ダニエル生けるしもべ2


ベック兄

(テープ聞き取り、ダニエル生ける神のしもべシリーズ)

引用聖句:ダニエル書6章1節-20節
1ダリヨスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。
2彼はまた、彼らの上に三人の大臣を置いたが、ダニエルは、そのうちのひとりであった。太守たちはこの三人に報告を出すことにして、王が損害を受けないようにした。
3ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。
4大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。
5そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」
6それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。
7国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。
8王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」
9そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。
10ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。――彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。――彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。
11すると、この者たちは申し合わせてやって来て、ダニエルが神に祈願し、哀願しているのを見た。
12そこで、彼らは王の前に進み出て、王の禁令について言った。「王よ。今から三十日間、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令にあなたは署名されたではありませんか。」王は答えて言った。「取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のように、そのことは確かである。」
13そこで、彼らは王に告げて言った。「ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。」
14このことを聞いて、王は非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた。
15そのとき、あの者たちは申し合わせて王のもとに来て言った。「王よ。王が制定したどんな禁令も法令も、決して変更されることはない、ということが、メディヤやペルシヤの法律であることをご承知ください。」
16そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」
17一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。
18こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。
19王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
20その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」

今日は続いてダニエル書を見てみたいと思いますけれども、ダニエルの信仰は確かに立派ですばらしいものです。
聖書はダニエルについて良いことしか言ってないんです。ダニエルの欠点について、ダニエルの弱さについて一ことばも聖書の中に書かれていません。

彼の根拠なるものとは、間違いなく主の約束であり、主のみことばでした。今ちょっと思い出した箇所は115篇なんです。非常にすばらしい箇所です。
ダニエルもこの箇所をもちろん知っていたし、この箇所は3,000年前に書かれたものであり、ダニエルという者はだいたい2,600年前に生きていた人だったから、結局、彼の時代よりも400年前に書かれた箇所です。
非常にみなさんもよくご存知の箇所であり、すばらしい箇所です。

詩篇115:1-8
1私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。
2なぜ、国々は言うのか。「彼らの神は、いったいどこにいるのか。」と。
3私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行なわれる。
4彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。
5口があっても語れず、目があっても見えない。
6耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。
7手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。
8これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。

偶像とは聾であり、唖であり、いくら祈っても答えられません。われわれの神は生きておられるお方です。この方に信頼すると守られます。導かれます。祝福されます。
ダニエルは間違いなくこの箇所を知っていて、毎日思い出したでしょう。私の神は生きておられるお方です。
彼は小さいときから老人になるまでいつも、忠実に主なる神に仕えていたのです。6章を見ると分かります。

ダニエル書6:4
4大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。

われわれについて言えないことばです。本当に彼の信仰は模範的で、彼は忠実に主に従ったのです。
だからと言って主なる神はダニエルを守ったと聖書は言っていません。ダニエルは獅子の穴に投げ入れられたのです。
ダニエルは主の栄光だけを求めたからこそ、このような辛いことを経験しなければならなかったのです。

詩篇の作者は77篇の13節と14節に次のように書いてます。

詩篇77:13-14
13神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。
14あなたは奇しいわざを行なわれる神、国々の民の中に御力を現わされる方です。

詩篇77:19
19あなたの道は海の中にあり、

普通、海の中に道はない。あり得ない。けども詩篇の作者は体験的に知るようになった。こういうふうに告白しています。

詩篇77:19-20
19あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。
20あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。

ダニエルは忠実に主にだけ仕えましたけど、それにしても獅子の穴に投げ込まれたのです。
その夜ぐっすり寝たのはダニエルであり、王ではなかったのです。王さまは恐ろしい夜を過ごしたのです。彼は不安と心配の奴隷であり、一秒も寝られなかったのです。

彼の次の朝の質問は心から出た叫びでした。「生きる神のしもべダニエ。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」
ダニエルの答えは本当にすばらしい証しでしたね。

ダニエル書6:22-23
22私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」
23そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。

結局ダニエルは、「今まで神に忠実に仕えたのに、獅子の穴に投げ込まれることとはとんでもない。もう信頼することをやめる。」、そういう気持ちにならなかった。
「今こそ、信頼します。今こそ、主に頼ります。」

詩篇の97篇に次のような箇所が書かれています。ダニエルもこのことばを知っていたのであり、主にだけ従おうと決心んしたに違いない。

詩篇97:10
10主を愛する者たちよ。悪を憎め。主は聖徒たちのいのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。

これこそダニエルの経験でした。

詩篇97:11-12
11光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。
12正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。

コリント人への手紙第IIの中でパウロは次のようにこう書き記したのであります。よく知られてるすばらしい箇所です。
パウロも主に忠実に従った者でした。だからと言って全部スムースにいったのではない。

