引用聖句:箴言3章5節
コリント人への手紙第II、4:18
聖書の呼びかけとは、本当にすばらしい呼びかけです。二、三箇所、ちょっとお読みいたします。 まず、みなさん暗記している個所ですけれど、マタイの福音書11章。 マタイの福音書11:28
イエス様は疲れた人を呼んでおられます。本当の安らぎを与えるお方です。 旧約聖書の福音書はご存知でしょう。イザヤなのです。 「ああ、渇いている者は、みな水を求めて出て来い。金の無い者も、さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで穀物を買い、代価を払わないでぶどう酒と乳を買え。」 結局、本物はただなのです。値なし。 「祭りの終わりの大いなる日にイエスは立って、大声で言われた。だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て、飲みなさい。」 パウロは同じことを宣べ伝えたのです。「ユダヤ人とギリシヤ人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して、恵み深くあられるからです。」 「求めるとかなえられます。神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられる。」、とあります。 聖書の一番最後のヨハネの黙示録に、 ヨハネの黙示録22:17
人間がしなくてはならないのは受けることです。自分のものにすることです。すばらしいプレゼントを受けることとは、英雄的な行ないではない。 この間、色々なことを整理していたらある姉妹の証が出てきたのです。おばあちゃんだったのですけれども。ちょっと紹介いたします。 「本日はご多忙中の中、こんな辺鄙な山奥までおいでいただきまして、ありがとうございました。 親戚の者はさぞ驚いて、困惑していると思います。私はこの歳でイエス様を知ったこと、また、生きていてイエス様をお証する幸いに恵まれましたことに感謝します。 私は、本当は、イエス様を信じ、受け入れたことを、生涯言うことができないまま、この世を終わるだろうと思っていました。ですけれどイエス様はこのことをお許しにならず、今日、このようにみなさまの前でお証することになりました。 生まれてこれまで仏教しか知らなかった私ではありましたけれど、夫を23年前に亡くし、2人の娘たちも嫁ぎ、残された母も96歳で6年前に亡くし、ひとりぼっちになって、言い知れぬ孤独になりました。 すでに信仰をもっていた下の娘から、イエス様の話は嫌というほど聞かされておりましたけれど、全く聞く耳を持たず、むしろ反発さえ感じておりました。 ある日、イエス様が直接私に働きかけて、イエス様が私の心の中にスーッと入って来られました。 今まで経験したことのないような喜びと平安に満たされ、嬉しくてたまらない毎日でした。そして5年前に受洗しました。 受洗する時に上の娘から、「おばあちゃんたちに何て話すの?」と言われました。人の目を恐れる私にはできないと分かっていたのでしょう。結局、イエス様を信じた、という一言を実の兄弟にさえも、親戚の者にも言うことが出来ず、隠れクリスチャンのようでした。 だんだん心が落ち着かなくなり、度々行なわれる法事などのとき、どのようにしたらよいか分からなくなってしまいました。 主人の母の法事が近づき、ますます心が落ち着かなくなり、喜びも無くなってしまいました。 別府での喜びの集いの中で、姉妹方との交わりの中で、主は私の長年の悩みを光の中に出されました。主から、今まで親戚の者たちに黙っていたことを示され、この際信じたことを明らかにしていこう、と決心しました。 でも現実を見れば、とても恐ろしくなりましたけれど、すべてのことを主がなさってくださり、ひとりひとりにイエス様を信じたことを話しに行くように導かれました。 また、先祖代々の納骨堂はお寺の境内の中にあり、この際、イエス様だけを信じていくために、お寺とはっきり決別して、お墓を購入することになりました。 親戚の者たちの多くは、何で今さらこの歳になってイエス様を信じなくてはいけないのか、と申しますけれど、この歳だからこそ、イエス様が必要になりました。 イエス様は生きておられ、私にいつも語って、導いてくださいます。想像できませんけれど、イエス様の御手にすがって、イエス様だけを信じて生きていきたいと思っています。残された人生、自分の信じたとおりに生きたいと思います。 いつも励ましになった聖書のみことばは、 マタイの福音書11:28
