引用聖句:詩篇37篇1節-11節、34節-40節
今朝の題名は「委ねられる特権」であります。今読んでもらいました箇所は、ダビデの書いた告白でしょうか。証です。 皆さん4節と5節、おそらく暗記しているんじゃないでしょうか。 詩篇37:4-5
すごい約束なのではないでしょうか。イエス様に委ねられた人生こそが、最高の宝物、恵み、そのものなのではないでしょうか。 けど、イエス様に信頼する者の人生とは、どういうものなのでしょうか。 イエス様に信頼する者の人生は、聖書の中でいろいろと記されています。まず、7つの箇所を読みます。 ヨハネの福音書7:38
とイエス様は約束してくださいました。この箇所によると、イエス様を信じる者を、主イエス様に自分自身を委ねる者の人生は、あふるるばかりの人生である。 2番目、同じくヨハネの福音書10章10節 ヨハネの福音書10:10
このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、豊かな人生です。 3番目、ヨハネの福音書15章8節 ヨハネの福音書15:8
このみことばによると、イエス様につながっている者の人生は、多くの実を結ぶ人生です。 4番目、ローマ人への手紙12章1節 ローマ人への手紙12:1
この箇所を見ると、主に信頼する者の人生は、主に明け渡された人生です。 5番目、コリント人への手紙第II、6章17節 コリント人への手紙第II、6:17
このみことばによると、主に信頼する者の人生は、分離され、聖め分かたれた人生であります。 6番目、ガラテヤ人への手紙2章20節 ガラテヤ人への手紙2:20
このみことばによると、主に信頼する者の人生は、イエス様とともに十字架につけられた人生です。 そして、もう1つ7番目になりますけど、テモテへの手紙第II、4章7節、8節。 パウロは、殉教の死をとげる前に、彼の最後の手紙の中で言いました。 テモテへの手紙第II、4:7-8
ここで終わりじゃないからありがたい。「私だけでなく、主の現われを慕っている者には」、結局、主を慕っている者、再臨を待ち望んでいる者には、だれでも授けてくださるのです。 このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、勝利の人生です。 主に委ねられた人生とは、いったいどういうものなのでしょうか。もちろん我々の人生は、イエス様に委ねられた人生であるべきです。その際私たちは、3つの事柄に注意し、これを覚えなければならないのではないかと思います。 まず第1に、ここで大切なことは、意識的に行われた行動です。 前に読んでもらいました、詩篇37篇5節、 詩篇37:5
とあります。ここで、委ねるということは、信頼すること、明け渡すこと、手放すことを意味します。 自分の道を、また人生をイエス様に委ね、自分自身をイエス様に明け渡す者は、このことを一瞬のうちに行います。 私たちは、贈り物を渡す時そのために多くの時間はいりません。私はあなたにその贈り物を渡し、あなたはそれを受け取ります。 第2に、「主に信頼せよ。」これもまた、明白な提案じゃなくて、命令です。もちろんここで、大切なのは、短期間に行われる行動ではなく、継続的に続けなければならない、続けられるべき態度です。 主にすべてを委ね行われた行動の後で、絶えず信頼の態度が、成し続けられなければなりません。ここで大切なのは、意識的にイエス様により頼むことであり、私たちの全信頼は、イエス様に集中されなければなりません。 私たちが、我々の道、そして全生涯を主イエスに委ねた後、すなわちこの意識的に行われた行動の後、私たちの人生の終わりに至るまで、意識的な信頼の態度が続けられなければなりません。 第3にすばらしい約束は、意識的に主に委ね、意識的にイエス様に、全き信頼を置く人々に与えられます。 主は成し遂げてくださいます。これは決して破られない約束です。手放すこと、主に明け渡すことは、一瞬の行動です。主イエスにより頼み、意識的に信頼することは、人生の終わりに至るまで、持ち続けられなければならない態度です。 そして、イエス様ご自信が、御心を必ず実現されると約束しておられます。すなわちイエス様ご自信が、成し遂げてくださり、イエス様ご自信が、奇跡をなしてくださるお方であることを証明して下さいます。 あなたが1億円相続し、そのお金があなたの家にあると考えてみてください。あなたは外出する時、絶えず心配しないでしょうか。なぜならば、そのお金が安全であるかどうか解からないから。 1人の友達が、そのお金を、あの銀行、あるいはこの銀行に預けるように、そこでは年率10%の利子をもらえると聞くと、もちろん安心するでしょう。 あなたは、喜んで友達の提案を受け入れ、そのお金を預け入れるでしょう。するとあなたは、安心してその銀行から出て行くはずじゃないでしょうか。 言うまでもなく、10%の利子をもらえるとは、少なくても日本ではありえない。夢の世界です。 けど、確実なところ、あなたは1億円というような大金を持ってはいないでしょうけど、あなたはそれ以上のもの、すなわち不滅の魂を持っています。 イエス様は言われました。 マタイの福音書16:26
不滅の魂は、自分の手の中にあるのでしょうか。それとも、それをすでにイエス様に委ねたのでしょうか。 それがまだ自分の手の中にあるなら、あなたはきわめて、危険な状況にあります。だから、イエス様は、呼びかけられますね。 マタイの福音書11:28
また、 箴言23:26
