引用聖句:マルコの福音書8章22節-25節
ここの8章22節を見ると、彼らはベツサイダに着いたと書いてあります。今、兄弟の話を聞きながら、すぐあとで違うことが起こったのです。すなわち、彼らはベツサイダに着いたのではなくて、彼らはゲッセマネに着いた。 今度の日曜は復活祭です。いわゆるイースター。その前の日曜日は、イエス様はエルサレムにお入りになりました。いわゆるウェルカムがあったのです。大騒ぎになったのです。 「ダビデの子よ!ようこそ!」、ダビデの子という名前の意味は、結局、約束された救い主。群衆はみな、そう叫んだのです。何日間かあとで、十字架につけるということになったのです。もう考えられない。 イエス様はろばに乗ってお入りになったのです。ほかの動物がいなかったからではない。旧約聖書の中で、救い主はろばに乗ると書かれているからです。 結局私たちは、旧約聖書を読まなければ新約聖書の多くの個所が全く分からない。新約聖書を読んでも旧約聖書を読まなければ、いったいどういうものかと分からない。 例えばイエス様は十字架の上で「のどが渇く」と言っています。我慢できなかったからそういうふうに言ったのではない。旧約聖書の中で救い主は、「わたしは渇く。」と叫ぶようになると預言されたからです。 イエス様は十字架の上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫んだのです。聖書を知らない人々は、見てみて分からなかったでしょう。 けれどもイエス様はそれからのち、永遠の昔からわかったのです。そしたら、どうしてそのようなことを言われたのでしょうか。旧約聖書の中で約束された救い主は、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになるのか。」とちゃんと預言されたからです。 結局、もしイエス様がそういうふうに叫ばなかったならば、結局、偽者でした。詐欺師です。結局、旧約聖書の預言は全部成就されなければ、もう考えられない。 イエス様はゲッセマネに出かけるとき、弟子たちと一緒に賛美したと書いているのです。結局、十字架に向かうときイエス様は、賛美することができ、結局イエス様は喜びと平安と希望に満たされたのです。 そしてイエス様は多くのことを言われました。けれども結論とは何であったかと言いますと、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。 喜び、平安、希望に満たされた人々こそが、最も大切ではないでしょうか。 納骨式をやっても、葬儀をやっても、記念会をやってもやっぱり死は終わりではない。どうしてであるか。イエス様は復活なさったからです。ですからイエス様のよみがえりこそが、信仰の土台そのものではないでしょうか。イエス様は生きておられます。 色々なことを話しても、それはだいたいひとつの教えであり、けれども、イエス様は生きておられると考えると、やっぱり嬉しくなる。それを挨拶としてもいいかもしれない。 だから兄弟姉妹と会いますと、「イエス様は生きておられる。」、「そうよ、そうよ。だから祈り続けましょう。」、「期待をもってイエス様の奇蹟を待ち望みましょう。」という態度を取ると、やっぱりすごいのではないでしょうか。 2,000年前、今週はイエス様にとって確かに一番辛い週だったのです。イエス様は祈りそのものでしたから耐えられたのです。 イエス様は弟子たちといっしょにゲッセマネにいたとき、悪魔は大いに喜んだでしょう。もう何時間かあとであいつは殺される。悪魔の目的とは、もちろんイエス様が十字架につけられる前に殺すことだったのではないでしょうか。 去年の「パッション」という映画を観た人、いっぱいいたかもしれないけれども、結局、あの映画を観てからやっぱり色々なことが前よりも分かったのです。 そのときの現われたイエス様は、やっぱりその血だらけでした。頭から足まで、もう血まみれで。それを観てから、ああ、だからイエス様は自分の十字架を運ぶことが出来なくなってしまった。 あの映画を観てからやっぱり悪魔は、イエス様を殺すならば十字架につけられる前に殺してもらいたい。もしそれだったら大変です。もしそうだったらイエス様の死だって自分の信念のために死んだだけで、殉教の死とはやっぱり言えない。われわれと全く関係のないことです。ですから、聖書の中心とはやっぱりイエス様の代わりの死です。 今読まれた個所は、非常に最近気になった個所なのです。結局あの盲人とは、結局何と言ったかと言いますと、ヨハネの福音書の中に書いていますけれど。 ヨハネの福音書9:25