テサロニケ人への手紙第I、5:16-18
この二つのみことばです。 今日はありがとうございました。」 納骨のとき、こういうふうに話されたのです。親戚、家族の人々、7人のための納骨式だったのです。やっぱり勇気が必要です。簡単ではない。 けれども、平和、平和、平和とだけ考えれば、結局妥協しなくてはいけないし、妥協すると、主は見向きもしない。祝福することができない。家族の人々も導かれ得ないのです。 エステル記の4章の中で、ひと文章だけですから、別に開かなくてもいいですけれど、「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」ということばなのです。本当に、やっぱりすごい決心です。 エステル記4:16
結局、どうしてあの女性はこの態度を取ったのでしょうか。初めに読んでもらいました、ソロモン王の言ったとおりであるからです。 箴言3:5
両方は駄目なのです。どっちか。 初代教会の人々はそれをはっきり分かったから、はっきりとした態度を取りました。 コリント人への手紙第II、4:18
見えないイエス様から目を離すと落ち込むようになります。どうしようもない者になります。 コリント人への手紙第II、4:18
目に見えない、いつまでも生きておられるイエス様に頼ると、あふれるばかりの祝福があります。 けれどもこれはみなさんご存知でしょう。人間の理性に集中することはこの世的なことであり、必ず限界にぶつかります。人間の理解力は確かに論理的であるかもしれないけれど、突き詰めていくと、内面的なむなしさに決着してしまうのです。 それに対して、イエス様の与えられる信仰は、あらゆる認識、あらゆる理性にまさっています。だからパウロは告白したのです。 ピリピ人への手紙3:8
なぜパウロがこのような出来事に遭遇したかと言うと、彼はイエス様の愛を体験的に知ることによってその愛に満たされ、主の平安を味わい知ることができたのです。 キリストの愛は人知をはるかに超えたものです。「神の平安は人の考えにまさる。」、と彼は告白することができたのです。結局、信仰とは、主に対する絶対的な信頼です。 ひとつの教えを信じ込むことではなくて、何でもできるお方に頼ることです。これに対して人間の理性は、自分のからだや自分のいのちを心配しますが、その結果は不信仰に終わってしまうのです。 聖書の中のもっとも厳しいことばのひとつは、パウロの書いたことばです。「信仰から出ないものは全部罪です。」 イエス様とつながっていなければ、全部的外れです。成功したかのように見えるかもしれないけれど、実にならない。 信仰とは主に対する絶対的な信頼です。信仰とは全知全能なる主のすべてを確信することです。人間の理性は、主の全知全能なることを疑います。不信仰の表われです。 信仰は目に見えないお方を見るのです。われわれにとってもっとも大切なのはそれではないでしょうか。 ヘブル人への手紙12:2
この態度を取った人々について聖書は、たくさん言っているのです。ちょっと7つの実例を歴史的な順を追って見たいと思います。 まず第一に、今からだいたい3,500年前に生きていたモーセについて考えたいと思います。 彼は、本当は殺されるべきでした。生まれる男はみんな殺されるべきであると、当時の王さまは命令しました。彼は奇蹟的に守られただけではなくて、本当に恵まれた境遇に置かれるようになったのです。 王さまの娘が彼を見つけたのです。やっぱり本当は殺されるべき子ですけれど、やっぱりちょっとかわいそう。自分で育てましょう、と決めたのです。そうすると、何十年かあとだったら、必ず王さまの跡継ぎになると決まっていたのです。 ですからこのモーセは、もう恵まれた男でした。ほしいものは全部もらいました。けれどあるとき、彼は全部捨てたのです。もう嫌です。 聖書は面白いことを言っているのです。「彼は苦しむことを選び取った。」、馬鹿ではないか。だれも苦しみたくありません。けれど彼は選んだ。 ヘブル人への手紙を見ると、ちょっと細かく説明されています。 ヘブル人への手紙11:24
