今日洗礼を受ける兄弟姉妹は、主イエス様が自分のわがまま、自分の罪を取り除いてくださった、主イエス様は自分の罪の問題を解決してくださったということを知っています。 主イエス様は、私の心の目を開いてくださった。主イエス様は私のあらゆる不幸の原因、すなわち罪を赦してくださったと確信しています。 罪は神から人間を引き離します。神からの分離は孤独、そして喜びと平安のない状態を意味します。しかし今日洗礼を受ける兄弟姉妹は、次のことをよく知ってます。すなわち主イエス様は告白された罪を赦し、忘れてくださると約束してくださいました。そして主イエス様はいつわりません。 主イエス様はご自分の約束を必ず守ってくださいます。主イエス様に告白された罪は赦されたものです。洗礼を受ける兄弟姉妹は、主イエス様は私の罪を赦してくださった、主イエス様は私を受け入れてくださった、そして永遠のいのちを与えてくださったと言うことができます。 また洗礼を受ける兄弟姉妹の切なる願いは、今から主イエス様をよりよく知りたい、そして主イエス様に用いられる器になりたいというものです。 洗礼を受ける兄弟姉妹は次のことを覚えていただきたいと思います。すなわち自分がイエス様の犠牲によって贖い取られた者であり、もはや自分自身に属する者ではなく、聖霊の宮であることを、是非日々覚えていただきたいと思います。 これからは、持つべき目標は主イエス様に喜んでいただきたい。そして主の器としてこの喜ばしい福音を一人でも多くの方々に宣べ伝えたいというものです。 受洗される兄弟姉妹は水の中にもぐります。このように主イエス様も私たちのために死に行かれ、私たちの贖いのために代価を支払ってくださいました。 受洗者は水の中に沈められます。つまり見えなくなります。このように主イエス様は葬られ、もはや見えなくなりました。 また洗礼を受ける兄弟姉妹は水の中から上げられます。このように主イエス様は死からよみがえりました。主イエス様は死に打ち勝ったのです。主イエス様は生きておられます。 ゼパニヤ書3:14-17
詩篇37篇に、詩篇の作者は次のように書き記したのです。 詩篇37:5
今日、これからご一緒に考えたいと思う主題は「主にゆだねた人生」と言うものです。 主に信頼する者の人生は聖書の中でいろいろと記されています。 ヨハネの福音書7:38
と書いてありますが、このみことばによる主を信ずる者の人生は、あふれるばかりの人生であります。生ける水の川が流れ出るようになるとあります。 またヨハネの福音書10章に次のようにイエス様が証ししたのです。 ヨハネの福音書10:10
と。このみことばによりますと、主を信ずる者の人生は豊かな人生です。 ヨハネの福音書15:8
とあります。このみことばによると、主を信じる者の人生は多くの実を結ぶ人生です。 またパウロは、ローマ人への手紙12章に、ローマにいる兄弟姉妹に次のように書き送っています ローマ人への手紙12:1
と。みことばによると、主に信頼する者の人生は主に空け渡された人生です。また コリント人への手紙第II、6:17
と書いてあります。このみことばによると、主に信頼する者の人生は分離され、聖め分かたれた人生です。また ガラテヤ人への手紙2:20
とパウロは喜んで告白しています。このみことばによると、主に信頼する者の人生はキリストとともに十字架につけられ人生です。また テモテへの手紙第II、4:7-8
とあります。このみことばによると、主に信頼する者の人生は勝利の人生です。 もう一回まとめて言いますと、主を信ずる者の人生はあふれるばかりの人生であり、豊かな人生であり、多くの実を結ぶ人生であり、主に空け渡された人生であり、分離され、聖められ、聖め分かたれた人生であり、キリストとともに十字架につけられた人生であり、そして勝利の人生です。 しかし私たちは今日、主を信じる者の人生の別の側面について、すなわち主に委ねられた人生について考えてみたいとおもいます。主に委ねられた人生、すなわち私たちの人生は主に委ねられた人生であるべきです。その際私たちは3つの事柄に注意し、これを覚えなければならないのです。 まず第1に、ここで大切なことは意識的に行なわれる行動です。 詩篇37:5