この読んでもらいました個所のために、ひとつの題名を付けようと思えば、「主イエス様と盲人」と付けることができるのではないかと思います。 イエス様はもちろん目に見えるものだけではなく、人間には全く何も見えないものをも見るお方でした。このマルコの福音書2章8節でイエス様は、人々の心の奥底にある思いや、感情を見抜かれたとあります。だから辛かったのではないでしょうか。 結局人間とは偽善者で、嘘つきですと分かった。時々ある個所は、彼らは心の中で考えて、とあるのです。心の中だけです。そしてイエス様はこたえてしまった。結局見抜いたからです。 イエス様は何でも知っておられ、何でも見ておられるお方です。人間の思い、人間の感情も見抜かれるお方です。これに対して盲人は全然ダメ。何ひとつ見ることが出来ない。 この盲人はそのためにもちろん周囲の世界から分けられ、人々と親しく交わることも出来なかったし、結局孤独になってしまったのです。 この盲人とイエス様とはそのような事情からして相容れないことは明らかではないでしょうか。 イエス様はいつ、いかなる場合にも決して望み無き状態に陥ることはない。けれど、それに対してこの盲人は、光無く、望みの無い状態だけしか知らない者でした。 この両者、すなわちイエス様と盲人はお互いに相容れない正反対の関係にあるにも関わらず、両者は一つにならなければならない。もしもそうでなければ盲人の人生はまさに悲劇そのものに終わってしまう。 このようにしてイエス様が盲人に触られること、イエス様と盲人の出会いが考えられないほど大切です。 このイエス様は、自分の与えられた使命について何を言われたかと言いますと、「わたしは、失われた人を捜して救うために来た。」 わたしは人を納得させるために、とやって来たわけではないのです。 イエス様の絶えざる呼びかけとは、本当にすごい呼びかけです。「疲れた人、みな、重荷を負っている人は全てわたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげます。」、このマルコの福音書8章の22節、 マルコの福音書8:22
人々、どういう人々だったか分からない。家族だったかもしれないし、親戚だったかもしれない。けれどもやっぱり、いい人々でした。 自分、自分、自分のことを考えたのではなく、悩んでいる人々とともに悩んだ人々だったのです。それから、イエス様だったら何とかなると彼らは確信したに違いない。 ですから彼らは目の見えない、失望してしまった男をイエス様のところに連れて来ただけではなくて、彼のために祈ったのです。 この節を見るとイエス様は、ベツサイダに来られたことが分かります。あとでイエス様は、「わざわいなるかな、ベツサイダよ。」と言われたことがあります。 ベツサイダとは、本当に恵まれた町でした。多くの人々はイエス様との出会いによっていやされたのです。結局、希望を持つようになったのです。けれども彼らは心を開こうとしないし、悔い改めようとしなかったのです。 イエス様はそのとき、このベツサイダの人々に食べ物や振る舞いのことについて用意されることはなさいませんでした。彼らは本当にイエス様に対して全く無関心でした。 イエス様がベツサイダに着いたとき、それを歓迎する人はいなかったようです。だれもイエス様をもてなそうとする者はいなかったのです。 イエス様はベタニヤに行ったとき、いつも歓迎されました。みんな必死になって、イエス様を喜ばせようとしようという気持ちでした。ベツサイダの人々は違う人々でした。 当時の人々は、やろうと思えばできたことをしなかったのです。イエス様を喜ばせ、もてなし、心から受け入れることをしませんでした。それこそがイエス様にとって何という悲しみだったでしょうか。 イエス様は、いやそう、奇蹟を成そうと思ったけれど、不信仰のあるところ、イエス様は何もしなかった。 結局当時の人々は、自分たちではどうすることもできない者、全く絶望的に思われる者、ひとりの盲人をイエス様のところに連れて行った。彼らはイエス様にとって不可能なことはないということを信じました。 