結局、目に見えないお方に頼ることによって、 ヘブル人への手紙11:24-25
何かを買うとなると、だれでもやっぱり考えるでしょう。考えた結果、選ぶのです。 モーセも考えたのです。将来、王になろうか、あるいは、色々な悩みを通して主に用いられるか、と彼は考えて、祈った結果として、苦しむことを選び取りました。彼はキリストのゆえに。 イエス様は1,500年あとでベツレヘムで生まれたのです。けれども聖書によると、彼はもうすでに約束されたお方、キリストのことを分かったのです。そうでなければできなかったはずです。 ヘブル人への手紙11:26-27
結局このモーセは、エジプトの富を全部持っており、エジプトのあらゆる学問を教え込まれましたけれど、これらはすべて、はかない罪の楽しみであると判断したのです。 彼はこの世の富や教養と、とこしえの報いとをやっぱり比較して、その結果、そのような決断を行なったのです。 モーセは結局、この世の色々な楽しみの結果、死であること。そして、その死後のさばきが下って、永遠の滅びに行くべきことをよく知っていました。 そのような意味でモーセはこの世とはまったく別人でした。変人だった。単なるお客さま、旅人のような者にすぎなかったのです。 彼はすべての富を自分の手中に置き、指導者としての才能をも備えておりましたけれど、そのような賜物を全部捨てたのです。 永遠の冠を得るために、この貧しき生涯を主にささげましょう、と思われたに違いない。結局、「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」、私たちもみな、常にこのような心構えを持つことができれば、本当に幸せです。 二番目の例は、今から約3,300年前の人であるルツという女性であります。 彼女は、父、母、ふるさとを捨てました。 ルツ記2:11
このルツという女性は、自分の身の安全や温かさなどを捨てて、これまで知らなかったところへとやって来たのです。 状況はどういうものであったかと言いますと、ある家族はベツレヘムで住んでいました。ベツレヘムとは、「パンの家」の意味なのです。パンの家で住めばもう安全です。 けれど飢饉が起こった。そのとき信じた人々とは、不信仰に陥って、主はわれわれをパンの家であるベツレヘムで養うことができない。外国まで逃げなければ方法がない。そしてやっぱり逃げたのです。 しばらくして、あのご主人は亡くなった。パンがあったけれど、祝福がなかった。息子さんたちは結局外国に行って、イスラエル人はいないし、未信者ばかりいたのです。異邦人だけ。 結局、異邦人の女性と結婚しなければ結婚できないかもしれない。結局そういう結婚になったのです。しばらくして、あの二人の息子さんたちも亡くなったのです。悲劇的ではないでしょうか。 それで初めて母親は、やっぱり悪かった。主に信頼することができたのに自分勝手な道に行った。だから祝福がなかった。私はもう十分です。悔い改めて帰ります。 そして残された息子の嫁さんたちに言ったのです。「ここで残りなさい。」、けれどもルツはそのようなことをせずに、ここにとどまりなさいという話を聞いたのですけれど、彼女は「嫌です。」 姑に何と言ったかと言いますと、「あなたの神は私の神です。あなたの国は外国ではない。私の国です。私はあなたから離れられない。」云々、嫁と姑の間は大変です。 けれど、これを見るとすばらしい。あの異邦人であるルツは、主を知らなかったルツは、姑によって導かれたのです。でしたら、死にます。そういう態度を取ったのです。 このような歩みを踏み出したルツは、翼の下に避けどころを求めた主から、豊かな実を、報いを受けたのです。人間的な安全を捨て、主の御翼のもとに本当の平安を見出したのです。 結局、死ななければならないのでしたら、という決心を持ったルツは、決して失望することはなかったのです。 私たちも、このような態度を取れば、決して失望することはない。 第三番目の例は、今から約2,600年前に生きていたダニエルの三人の友だちです。この三人の友人たちの特徴は、妥協なき態度でした。だから三人とも火の中に投げ込まれてしまったのです。 彼らは単なる理想主義者、あるいは、空想家だったのでしょうか。彼らは思慮を失ったか、あるいは、どうかしてしまったのでしょうか。決してそうではない。 ダニエル書の3章、ちょっと見てみましょうか。3章の15節から読みます。当時、世界を治めた大王さま、ネブカデネザルの傲慢に満ちたことばです。 ダニエル書3:15-18
