今日は引き続いて、モーセの生涯を学んでいきたいと思います。 この前は、「わがしもべモーセ」という題で、まことの神のしもべとなるにはどういう点が必要か、六つの点に分けてお話しました。すなわち、
もしモーセに、訓練の時が無かったなら、荒野の四十年、さまよったとき、モーセはイスラエルの民に対し、何をしでかしたか分かりません。今日は、三つの点に分けて学んでみたいと思います。 第一番目は、エジプトからの分離。 第二番目は、心の中のエジプトからの解放。 そして、第三番目は、荒野の教育。 この三つの点について、簡単に一緒に考えてみたいと思います。 始めの点から、お話していきます。まずエジプトからの分離。 使徒の働き7:23
と書いてあります。また、 ヘブル人への手紙11:24-26
ここで、キリストのゆえにという表現が出てきます。すなわち、モーセはキリストから目を離さなかったと書いてあります。 モーセは、自分はエジプト人と違ってることをよく知っていました。自分は、エジプトのものではないことをよく自覚していました。自分が今、このようにしてエジプトにいるのは、主なる神が自分を聖めるためにエジプトに送ったもうたのだ、ということを知っていました。 この自覚は、やがてモーセをエジプト人から分離させずには、おきませんでした。モーセは主から選ばれていた者でしたが、今度は、モーセが主を選ぶときがやって来ました。モーセは主のしもべとして、エジプト全国を向こう見回して、立ち上がるために、エジプトと分離しなければいけませんでした。 そのときには、モーセにははっきりとした線がありませんでした。モーセはエジプトの中に住んでおりました。それが人見にもわかるように、はっきりと分離されねばならないときがやって来ました。 モーセはそのとき、思いつきや、ちょっとした感情の動きからではなく、深く考えて、神の道を選び取りました。モーセの前には、エジプトにいるか、またはエジプトとそのもとるすべてのものから遠く離れ去るかの二つの道が置かれていました。 前に読みました、ヘブル人への手紙11章の24節からもう一回お読みいたします。 ヘブル人への手紙11:24-26
モーセは、苦しむことを選び取りました。どうしてそれができたのでありましょうか。彼はキリストから、目を離さなかったからです。 モーセはエジプトの宝が、どんなに素晴らしいものであるかを知っていました。しかしモーセは深く考え、キリストのゆえにそしりも受けなければならないことを知りながら、キリストを選び取ったんです。 モーセはそのときすでに、ご聖霊さまにより、キリストを心の目で見て、エジプトの宝を捨て、キリストを選び取ったんです。エジプトの宝を捨て、神の道を選び取った力は、上からの光によってキリストを見たところにあったんです。 使徒の働き7:22
と、書いてあります。 モーセは、このみことばにありますように、エジプトの最高の教育を受け、皇太子でもありましたし、未来にはすばらしい地位と名誉が約束されていました。しかし、モーセはそれをきれいに捨て去りました。 モーセの願いは、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にあずかって、もっとキリストを知りたいという、ただ一つの願いに燃やされていました。モーセはエジプトの王、パロの娘の子と呼ばれるのを喜ばず、エジプトが彼に約束しているすべての宝を軽蔑し、少しも顧みず、それを捨て去りました。 モーセは、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。 モーセは、はかない罪の楽しみを捨て去りましたが、罪の楽しみのもっとも根本にあるものは、自分を喜ばせ、満足させるという自我です。モーセはそれらよりも、キリストとの交わりを求めて止みませんでした。 交わりは自己追求の反対です。交わりはその人を喜ばせないで、相手を喜ばせようとします。 エジプトから完全に離れ去るこの分離が、どのようにしてモーセにやって来たかわかりませんが、エジプトからモーセが離れた力は、何であるかはわかっています。それは、信仰です。 信仰は、今目に見える、見うるものを見ないで、やがて来たらんとする報いを望みます。信仰は、イエス様から目を離さないことであります。モーセは、はかない罪の楽しみを見ず、望まず、むしろ神と民とともに虐待されることを望みました。 またエジプトの宝をおのれのものとしようとせず、むしろキリストのそしりを選び取りました。それはすべて、信仰がなさせたわざです。 ヘブル人への手紙11:1