病人もイエス様との出会いを経験すればいやされるということを知っていたのです。 このマルコの福音書の中で似ている個所がいっぱいあります。 例えば1章を見ても次のように書かれています。すなわち、ペテロ、シモン・ペテロの姑。ですから彼は結婚していたのですけれど、姑は結局病気になり、彼女は頼まないのに、イエス様は訪ねて彼女に触られたとき、熱病はいやされ、熱が引いたとあります。 41節。らい病人に触られると、らい病はただちに去って、その人がきよめられると書いてあります。 5章41節を見ると、もうすでに死んでしまった、12歳のヤイロの娘に触られると、その少女はすぐに起き上がって、歩き出したとあります。 7章32節を見るとイエスが、耳が聞こえず、口の聞けない人の耳と舌に触られるとき、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれも解けて、はっきりと話すようになったとあります。 9章の27節を見ると、悪霊にとりつかれた人の手を取ると、その人は正気に戻ったとあります。 このようにイエス様が病人に触られると、病気はすぐに退散してしまうのです。 イエス様はこの盲人の手を取りました。 マルコの福音書8:23
お互いに手を取り合うということは、友情の表われであり、手助けをすることの印である。 例えば旧約聖書の個所なのですけれど、列王記第IIの10章を見ると次のような個所があります。 列王記第II、10:15
云々とあります。 イエス様は彼の手を取って外に連れ出し、彼を導いて行かれたのです。 詩篇の作者であるアサフも同じことを経験したとあります。有名な詩篇の73篇23節。 詩篇73:23-24
このみことばを、このマルコの福音書8章に出て来る盲人はイエス様を通して経験しました。 イエス様は、望み無く、全く孤独な盲人の手を取って、導いたのです。イエス様は少しも恥じることなく、大胆にそれをしてくださったのです。 この盲人はどういう格好だったか分からない。ルンペンのような者だったかもしれない。着ている物も汚くて、おそらく面倒を見る人もだれもいなかったかもしれない。けれどもイエス様は大胆に彼の手を取って、導いてくださったのです。 そのことによって盲人はイエス様のなさることに、結局全てをゆだねることができたのです。「もう嫌です。導かなくてもいい。」という態度を取らなかったのです。私たち自身もそのように全てをイエス様の御手にゆだね、自分勝手なことをすることは赦されません。 イエス様は彼をベツサイダの村の外に連れ出し、群衆から離れたところで、二人だけになられました。どうしてでしょうか。 なぜならば、群衆は彼らのためにイエス様を利用し、イエス様を心の底から受け入れようとしなかったために、イエス様はこのようにせざるを得なかったのではないでしょうか。病人だけが医者を必要とするのです。 イエス様は病人だけといっしょになることを望んでおられました。もちろん彼だけではなくて、イエス様はあなただけでもいっしょになることを主は望んでおられます。 私たちは、愛する者が死んだり、友だちから捨てられたり、病気になったりして、ひとり寂しくなることがあります。しかしながら、病気その他の問題だけを見て、その背後にイエス様のみこころを、すなわちイエス様と二人だけになることができる幸いを忘れてはいけません。 イエス様は盲人に触り、尋ねられたりして、誠心誠意、盲人に愛の限りを尽くされたのです。その結果はどうだったのでしょうか。始めは何も見えなかった盲人も、イエス様との出会いを通して次第に見えるようになり、したがって全てがはっきりと見えるようになったのです。 この盲人は、「イエス様が私をいやしてくださった。イエス様とのこの出会いによって私は根本から新しくされた。」と証しするようになりました。 この人は本当に新しく生まれ変わったのです。以前は、イエス様に対して全く無関心で、目くらであった者が、今やイエス様のことが生涯の全てとなったのです。 今もなおイエス様がいやす力を持っておられるお方です。それを覚えると、それは私たちにとって大きな喜びですけれども、肉眼が開かれるよりもはるかにすばらしい奇蹟は、心の目が開かれることではないでしょうか。 肉体の目が不自由でなくても、悩みや苦しみによって生きる屍となっている人がどうして幸せであり得ましょうか。