コリント人への手紙第II、1:8-9
8兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
9ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。

考えられない、面白くない経験でした。

コリント人への手紙第II、1:9
9これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

苦しむ目的とはこれでした。

コリント人への手紙第II、1:9-10
9ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
10ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

当時の王さまはあらゆる心配と不安、また恐れから解放され、結局次のように告白せざるを得なくなったのです。
6章の25節にダリヨス王は次のように命令したのであります。

ダニエル書6:25-27
25そのとき、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。「あなたがたに平安が豊かにあるように。
26私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。
27この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。」

王さまは結局この主の力を体験的に知るようになったのです。
イエス様は当時の弟子たちに次のように言われたことがある。

ルカの福音書21:12-13
12しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕えて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
13それはあなたがたのあかしをする機会となります。

結局、「わたしを信ずるとうまくいく。問題がない。」とイエス様は言われなかった。
「忠実にわたしに仕えると、とんでもなくことになる。けどもわたしはそのことが起こることを許す。」
どうして許すかと言いますと、それはあなたがたの証しをする機会となるからです。

理解できない苦しみや悩みこそ、証しするチャンスなのではないでしょうか。
苦しみながら、悩みながら主を仰ぎ見て、主にすべてをゆだねると、安心して将来に向かうことができるのです。これこそがわれわれの言葉よりもずっと効果的な証しです。

ずっと迫害を受け続けた初代教会の信者たちに、ペテロは次のように書いたことがあるんです。

ペテロの手紙第I、2:11-12
11愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。
12異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

「主は偉大なるお方であり、主は万物を支配するお方である。」、これこそがダニエルの確信でした。
彼は自分をまったく主にゆだねていた。これこそが彼の祝福された生活の秘訣だったのです。

当時の王さまは、今までのダニエルをよく観察してみたのです。だから彼は、「ダニエルの神は生きておられるお方です。奇蹟をなすお方です。失望させられないお方です。」と知っていたのです。
王さまはダニエルがいつも生ける神に仕えていた者であるとよく知っていたのです。

ダニエルの心には幼いときから主なる神を恐れる恐れに満ちていたのです。
主を恐れる恐れがなければ、人間は目くらにされます。結局人間を恐れるようになり、人間によって束縛されるようになります。
まことの神を恐れる恐れは、ダニエルから異邦のものと妥協することを避ける勇気と力を与えたのです。

「王さまの食べ物を食べなさい。」と命令されたのです。ダニエルは従おうとしなかった。「偶像にささげたから、食べる王の食べ物を絶対に食べない。」、結局ダニエルは王さまを喜ばせようとしなかった。
主なる神の前に歩んだのであり、主だけを喜ばせようと切に望んでいたのです。
主に対する服従にはすばらしい豊かな主の恵みが伴うのであります。この間も学びましたように、

ダニエル書1:15
15十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。

ダニエル書1:20
20王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。

証明された。主に信頼する者は大いに祝福されるということです。これこそ考えられないことです。主の祝福であります。
ダニエルの経験したことを見ていきますと、私たちは主にいつも仕えるには確かに勇気が必要です。
この勇気はどこから来るのでありましょうか。この勇気は祈りによってのみ、生まれます。主と一つになることによってのみ、本当の勇気が生まれてくる。これこそがダニエルの経験でした。

世界の支配者たちは次々と変わったのです。ダニエルだけは変わらなかったんです。
今日はこう、明日はそのようにと、環境によって行く先を変えるようなことはダニエルにはできなかったんです。
彼はいつも主に仕えようと望んでいたからです。神の栄光を現わしていくことが、ダニエルの持っていただ一つの目的でした。

まことの神を礼拝するか、獅子の穴に投げ込まれるかというところに彼は立たされたのですけど、彼は少しの妥協も見せませんでした。
多くの迫害者に取り巻かれ、危険の真ん中にありながら彼はまことの神に祈り続けたのです。
「結局がどういうことになるか、それは私の責任ではない。私はただ従えば、主は責任を取ってくださる。」とダニエルは分かったのです。

私たちも結果を見る必要はない。日々主の声を聞き、それに従って行くことだけが大切です。
結果がどうあろうと、たとえ悪くても主が必ず責任を取ってくださいます。ダニエルは絶えず主に従ったのです。ですから結果を少しも恐れなかったのです。
ダニエルは自分自身を主にゆだねた。これこそがまことの幸せを得る秘訣です。

そしていのちを懸けてすべてをささげる、仕えていく価値のある神が私たちの神でもあるということを覚えるべきなのではないでしょうか。
ダニエルはそんなに深く心から主を崇めていましたから、主を裏切るよりは獅子の穴に投げ込まれたほうがマシだと思ったのです。