神風特攻隊は、ある意味で理想主義者でした。今やそのような精神はどこへいっても見えない。ドイツでも同じように、何万人もの人がドイツのアドルフ・ヒットラーのために死ぬことは特権であると思った。私もそう思ってしまった。現在もドイツでそのような精神は必ずない。 けれど2,600年前のこれら三人と同じように、どんなことがあっても決して妥協しないというキリスト者が今日でも大勢います。 彼らは決していのちを粗末にしているのではない。主の全知全能に拠り頼み、目に見えないお方を心の目で見ているのです。 このダニエルの三人の友だちは思ったのです。 「私たちは、死ななければならないのでしたら、死にます。けれど、どんなことがあっても決して妥協することはいたしません。」 私たちの取るべき態度も、常にこのようなものであるべきではないでしょうか。 第四番目に、ダニエルであります。もちろん三人の友と彼も、いつも同じ気持ちでした。 彼は祈ることを禁じられていたのです。ひと月間だけ。けれども彼は祈り続けた。 ダニエル書6:10
感謝していた。ただ祈っただけではなく、感謝したのです。 彼は窓を閉めて、だれにも気付かれないように心の中で祈るという、いわゆる賢い方法を取ることも出来たはずです。けれど、彼は窓を開けたまま、大きな声でいつものように祈り続けたのです。 (テープ A面 → B面) 人には理解できない、一見、愚かと思われる方法を取ったのではないでしょうか。 彼はその当時、知恵者でありましたが、このような愚かと思われる態度を取りました。彼は非常に危険を伴う、このようなやり方を意識して行なったのですけれど、ダニエルは自分自身のためを考えてそうしたのではない。結局、主の名誉のために、そうしたのです。 私は、死ななければならないのでしたら、死にます。私たちは自分たちの生活を振り返ってみると、あまりにもダニエルの祈りの生活とかけ離れていることを思い、恥じざるを得ないのではないでしょうか。 第五番目の例は、今から2,500年前の人、前に話したエステルであります。 このエステルも自分のことを知りながら、あえてそれを行なったのです。結局、王さまの許しがなければ、近づけ得ないことだったのです。けれど彼女はそれと関係なし。やってしまったのです。 彼女がとった態度は、獅子の穴に手を入れるよりも危険なことでした。けれど彼女は無思慮にのこのようなことをしたのではない。3日間祈り、断食したのちに、この確信を得たのです。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。 第六番目は、バプテスマのヨハネです。ヨハネは千九百何十年か前の男でしたが、「あの方、すなわち、イエス様は盛んになり私は衰えなければならない。」と告白したのです。 「私自身は決して大切なものではない。ただ、イエス様のご栄光だけがあがめられますように。」、そのために、私は、死ななければならないのでしたら、死にます、と彼は思ったのです。 このバプテスマのヨハネは殺される直前、イエス様が本当に来たるべきメシヤであることをもう一回確かめるために人を遣わしたのです。それに対してイエス様は次のように答えました。マタイの福音書の11章の5節です。結局、旧約聖書の預言の成就であります。 マタイの福音書11:5