もし肉体の目が見えなくても、心の目がイエス様に対して開かれている者のほうがどれほど幸せであるか。 この間、ひとりの奥さんは、証ししてくださったのです。最初は何と言ったかと言いますと、「私は世界一の幸せな母親です。」、本気になってそう言ったのです。 けれども去年、自分の息子が急に亡くなったのです。朝、元気で学校に行って、それから友だちとちょっとマラソンして、倒れて。彼女は電話もらったとき、すぐ走ったけれどダメでした。けれども彼女は、「私は世界一の幸せな母親である。」と言えたのです。結局、イエス様は生きておられる証拠ではないでしょうか。イエス様は何でも知っているお方です。 ちょっとマタイの福音書の13章の13節を見てみましょうか。 マタイの福音書13:13-15
(テープ A面 → B面) ・・・新しく生まれ変わって、イエス様を信じた人々です。心の目が開くということこそ、主の目的です。 パウロは自分の救いについて、自分の与えられた使命について色々なことを話したのです。例えば使徒の働きの26章18節に、 使徒の働き26:18
心の目を開かせるということは、イエス様だけしかお出来にならない。 詩篇の作者であるダビデもそれを経験したに違いない。一番長い詩篇の119篇の18節を見ると次のように書かれています。 詩篇119:18
私の心目を開いてくださいと祈る人は、必ず主の恵みを経験するようになります。 イエス様が何回も、「わたしは罪滅ぼしのために、あなたがたの代わりに犠牲になる。私は殺されます。しかし、それは終わりではない。わたしは三日目に復活する。」とイエス様は何回も、何回も言われました。 心頑なにして、何があっても悔い改めようとしなかった当時の聖書学者たちは、あるとき言ったのです。「あなた、救い主であることを証明してくれ。」、毎日イエス様は奇蹟を成してくださったでしょう。でも彼らは信じようとしなかった。 イエス様の答えは、「わたしの復活こそがその証拠です。」、意味は、もしわたしが復活しなければ、わたしは嘘つきです。詐欺師です。けれど、もしわたしが復活すると、わたしは本物です。それを信じた人はひとりもいなかったのです。 けれども彼らは、イエス様が葬られてから、もしかすると・・・。夜じゅう弟子たちが来て、屍を取ろうとして復活したと言ったら困るではないか。だから兵隊は夜じゅう、墓を守るようになったのです。けれどイエス様は復活なさいました。 イースターの朝、ふたりの弟子たちがエマオというところに行く途中だったのですけれど、イエス様は彼らに出会いました。 彼らは見る目を持っていたのですけれど、本当はイエス様のことがわからなかった。聖書は言っています。 ルカの福音書24:16
人間とは結局そういう者です。イエスだとわからないことこそが悲劇的です。けれども彼らはわかるようになったのです。 ルカの福音書24:31
結果として彼らは、必ず喜びに満たされた。やっぱり生きている。イエス様は嘘つきではない。 イエス様の復活を信じられなかった人々とは、あとで、もう命懸けで当時の全世界を巡って、「イエス様は生きている。イエス様は生きている。」と宣べ伝えるようになったのです。 イエス様とともにいることによって、私たちの心の目は開かれます。ほかの弟子たちもこのことを体験しました。その中のひとりはヨハネなのです。 彼はおそらく百歳になったころ、三つの手紙を書いたのです。この中で、おもにヨハネの手紙第Iとは、もう聖書の中の真珠のようなものです。一番大切なことが書かれているのです。 ヨハネの手紙第I、1:1-2
イエス様に与えられたひとつの名前は、いのちです。「わたしはいのちそのものである。」 救われることとは結局、見えることではないでしょうか。 使徒の働きの中でパウロは合わせて三回、自分の回心について詳しく色々なことを話したのですけれど、一番知られている箇所はたぶん9章ではないかと思うのですけれども、 使徒の働き9:18-20
