引用聖句:詩篇37篇3節-11節
詩篇37:34-40
今読んでもらいました個所は、本当にすばらしいみことばそのものなのではないでしょうか。 みことばとは元気のもとです。4節と5節はみな暗記してるのではないかと思います。 詩篇37:4-5
すごい、すばらしい約束なのではないでしょうか。 今朝、ちょっとだけイエス様にゆだねられた人生についていっしょに考えたいと思います。 イエス様に信頼する者はいったいどういう者なのでしょうか。イエス様に信頼する者の人生とはどういうものでしょう。 イエス様に信頼する者の人生は聖書の中で色々と記されています。まず七つの個所を開きましょう。 ヨハネの福音書7章38節。イエス様のすばらしい約束です。ここでイエス様は大声で叫ばれたのです。 ヨハネの福音書7:38
もちろんイエス様を信ずることとは何回も何回も言いましたように、イエス様のことをわかることではない。 イエス様のことを本当の意味でわかっている人間はいないからです。そうするとイエス様を信ずることとは何なのでしょうか。 イエス様の約束を自分のものにすることです。 信ずる者は結局泉のような者になる、生ける水の川が流れ出るとあります。このことばによると、イエス様を信ずる者、イエス様に自分自身をゆだねる者の人生は、溢れるばかりの人生です。 そういう人々は確かに色々なことで悩んでいます。悩んでいない人はいないから。けど悩みながら大いに喜ぶことができるのは、ちょっと考えられないけど主の約束です。 第二番目のことばは、同じくヨハネの福音書10章の10節。 ヨハネの福音書10:10
人間とは聖書によると、みな迷える羊です。迷える羊は生まれてから死ぬまで迷える羊です。したがって、迷える羊にとってどうしても必要なのは、自分自身を守り、導く羊飼いです。 イエス様は、わたしは唯一のまことの羊飼いである。羊のためにいのちを捨てる。この個所によると、イエス様に信頼する者の人生は豊かな人生です。そういう人々は悩みながら幸せと言えるのです。 三番目、 ヨハネの福音書15:8
このことばによると、イエス様につながっている者の人生は、多くの実を結ぶ人生です。 だれも的外れな人生を送りたくないでしょう。多くの人は成功するかもしれない。けども残る実がなければ的外れです。 四番目のことばは、ローマ人への手紙12章の1節です。 ローマ人への手紙12:1
このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生は主イエスに明け渡された人生です。 「もう自分のために生きたくない。つまらない。満足がない。」とわかった人々は、すべてをイエス様に明け渡すようになる。 第五番目の個所は、コリント人への手紙第IIの6章17節。パウロはこのことばをコリントにいる兄弟姉妹に書き送ったのです。 コリント人への手紙第II、6:17
このみことばによると、主イエス様に信頼する者の人生は分離され、聖め分かたれた人生です。 第六番目のことばは、ガラテヤ人への手紙の2章の20節。よく知られている個所です。ここでパウロは自分の証しとして、また祝福された人生の秘訣として次のように書いたのです。 ガラテヤ人への手紙2:20
結局私は大切ではない。イエス様が中心になれば私は嬉しい。 このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生はキリストとともに十字架につけられた人生です。バプテスマのヨハネは、「私の喜びは満たされている。」と告白しただけではなく、その秘訣についても言ったのです。すなわち、「あの方は盛んになり私は衰えなければならない。」 最後の第七番目の個所は、テモテへの手紙第IIの4章7節と8節。パウロの殉教の死を遂げる最期に書いた手紙です。 テモテへの手紙第II、4:7-8
主の現われを、主の再臨を慕っている者に授けられる。このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生は勝利の人生であります。 これらの個所を見ると、もちろんはっきりわかります。すなわち主にゆだねられた人生の大切さ。そのために大切なのは三つのことじゃないかなと思います。 第一に、意識的に行なわれる行動であります。初めに読んでもらいました詩篇の37篇の5節に、 詩篇37:5