主は、常に仕え、自分のいのちをささげても惜しくない尊い方だと信じて仕えていた、ダニエルの心がよく分かります。
彼の願いは絶えず主との交わりを持つこと、主と一つになることだけだったのです。
われわれにとっても、主はいのちをささげても、悔いのないほど価値あるお方となってるなのでありましょうか。

信ずる者はみな例外なく次のように証しすることができます。
「私が罪人であったとき、主はまず私を愛してくださった。大いなる恵みとあわれみにより、私のわがままを赦された。主は私を絶望の穴から堅い岩の上に救い出してくださった。」
獅子の穴とは絶望の穴と言ってもいいでしょう。

イエス様はわれわれにとってどのような価値があるなのでしょうか。旧約聖書の中で主は次のように言わざるを得なかったのです。

ホセア書5:12
12わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。

イエス様がわれわれのいのちとなってるかどうかが問題です。
私たちはダニエルのように、ひたすら主を愛し、主に仕えようと思ってるなのでありましょうか。
私たちは自分の名誉や立場を考え、妥協してうまく通り抜けようとするなのでありましょうか。それともひたすらに主に仕えようとしてるなのでありましょうか。

イエス様のゆえに苦しみにあうなら、それを喜びとするなのでありましょうか。
主に絶えず仕えることは、われわれの喜びであり、と心から言い表わすのを主は待っておられます。
ダニエルの神は結局救う神です。解放するお方です。あらゆる心配から完全に解放することができるお方です。

初代教会の人々もこの励ましを必要だったのではないでしょうか。結局ダニエルのことはどうして書かれてるかと言いますと、結局初代教会の人のために励ましを与えるためなのではないでしょうか。

ペテロの手紙第I、5:7-11
7あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
8身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
9堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
10あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
11どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。

と。こういうふうにペテロは当時の信者たちを励ますことができたのです。ダニエルの神はダニエルを獅子の穴から救いうる神です。ダニエルの神はあなたをもあらゆる思い煩いから救うことができるお方です。

結局ダニエルの神はこんにちでもなお、私たちひとりひとりを獅子の穴から、絶望の穴から救うことができるお方です。
目に見える獅子はあまり私たちを襲いません。けども目に見えない悪魔は、ほえたける獅子である悪魔は、われわれを取り巻き、襲って来ます。

ダニエルが一緒に寝た獅子は、張子の獅子ではなかったのです。生きたものでした。猛獣でした。
われわれが話してる、このわれわれを取り巻く悪魔の攻撃、試み、戦いは架空のものではありません。
単なる夢だったらいいんですけど、恐るべき現実です。

もし主が守ってくださらなかったならダニエルは獅子に掻き裂かれて死んでしまったでしょう。あとで獅子の穴に投げ込まれた彼の敵たちは、いっぺんに殺されてしまったのです。
同じように私たちがわれわれを守ってくださらなければ、私たちは恐るべき悪霊の攻撃に遭い、絶望し、また、間違った方向に導かれて行くことでしょう。

ダビデの経験は次のようなものでした。詩篇の57篇の中で彼は次のように書いたのであります。

詩篇57:4
4私は、獅子の中にいます。私は、人の子らをむさぼり食う者の中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。

このダビデもダニエルと同じように、獅子の穴に投げ込まれてしまったのです。けども7節を見るとすばらしいことが書かれています。

詩篇57:7
7神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。

結局ダビデは憎しみの真っ只中、むさぼり食らう獅子の中に横たわれました。けど、7節のように勝利の叫びを上げることができたのです。
たぶんあなたにとってあなたの家族は獅子の穴のようかもしれません。あなたは家にいるとイエス様の名のゆえに、一度平和がなく、居にくいかもしれません。
イエス様はそういうことをはっきり預言してくださいました。

マタイの福音書10:34-39
34わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
35なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
36さらに、家族の者がその人の敵となります。
37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
38自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
39自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

あるいはあなたの職場は、獅子の穴のようかもしれない。あなたがダニエルのように妥協せず、常に職場にあっても主に仕えて行くなら大いに祝福されます。
主は生きておられるお方であり、この主に頼ると、主の栄光を知ることができ、拝することができるのです。

ダニエルはわれわれに何を物語っているなのでありましょうか。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
ゆだねると奇蹟を経験するようになる。心配することによって得るものはひとつもない。悪魔だけ喜びます。

だからペテロは、「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」
立ち向かうこととは、もう疲れちゃった。イエス様。よろしくお願いします。ゆだねます。いくら心配しても何もならない。

「あなたは心配すると約束してくださったから、期待を持って待ってます。」、この態度を取ると、ダニエルの神は生きておられ、自分の神であることを体験的に知るようになります。




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