十字架こそ唯一の救い


ベック兄

(吉祥寺学び会、2012/10/02)

引用聖句:ピリピ人への手紙2章8節
8キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

ガラテヤ人への手紙6:14
14しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

コリント人への手紙第I、1:18
18十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

コロサイ人への手紙1:20
20その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

ペテロの手紙第I、2:24
24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

今読んできてくださった箇所は、イエス様の十字架の大切さについての箇所です。十字架こそ唯一の救いであるということができます。
これから最初にお話することは、本当にあった出来事です。それはスイスでのことでした。フェルノというスイス人は、来客に向かっていろいろな話をしていました。彼は時のたつのを忘れるほど、いろいろと話合ったのですけど、一段落して、そのフェルノ氏は、来客に窓の外を指差しました。
そこには畑もあれば、牧場もあり、果樹園もあれば、すばらしい湖もあり、その後ろには雪に覆われた大きな山々がそびえていました。「これらすべて私のものです。これは私の楽園です。」と彼は言ったのです。彼は大変な金持ちで、欲しい物は何でも持っていたのです。

2、3年後、同じ訪問客が再び彼の所にやって来ました。畑も牧場も前と同じようにそこにあり、もちろん湖も同じように美しく輝いていました。しかし、フェルノ氏という男は、もはや何一つ役に立つものを持ってはいなかったのです。
確かにすべてのものは、まだ以前と同じように彼の所有物でした。けども彼は辛いことを経験したのです。すなわち、一人息子が湖で溺れ死んでしまい、娘は不幸な結婚をし、そして彼自身もおそらくガンと思われる不治の病に罹っていました。
訪問客は、フェルノ氏と話していると、フェルノ氏の末娘が急に部屋に入って来まして、そして尋ねたんです。「お父さん、これから町へ買い物に行きますが、何か買ってきましょうか。」するとフェルノ氏は言いました。「そうだね。ピストルを一つ頼む。もうこれ以上、生きたいとは思わない。」と。

私たちは皆、次のことをよく知っています。すなわちこの世の富は、過ぎ行くものであり、この地上の一生は、すぐに消えてなくなる霞のようなものであると、聖書は言っています。しかし、主なる神のご目的は、富やこの世の一生をはるかに超えたものであります。
主なる神は、人間が永遠の幸せであることを望んでおられます。主なる神は、そのことを望んでおられるにもかかわらず、イエス様を通して永遠の幸福への道を開いてくださいました。
その道は、今話したように、とりもなおさず十字架です。十字架につけられた主イエス様です。この十字架によって、イエス様は全人類の債務をご自身の上に引き受けてくださり、そのためにご自身のいのちをも捧げてくださいました。

スウェーデンの首都ストックホルムの墓地には、有名なスウェーデンの詩人ヨハン・アウグスト・ストリンドベリが葬られています。その墓石には次の言葉が刻まれています。
すなわち「十字架こそ唯一の救い」
この詩人は、長い間、主なる神を否定されていました。しかし、歳を取ってから彼は、それまでの間違った道から立ち戻りました。死の少し前、彼は自分の日記に次のことを書き記しました。
「私は、神なし自分勝手に生きたと思ったことから、私のすべての不幸がやって来た。」ということを正直に告白せざるを得なかったのです。

生ける真の神との結びつきを持っていない者を、主なる神は祝福することができません。
人間が、自分の力、自分の知恵によって、本当の幸福を見いだすことが出来ると多くの人々が考えています。しかしそれは間違いであり、偽りです。イエス様が祝福してくださらなければ、全ての事は空しいのであります。
それから彼は、自分の墓石に「十字架こそ唯一の救い」ということばを刻み込んでくれるように頼みました。

私たちは、親しい人に会うとしばしば「元気ですか。」と尋ねます。するとドイツではしばしばユーモアをまじえて次のように答えます。「おかげさまで元気です。健康でもあり、お金も沢山あることですし。」と。
けど、健康でお金が沢山あるということは、本当に大切なことなのでしょうかね。決してそうではありません。
病気でその上貧しい人々、しかしそれにもかかわらず、本当に幸せな人々がいます。なぜならば、その人々はイエス様に会って、永遠の幸福を見いだしたからです。

