠は、わたしたち一人一人の心の中にあります。
もし、望みの神がいらっしゃらないなら、世界はなんと絶望に満ちて不条理なことでしょうか。望みの神なんていないと、私達が否定しようとしても私達の魂が知っているように最近思います。
神様はいないと叫ぶ無神論者の心が、私を救って下さる神様がいるはずだと叫びを上げているように、神様は人間を造られた時に仕組まれたようにさえ思います。

もし、病気や、痛みや、苦痛が単に痛みだけであったら、あまりに世界は不条理である。そんなはずがない。
私達以外に絶対的な他者として、私達を救う者がいるはずだと、私達はどこかで感じているのではないでしょうか。
そして、その感じと言うか、呼びかけは私達が苦しみ出会うとき、痛みに出会う時に聞こえやすいのではないでしょうか。

聖書の中で、苦しみの書として知られているヨブ記の中で、そのヨブ記の中心と言われる箇所でヨブは叫びます。
家族も失い病気にもなったヨブが、友達にも責められる中で叫ぶ、旧約聖書の有名な言葉あります。それは、ヨブ記19章で、

ヨブ記19:25-26
25私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。
26私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。

わたしたちは、どんなに失望の底にあっても、絶望のふちにあっても、わたしたちの心のすみに、たましいの中に、ヨブが苦しみの中で叫んだように、望みの神がいて、私を救ってくださる。
私を救う神がいてくださる。そのことを知っているのではないでしょうか。
また、神様も呼びかけてくださっているのではないでしょうか。

先ほども歌った賛美の180番なんですね。これは、姉妹の前夜式でも、召天式、そして、今日も明日もともに賛美する、兄弟が大好きだった賛美は180番です。
この180番は、アメリカでムーデー伝道団って、大きな福音を伝える伝道団が1904年に出版した福音唱歌集に掲載されました。
作曲者はチャールズ・コンバースって、フランツ・リストって大音楽家でピアニストの弟子ですが、作詞者については、「ジョゼフ・スクラビンが彼の母を慰めるために作詞する」とだけ小さく印刷されていました。

主は、いとやさしく語らいたもう。この曲は、本当に有名な賛美歌で、みなさん一度はどこかで聞かれたことがあると思います。
いろんなふうに訳されていますが、「いつくしみ深き」って歌詞が有名でしょうか。
だからきっと幸せな方が感謝しながら作ったんだろうと思ってしまいます。でも調べてみると多くの悲しみを通して生まれた詩なんです。

兄弟が大好きだったこの曲の作詞者、ジョゼフ・スクラビンさんについて少しだけ紹介したいと思います。
彼は、1819年アイルランドのダブリン育ち。カレッジを卒業して、しばらくしてやさしい彼女と婚約。彼が、人生に悲しみがあるのを知るのは、結婚式の前日。
いとしい彼女が、事故で、溺れ死ぬと言う悲劇が起こります。それで、たくさんの日本語の本を読んでも、なんで溺れたかあまり書いてないのですね。

私はすごく興味を持って、読めない横文字の文献も辞書をひきひき調べてみたのです。どうも、馬で橋を渡っていた時に、落馬して川に落ちたらしい。愛する者が喜びの結婚の日の前日に溺れてしまう。大きな痛みにスクラビンは出会っています。
さらに調べると、スクラビンはさらなる試練にも出会っているのですね。スクラビンは、なんとか立ち直ろうと、大西洋を渡って、カナダの新天地へ行きます。
オンタリオ湖の近くで、教師のようなことをしながら、そこで、わたしたちのようなどの宗派にも属さないプレマス・ブレザレンって、クリスチャンの群れに出会い彼自身、イエス様を深く知ることになります。

労働のボランティア。英国の教会やアメリカの教会が宗教になってお金持ちのサロンみたいになってきつつある1850年代に、貧しい者にこそ、イエス様の愛を伝えようと言うのが、カナダのプレマスブレザレンだったそうです。
プレマス・ブレザレンの交わりの中で、彼は、再び、明るさを取り戻したそうです。他の人のために奉仕することで彼は慰めを得ようとして貧しい生活を送ったそうです。
冬になる前にのこぎりを持って木を切って、貧しいお家に薪を作ってあげたと言う記事もありました。

婚約者の事故を乗り越えて、15年の歳月が流れます。1860年41歳のとき、彼は同じプレマスブレザレンの群れで奉仕する一人の女性と祈り会うようになります。彼女は、23歳だったらしい。
25歳のとき失ったときの婚約者が舞い戻ったかのような素敵な女性だったそうです。名前はイライザさんと文献に残っています。
彼は再び婚約します。主は、すばらしい。いやしてくれて回復させてくださった。彼も、周りの者もそう思いました。彼のことを心配していたアイルランドのお母さんも喜びました。

けれども、もう一度、彼は、大きな痛みを体験することになります。結婚を前に、イライザさんは、肺の病気にかかってしまいます。
肺炎とも肺結核とも書かれた文献があるんですけど、どうも進行が早くて、スクラビンの献身的な看病にかかわらず、彼女は、結婚式を待つことなく、天に召されていきます。
スクラビンは、イエス様が大好きで一生懸命貧しい人に福音を伝えようとしたのに、彼が得たのは、どんな幸せだったのでしょうか。彼は、二度の愛する婚約者の死を体験しました。。

その苦しみの中で、彼は、それでもあなたは「望みの神」を信じますか?と言う大きな問いかけの前に立たされます。そして、何よりもアイルランドの彼の母が、希望をなくして沈んでしまいます。
彼は、すぐにでも、アイルランドに船で帰って、彼以上に沈んでいる母を励ましたいと思うのですけど、すべてを捧げて福音のためにお金を使ってたスクラビンに、アイルランドに帰る旅費もなかったそうです。
そして、ある日、彼は、なんとか母を励ましたいと、自分自身も心の痛みを負う中で、紙を出してペンをとり、一片の詩を書き始めるのです。