そのことによってヨハネは、イエス様が本当に来たるべきメシヤであることを新しく確信することができ、自分が殺されることに何の主張や、定められた自分の使命に対する反対の気持ちを持つことなく、まさにこれこそ、しかるべき結果であることを確信しつつ、すべてをこの主の御手にゆだねたのであります。 私は、死ななければならないのでしたら、死にます。私たちが問題なのではなく、主のご栄光だけが大切です。私たちも毎日この態度を取ることができますように。 ある人々はまだ覚えているでしょう。三島由紀夫が割腹自殺をした時、彼の首は床に転がりました。バプテスマのヨハネも、殺された時に、その首が転がり落ちたでしょう。 けれど両者の違いはいったい何なのでしょうか。三島由紀夫の場合には、常に自分が中心となっていたため、壁にぶつかり、生きる望みを失ってしまったのです。 これに対してバプテスマのヨハネの場合には、人間が中心となることを好まず、ただイエス様のご栄光があがめられることだけが中心だった。 最後に、第7番目の例として、パウロといっしょに働いている同労者たちについてちょっとだけ考えたいと思います。 パウロの生涯は非常に輝かしいものでした。彼は当時、最高の名誉であったローマの市民権を持っており、天才的な才能を持っており、最高の学問と教養を身につけており、将来、非常に有望された男でした。 パウロ自身の判断と確信によれば、主イエスは最大の偽善者、偽り者でした。そのために彼はイエス様を信ずる者たちを迫害し続けたのです。 自分の国の中だけではなく、外国まで行ったのです。けれどある日、彼はこのイエス・キリストに出会いました。 この主イエス様との出会いによって、彼は自分が今まで悪魔によって目くらにされていたことを知りました。 そしてかつての迫害者であった彼が、燃えるような福音の戦士となったのです。 ピリピ人への手紙3:7
結局、私は大切ではない。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。これこそがパウロの変えられた態度でした。 もう長くないと彼は分かったとき、エルサレムへ行く途中だったのですけれども、ミレトという町でエペソの長老たちに出会いました。 彼らに次のように言ったのです。 使徒の働き20:24
カイザリヤでは、彼はまた次のように言ったのです。 使徒の働き21:13
できるだけ、つまずきを与えずに、多くの人々をイエス様のもとに導くことが彼の使命でした。 コリント人への手紙第I、8章13節で、彼は次のように書いたのです。 コリント人への手紙第I、8:13
強い決心です。 コリント人への手紙第I、10:33
とあります。パウロとは結局、私は、死ななければならないのでしたら、死にます。絶えずこの態度を取ったのです。もちろん彼だけではなく、いっしょに働いている同労者たちも同じ態度を取りました。 ピリピ人への手紙の2章を見ると、ひとりの同労者が出てきます。エパフロデトという男です。ピリピ人への手紙2章の30節。パウロは次のようなことばを書いたのです。 ピリピ人への手紙2:30
結局、このエパフロデトの信念も、私は、死ななければならないのでしたら、死にますということでした。 私たちもイエス様の御名があがめられるように、という切なる願いを持つことができますように。 イエス様は私たちすべての者に、このような態度を取ることを望んでおられます。 イエス様を知らないがゆえに望みなき人々と私たちとが、本当に区別があるのでしょうか。 私たちは自分が中心になりたい、人に認められたい、見えるものばかりを見て、あれやこれやと思い煩っているのでしょうか。 それとも、主イエス様に信頼し、イエス様の全知全能を心から確信し、絶えず目には見えないお方を見上げているのでしょうか。 次のことばは、われわれにも当てはまるのです。 ヨハネの手紙第I、3:16
批判とまったく反対のことです。 パウロは、「自分を喜ばせるべきではない。」、と書いたし、イエス様は、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」と言われたのです。 ルカの福音書の14章。みなさん、よく知られている個所なのですけれど、イエス様は次のように言われたのです。 ルカの福音書14:26-27
救われていても用いられ得ない。聖書は常に二者択一を要求しており、ペテロは当時の迫害された兄弟姉妹を励ますために次のように書いたのです。 ペテロの手紙第I、4:2