と、書いてあります。 信仰によって、目に見えないものが、私たちの経験となってきます。モーセは主との交わりを、目に見て知っていませんでした。モーセは、目に見えるところを捨て、目に見えない主との交わりを求めました。 一言葉で言いますならば、モーセが選び取った道は、新約聖書で言ってる表現を借りるならば、十字架の道でした。 私たちもモーセと同じように、目に見えるすべての利益を捨て去り、主イエス様を、もっとよく知るために心掛けていきたいものです。恵みとあわれみにより、口では言い表わすことができないほどの、親しい主との交わりに入りたいものです。 続いて、第二番目の点、すなわち、心のエジプトからの解放について考えてみたいと思います。 エジプトからの分離は、私たちにとってどうしても必要なことです。エジプトから分離すること無しに、前進することはできません。この世から分離せずに、霊的な成長は望めません。 この世から分離すると、その結果、主のそしりや、主の苦しみがやって来ます。しかし、そしりと苦しみを負うていく者になりたいものです。これは日々、周りに起こることがらです。 二箇所、お読みしたいと思います。 出エジプト記2:11-14
と書いてあります。そして、使徒の働き7章の23節から29節までに、ステパノは次のように証ししているのであります。 使徒の働き7:23-29
と、書いてあります。 モーセはエジプトから分離しました。しかしそのとき、モーセは、神に用いられる神の御手に握られた道具となったでしょうか。いいえ、そうではありません。エジプトからの分離は出発点にすぎませんでした。 エジプトからの分離、主に対する全き明け渡し、主の道をたどりたいという願い。これらがあっても、まだ十分ではありません。これで十分だと、私たちは時々考えます。モーセもそうでした。 エジプトからの分離の経験をしたあとには、大きな喜びもくるでしょう。多くの人々は、それで終わりだと考え、安心してしまいます。しかしそれは誤りです。エジプトから、この世からの分離は、ただの始まりにすぎません。 モーセはエジプトから離れ、エジプトから去りました。しかしモーセの心からは、エジプトはまだ離れていませんでした。モーセの心から、エジプトが消え去るために、もう四十年間、モーセは訓練されたのです。 どうしてこの訓練が必要だったでしょうか。モーセは自分自身を、まだあまりよく知っていなかったからです。モーセはエジプトの教育を受け、最高の学問を身につけ、言葉にも知恵にも秀でていました。 これらはしかし、この世の学問でした。神のしもべとなるためには、これでは十分ではありません。 私たちは今、聖霊の時代に生きてます。すなわち、この世の学問と生まれながらの賜物は、神のしもべとなるように、何の役にも立たないということを、御霊さまにより深く教えられなければいけません。 ですから私たちは、肉から出るご奉仕、自我から出るご奉仕を徹底的に憎み、嫌い、捨てなければいけません。 使徒の働き7:23-24
と書いてあります。モーセは、自分はイスラエル人をエジプトから解放する解放者であることを、自覚していました。しかし、自分が解放者であることを、イスラエルの民々が認めてくれなかったら、もちろんダメです。そこでモーセは、虐待されてるイスラエル人を助けようとしました。 前に読みましたように、ある日のこと、ひとりのイスラエル人がエジプト人にいじめられていました。それを見たモーセは、兄弟のイスラエル人を助けようとして、エジプト人を打ち殺しました。しかしその結果はどうだったでしょうか。 モーセは、神の民イスラエル人を助けようとしました。そして神の敵、エジプト人を殺そうとしました。そして殺しました。しかし、その手段は間違っていました。それは神の方法ではありませんでした。 エジプトの教育のなさしめた方法でした。この世の知恵から出た方法でした。 モーセは、エジプトの方法をもって、神に仕えようとしたんです。自分の知恵、自分の力を用いました。パウロは、モーセのとったこのような武器は、霊的なものではない。肉的なものであると言っています。 すなわちモーセの心の中に住む、エジプトが現れ出たのです。エジプトの力と知恵と教育が、ご奉仕に現われてきました。 しかし主なる神は、この世の源から出る力や、エジプトの方法を、そのご奉仕に決して用い給いません。 ペテロも、モーセと同じようなことをしました。イエス様を捕えようとして、敵がやって来たとき、ペテロは剣を抜いて、敵のひとりの耳を切って落としました。 そのとき、イエス様はペテロに、「剣をさやに納めなさい。」と言いました。そのような、耳を切るなどということは、この世の人でもできます。