パウロは主の声を聞いたとき、すぐ知りたかったのです。「主よ。あなたはどなたですか。」、答えは、「あなたが迫害しているイエスです。」 この一文章によって彼はいっぺんにわかった。今までの迫害と聖書の知識は全く役に立たなかった。私は頑張れば、努力すれば、悟れば何とかなると思い込んでしまったのですけれど、全部ダメでした。 私の信じた神とは、結局自分の作った思想に過ぎなかったと彼は認めざるを得なかったのです。 あらゆる時代で色々な人々は、救い主が来る、救い主が来る、救い主が来ると、期待して待ち望んだのです。その中の老人は、シメオンという男は、救い主が生まれたとき、偶然ではなく御霊に導かれて、幼子に出会い、幼子を胸に抱き、主をほめたたえたのです。 「私の目が今あなたの救いを見た。」と言うことができたのです。ルカの福音書2章31節で。 信ずる者はだれでも次のように証しをすることができる。すなわち、「イエス様は私の心の目を開いた。私はイエス様によって罪を赦され、救いの体験をもたせていただいた。私は、考えられなかったほどすばらしい救いの体験をした。」と。 パウロは救われた人々のために絶えず重荷を感じたのです。彼の書いた手紙を読むとわかります。 彼らはいわゆる未信者に福音を宣べ伝えるためにそんなに苦しまなかったようです。結局イエス様のことを紹介してから手を引いたら一番いいのではないか。人を納得させようと思っても全く意味の無いことです。 けれどもパウロはもうすでに救われた人々の成長のために考えられないほど悩みました。苦労しました。結局彼らの心の目がもっと開かれなければダメだと分かったからです。例えばエペソ人への手紙1章。彼のささげられた祈りのひとつなのですけれども、次のように書かれています。 エペソ人への手紙1:18-19
とあります。あなたがたの心の目がはっきり見えるように。これはパウロの心からの叫びでした。 もちろん信ずる者のためにだったなら、また無意味です。パウロは未信者のためではなく信ずる者のためにこういうふうに祈りました。結局、救われるだけでは決して十分ではない。救われることだけが問題なのではなく、さらにそこから出発して、霊的に成長し、主の栄光をよく見ることが大切です。 どれだけ多くの人が救われたかということが、喜ばしいことですけれどいうまでもないが、さらに大切なことは、主にふさわしく歩むことではないでしょうか。それはコリントにいる兄弟姉妹は救われたのです。恵みをあずかるようになったのですけれど、ダメでした。成長がなかった。ですから彼らはパウロの悩みの種になりました。けれども彼は次のように書き記したのです。 コリント人への手紙第II、11:2
もうすでに救われたあなたがた コリント人への手紙第II、11:2
イエス様とは花婿と呼ばれ、そのイエス様を信ずる人々とは花嫁と呼ばれています。 花婿の友だちであるバプテスマのヨハネは次のように書いたことがあります。 ヨハネの福音書3:29
バプテスマのヨハネは、 ヨハネの福音書3:29-30
イエス様は盛んになってもらいたい。私は別にどうでもいい。こういう態度を取る人々とは、結局主の花嫁としてふさわしく歩む者です。 イエス様の花嫁としてふさわしく歩む人々とは、いったいどういう人々なのでしょうか。色々なことを言いますけれども、おもに使徒たちの書いた手紙を見ると、次のようなことを言います。 例えば、かつて罪の泥沼から救い上げられたという事実を忘れない人々です。 また、イエス様の尊い血潮によって罪は洗い聖められ、永遠の栄光のために召し出されていることを確信する人々です。 また、天におられる花婿であるイエス様の愛を絶対に疑わない兄弟姉妹です。 また、いかなるときでもイエス様が私を愛し、決して忘れたり、捨てたりすることがないことを確信している人です。イエス様のために喜んで重荷を負い、迫害されることも恐れない人。むしろ、イエス様のために苦しみを受けることが自分の喜びであり、特権であり、賜物であり、誉れであると信じる兄弟姉妹です。 イエス様だけを喜ばせ、イエス様に栄光を帰することを心から望んでいる人です。 イエス様に対する礼拝のまことなる思いで常に満たされている兄弟姉妹です。 すべてのことにおいてただイエス様だけにより頼み、絶対的な信頼を持っている人である。 また、イエス様なしに、イエス様から離れて話したり、考えたり、願ったり、行なったりすることのない兄弟姉妹です。 常にただ、イエス様との交わりだけに本当の喜びを持っている人。そのしるしは、謙遜、心の純粋さ、自分を考えない愛、喜んでする従順な奉仕などの形で現われ来ます。 