すなわち、人間の欲望のために生きるか、主のみこころのために生きるか、二者択一を迫られたのであります。 最後に、前に述べた7人について、もう一回ちょっと考えましょう。 モーセは自分のいのちを失う備えを持っていたから、イスラエルの民は救われたのです。 ルツも、自分のいのちを失う備えを持っていたから、豊かに報いられたのです。彼女は異邦人であるにも関わらず、ダビデやイエス様の先祖とされたのです。結局、このルツは、ルカの福音書18章のみことばを体験的に知るようになりました。 ルカの福音書18:29-30
ダニエルの三人の友だちは、自分たちのいのちを失う備えを確かに持っていました。その結果は考えられない結果です。まことの神の前に頭を下げようとしなかった、傲慢のかたまりであったネブカデネザルは変えられたのです。 もう一回、ダニエル書3章に戻りましょうか。 ダニエル書3:28
結局、わたしの命令 ダニエル書3:28
それで終わりではないのです。 ダニエル書3:29
当時のすばらしい伝道者でした。結局、もう多くの国々の人々とは、「このダニエルの三人の神とは、唯一のまことの神である。救い出すことのできる神は、ほかにいない。」と彼は宣告したのです。 ダニエルは自分のいのちを失う備えを確かに持っていました。けれども結果もすばらしい。ネブカデネザルではなく、そのあとの王さまだったのです。ダリオスという王は諸民に書き送ったのです。 ダニエル書6:25-27
エステルも自分のいのちを失う備えを持っていたから、当時のイスラエルの民は滅ぼされることなく、あがない出されたのです。結局、ユダヤ人ひとり残らず殺すという計画があったのです。新しい計画ではない。 今のアラビヤの国々とは、みんなイスラエルの国の存在を認めません。みんな殺されるべきです。そうすると主のご計画は実現され得ない。悪魔は勝利者になる。ありえない。だからこそやっぱり悪魔はいつもユダヤ人をめちゃくちゃにしよう。 ドイツのヒットラーは同じ目的を持っていた。必ずそのために戦争は負けてしまったのです。原子爆弾はだいたい出来ていたのです。戦闘機は全部あったのです。ほかの国はまだ持っていなかったのです。 そしたら、どうして負けたのか。六百万人以上のユダヤ人を殺してしまったのです。当時のユダヤ人の三分の一を殺したのです。そうするとその国はもう、祝福され得ない。もうおしまい。恐ろしいことです。 当時のハンマンもそういうことを計画したのです。けれどエステルは、私は、死ななければならないのでしたら、死にます、という態度を取ったから、主は働いたのです。 バプテスマのヨハネは自分のいのちを失う備えを持っていただけではなく、事実そのために自分のいのちを失いました。そのとき彼は、自分の思いではなく、主なる神のみこころが行なわれるように、と平安のうちに召されました。 パウロも自分のいのちを失う備えを持っていたから、何千人という信者とともに、ネロというローマの皇帝によって殺されてしまったのです。殺される少し前に彼は書き送ったのです。テモテへの手紙第I、1章12節。すばらしい告白です。 テモテへの手紙第I、1:12
テモテへの手紙第II、1:12
「私は主をよく知っている。」、幸いな男ではないでしょうか。 テモテへの手紙第II、4:6-8
ここで終わらないのはいい。パウロだったらそうでしょうけれど、私たちはちょっと違うのではないでしょうか、と思う人もいる。ですからパウロは続けて言ったのです。 テモテへの手紙第II、4:8
イエス様の救いを自分のものにすることとはありがたいけれど、ちょっと十分ではない。主の現われを慕うこと。毎日主の再臨を待ち望むことこそが、考えられないほど大切です。 今まで述べてきた7人の信仰者は、すべて、自分のいのちを失う備えを持っておりました。けれど、決して自分のいのちを粗末にしていたのではない。 彼らは決して近視眼的ではなく、また、自分中心ではなく、ただ、主のご栄光のために、失われた者が救われるために、信ずる者が新しく造り変えられて、霊的に成長するために生きたのです。 したがって、自分の考え、自分の感情、自分の意思が基準となるのではなく、私は、死ななければならないのでしたら、死にます。ただイエス様のご栄光だけがあがめられるように、という態度を常に持ち続けたのです。 私たちもこのような態度を取ることが許されています。 自分の意思、権利、いのちを主のためにささげることが許されているとは、何というすばらしい特権でありましょうか。 |