たとえモーセが今日一人、あした二人、あさって三人と、エジプト人を殺していっても、イスラエルの民は決して、エジプトから解放されなかったでしょう。 主なる神は違う方法で、イスラエルの民を解放したかったんです。モーセは実に狭い範囲しか見ていませんでした。 主は、私たちを用いようとしておられますが、用いられる前に、まず主の御心をよく知らなければなりません。主は、モーセを通して、イスラエルの民を救いたかったんです。しかし、モーセがとった方法によって、民の解放をなさろうとはされませんでした。 主にとってはまず、モーセ自身が問題でした。モーセが神のしもべとなるには、長い時間がかかりました。モーセは自らの道を選んで失敗し、絶望しましたが、それはモーセに、神の方法を教えようとしての神の配慮からでした。 私たちの場合はどうでしょう。 主は、私たちを召し、多くの人々を救いに導くために、使命を与えてくださいました。そこで私たちは苦難による人々を光に導き出し、キリストの満たしに至らせるためにご奉仕します。証しします。 しかし、しばしば失敗して、がっかりしはしないでしょうか。これは、自分の真相を知るための神の導きなんです。出エジプト記2章12節に、左右を見渡し、人のいないのを見て、そのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠したと、書いてあります。 もし私たちがご奉仕をするとき、まず左右を見回してからするようでは、まことのご奉仕はできません。エジプトの方法をもってたましいを救おうとするのは、茶さじで海の水を汲み出そうとするのに、さも似ています。 私たちは、たましいを救うためにまず、主と一つにならなければなりません。主イエス様は、「わたしから離れては、何もできない。」と仰っています。 主はモーセとともに、イスラエルを救い給います。しかし、もしモーセが一人ぼっちなら、決してイスラエルを救うことはできなかったはずです。 もう一回、使徒の働き7章26節から28節をお読みいたしたいと思います。 使徒の働き7:26-28
モーセはある日、ふたりのイスラエル人が争っているところに行きました。イスラエル人はもちろん、エジプト人と違って神の民であり、モーセと心を同じくする民であるはずでした。 しかし、喧嘩していたふたりのイスラエル人は、モーセを理解しませんでした。前に、モーセがエジプト人を殺したのは、イスラエル人をかばって殺したということを、少しも理解してくれませんでした。 モーセは、自分こそイスラエルの解放者であることを自覚していましたが、しかしイスラエル人は理解してくれません。これはモーセにとり、一番大きな打撃でした。 私たちはしばしば、自らの力をもって神に仕えようとします。ですからその結果も、自分で責任を取らなければならないようになってしまいます。 モーセも、自分でやって、自分で後始末をしなければなりませんでした。モーセは、ミデアンの地に逃げ、そこでさびしい生活を送らねばなりませんでした。 ですが、そのように孤独と悲しみの中に追いやられても、主なる神は私たちを愛し、さらに高いところへ引き上げようと心に留めていてくださいますことを、思い見なければいけません。 一つのことを覚えましょう。すなわち、あなたはあなたのご奉仕に何の責任も負わなくてよい。ただ一つ、負わなければならない責任は、あなたが絶えず、主との生きた交わりを持ち続けることであると。 今まで私たちは二つの点、すなわちエジプトからの分離、そして心の中のエジプトからの解放について考えたんですが、最後に短く、第三番目の点について、すなわち荒野の教育について考えてみたいと思います。 どんなクリスチャンにも、荒野の時代があるものです。荒野はこの世でもありませんし、神の国の満たしのあるところでもありません。エジプトとカナンの真中にくらいしてるところが荒野です。 主のしもべとなるには、この荒野の時代がどうしても必要です。荒野生活で教えられる第一のことは、第一番目になりますけども、不平を言わないで服従することです。 これは、暗きから光に導き出され、やがてキリストの満たしに至らんとする者にとって、どうしても必要な課題です。 モーセは、ミデアンの荒野でもうけたその子どもに、ゲルショムという名をつけました。ゲルショムという名の意味は、外つ国の者。すなわち、「私は外国にいる寄留者だ。」ということを意味しています。 イスラエルの民の解放者モーセは、今や失敗して、外国の地ミデアンで暮らしています。しかしモーセは失敗のあと、暗い、不機嫌な気持ちになり、イスラエルの民を解放することはどうでもいいと言って、投げやりにすることをしませんでした。 出エジプト記2:15-17