と書いてあります。ここで委ねるということは信頼すること、空け渡すこと、手放すことを意味します。自分の道、また人生を主に委ね、自分自身を空け渡す者はこのことを一瞬のうちに行ないます。 私はあなたに贈物を渡す時、そのために多くの時間はいりません。私はあなたにその贈物を渡し、あなたはそれを受け取ります。 第2に、主に信頼せよ。これもまた明白な命令です。もちろんここで大切なのは短期間に行なわれる行動ではなく、継続的に続けられるべき態度です。 主に全てを委ねて行なわれた行動の後で、絶えざる信頼の態度が持ち続けられなければなりません。ここで大切なのは意識的に主により頼むことであり、私たちの全信頼は、主に集中されなければなりません。 私たちが私たちの道、そして全生涯を主に委ねた後、すなわちこの意識的に行なわれた行動の後、私たちの人生の終わりに至るまでの意識的な信頼の態度が続けられなければなりません。 第3に、素晴らしい約束は意識的に主に委ね、意識的に主にまったき信頼をおく人々に与えられます。すなわち主は成し遂げてくださいます。 手放すこと、主に空け渡すことは一瞬の行動です。主により頼み意識的に信頼することは人生の終わりに至るまで持ち続けられなければならない態度です。 そして主ご自身が、御心が必ず実現されると約束しておられます。すなわち主ご自身が成し遂げてくださり、主ご自身が奇跡をなしたもう神であることを証明してくださいます。 あなたが一億円相続し、そのお金があなたの家にあると考えてみてください。あなたは外出する時絶えず心配でしょう。なぜならそのお金が安全であるかどうかあなたはわからないからです。 一人の友達がそのお金をあの銀行、あるいはこの銀行に預けるように、そこでは年率10%の利子をもらえると提案するかも知れません。するとあなたは喜んでその提案を受け入れ、その金を預け入れるでしょう。そこであなたは安心かなと思って、その銀行から出て行くはずです。 ところで確実なところ、あなたは一億円というような大金を持ってはいないでしょう。しかしあなたはそれ以上のもの、すなわち不滅のたましいを持ってるのです。主イエス様は言われました。 マタイの福音書16:26
と。 不滅のたましいは、あなたの手の中にあるのでしょうか。それともあなたは、それをすでに主に委ねたのでしょうか。それがまだあなたの手の中にあるなら、あなたは極めて危険な状況にあります。ですから主イエス様は呼びかけておられます。 マタイの福音書11:28
また、 箴言23:26
と書き記されています。「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。」と、万物の造り主なる神、救いの勇士なる神が呼びかけておられます。 一つのことは間違いなく確実です。すなわち自分の人生を主に委ね、自分自身を主に空け渡す者は決して後悔しません。というのは主ご自身が、その責任をとってくださるからです。 ヨハネの福音書6:37
とあります。 主はあなたに願っておられます。私に委ねなさい、私にあなたの人生を空け渡しなさいと。主はあなたを強制しません。 しかしあなたが意識的にこの行動を行い、あなたの道を主に委ねることを主は待っておられます。あなたはすでにそれを行ないましたか? このことは一瞬のうちに行なわれます。あなたがそのことをまだしなかったのならば、今日そのことを行い、あなたの聖書に次のように書き込んでください。今日、何月何日、私は私の道、私の全生涯を私を愛し、ご自身を私のために捨ててくださった主に委ねましたと。 これは意識的に行なわれるべき行動です。あなたはそれをすでに行ないましたか?もちろんこのことはそのはじめにすぎません。あなたは一億円を銀行に預けたならば、あなたのお金はいまや、安全確実で毎年10%の利子を受け取る確信をもって生活します。 あなたはあなたの人生を主に委ねたならば、私は永遠に安全であるということを知ることができます。主は次のように約束してくださいました。 ヨハネの福音書10:27-28