自分に対して、アイルランドのお母さんに対して、私はたくさんの苦しみにあったけど、お母さん、わたしたちの神様は愛の神様、望みの神様ですよ。ですから、イエス様が私達とともにいてくださる事もお母さんも見つめてください。
その詩の出だしは、感嘆文で、「なんと言う友でしょうか。イエス様は・・」で始まります。
その詩が、後にムーデーって言う当時の大伝道者の群れの歌集に曲をつけて掲載されることになり、今日も歌った180番の賛美歌になったのですね。

スクラビンの元の詩を大塚野百合さんて、英語のとてもえらい先生が直訳してくださった文章があるんです。
少しその直訳の詩を読むので耳をすまして聞いてくださったら感謝です。

1番

なんと言うすばらしい友でしょうか。主イエスが私達のすべての罪と悩みを負ってくださるとは!
なんと言う特権でしょうか。すべてを神に祈ることができるのは!
しかし、なんとしばしば私達は平安を受け損ない、無駄に心を痛めるのでしょうか。
すべてを神に告げる祈りをしないからです。

2番は

試練や誘惑に出会っていますか?困難がありますか?
失望してはいけません。主に祈りなさい。
こんなに真実な友があるでしょうか、私達のすべての悲しみを感じてくださると言う方が。
主イエスは、わたしたちの弱さを全部ご存知です。主に祈りなさい。

3番

重荷に弱り、心労に疲れていますか?
貴い主は、私達の逃れ場です。主に祈りなさい。
友に軽蔑され、捨てられていますか。主に祈りなさい。
主はそのみ腕にあなたを抱き、あなたを守ってくださいます。そこにあなたは慰めを見いだすでしょう。

スクラビンが自分自身に、アイルランドのお母さんに、そして私達に、「イエス様に祈ってごらん。そこに平安があるよ。」と語っているように思います。兄弟が大好きだった賛美歌です。
望みの神の証拠を3つ見てきました。
1番目みことばがある。2番目多くの兄弟姉妹のあかしがある。3番目わたしたちの心が望みの神がいなければとどこかで知っています。

最後に短く短く4番目の望みの神様がいらっしゃる決定的な証拠があります。「望みの神」がいらっしゃる動かせない決定的証拠。みなさん、なんだと思われるでしょうか。
それは、2,000年前、ゴルゴダの丘に、イエス様がかかられた十字架が立っていると言う歴史的な事実です。それは、歴史的事実で、現実に起こったことで、誰もそれを否定できません。そしてそれは、神様の愛を語っています。
わたしたちの我が儘も罪も汚れも、全部背負って、2,000年前にイエス様はゴルゴダの丘の十字架にかかってくださり、そこから「私は、あなたを愛しています。」と言うメッセージを語っていてくださいます。

わたしたち人間は本当に、失望すること、悲しむことが上手です。その失望や絶望に対して、今紹介した4つの証拠は、はっきりと私達を愛し、私達のために十字架にかかって愛を示してくださった望みの神がいらっしゃることを示しています。
目が開かれたら、この世界は、その望みの神のご愛に満ちています。
兄弟はそれをよくご存知でしたから、平安に、イエス様のところへ行かれました。

時間が来たので終りますが、最後に、子供集会で、よく「ブラッドレイ君の請求書」と言う話しをします。私は、こども集会専門で、話が子供集会になって申し訳けありません。
ブラッドレイ君は、お母さんにいろいろ言われるのが嫌だったんですね。でも、お母さんは、お使いに行きなさいとか、音楽のお稽古に行きなさいとか、言うんです。
ブラッドレイ君は考えるんですね。なんとか逃れる方法はないかしら。

ある日曜日の朝、ブラッドレイ君は、お母さんに一枚の紙を渡すんです。それは、ブラッドレイのお母さんへの請求書。合計請求額が、4ドル。
内訳は、お母さんのお使いに行ってあげました代金、1ドル。お母さんい頼まれてお掃除しました2ドル。言われたとおりに、音楽のお稽古に行きました。1ドル。で、合計4ドル。お母さんに、朝、渡しました。
結論を急ぎますと、日曜日のお昼に、お母さんは、ブラッドレイ君に、ちゃんと4ドル渡してくれます。そして、もう一枚の紙を渡すんです。ブラッドレイ君は、4ドルもらって、大喜びします。

で、もう一枚のその紙を見てみると、今度は、「お母さんのブラッドレイ君への請求書。」だったんです。
内訳は、ブラッドレイ君に親切にしてあげた代金。ブラッドレイ君が病気した時の看病代金。ブラッドレイ君の服やおもちゃ代金。ブラッドレイ君のお部屋代金・・・。となっているんです。
でも、合計請求金額が、0ドル(無料)になっているんです。看病してあげました代金0ドル(無料)。服代、0ドル。

このお話しで、いつも思うんです。望みの神様がいらっしゃる決定的な証拠は、ゴルゴダの丘に立っているイエス様の十字架です。それは誰が否定しようとしても、否定しようがない事実です。
そして、その十字架は、値なしに、イエス様がくださった。イエス様が私の罪を全部背負って、痛みながら十字架にかかった代金は、なんと0ドルなんです。値なしに私に与えられる。
兄弟は、そのイエス様を信じて、その望みの神様を自分のものとして天に行かれました。そのことを、私達ひとりひとりも心に覚えることができたら幸いに思います。




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