ここでゆだねるということは、もちろん信頼すること、明け渡すこと、手離すことを意味します。 自分の道、また人生をイエス様にゆだね、自分自身を主に明け渡す者はこのことを一瞬のうちに行ないます。 私たちは贈り物を渡すと、そのために多くの時間は要らないでしょう。私たちは贈り物はなし、あなたはすぐに受け取る。終わり。簡単です。決してむずかしくない。意識的に行なわれる行動であります。 第二番目に、主に信頼せよ。これもまた明白な命令です。 もちろんここで大切なのは、短期間に行なわれる行動ではなく、継続的に続けられるべき態度です。主イエス様にすべてをゆだねて行なわれた行動のあとで、絶えざる信頼の態度が持ち続けられなければならない。 ここで大切なのは、意識的にイエス様に拠り頼むことであり、われわれの全信頼はイエス様に集中されなければならない。私たちがわれわれの道、全生涯をイエス様にゆだねたあと、すなわち、この意識的に行われた行動のあと、私たちの人生の終わりに至るまで、意識的な信頼の態度が続けられなければならない。 そして第三に、すばらしい約束は意識的に主にゆだね、意識的に主に全く信頼をおく人々に与えられます。 「主は、成し遂げてくださる。」と約束されています。「主はしてくださる。」、これは決して破られない約束です。 手離すと、イエス様に明け渡すことは一瞬の行動です。 主に拠り頼み、意識的に信頼することは人生の終わりに至るまで、持ち続けられなければならない態度です。 そして主イエス様はみこころは必ず実現されると約束しておられます。すなわち主イエス様ご自身が成し遂げてくださり、イエス様ご自身が奇蹟を成してくださるお方であることを証明してくださいます。 例えばあなたが一億円相続し、そのお金があなたの家にあると考えてみてください。あなたは外出するとき、絶えず心配するのではないでしょうか。なぜならばそのお金が安全であるかどうかわからないからです。 ひとりの友が、「そのお金を、あの銀行、あるいはこの銀行に預けるように。そこでは年率10%の利子をもらえる。」と提案するかもしれない。 そこであなたは喜んでその提案を受け入れ、そのお金を預け入れるでしょう。そこであなたは安心感をもって銀行から出て行くはずです。 いうまでもなく10%の利子をもらえるとは、少なくとも日本でありえない。夢の世界です。 ところで確実なところ、あなたは一億円というような大金を持っていないでしょうけど、あなたはそれ以上のもの、すなわち不滅のたましいをもっている。イエス様はマタイの福音書16章26節に言われました。 マタイの福音書16:26
もちろん永遠のいのちを、イエス様のいのちを マタイの福音書16:26
不滅のたましいは自分の手の中にあるのでしょうか。それともそれをすでにイエス様にゆだねたのでしょうか。 それがまだ自分の手の中にいるなら、極めて危険な状況にあります。ですからイエス様は呼びかけておられます。 マタイの福音書11:28
聖書の中でもっともすばらしいことばのひとつなのではないでしょうか。 もちろん疲れている人々だけ、重荷を負っている人々だけが呼ばれています。ほかの人々はどうせ行こうとしないからです。必要ないから。 だから主は色々な重荷や悩みを恵みとして与えてくださいます。箴言の23篇の26節に、ソロモン王は次のように主の口として言ったのです。 箴言23:26
単数形になっていますね。わが子よ。 箴言23:26
これはまったく主の個人的な呼びかけです。主はだれに対しても無関心ではない。 ひとつのことは間違いなく確実です。すなわち自分の人生を主にゆだね、自分自身を主に明け渡す者は決して後悔しません。というのは主イエス様ご自身がその責任を取ってくださるからです。 ヨハネの福音書6章の37節に、「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」、決しては決してです。へりくだればイエス様は必ず永久的に受け入れてくださいます。 何でもできるお方は待っています。「わたしにゆだねなさい。わたしにあなたの人生を明け渡しなさい。」、イエス様は決して強制なさいません。 けどひとりひとりが意識的にこの行動を行ない、自分自身を主にゆだねることを主は待っておられます。 私たちはすでにそれを行なったのでしょうか。このことは一瞬のうちに行なわれます。もしそのことをまだ知らなかったならば、今日そのことを行ない、自分の聖書に次のように書き込んでください。 「今日、何月何日、私は私の道、私の全生涯を、私を愛し、ご自身を私のために捨ててくださった主イエス様にゆだねました。」 これは意識的に行なわれるべき行動です。私たちはそれをすでに行なったのでしょうか。もちろんそのことは、その初めにすぎません。 あなたは一億円を銀行に預けるならば、あなたのお金は今や安全確実で、毎年10%の利子を受け取ることができるという確信をもって生活します。けど、私たちは自分の人生を主イエス様にゆだねたならば、私たちは永遠に安全であるということを知ることができます。 イエス様は次のように約束してくださいました。ヨハネの福音書10章の27節と28節です。絶えず覚えるべきことばなのではないでしょうか。 なぜならば多くの人々は、私はもうダメと思っているからです。 ヨハネの福音書10:27-28
決してない。だれもできない。云々とあります。イエス様は私たちに教えたいと思っておられるもっとも大切な教訓のひとつは、自分が主に完全に信頼できるという事実です。 イエス様はただ単に救ってくださるだけではない。イエス様が救ってくださったすべての人を守ってくださいます。決して滅びない。 またペテロも当時の色々な悩んで苦しんでいる人々に次のように書いたのです。ペテロの手紙第Iの5章の7節。これもよく知られている個所ですけど、すばらしい励まし、勇気を与えることばです。 ペテロの手紙第I、5:7
