記念会6、死は終わりではない


ベック兄

(辻陽一郎兄記念会、2011/03/06)

今日、このようにして愛する兄弟の記念会で、みことば、聖書について一緒に考えることができるのは、本当に感謝です。どうして感謝すべきかと言いますと、「死は終わりではない。」からです。
これこそが革命的な事実であり、希望を与える源であります。もちろん喜びの秘訣です。「死は、終わりではない。」
兄弟の記念会で、生きる希望を与える聖書のみことばについて、少しだけ一緒に考えたいと思います。

人間の心の奥底を知っておられるお方、人間を絶対に誤解しないで真心から愛しておられるお方とは、万物の造り主であり、万物の支配者で有られる生きておられる神だけです。
この、造り主であり万物を支配なされるお方は、自分自身をイエス・キリストを通して明らかにして下さったお方です。
確かに私たちは、おもに、残されている愛する姉妹また子供達は寂しくなりました。けれども、「死は、終わりではない。」

結局、二種類の人間が居ます。多くの人々は望のない人々です。どうして望がないかと言いますと先が見えないから、わからないからです。
それから、もう一種類の人間は、望みを持つ人々です。どうして彼らは望を持っているかと言いますと、先のことを確信しているからです。すなわち私たちはいつまでも、主と共になる。そう知るようになったからです。
どうして愛する兄弟は病気になり、いろいろなことで悩むようになったのでしょうか。私たちはわかりません。けれども、すべての背後に支配しておられる主なる神は、すべてをご存知です。

この支配者は、ひとつのご計画を持っておられます。すべてのことがこの計画にそって万事益となるために、働いているのであります。偶然はありません。
聖書の箇所で次の箇所があります。

アモス書3:6
6町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか。

主なる神が完全なお方であり、そしてまた主なる神のご計画も完全であることを確信することができるのは感謝です。
主なる神は、私たちの苦しみを望んでおられるのではない。我々に最も良きものを与えたいと望んでおられます。

エレミヤ書29:11
11わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

主の呼びかけです。人間の中では、「私はよく知っている。」と誰も言えない。明日の午後のことを知ってる人間はいない。惨めだよ。
主なる神は、「わたしは、あなたがたのために立てている計画を、よく知っているからだ。」とおっしゃいます。
イエス様はまた言われました。残された方々にとって、励ましになったみことばではないかと思うのです。

ヨハネの福音書13:7
7イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」

今は、わからないけど、後に必ずわかるようになる。
主の呼びかけとは、次のようなものです。

イザヤ書55:9
9天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

ちょっと違うと言うのではなくて、全然違う。
万物の造り主なる神は、すべての背後にあって目的を持って導いて下さるお方です。
人間の視野は、あまりにも狭いので、私たちは、多くのことをいくら考えても理解することができません。

主なる神は決して過ちを犯しません。私たちには理解できないことがたくさんあるとしても、主なる神は、我々の最も益となることを考えてくださっているのです。
イエス様は変わったことを言われました。理解できないことです。「悲しむ者は幸いです。幸せです。」
人間の考えている不幸とは、結局幸せになるために、まことの救いを自分のものにするために、イエス・キリストをよりよく知るために、どうしても必要なんです。

確かに私たちは皆寂しくなりました。けれども聖書が与えられているから本当に有り難い。主なる神のみことばは、生き生きとした希望を与えられるものです。
聖書を通して提供されている、まことの救いとはなんでしょうか。言うまでもなく単なる楽しみ、いわゆる幸せ、健康、一時的な問題の解決ではありません。
主なる神の救いは、過去の克服です。罪の問題の解決です。死の恐怖からの解放です。

イエス様とはどういうお方なのでしょうか。あらゆる災いを抑する偉大な救い主です。いかなる罪をもお赦しになる偉大なる贖い主です。また、あらゆる束縛から解き放って下さる偉大なる解放者です。
天国の状態について、次のように書いてあります。夢の世界です、考えられないけど、聖書が言っているので間違いなくそうです。

ヨハネの黙示録21:4、22:3、5
21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
22:3もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
22:5もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

本当に、来るべき栄光は素晴らしいものです。だから聖書は言っています。

ローマ人への手紙8:18
18今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

残された姉妹から手紙をもらったことがあります。ちょっと紹介します。

「主の御名を心より賛美申し上げます。
なかなかお目に掛かれませんが、いつもメッセージを心より感謝して聞かせて頂いております。
主人、兄弟が召されて、一ヶ月半が過ぎました。今、毎日、本当に平安です。