人間は誰でも死に向かう者です。どうしてでしょう。なぜなら人間は誰でも、主なる神の前には罪人であり、わがままであるから。
「善を成す者は一人もいない」と聖書は言っています。罪は、生ける真の神からの隔てです。一つの壁です。人間の本来の病は、罪の性質です。この病を癒すために、イエス様は十字架にかかってくださいました。
聖書は言っています。「わたしは主であり、あなたの医者です。」イエス様がこの地上におられた時、ご自分が偉大なる医者であることを証明してくださいました。

盲人が目が見えるようになりました。足なえが歩くようになりました。死人もよみがえらされました。イエス様の最大の批判者および敵でさえも、目の前で起こった奇跡を否定することはできませんでした。なぜなら、彼らはそれらの奇跡はすべて自分自身の目で、本当に見たからです。
イザヤ書53章に次のようなみことばが記されています。「主イエスは、(来たるべき救い主は)我々の病をにない、私たちの苦しみをご自身の身に受けた。主イエスの傷によって私たちは癒された。」と。
罪の支払う報酬は死です。しかしイエス様は、この報酬をご自身の身に受けてくださいました。主イエス様は、我々の代わりに罰を受けてくださったのです。イエス様は、債務を支払ってくださいました

唯一の主なる神が、今日提供したいと思っておられることは、まず第1に、富とか健康とかというものではなく、罪の赦し、絶えざる喜び、まことの平安です。
それでは人間はどのようにして、これらのものを自分のものにすることができるのでしょうか。イエス様の御許に行くことによって、主イエス様に自分の債務を告白することによって、そしてイエス様を信じ、忠実に従うことによってです。
おそらく私たちの中には、まだ精神的に悩んでいる人や、主なる神との平和を持っていない人、また希望と喜びを持って死ぬことが出来ない人々がいるのではないでしょうか。そのような方々に、私は次のような勧めをいたしたいと思います。どうか次のように祈ったらいいと思います。

「イエス様、どうかあなたが私の生活を見ておられるように、私は自分の生活を見させてください。」この祈りは必ず聞きとどけられ、次のことを知るようになります。すなわち、自分の生活の内には何一つ、主なる神に許されて受け入れられるものはない。一つも。ということです。
私たちは、死、すなわち主なる神との永遠の隔て以外の何ものにも値しない者です。しかし、生ける真の主なる神は、お一人お一人にも主イエス様による永遠の救いと罪の赦しが、我々のためにも備えられていることを示してくださいました。十字架において、イエス様は聖なる神の裁きを受けてくださったのです。
イエス様は我々の身代わりとして死んでくださいました。イエス様の死とよみがえりこそ、罪の赦しの土台また源です。

自分の罪をイエス様に打ち明ける者は、次のことを知ることが許されています。すなわち、「私の罪は赦されています。イエス様は、私をも受け入れてくださった。私は新しいいのちを持つことが許されている。」と。
罪の赦しと薬とは、お互いに似ている点を持っています。すなわち誰でもそれを受け入れることを強制できないのです。医者は、あなたに薬を与えることができます。しかしそれを強制することはできないでしょう。
それと同じように、主なる神も御子イエス様を通して、罪の赦しを備えてくださいました。しかし、その救いを受け入れ、永遠に言い表すことのできない栄光のうちにイエス様と共にいるようになるか、あるいは主なる神なく、望みなく永遠の時を送らなければならないかに対して、責任を負われています。

大切なことは、肉体上の健康でもなければ、沢山のお金を持つことでもありません。また多くの友達を持ったり、権力や名誉を持つことでもありません。
大切なことは、人間が債務の重荷から解放されること、そして主なる神が、我々の罪を赦してくださり、私たちに永遠のいのちを与えてくださったという確信を持つことです。
人間は、自分の健康、名誉のためにどれほど計り知れない努力をしているか解からないことです。しかし、死後の世界、永遠の世界については何も考えていないとは、本当に悲劇なのではないでしょうか。

今日、ここに来られた方すべてが、ご自分の罪と債務をイエス様に告白し、そしてイエス様は、私を受け入れてくださったから、私は救われているということを体験なさることこそ、私の願いであり、また祈りです。
ただイエス様だけが、私たちは知ることができ、我々の心を満たすことができるのです。
ですから、イエス様にだけ栄光がありますように。




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