多くの人は、「私なんていてもいなくても・・・。」と考えます。とんでもない。 主は全部知っておられるだけではなく、心配してくださるお方です。 私たちは自分の道、全生涯をイエス様にゆだねたならば、イエス様の刺し通された御手のうちで私たちは確実に守られ、安全であるということを知ることができます。 けど大切なことは、日々、一瞬一瞬、イエス様に完全に信頼すること。すなわちもはや何ものも自分で手に入れたいと思わないこと。もはや思い煩ったり、心配したりしないことです。 こうした信頼の態度は主イエス様に栄光を帰します。パウロはこの態度を取りました。テモテへの手紙第IIの1章。やっぱり最期に書かれた手紙の中のすばらしい証しです。 テモテへの手紙第II、1:12
こういうふうに言える人こそが幸い、幸せなのではないでしょうか。 「私は色々な学んだことをよく知っている。」と彼は言ってないんです。「私は、自分の信じて来た方を、すなわち主イエス様をよく知っている。だからその方は私を守ってくださることができると確信します。」と。 ヨハネの福音書1章12節。この方を受け入れた人々、あるいは主にゆだね、自分を主に明け渡した人々には、神の子どもとされる特権をお与えになったとあります。 イエス様を自分の人生の中に受け入れた者は、主のものであり、主のものであり続けるのです。主イエス様の御手の内に守られ、安全であり続けます。 自分の道を主にゆだね、そして絶えず主イエス様に信頼する者は、イエス様が成し遂げてくださることを経験します。 イエス様は私たちを目標に導いてくださいます。ご自身の御約束を守ってくださいます。みことばを必ず守っていてくださるお方です。イエス様は信頼できるお方です。イエス様は間違いなく成し遂げくださるお方です。 銀行は10%もの利子をくれるかもしれないけど、天におられる父なる神はそれ以上のものを与えてくださり、いわば100%利子を与えてくださいます。 マタイの福音書19章を読むとわかりますけど、 マタイの福音書19:27-29
初めに読んでもらいました詩篇の37章では三つのことがさらに指摘されています。 第一番目、1節ですね。 詩篇37:1
とあります。すなわち腹を立てるな、ねたみを起こすなと指摘されています。 けどそのことは私たちがほかの人を見るとき、そういう状態になりやすいものです。けど私たちは自分の人生を主にゆだねた者・・・ (テープ中断) ・・・ゆだねると主はもちろん責任を取って導いてくださいます。 イザヤ書の40章を見ると何を書いているかと言いますと、私たちはすべてを主にゆだねると、主は責任を取ってくださる。 イザヤ書40:11
また、 イザヤ書53:4
とあります。もう一ヶ所、新約聖書からのヨハネの福音書14章。イエス様は次のように弟子たちを励ますために言われました。 ヨハネの福音書14:1-3
もう一回、 詩篇37:11
とあります。似てる内容はイザヤ書の26章の3節、4節なのではないかと思います。 イザヤ書26:3-4
意識的に主イエス様に自分の全生涯を明け渡し、イエス様に全き信頼するならば、人のすべての繁栄に勝る主のご自身の平安がわれわれの心と思いを、主イエス様にあって守ってくれると約束されています。 私たちが自分の人生を主イエス様の御手に明け渡すならば、自分のために刺し通されたイエス様の御手はもはや決して自分を離しません。ヘブル人への手紙の13章の5節にも似てる約束が与えられています。 ヘブル人への手紙13:5-6
この一節だけを見てもわかります。みことばの大切さです。 私たちはどうして確信をもつことができるのでしょうか。主は嘘を知らない方です。真理そのものであるイエス様は、「わたしは決してあなたを離れず、、あなたを捨てない。」 「主は離れちゃった。自分は捨てられている。」と思う人は確かにいます。けどもこれは悪魔の仕業です。 主は、「わたしは決して捨てない。」と言われたからこそ、私たちは動かない確信をもつことができる。 「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」 もう一つ最後にイエス様によって完全な満足が約束されています。前に読みました詩篇の37篇の4節。 詩篇37:4
イエス様との交わりはわれわれに完全な満足を与えてくれます。 私たちの喜びと私たちの平安は目に見える世界とは無関係です。イエス様ご自身が私たちの喜びと満足の源です。 イエス様はわれわれの切なる願いをすべて満たしてくださり、主イエス様を知ること、主イエス様をもつことはわれわれの永遠の幸せとなります。 自分をイエス様に明け渡し、イエス様に信頼しましょう。 そうすればイエス様はわれわれの心が願うものをわれわれに間違いなく与えてくださいます。 イエス様は成し遂げてくださり、すべてすばらしいことを行なうお方であることが新たに知ることができます。 |