その人にとってイエス様が全てを意味している人、全て主にあって行ない、主とともに生きる人、御霊を悲しませることを恐れている人、もはや、自分だけの利益を考えようとしない人、全てのもの、すなわち賜物や、財産などをイエス様のためにささげることができる人、何とかしてイエス様をよりよく知りたいと願い、目標を目指して走り抜くことができる兄弟姉妹などでしょうか。 そのような人、兄弟姉妹は、イエス様の許婚と呼ばれている人々です。 私たちの場合には、いったいどうなのでしょうか。私たちはいったいイエス様とどのような関係を持っているのでしょうか。 イエス様が私たちをご覧になられたとき、喜ぶことができるのでしょうか。あるいは、悲しむのでしょうか。 私たちは本当にイエス様とひとつになることだけを望んでいるのでしょうか。 最後にマルコの福音書8章に戻りまして、そのとき周囲の状態がいかなるものであったかをちょっと考えたいと思うのです。 なぜならば、イエス様はベツサイダから結局離れたかったのです。どうしてイエス様は、その盲人をベツサイダから外へ連れ出したのでしょうか。 イエス様はいわゆる宗教的な指導者たちについて、8章15節に書いていますけれど、「パリサイ人のパン種を警戒せよ。十分気をつけなさい。」と言われたのです。イエス様は弟子たちがまだ霊的な理解力がなく、心が鈍いことを厳しく咎めました。 マルコの福音書8:17-18
云々と。なぜイエス様はベツサイダをあとにしたのでしょうか。なぜいやしの奇蹟がベツサイダの中で行なわれなかったのでしょうか。 まず第一に、イエス様は戦闘的なことをするのを嫌われたからです。 確かに、おもにアメリカの多くの教会は、聖書は、みことばは十分ではない。現代人は奇蹟を経験しないと信じない。この考え方はもちろん間違っています。そういう教会の中でどなたかがイエス様の奇蹟を経験するとやっぱり宣伝のために利用されるようになります。 イエス様の態度だけではなく、預言者たち、使徒たちの態度も同じものでした。 エリヤは本当にすばらしいことを経験した男でした。彼は、もちろんだれもいないところでやもめの息子をいやしたのです。ちょっと見てみましょうか。 列王記第I、17:19-22
とあります。 このエリヤの後継ぎであるエリシャも同じことを経験したのです。シュネムの女の子どもをだれもいない部屋で生き返らせました。 イエス様もヤイロの娘を少ない人数だけがいる部屋で生き返らせました。ペテロは、ヨッパのタビタをだれもいないところで生き返らせました。イエス様は結局、戦闘的なことをするのを嫌われました。 第二の答えは、どうして考えられることとは、イエス様は悪や不信仰や悔い改めたくない頑なな心が支配しているところから目を退かれたからではないでしょうか。 ですからマタイの福音書の11章の中で、今日暇がないから言わなくてもいいけれども、マタイの福音書11章20節から24節までの中でイエス様は、何回も結局、ある意味でやっぱりこういう町と関係を持ちたくない、ベツサイダは悔い改めることをしなかった町であり、イエス様を受け入れず、拒み続けた町でした。 そのためにイエス様はベツサイダに次のように言われました。「わざいわいだ。ベツサイダ。」 イエス様はヨハネの黙示録の3章20節によると、次のように言われたことがあります。願ったことがあります。 ヨハネの黙示録3:20
ともに食事をすることとは、またいっしょに食べることよりも親しい交わりを持つことです。 イエス様は、教会や心の戸の外に立ってたたいておられます。本来は教会の中心であられ、われわれのいのちであり、全てであられるのにも関わらず、ここでは外に立っておられた。 イエス様が外で戸をたたき続けているにも関わらず、中へ招き入れようともせず、無関心でいるならば、その人を口から吐き出すとあります。 ヨハネの黙示録3:16
イエス様が盲人をベツサイダの村から外へ連れ出すとき、盲人は不信仰の村から出ることによって、イエス様によりきよめられ、いやされたのです。 この盲人がいやされたとき、見えるようになったとき、初めて何を見たのでしょうか。もちろんイエス様です。イエス様の愛のまなざしです。 かつての盲人は今やイエス様だけが主の主となられたため、その結果、その他のことは第二次的なことになってしまったのです。 私たちは何を見ているのでしょうか。自身のうちにある悩みや苦しみ、色々な問題ばかりを見て、満足しているのでしょうか。 あるいは、イエス様だけを見上げて、感謝の喜びに満たされているのでしょうか。 |