とあります。これは全く主の個人的な呼びかけです。主は誰に対しても関心があるのではありません。 1つのことは間違いではなく、確実です。すなわち、自分の人生を主に委ね、自分自身を主に明け渡す者は、決して後悔しません。 というのは、主ご自信がその責任をとってくださるからです。 ヨハネの福音書6:37
何でも出来るお方は願っています。「わたしに委ねなさい。わたしにあなたの人生を明け渡しなさい」と。 イエス様は決して強制なさいません。けど、1人ひとりが、意識的にこの行動を行い、自分自身をイエス様に委ねることを、主は待っておられます。 私たちはすでにそれを行ったのでしょうか。このことは、一瞬のうちに行われます。もし、そのことをまだしなかったのならば、今日そのことを行い、自分の聖書にたとえば次のように書き込んでください。 今日、何月何日、「私は、私の道、私の全生涯を、私を愛し、ご自信を私のために捨ててくださったイエス様に委ねました」と、これは意識的に行われるべき行動です。私たちはそれをすでに行ったのでしょうか。 もちろんこのことは、その始めにすぎません。 あなたが1億円を銀行に預けたならば、あなたのお金は、今や安全、確実で、毎年10%の利子を受け取ることができるという確信を持って生活しますけど、私たちは自分の人生を、主に委ねたならば、私たちは永遠に安全ですということを知ることができます。 ヨハネの福音書10:27-28
イエス様は、我々に教えたいと思っておられる最も大切な教訓の1つは、自分が主に完全に信頼できるという事実です。 イエス様はただ単に救ってくださるだけではなく、イエス様が救ってくださったすべての人を守ってくださいます。 ペテロの手紙第I、5章も多くの人々の大好きなことばになっているでしょう。 ペテロの手紙第I、5:7
私たちは自分の道、全生涯をイエス様に委ねたならば、イエス様の刺し通された御手のうちで、私たちは確実に守られ、安全であるということを知ることができます。 けど大切なことは、日々、毎日、一瞬一瞬、イエス様に完全に信頼すること、すなわちもはや、何ものも自分で、手に入れたいと思わないこと、もはや思い煩ったり、心配したりしないことです。 こうした信頼の態度は、イエス様に栄光を帰します。パウロは、この態度をとりました。彼の殉教の死を遂げる最後の手紙の中で書いたのです。 テモテへの手紙第II、1:12
ただ望んでいるんじゃない。確信している。 もちろんここで大切なのは、方ということばです。私は、自分の信じて来た方をよく知っている。結局イエス様をよく知っている。聖書の知識は、そんなに大切じゃなくて、聖書の中心なるイエス様なんです。 結局彼の遺言みたい。殉教の死を遂げる前に、彼はこういうふうに当時の兄弟姉妹に書き、喜ぶことができたのです。 ヨハネの福音書1:12
イエス様を、自分の人生の中に受け入れた者は、神のものでありつづけ、イエス様の御手のうちに守られ、安全であり続けます。自分の道を主に委ね、絶えず主に信頼する者は、イエス様が成し遂げてくださることを必ず経験します。 イエス様は、はっきりとした目的を持って、導いてくださいます。イエス様は、ご自分の約束を守ってくださいます。イエス様は、みことばを必ず守られるお方です。イエス様は、信頼できるお方です。イエス様は、成し遂げてくださるお方です。 銀行は、あなたに10%もの利子をくれるかもしれないけど、父なる神は、それ以上のものを与えてくださり、いわば100%の利子を与えてくださいます。マタイの福音書19章をちょっと見ましょうか。 マタイの福音書19:27-29
前に引用してくださった詩篇37篇では、3つのことがさらに指摘されているのではないかと思います。まず、1節ですけど、「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。」とあります。 すなわち腹を立てるな、ねたみを起こすなと指摘されていますけど、このことは、私たちが他の人を見る時、そういう状態になりやすいものです。 けど私たちは、自分の人生を主に委ねた者の罪は、赦されているということ、そして自分の力でイエス様に仕えたいという思いから開放されていることを、決して忘れてはなりません。なぜなら、これこそあらゆる重荷からの開放であるからです。イエス様ご自信が責任をとってくださる。 2,600年前にイザヤは、次のように書いたのであります。 イザヤ書40:11
イザヤ書53:4
ヨハネの福音書14:1-3
詩篇37:11
イザヤも同じことを書いたのです。内容的には、全く同じです。 イザヤ書26:3-4
意識的に自分の全生涯を明け渡し、イエス様に全く信頼するならば、人のすべての考えに勝る、主なる神ご自信の平安が、我々の心と思いをキリストイエスにあって、守ってくれると約束されています。 私たちが、自分の人生を主の御手に明け渡すならば、自分のために刺し通された主の御手は、もはや決して、自分を放しません。 ヘブル人への手紙13章5節、6節も本当にすばらしい約束です。 ヘブル人への手紙13:5-6
詩篇37篇の3番目の事実は、主によって完全な満足が約束されているということです。もう1回、37篇4節を読みます。 詩篇37:4
イエス様との交わりは、我々に完全な満足を与えてくれます。 私たちの喜び、また私たちの平安は、目に見える世界とは無関係です。主ご自信は我々の喜びと満足の源です。 イエス様は、私たちの切なる願いをすべて満たしてくださり、イエス様を知ること、イエス様を持つことは、我々の永遠の幸せとなります。 自分をイエス様に明け渡し、イエス様に信頼しましょう。そうすれば、イエス様は、我々の心が願うものを、我々にまちがいなく与えてくださいます。 イエス様は、成し遂げてくださり、すばらしいお方であることを明らかにしてくださるに違いない。 |