とイエス様は約束してくださったのであります。 (テープ A面 → B面) 主があなたに教えたいと思っておられるもっとも大切な教訓の一つは、あなたが主に完全に信頼できるという事実です。主は、ただ単に救ってくださるだけではなく、主が救ってくださったすべての人を守ってもくださいます。 ペテロの手紙第I、5:7
と書いてあります。あなたはあなたの道、あなたの全生涯を主に委ねたならば、主の刺し通された御手のうちで私は確実に守られ、安全であるということを知ることができます。 しかし大切なことは、日々、一瞬一瞬、主に完全に信頼すること、すなわちもはや何ものも自分で手に入れたいと思わないこと、もはや思い煩ったり心配したりしないことです。こうした信頼の態度は主に栄光を帰します。パウロはこの態度をとりました。 テモテへの手紙第II、1:12
と証ししてます。そして、 ヨハネの福音書1:12
とあります。 この方を受け入れた人々、あるいは主に委ね、自分を主に空け渡した人々には神の子供とされる特権をお与えになったとあります。 主イエス様を自分の人生の中に受け入れた者は神のものであり続けるのです。主イエス様の御手のうちに守られ安全であり続けます。自分の道を主に委ね、そして絶えず主に信頼する者は主が成し遂げてくださることを経験します。 主は私たちを目標に導いてくださいます。主はご自身の御約束を守ってくださいます。主はみことばを必ず守られるお方です。主は信頼できるお方です。 主は成し遂げてくださるお方ですから、銀行はあなたに10%あるいは20%もの利子をくれるかも知れません。しかしご在天の父なる神はそれ以上のものを与えてくださり、いわば100%の利子を与えてくださいます。 マタイの福音書19:27-29
とあります。 詩篇37篇では3つのことがさらに指摘されています。ひと言葉で言いますならば、 第1番目は、あらゆる重荷からの解放 第2番目は、まったき平安 第3番目は、完全な満足です。 詩篇37:1
とあります。すなわち腹を立てるな、ねたみを起こすなと命令されています。しかしこのことは、私たちが他の人を見る時、そういう状態になりやすい者です。しかし私たちは自分の人生を主イエス様に委ねた者の罪は赦されているということ、そして自分の力で仕えたいという重荷から解放されてることを決して忘れてはなりません。 なぜなら、これこそあらゆる重荷からの解放ですから、主ご自身が責任を負ってくださいます。 イザヤ書40:11
とありますし、また、 イザヤ書53:4
と書き記されてるのであります。またイエス様は次のように約束したのです。 ヨハネの福音書14:1-3
2番目に約束されているのは、まったき平安です。 詩篇37:11
とあります。似てる個所は イザヤ書26:3-4
とあります。意識的に主にあなたの全生涯を空け渡し、主にまったく信頼するならばピリピ人への手紙4章7節に書いてありますように、 ピリピ人への手紙4:7
神ご自身の平安が ピリピ人への手紙4:7
あなたがあなたの人生を主の御手に空け渡すならば、あなたのために刺し通された主イエス様の御手はもはや決してあなたを離しません。 ヘブル人への手紙13:5
となんという素晴らしい約束のみことばでありましょうか。 そして3番目に約束されてるのは完全な満足です。主によって完全な満足が約束されています。 詩篇37:4
主はあなたの心の願いをかなえてくださる主です。 主との交わりはあなたにもっとも完全な満足を与えてくれます。あなたの喜びとあなたの平安は目に見える世界とは無関係です。主イエス様ご自身があなたの喜びと満足のみなもとです。主イエス様はあなたの切なる願いをすべて満たしてくださり、主を知ること、主を持つことはあなたの永遠の幸せとなります。 自分を主に空け渡し、主に信頼しましょう。そうすれば主があなたの心が願うものをあなたに与えてくださいます。主は成し遂げてくださり、素晴らしいお方であることを明らかにしてくださいます。 |