詩篇119:71
71苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

申命記8:16
16それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。――

イザヤ書62:4
4主の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得るからである。

本当にこのみことばの通りです。私は夫を失ったのではなく、夫を得たのだと主は言ってくださいます。
主人のために与えられていたみことばは、すべて実現しました。毎日、みことばを読むと主の素晴らしさを感じ、感謝です。
そして、今主人はイエス様のそばで、すべての苦しみ悩みから解放されて喜びに満たされていることを思うと本当に感謝であり、安心です。

イザヤ書38:17
17ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。

感謝です。主人もきっと同じことを思っているでしょう。
主人の病室で共に祈り、共に聖書を読んだときに、本当にひとつになれました。本当の夫婦になれたと思います。幸せな幸せな時でした。
みことばは、死が近づくほど、ますます希望で溢れました。

私たちの罪が、イエス様の十字架で赦されたという恵みの大きさ、永遠の命を与えて頂ける揺るぎないお約束、永遠の愛で愛されていること。主人に約束された将来と希望をはっきりと見せて頂きました。
イエス様を信じてきて本当に良かったです。というよりも、もしイエス様がおられなかったら私は滅んでいました。
今まで辛すぎて、信仰もないのではと思えたとき、いつもメッセージを聞き続け、悔い改めを頂いて、信仰のない愚かな者が主の群れの中において頂いてきました。

主のみことばがなければ、そして兄弟姉妹方の主にある愛とお祈りがなければ、今の私はあり得ません。本当にありがとうございました。そして、これからもこの弱い私、そして家族をお祈りで支えてください。
主人の葬儀を通して、多くの方々がメッセージを聞いてくださり心を開いてくださった。感謝です。
その方々の救いをこれからも祈り続けます。主人の信仰がこれからも用いられますように、助け手として祈り続けたいです。

子供たちも、パパが天国で生きていることを感じて安心しています。
これから子供たち一人一人が本当の悔い改めへ、また信仰へ導かれますよう引き続きお祈りをよろしくお願いいたします。
私も、残された人生は、御国を目指して日々イエス様のみことばに耳を傾けて、イエス様との交わりのうちに祈りの日々を送られたらと願っています。」

また、兄弟が召され10ヶ月目に次のように姉妹は書いたのです。

「主の御名を心より賛美申し上げます。
またご無沙汰してしまってごめんなさい。
この頃、またベック兄のメッセージを聞かせていただけるようになってうれしいです。ベック兄が、また主によってお元気にして頂き、父も母も私もたいへん喜んでいます。

昨年、ベック兄が危篤という連絡も回って子供たちとみんなと一緒に祈り終わった時、末っ子のあゆみは、日本中が祈ったから、ベックさんは大丈夫だね、よくなったねと言いました。
本当にその無邪気な確信の通りになり、主を心より賛美しています。

主人がイエス様に迎えて頂いてから、早くも10ヶ月がたちました。なんだか不思議な生活をしています。
主人は、イエス様のもとで生きていることを毎日感じます。不思議なことですが、イエス様にあって家族6人で、暮らしてる感じがあります。
主人の病室で最後に、イエス様が聖書を通して、みことばを通してはっきりと語ってくださったことを毎日思い出します。

イエス様は、昨日も、今日も、いつまでも変わらないお方です。だから感謝です。
主人は、私にこの素晴らしい遺産を残してくれました。この希望こそが、私にとっても、子供たちにとっても素晴らしい遺産です。
また私は、毎日思い出すベック兄の言葉があります。それは、御代田の家でベック兄が私に言ってくださった言葉です。『悔い改めの必要ない人は、ひとりもいないよ。』と言う言葉です。

私の心が苦しくなり、暗い気持ちになった時には、この言葉を思い出します。
そして、イエス様は私の罪が見えませんから教えてくださいと祈ると、主は導いてくださり、私の内側に湧き上がって来る罪を示されます。本当に感謝です。
与えられた情況は変わらなくても、試練の中にあっても、イエス様のもとに帰ればいつもその日のうちに平安と喜びと、感謝が頂けるとは本当に奇跡です。イエス様と出会わせて頂けましたことを本当に感謝しています。

今、集会は激しいサタンの攻撃にさらされていますが、このことに対して私自身ができることは、日々イエス様に私には見えない私の罪を教えてくださいと祈り、悔い改めていくことだけだと思っています。
すぐにわからなくなる者ですが、毎日がサタンとの戦いです。でも、毎日立ち返るとイエス様から喜びと平安を頂いて感謝です。
もちろん時々、しばらく落ち込んでしまうこともありますけど、子供たちもそれぞれが、悩みを通してイエス様に祈らされ主を体験させて頂いているようです。感謝です。」

主は完全であり、主は人間の最善だけしか考られないお方であることを考えれば、やっぱり、わからなくても感謝することができるのではないかと思います。




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