と書いてあります。もしモーセが打ちのめされて、不機嫌だったら、ミデヤンの祭司の七人の娘さんを助けはしなかったでしょう。モーセは不平を言わないで、服従することを学んでいたから、助けることができたのです。 打ちのめされてしまった人は、自分自身だけを見つめて、同じところをグルグル回って、立ち上がることができません。 十字架を見てください。古い人は、イエス様とともに十字架にかかって、死んでるはずです。自らのうちに、何かとりえがあると思っているから、打ちのめされるのです。 自らのうちに、何の良いところもないことを知って、主は十字架にともにかかってくださいました、人々を闇から光に導き出し、その人をキリストの満たしに至らせ、全き人に導くためにモーセは、荒野の訓練を必要としたのです。 パウロも同じでした。彼の経験したこと、彼の訓練について、コリント人への手紙第IIの11章の23節から28節までに、次のように書いてあります。 コリント人への手紙第II、11:23
ここで、パウロははっきり、私はキリストのしもべです。私はキリストの奴隷です。 コリント人への手紙第II、11:23-26
ここで出てきますね。荒野の難。 コリント人への手紙第II、11:26-28
愛するみなさん。神のしもべとなるために、この訓練がどうしても必要です。荒野生活で教えられることは、不平を言わないで、服従することであり、また二番目になりますが、引っ込み思案でない忍耐。諦めを知らない忍耐を学ぶために、荒野生活は必要です。 多くの人々は、忍耐とは何もしない、じっと我慢していることだと思っています。 しかし忍耐は、そんな消極的なことではありません。モーセはイスラエルの民をエジプトから導き出したのち、しきりにつぶやくイスラエルの民に対し、何というすばらしい忍耐をもっていたことでしょう。 もし神のしもべモーセは、あれだけの忍耐を持っていなかったら、イスラエルの民はどうなっていたでしょう。暗きにいる民を、主のもとに導こうとする神のしもべにとって、どうしても必要なのはこの忍耐です。忍耐は諦めを知りません。 モーセは自分がどんなに失敗しても、忍耐したもう神の忍耐を学びましたので、イスラエルの民に対してもあれだけ忍耐することができたのです。 荒野生活で教えられることは、 ・第一番目は、不平を言わないで、服従することであり、 ・第二番目に、引っ込み思案でない忍耐。諦めを知らない忍耐であり、 ・そして最後に、三番目になりますが、強制されずに、真実であることです。 モーセは、神から報酬を受けたから、また受けるから、神に真実なのではありませんでした。自ら、何の約束も報いも望まないで、主に、主ご自身に忠実でした。ですからヘブル人への手紙第3章5節に、 ヘブル人への手紙3:5
もちろん、神のしもべとして、 ヘブル人への手紙3:5
と書いてあります。モーセは、義理の父、ミデヤンの祭司、エテロの家畜を忠実に飼いました。それと同じように、モーセは神に対しても実に忠実でした。 モーセの心は、いつも主なる神に向けられていました。二心をもっていませんでした。神の御前に隠し事をもたず、また少しも神を疑いませんでした。 そのモーセは、深い絶望に陥れられたこともありましたが、そのようなときも、なおモーセの主に対する忠実さは失われていませんでした。 ここまでモーセが荒野で学んできたことを見てきました。すなわち、 ・一番目に、不平を言わないで服従すること。 ・二番目に、諦めを知らない忍耐。 ・そして三番目に、強制されないで、真実であること。 を学びました。これらは、エジプトのやり方とまったく反対です。この世の方法とは全然違います。 モーセは、四十年のミデヤンの地における荒野の生活で、心の中からエジプトをまったく追い出しました。荒野の生活があったのち、初めて神は、モーセにまことの使命を与えることができたのです。 この荒野の訓練ののち、モーセは何になったでしょうか。牧師でしょうか、偉い伝道者でしょうか、そうではありません。モーセは神のしもべとなったのです。 主なる神は誇りをもって、「わがしもべモーセ。」と言うようになったのであります。最後にもう一箇所をお読みいたしたいと思います。 ガラテヤ人への手紙1:3-4
エジプトから、 ガラテヤ人への手紙1:4-5
ガラテヤ人への手紙1:10
ここでパウロははっきり、「私がキリストのしもべです。」と、喜びをもって告白しています。ピリピ人への手紙3章8節に、同じパウロは、 ピリピ人への手紙3:8
もし、私たちも同じように言うことができれば、本当に幸いと思います。 |