「うれしいなぁ。」、まずひと言葉お読みいたしたいと思います。 コリント人への手紙第I、3:17
神の神殿を心の眼で見るようになれば、すごいことだと思います。 テモテへの手紙第I、2:4
サムエル記第I、18:17
主の戦い。イエス様の御心は、すべての人間が助けられることであり、悪魔の願いは、まさにこれと反対。すべての人間が呪われることです。 イエス様の御心が、人間が真理を知るに至ることであり、悪魔の願いは、すべての人間が、試みにあって、誘惑され、間違った道に行くことです。 イエス様の御心と悪魔の願いが、このように対立するものであり、主に属する者はみな戦いの中に投げ込まれています。 主に属する者の生活は、決して遊びごとではない。つまり、我々の生活は、まず、ふさわしい歩み、あるいはふさわしく歩むことでなければなりません。 パウロは告白しました。 エペソ人への手紙4:1
原語をみると奴隷、 エペソ人への手紙4:1-3
人間の作る一致とは、にせものです。御霊の一致だけです。 次に、主に属する者の生活とは、競争です。 ヘブル人への手紙12:1
走ろうではないか。また、信ずる者の生活は、旅人、寄留者である歩みでなければならないということです。 ペテロの手紙第I、2:11
主に従う者は、寄留者、あるいは異分子のような者であります。寄留者としてこの世で歩まなければならないとはっきり言っているのです。これを一言で表現するならば、結局、主に属する者の生活は、戦いです。 このような歩みをするために、人間は自分自身の力によることはできず、主の力により頼む以外に方法はない。ただ、イエス様にお従いしたい人々は、確かに誰でもこの戦いの中に投げ込まれています。 もちろん我々の戦いは血肉、すなわち人間に対する、この目に見える世界に対する戦いではない。悪魔に対する戦いです。したがって、パウロはエペソにいる兄弟姉妹に書いたのです。 エペソ人への手紙6:12
ちょっと考えられない、想像できない、けどもそれを忘れるとちょっと悪魔の勝利になります。我々の戦いは、悪魔に対する戦いです。ここで、元日、楽しく集まって喜ぶのは結構ですけれど、結局、悪魔を攻撃するために私たちは集まっているのです。 聖書を見ると、3種類の敵がある。我々に対立する1番目の敵は、この世です。この目に見える世界です。2番目の敵は、肉です。自分です。3番目の敵は、悪魔です。 この世については、聖書は次のように言っています。イエス様の祈りの中のことばです。 ヨハネの福音書17:14-16
聖書はまた、この世の友は神の敵であると言っています。 ヤコブの手紙4:4
この世との内面的な分離がなければ、本当に主との交わりにあずかることはできません。 第2の敵は、いわゆる肉です。パウロはガラテヤ人への手紙の中で書いたのです。 ガラテヤ人への手紙5:17
ここで、肉とは、もちろん人間のわがままなんです。人間のわがままの意志のことです。 自分のことばっかりを考える者は、知らないうちに悪魔の奴隷になってしまいます。 第3の敵は、この世と肉を利用する悪魔です。 ペテロの手紙第I、5:8
我々の敵は人間じゃない、この目に見える世界じゃない、悪魔です。 ペテロの手紙第I、15:8
これらの3つの敵を、軽く考えることは、大きな間違いです。 悪魔は日夜、我々を攻撃しようと隙をねらっています。主は、何百回も言います。「恐れることはない。わたしは、あなたがたと共におり、あなたがたの代わりに戦っているのです。」、すごい約束です。 「恐れることはない。わたしは、あなたがたと共におり、あなたがたの代わりに戦っているのです。」と。 敵は決して、想像上の偶像物ではありません。この世の恐るべき敵の力のために、恐れることは、全く当然のことと言えましょう。 けど、私たちは主と共に圧倒的な勝利者であることを許されています。 ローマ人への手紙8:37
勝利者であるイエス様は、確かに器を求めておられ、その器を通して、ご自信の勝利を明らかにすることができるのです。 そしてイエス様は我々を、主に属する者一人ひとりを同労者として、用いようとしておられます。 すべてはイエス様にゆだねられています。イエス様は、ご自分がお用いになることのできる兄弟姉妹、すなわち、すべてを主にゆだねた兄弟姉妹を求めておられます。今日、最も必要なのは、主の同労者です。 パウロは言えたのです。「私たちは、神の同労者です。私たちは、神と共に働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。」 頭なるイエス様は、主なるからだである教会を通してお働きになり、ご自身を明らかになさりたいと思っておられます。 主こそ、我々の生活の中の最優先されるべきです。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられます。」と。 歴代誌第I、28:9
我々の日常生活の中には、何が最優先を占めているのでしょうか。我々の目指すところとは、いったい何なのでしょうか。 我々に与えられる義務は、もちろん福音を述べ伝えることです。イエス様を紹介することです。 だから、「全世界に出て行け。すべての創られた者に福音を述べ伝えなさい」は、イエス様を紹介しなさい。これは、我々の果たさなければならない義務なのではないでしょうか。もう一箇所、読んで終わります。 イザヤ書41:10
主は、本当に忠実であり、今いっしょに歌いましたように、主は生きておられる。 この生きておられる主を仰ぎ見ることとは、最高の特権なのではないでしょうか。 |